ゼファーリア大森林 1
ゼファーリア大森林。
セイブルグ王国王都アークガイア北西の方角に位置する巨大な森林地帯である。三つの領土を股にかける巨大な森であり、分類的には混合林に属する。
その深度は計り知れないほどであり、ビレッジ・フォレスティアを起点にアークガイア方面から複数の林道が開拓されてはいるが、林道を大きく外れたら樹海に沈み、二度と戻ってこれないと伝承される。
実際、これは事実であり一度、森深くに足を踏み入れたら専門的な知識がない限り、生還するのは難しい。単純な自然の驚異だけではなく、小鬼や人獣等の魔物の脅威も考えなくてはならない。他にも土着の原生生物は魔物と分類されない種族も決して一筋縄にはいかず、か弱き人類などは三日も経たずに彼らの良質な餌と化す。
蛇に蜥蜴に大蛇に鳥に猪、何れもが過酷な生存競争を生き残ってきた猛者であり、その生命力には人間の培った浅知恵など生温い。
そのような危険な場所になぜ足を踏み入れるか。それはゼファーリア大森林の良質な産出物が命を張るに値する程に魅力的だからである。
強靭で材質の良いオーク材を初め、果物、種子、山菜、樹脂、そしてそこに住まう獣達から得られる獣皮や肉。どれもが捨てがたいほど魅惑的であり、それが様々な人民を深く慈悲深く冷酷な森へと誘った。
これがゼファーリア大森林開拓の歴史であり、同時にセインブルグ王国の王都であるアークガイア創設から続く歴史でもある。
アークガイアの比類見ない発展も、このゼファーリア大森林の存在を決して視野から外してはならないものである。
ビレッジ・フォレスティアから続く林道の一つである第三林道は開拓より百年ほど経過してから作られた林道であり、ローザンスの丘と呼ばれる小高い丘に続く。
順調に行けば大人の足で半日弱、四時間強、セインブルグの共用単位で換算するなら二クラールほどでローザンスの丘に到着し、日照時間の長いメルニドの時節ならば、日帰りで往復できる距離でもある。
ローザンスの丘近辺は比較的視野が開けており、対面は絶壁になっている。この環境が野営には中々適している。魔物や猛獣は餌等の恩恵がない為に近寄ることが少なく、近寄ったとしても視野が開けているために発見が早い。勾配は緩く、それなりの重装でも上りきる事が出来る。
ただ、対面の崖は当然だが、かなりの急勾配で落ちたらまず助からない程の高さがある。ある時期にローザンスの丘での飛び降り自殺がアークガイアで流行ったほどである。自然回帰が目的らしいが馬鹿々々しいにも程がある。良質の餌がありつけると知り小鬼が群がり、それを追い払うのにセインブルグの駐留軍がてんてこ舞したという余談もある。自殺は自殺でも迷惑をかける部類の自殺なので、それを取り締まるのに国で一波乱起きたのもまた、笑えない実話である。
そのような第三林道だが、その利便性から経験の少ない狩猟職や採取職に好まれる性質がある。護衛付きだが王都より慰安でハイキングに来る貴族もいるほどである。ゼファーリア大森林にある数多い林道でも最も安全な一つであった。
〇 〇 〇
「カーリャ。とてもいい天気だね。素敵なピクニック日和。お弁当、持ってくればよかったね」
「ピクニックじゃねえわよ。殺すわよ」
快晴の空。太陽の眩き恩恵は深緑を神々しく照らしている。何の脈絡もない本日一回目の殺す発言が陽気な日和の中、無邪気な隣人に向けて飛び出した。今日もカーリャの殺意は絶好調だ。
材木資材の運搬車が頻繁にビレッジ・フォレスティアとの間を往復する第三林道は、とても開けており、大人五人ぐらいなら横並びに歩けるほどの余裕があった。ただ、現在は状況が状況なので運搬車どころか、人の姿一つ見えなかった。
そのような道幅の広い林道をミシューとカーリャは二人、連れ添って歩く。荷物はそれぞれの得物と、簡易糧食、そして皮袋に入った水だけであった。
糧食はマーム、つまりは小麦をブトゥルム、バターで混ぜて焼き上げたもので、小麦菓子、ハードクラックと呼ばれている。とても硬い食感で、日持ちするのが特徴である。後は干し肉と干し果実。果実は柿である。セインブルグではノミスと呼ばれており一般的に食されている。典型的なセインブルグ軍の遠征用糧食である。
