第4話「黒騎士」
嵐が、近づいて来る。大きい。この時期としても大きい。
司祭である、ハーフエルフの女性マノア・メリシュトラは、教会に住む女たちに声を掛けた。
窓を補強し、家畜を小屋の中に移動し、雨漏りのするところはあらかじめ補強だ。
この教会に住むものなら、大抵の事は自立してやってのける。
此処は、森の奥深くに隠れる、教会。
珍しいことに、自然崇拝、いや、正確には森や自然を支配する女神、イリアスを崇拝する教会。
女性のみが、この教会で過ごすことを許される。俗にいう、駆け込み寺の要素も併せ持つ。
―――ここが、ヒロミ・ルーティリアの育った教会だ。
10年以上昔に、森に倒れた哀れな幼子を拾い育てた教会だ。
彼は、15になった。世間一般では青年と称される年齢で、婚姻も出来る。
ただ一人の男性であるヒロミが此処に居られるのも、もうそろそろ限界だろう。
ヒロミは余りに女性的に美しい為に、普段の生活をしている分には違和感ないし、幼少から女性に囲まれているため、荒い言動もない。仕草もどこか、柔らかさを感じる。
女性に見せる為に伸ばしたサンゴールドの髪は、緩くウェーブしながら腰まである。
オマケに、歪ではあるが、胸の中央に膨らみすらある。そう、魔王の真珠だ。
だが、やはり男性なのである。
男性相手であれ、女性相手であれ、この教会に住む限りは、恋愛は禁止とされている。
許されるのは、胸に秘める事だけだ。
だが。ヒロミは、女性的とはいえ、いや、女性にしか見えないにしても、あまりに美しい。
彼に思いを寄せる年頃の娘は1人ではない。そんな事を知っているから―――。
「この嵐が通り抜けたら、旅に出なさい。ヒロミ。新しい世界へ行きなさい。お前の運命は、きっと複雑で…誰もお前を孤独にはしてくれない。」
ヒロミも、出て行かなければならない事は判っている。だけど、孤独にしてくれないって何だろう。孤独は寂しくて辛いものだろうに。
強い強い風の音を聞きながら、ヒロミは荷をまとめる。
大したものは持っていない。プリーストの服。珍しい、木で作られた聖印。小さなリュック。
この森の中で過ごした思い出。育ての母と過ごした、修行の日々。
そんなものだ。
しかし。若い彼には、それがいかに大切な物だったかを振り返り惜しむ余裕はない。
ほんの少し。寂しくて、悲しい。それだけのこと。
空の透き通った美しさとは正反対に、森は大きな損害を出した。
多くの木々が倒れ、悲しい姿を見せている。森は死んだ、とまでは言わない。ただ、回復するのに通常なら数年かかる。
「ヒロミ。勝手で済まないけど、旅立つ前に、一仕事してほしいわ。」
母の願い、聞かないわけには行かない。まして、森を救う為ならば。
ヒロミは、母と森を回る。
森に入ってすぐ、母の表情は険しくなった。
「まずい…隠遁の力が足りない」
「母さん?」
「木を隠すなら森の中…と言うでしょう?急ぎ、木々を再生します。」
“グロウ”の呪文で若い木々を育てる。
“リカバー”の呪文で傷ついた木々を癒す。
「もし、間に合わなければ。ヒロミ。戦いなさい。」
「…母さん、何を言ってるの?」
「旅立つお前に言っておきます。お前には、変化の力がある。恐らくは、その胸の巨大な真珠の力によるもの。」
ヒロミは、一見、女性的に見える要因を更に与えているその巨大な真珠に触れた。
その真珠は、冷たくは、ない。白い心臓の様に、温かい。
「変化?」
「お前は、悪魔に成れる。」
「悪魔って…。自然魔法系僧侶の僕が?女神の魔法、使えるのに?」
「心までは、悪魔にならないからだろう…。いや、それは間違いかも知れない…。」
母ですら、判断に迷っている。
「幼き日のオマエは…。」
母は、何かの言葉を、飲み込んだ。
そして、森を再生していく。精霊の歌が聞こえ始めた。獣の息吹が近くに戻り始めた。
「…間に合った、かな。」
母は笑顔を作った。
「いや、間に合ってはおらぬよ。」
その声は、木々の隙間を縫って遠くから聞こえた。
森が悲鳴を上げる。生命の豊潤な息吹が掻き消える。
宙に僅かに浮いた、漆黒の馬。口と蹄からは揺らめく炎を吐き出す。
ひと目でそれが、地獄に属する魔物だと判る。それ以外に何があると言うのか。
その恐怖の馬に跨っているのは、鎧を着こんだ、骨だ。不穏な紋章の浮かぶ、漆黒の鎧だった。
