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ルインシールサーガ 一章 竜と刀とブルーベリー  作者: 宮下しのぶ
第三章 ビレッジ・フォレスティア

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ビレッジ・フォレスティア 8

 

 ケープを纏い、草臥れた部屋の扉を潜ると廊下である。シュティアの中節と呼ばれる時節はかつての世界でいうところの五月半ばであり、春夏秋冬も似通っている為に、昼は仄かに暖かいが夜ともなると冷える。

 もう少し時が過ぎればこのような寒さも懐かしい思い出に変わるのだろうとミシューは独り、灌漑深く、耽る。

 ゼファーリア産のオーク材で建造された深緑亭の構造は断熱が甘いのか、薄ら寒く乾いた風が悪戯に吹き抜ける。身を襲うささやかな寒気に、ケープを纏って良かったなとミシューは心底思った。

 静かな廊下。

 昏い廊下。

 沈黙する廊下。

 壁には照明が幾つか点在するが、燃料の補充が足りないのか、あるいはすでに寿命を迎えようとしているのか、光は心もとなく感じるほどに弱々しい。

 部屋に鍵が備え付けられているのは防犯対策であり、深夜に迂闊にも女性が一人で廊下を歩いていたのならば何をされても文句が言えない程度には治安も民度も宜しくなかった。

 夜道を独り歩いても何事もなく帰宅できるあの世界を懐かしく思ったが、よくよく思い返せばあの世界であっても、夜道を独り歩けるのは世界一治安の良いあの国ぐらいだったなあとすぐに気付き、同時にどの世界も根底はそこまで変わらないんだなあとしみじみ感じた。

 ミシューは廊下の床を静かに踏みしめる。

 ミシと、木のきしむ音が響く。

 必要以上に音が響くのは、深緑亭がすでにくだびれて老朽化しているせいだろうなとミシューは思った。玄関前の立札に観光者対策だろうか、深緑亭の歴史が記されていたが実はすでに築五十年を迎えた老舗らしい。オーク材は建築材として優秀なんだなあとミシューは現実的な思案に耽ったものだった。

 ゼファーリア大森林で起きた一連の騒動の煽りを喰らってか、深緑亭の巨大な内観には人の気配は全くと言って良いほど感じられなかった。闇夜の帳に包まれたせいもあってか、不気味な空気が覆いつくす。ミシューは少し、怖くなってしまった。

 廊下を少し歩くと、中庭に抜ける大きな扉があった。中庭といっても特筆するべき点は無い。短く刈り揃えた茂みの中に、無造作に堀り抜き型の井戸が置かれているだけである。身体を拭くのに使った小汚い水もおそらくここから汲んだのだろう。汲んで受け渡すだけで銅貨三枚とはぼろい商売をしているものだとミシューは強く思った。

 中庭への扉をくぐり、芝生の土を踏むとそこに居たのは愛しさの欠片も感じることができない程に憎たらしい探し人だった。

 蒼海の髪、真珠の肌、恨めしいほどに麗しき連れ人は寝間着姿のまま、天高く照らし惑う夜天の月光に曝されていた。

 なにしているの?

 と、気さくな声をかけることも躊躇われた。

 少女は、剣をふるっていた。

 剣。

 いや、あの世界では刀と呼ばれていたか。

 反りのある、美しい刀であった。

 流水のように滑らかで、薄氷のように眩い。

 そしてそれを振る少女もまた、美しかった。

 刀はその性質上、ガリア大陸では好まれない。鎧の文化であるガリア大陸では鎧ごと相手を粉砕する無骨で厚い西洋剣が好まれる。

 打撃により相手を打ち倒し、刺突により相手を貫き、絶命させる。そのような用途が、ガリア大陸に置ける剣という武器の役割であった。

 東方に位置する島国、あの世界の故郷に少し似ているシフォン由来の刀という武器はセインブルグ王国にて扱われてはいるが、広く流通はしなかった。薄く鍛えられた刀は横からの打突に恐ろしいほど弱く、鉄や鋼で鍛えられた鎧を切り裂く事は到底できない。反りがあるので刺突としての用途も若干弱い。その実用性の低さと反する見栄えの美しさから一部の好事家から美術品の一種として取引されることはあるが、実務的な武器として扱われることは決してなかった。