簡易な荷物で、森に侵入するには無謀な軽装とも見做されるが、貴族が遊楽に訪れる程度の険しさなのでこの程度の準備で事足りた。むしろ、慎重に警戒して重装にしたとしても、荷物が重いだけで疲れてしまう。そもそもカーリャには森や山での遭難時の知識があるので、最悪、何とでもなる自信はあった。師匠、遭難させてくれてありがとう。
「ミシュー。急ぎなさいよ。あんた、どこからどう見ても足が遅そうなんだから。あんたのペースにあわせていたら年が明けてもローザンスの丘にたどり着かないわよ」
「酷い言われよう。辛くて思わず崖にたどり着いた瞬間に飛び降り自殺してしまいそうなほど深く、深く傷ついた」
「うるさい。鋼の心臓。そのあたりに転がっている岩石よりも頑丈な神経しているのに腐った女みたいなこと言ってんじゃねーわよ。あと、ローザンスの丘での自殺はやめて。王立民主法で禁止されているから」
「私、ベルファンド人だから適応されなくなくなくない?」
「移住した時点で適応されるわよ。移住した時に役所で言われたでしょ」
「そういえば、リュートゥスさんにそんな事言われたような気がする」
「誰それ?」
「私の移住手続きをしてくれた担当者。とっても優しいの。書類から引っ越し手続きから、全部代行してくれたんだ。すごく良い人」
「それって、絶対に下心あるんじゃない?」
カーリャがジト目でミシューを見やる。意外と天然の小悪魔なのかもしれない。
道すがら、軽口を叩きあう二人。ビレッジ・フォレスティアを出発してからまだ、それほどに時間は経っていない。
王都アークガイアを出立しはじめた頃は険悪だったが、なんだかんだで少しずつ打ち解けているとカーリャは感じていた。犬猫だってしばらく一緒に暮らしていれば情がわく。蛙やゾウリムシだってガラス瓶に入れて飼っておけば親近感がわくだろう。ゴキブリだって叩き殺さず食堂を徘徊させておけば家族のような錯覚をするものである。おそらく、それと同様の感情なのだとカーリャは思った。
整備されているとはいえ、王都の石畳が懐かしくなる程度には歩き辛い道を踏みしめながらカーリャは歩く。
軽く横を見ると、ミシューは若干遅れていた。日頃から身体を鍛え、王立軍でも定期的に訓練を行っているカーリャの体力に、学院で座学ばかり行っていたミシューが敵う道理はない。カーリャ自身もそれは自覚していたが、あえて歩く速度を落とすような真似はしなかった。なのにミシューは文句を言うことなく、一生懸命についてくる。案外、我慢強い性格なのかもしれない。
「カーリャ。歩くの早いよ」
いや、言った。やっぱりヘタレだ。カーリャは少しだけ歩く速度を落とそうと思ったが、今の一言が非常に癇に障ったので逆に歩く速度を速めることにした。ーーーついて、来れるか?
「閑散としているね」
と、ミシューが不安げに呟く。
ミシューとしては、誰一人すれ違わない今の状況を指して言っているのであろう。だが、カーリャの捉える見解はもう少し違うところにあった。
たしかに、閑散としている。
それは、単純に林道に人がいない事だけではなかった。うまくは言えない。だが、森自体が重苦しい雰囲気に包まれているのである。
いつもは、静かで荘厳な森の中に様々な生物の活きた気配を感じることができる。そういった肌感覚のようなものが今日は無いのである。鳥の鳴き声一つ、聞こえることがない。そういった平時とは違う、異質の不気味さに森全体が包まれていた。
緊張感が走る。警戒心を強める。
カーリャの勘が、今日の森は危険だと明確に警鐘を鳴らしていた。
「ミシュー。気を付けなさい。普段とは違う。何かおかしいわ」
と、蒼海の髪をなびかせながら、カーリャ振り返り背後に視線を向けた。
すると、そこには人の姿はなかった。
そう。
連れ添った束の間の相棒の姿が。
消えていた。
消えていたのである。
姿が、失われていたのである。
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