何処かで見たような、不穏な鎧だった。
髑髏の首を左手に抱え、右手には瘴気の揺らめくランス。
デュラハン。狂気の上級アンデット。
「人間どもは、遅い。そして、鈍重である。」
母は杖を構えた。
「ヒロミ!戦いなさい!お前を追っている!きっと、負ければ胸をくりぬかれて殺されます!」
「は、はい!母さん!」
ハーフエルフの僧侶が呪文を唱える。
「“ウインドカッター!”」
デュラハンがランスを母にむける。渦のような瘴気が風の刃を迎え撃ち、相殺する。
「くっ!」
「いや、侮りはしない。自然の神の信徒。だが、所詮は僧侶魔法。それ以外に、何か出来るのか。バトルプリーストの様に、メイスを振るうか?我らの嫌がる光を撃てるか?」
馬を操り、歩を進める、死人の騎士。左手に抱えられている表情のない髑髏が、勝ち誇り、口角を上げているようにすら思える。そいつは、ヒロミを見た。
「話しに聞く生贄がこうも大きく成長しているとは。しかも、同じ領内で。見事に隠れたものだ。しかし、運は無かったな。生贄よ。」
「誰が生贄だ!“ホリー・ライト!”」
光系の呪文。しかし、駆け出しの、更には純プリーストではなく、自然魔法の一派。
死人は、避けもしなかった。
「その呪文より、先程より我に当たる木漏れ日の方が、体を焼く。」
「なめるな!」
「自然魔法!“鉄を木に!”」
デュラハンの鎧が、一瞬揺らいだ。存在が揺らいだ。
「…ほお。我が本体こそ、この鎧。只の鎧なら、変性していたかも知れん。少し見直した。では、殺そう。生贄よ。<魔王の真珠>、返してもらおう。」
母が叫ぶ。
「真珠の力を使いなさい!10年前に、追手を退けた力をー!」
真珠の力?どうやって!?
死人の騎士が、馬が駆け出して来た。
魔のランスが、ヒロミを狙っている。
慌てて、前転のように転がり、槍を躱す。やっと避けただけだ。体を使って戦う術など学んでいないのだから。
「あがくな。死ね。」デュラハンが死の馬の向きを変える。
「聞いた話でしかないが。10年前、騎士団を全滅させたのは本当にオマエであろうかな…?」
10年前。騎士団。
黒い鎧。 魔王を崇拝する教団。 宝物庫
頭の中を、痛みの雷が走る。渦巻く。
母サマ。ヤサシイ、綺麗なカアサマ。
トオサマ、東の国ノ、剣士ダッタ父サマ
アア モウヒトリ…。
「ドウシテ、殺シた?」
「なんだ?」
「ドウシテ、僕のカゾクを殺シた?」
月の光の下を、駆けて駆けて、逃げ伸びた。草原を抜けて、森へ入った。
「逃げ伸びろ!」父が叫ぶ。
母様は、赤ちゃんを抱いていた。
父様は、その特徴的なバスターソードを抜いて、すぐ近くの追っ手を切り伏せた。
僕は、父様と、森に入った。
森の入り口で、父様は騎士団を迎え撃つ為に留まることを選んだ。
僕は、言われた通りに、森の出口を目指して、走る。
口の中は、血の味がした。
もう少しで、森の出口だという頃。父様と、母様と合流するはずの、森の出口近くで、後ろから足音が聞こえて来た。
父様とは違う、鎧の音がした。
僕はもう、走り切れなかった。ガっと首の後ろを掴まれて、引き倒された。
笑い声。見下すような声。
「諦めろ…今は殺さんから安心しろ。お前は祭壇で胸をくりぬく。」
「と、父様が今にお前達なんか…!」
「父様?はぁ。この剣の持ち主かな?」
男は、騎士団の長と思われるその男は、僕の前に、黒い鋼の剣を突き立てた。
持ち手に模様染めの布が巻かれた、東国の剣だった。
「うそだ…うそだー!」
嫌だ―!嫌だ―!!いやだぁぁぁー!!
「ははは、お前を迎えに来る家族はもう、誰も居ない。」
僕はその時何をしたんだっけ…。
ああ、僕は叫んだんだ、こう。
「ゆるさない!ゆるさないー!!」
森中の大蛇が集まって来た。森の木々が動いて、騎士団の男達の手足に絡みついた。
上空には、数体の、翼のある大きな影が舞っていた。
男達が悲鳴を上げる。森を埋め尽くす何かに、惨殺されて行く。
「お前は、お前は、何だ!?化けもの!バケモノがぁ!」
バケモノ。そう言われると、僕は、僕の体は何か、違うモノに成った。
僕の鋭く伸びた鉤ヅメが、男の首を吹き飛ばす。
その後、僕は何か叫んだと思う。覚えていない…。
叫びながら、僕は、すべて。黒騎士団の全員を皆殺しにした。
…視界が、低くなっていく…。意識が急速に薄れる…誰?