 忘れられし遺産。

 はるか故国の郷愁を感じさせる。

 孤高の片羽。

 一刃。

 又、一刃。

 流水が凪ぐ。

 月光に溶けた鮮明なる残滓。

 軌跡は芸術を生む。

 もしこの世界に録画媒体が存在するのであればこの光景を閉じ込めて、宝石のように思い出の彼方に閉じ込めたいとまで思えた。

 それほどまでに。

 幻想的で。

 中庭の扉の前でただ、その蠱惑的な光景に心奪われるしかなかった。

 刃の舞が。

 唐突に終わりを告げた。

 湖の女神のような少女が、汗をぬぐう。

 終わりを迎えた。

 いつまでも見ていたかったのに。

 幼い頃の紙芝居屋が唐突に、時間とばかりに帰ってしまったかのようなノスタルジックな悔恨が胸を覆う。

 そこで。

「ミシュー?」

 女神のように舞い賜いし少女、いや、連れ立った騎士の少女、カーリャは唐突なミシューの姿に驚きを見せる。

 集中のあまり、気付いていなかった。

 カーリャは、まるで先ほどの舞などただの幻だったんだといわんばかりにいつもの、眉間にしわの寄った難しい顔をして、それでいて嘆息交じりに声をかけてきた。

「なに、してるのよ?もう、真夜中よ」

「それはこっちのセリフだよ」

 と、ミシューは軽く口をとがらせる。

「目を覚ましたらいなかったから、探しに来たんじゃん。こんな深夜になにやってるの?」

「見てのとおりよ。剣の稽古」

「剣の稽古?」

「そ」

 相槌とおなじくして、何気ない所作で、柄を軽く握った刀の切っ先が鋭く滑る。流麗だった。

「欠かすと鈍るからね。振りが遅くなったり、切れが失われたり。ろくなことがないわ。毎日の習慣みたいなものよ。それに、毎日続けていることを急にやめるとなってしまうととても気持ち悪いじゃない。私、耐えられないわ」

「それで、こんな夜更けに?」

「悪い?」

「危ないよ」

「ふっ」

 と、鼻で笑い。

「私が暴漢風情に後れを取ると思う?」

「返り討ちだろうね。相手は一生、後悔かな?」

「でしょ」

 カーリャは肩をすくませて笑みを見せた。

 ミシューもつられて、クスリと笑う。

「稽古は、これで終わり?」

「いいえ」

「まだ、するの?」

「今のは型の稽古。これからもうしばらく、素振りをしてから眠ることにするつもりよ。どうにもね。眠つけなくて。もう少し、身体を疲れさせてからベッドに入ることにするわ」

「心配事?」

「少し厄介な案件になりそうだからね。さすがに緊張しているのよ」

「鉄の心臓なのに?」

「喧嘩売ってる?」

 カーリャの鋭い視線がミシューを貫いた。

 しかし、ミシューは飄々と。

「売ってない」

「まったく、良い根性していること。チンピラ風情におびえていたくせに」

「それはよけいな物言いだよ」

「とにかく、お休み。見ていて面白い事ないわ。夜更かしして疲れて、明日は役立たずとか洒落にならないから三度死んでも絶対にやめてよね」

「ううん」

 と、ミシューは首を横に振る。

「もう少し、やるんでしょ。見てる」

 カーリャは困ったように息を吐いた。

「物好きね。面白いものでもないでしょうに」

「ううん。面白い」

「どこか」

「面白いよ。とても」

「そう」

 蒼の、素っ気ない相槌。

 金の、無垢で純真で偽りない言葉。

 だから。

 それ以上何も言葉を続けなかった。

「じゃあ、井戸の傍で葦にでもなっているといいわ」

「それは得意」

 ミシューはそうまでいうと、一つ頷き、いそいそと傍の井戸に腰を下ろした。

 それから。

 静寂の月明かりに照らされながら、静謐な時間が続いた。

 照明もない未開の薄暗い世界の中で、月明かりだけを頼りに、ただひたすらに剣を振るう蒼海の少女。

 所作は美しく、一太刀、一太刀が芸術のように流麗な軌跡を描く。

 そして、それを振るう少女もまた闇夜に浮かぶ水の大精霊ウィヌスのごとく幻想的で麗しかった。

 神秘的な光景。

 まるで一瞬の陽炎の様。

 その光景をミシューは石造りの井戸枠に座り、頬杖をつきながら黙って見ていた。

 静謐な時間が静かに続いた。


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