誰かが、僕を優しく抱いてくれた。
―――今の、母さんが。
ヒロミは、デュラハンに、正面から向き直った。
「諦めたか。生贄。」
「…お前の首、“もう一度”、切り落とす…。」
「なに?」
「はは、ははは…」
「お前は!お前が!?まさかお前が我を!?」
「真珠よ、我に力をー!」
真珠色の血液が、心臓から止めどなく溢れ、体にまとわりつく。
急速に膨れ上がる。3mの巨大な体。
鹿のような、ねじくれた角、竜と昆虫を混ぜたような顔、4つの金色に光る目。
巨大な鳥の鉤爪、腹部には牙を生やした巨大な口。
その口の中には炎が絶えず広がり、甲虫を思わせる羽も、竜のような下半身も、一様に光沢輝く、真珠色。
――我こそは、真珠色の悪魔!
「死人に成り果て、記憶も失った暗黒騎士。もう一度、地獄へ送る。」
甲虫の羽を広げ、一瞬で飛び掛かる巨体。
デュラハンは、死人でありながら恐怖に怯えランスを突き出した。
ランスは、悪魔の口にザクリと、突き刺さった様に見えた。
しかし、ランスの切っ先は、悪魔の背からは出ていない。
「判るんだ。この口の中は、この炎の中は、地獄に繋がっている。」
ランスは、見る見るうちにその口の中で溶けだしていく。
真珠色の悪魔は、右手で、デュラハンの首を手に取った。
地獄の馬が叫び、悪魔に向けて火を吹く。意味のない、炎を吹く。
デュラハンの首が恐怖に叫んだ。
「あああ!なぜ魔王の真珠はお前に力を与えている!?お前は、お前は生贄ではないのか!?」
「…家族の仇…もう一度、死ね…いや、何度でも死ねー!!」
カギ爪が、デュラハンの首を2つに引き裂いた。投げ捨て、本体と言っていたその鎧もまた、力任せに引きちぎる。
走り逃げようとした悪魔の馬は、その爪から撃たれた黒い硬質な何かでボコボコに撃ちぬかれ、倒れた。
2体の魔物の体は。不安定な魔界の精霊と、騎士のアンデッドは、陽光に焼かれ粉と消えていく。消えていく…。
母は、全ての惨劇を、震えながら見ていた。
―――――――――
旅立ちにあたり、母は、ヒロミの掌に、小さな指輪を握らせた。
「これは、調べてみた所、世界に名だたる秘宝、<願いの指輪>であるらしいのです。お前が持ちなさい。願いは慎重に、言葉を慎重に選ばねば、指輪の神は持ち主に不幸を返す。」
「何故、僕に?寺院のみんなで使えば、きっと幸せに…。」
「…いえ。元々、恐らくお前の父が持っていたモノです。ひょっとしたら、暗黒の寺院から持ち出したのかも知れないし、違うかも知れません。お前の真珠を取り出すためかもしれないし、呪いを打ち消すためかもしれません。」
あるいは、追手を倒す為に指輪を使えていれば…。家族を守る以上の使い道など無かろうに。
それとも、瞬時には使えぬのか。使っても、願いを聞き入れてもらえなかったのか。
今となっては、判らない。
「では、僕は家族を甦らせたい。」
母は首を振った。
「お前の幸せの為に、使いなさい。それが、父と母の願いでしょう。もし、甦らすならば。指輪の力で1人ではなく、お前が神にも近い呪文の力を手に入れ、自分の呪文で家族を蘇らせなさい。勿論、生前の縁を深く感じられる品がなければ、無理でしょうが。」
ヒロミは暫く黙っていたが、やがて考えを口にした。
「真珠を取り出すのに使ってみます。もし無理なら、困っている誰かの願いの為に使います。きっと、それ以外に、自分の為に使ったら不幸が帰ってきそうだから。」
「判りました。貴方らしい。優しい、貴方らしい。」
母は、先程の悪鬼のような姿を一瞬思い浮かべたが、振り払う。
「ヒロミ…負けないで。良い旅を。」
「負けない…?はい。では、行ってきます。母さん。」
…負けないで。邪悪な誘惑から。強すぎる、大きすぎる力の誘惑から。
ヒロミは、何度も振り返りながら、森を離れた。
静かに、華々しくもなく。
ただ、寂しさと、掘り出された傷の痛みだけを噛みしめて、旅に出たのだ。
「行ってきます…戻らぬ旅に。」
皮肉にも
胸に半分埋まった、鈍い光の真珠だけは。
愛を誓い合った恋人の様に、彼から決して離れない。
…続く。




