第八話 永正之錯亂(二)
政元のところに近習として集められたような若者はもともと育ちが良く、また一を聞いて十を知るような気立ての良さがあるから取り立てられたのであって、孫六がここまで言ったのを聞いてなお
「それはどういう意味ですか」
などと野暮ったい質問をする者はいなかった。かえってそれぞれ目配せして、暗黙のうちに政元殺害に合意したのであった。
謀反の種をまき終えた香西兄弟が遊初軒をあとにすると、竹田孫七、福井四郎、新名与一の三名はさっそく具体的な謀議に入った。明日になってしまえば政元が帰ってくるから、その前に謀議を完成させねばならない。
そもそも政元が明日帰洛するのは、明後日二十四日が、政元の信仰する愛宕権現の縁日に当たっていたからだ。政元が行水を使うのはいつものことであったが、縁日の前日には特に入念にこれを行う。近習であればみな知っていることであった。
謀議の結果、三名はあらかじめ湯殿に潜伏しておくこと、政元が湯殿に入ると同時に決行すること、得物は小太刀とすること、まず孫七が斬り掛かり、次いで福井が政元の脇腹を突いて転倒させること、手近な者が首をかいてとどめを刺すことなどが取り決められた。
その晩、三名は誰ひとりとして眠ることが出来なかった。
政元が帰洛したのは翌日の午の刻(午前十一時ころから午後一時ころまでの間)であった。眠いのを隠しながら政元を出迎えた三名は、政元に随行して帰洛した波々伯部源二郎の姿を見て、はたと気付いた。
源二郎は三名と同じく政元の近習だ。いわば同僚であり、三名と同じく政元の気難しいのに日々悩まされている仲間でもある。
しかし今回の伏見行きに随行を許されているとおり、政元から得ている寵愛が並ではないという点が、他の三名とは明らかに違っていた。
(源二郎を謀議に加えるかどうか)
三名は隙を見て、この点について改めて談合した。答えは三名とも
「源二郎は謀議に加えない」
これで一致した。
今から計画に加えたところで源二郎に活躍する局面はなかったし、伏見への随行を許されているように主人の愛も深い。寵愛に報じようと、源二郎が政元に計画を漏らさないとも限らない。かかる理由から、源二郎には密議を知らせぬ方が良さそうだとの結論に達したのであった。
戌の刻(午後七時から午後九時ころまでの間)となった。政元が行水を使う時刻である。湯殿を出た政元の身辺をあれこれと世話しなければならないから、この時間は近習たちは大忙しになるはずだったが、こんな時に限って孫七も四郎も与一もいないことに、源二郎は不満顔であった。
だが源二郎は知らぬ。このとき三名は、主政元の命を狙うべくそれぞれ小太刀を手に湯殿に潜んでいたことを……!
政元は湯殿の前に近侍する源二郎に大小を預けた。
丸腰となった政元が湯殿に入り、湯帷子に着替えようとしたその時!
「お覚悟を!」
覆面で顔を覆った何者かが突如政元に斬り掛かった。
「不埒者!」
大喝して身を躱す政元。
普段であれば、主人の大小を携えたまま、源二郎が湯殿前に近侍しているはずだったが今日に限ってその姿がない。
なぜというに、政元が湯殿に入るや、三名が懈怠に及んでいるがために他の用事も源二郎が済まさねばならず、
「縁日前の行水ゆえに出てこられるまでしばらく余裕があろう」
とばかりに座を外してしまっていたのだった。これは政元にとっての第一の不幸であった。
第一撃を躱された覆面の孫七。いったん距離を取られ、主人政元の青ざめた表情を見たことでやや冷静になる。
確かにこれまでさんざん悩まされてはきたが、果たして主殺しにまで及ばねばならんものかと。
――いやしかし、ここまできたらもう殺すしかない。いまから侘びて許されるなどあり得ぬ話だ。
意を決した孫七が第二撃を政元のヘソのあたり目がけて放ったその時だった。
バサリ――。
薄暗い湯殿に烏の翼のような陰影が浮かんだかと思うと、孫七の眼前から標的がヒラリと消えた。
「ど……どこだ……!」
見上げれば湯殿の天井まで舞い上がる政元の姿。湯帷子の両肩を突き破ってのぞくは真っ黒な翼。
「ふはははは、成った! 修行が成ったぞ!
この高さならよう見えるわ。竹田孫七、福井四郎それに新名与一。これは誰の差し金ぞ」
「ひぃぃぃ……!!」
口々に恐怖の籠もった悲鳴を上げる三名。丸腰とはいえ、とんでもない化け物を相手にしてしまったことに恐怖する。
孫七は必死に小太刀を振り回した。
思いがけず累年の修行が実った政元だったが、彼にとっての第二の不幸は、湯殿には天井があって、そのまま飛んで逃げられないというところであった。孫七がめちゃくちゃに振り回した一振りが、政元の足底部を抉った。
「ぐわっ!」
政元が呻くと、それまでその体を中空に漂わせていた翼は嘘のように消え去っていた。ドスン、と片脚立ちで床に降り立った政元。
「おのれ化け物!」
着地と同時に福井四郎が脇腹に突き掛かると、政元は横倒しに転倒した。最後は竹田孫七が、首を防御しようという政元の手ごと、その首を掻き切ってしまったのであった。湯殿の中は血の海となっていた。
「はあ、はあ、はあ」
血の臭いの充満する湯殿に三人の息づかいが響く。
「おい、いくぞ」
気を取り直したように孫七が言った。グズグズしておれば事が露顕して殺されるだろう。三人は早急にこの場から逃げなければならなかった。
その時源二郎は、そろそろ主が行水を終えて上がってくるだろうことを見越して湯殿に向かっているところであった。覆面で顔を隠した孫七と源二郎が出会したのはその時だった。
孫七は政元を殺した小太刀で斬り掛かり、源二郎は政元から預かった大小でこれを防ぎながら
「わざわざ御手を汚すまでもございません。お気に召さないことがあったのでしたら腹を切ります」
と自ら身を引いたという。斬り掛かってきたのが政元だと誤解したのだ。
三名が香西兄弟に唆されて謀反に及んだ所以は、政元の日頃の気むずかしさゆえであった。源二郎も、何が政元の気に触ったのか心当たりはなかったが、政元が斬り掛かってきたのだからきっとなにか気に入らないことをしでかしてしまったんだろうと思ってこんなことを言ったのである。
その意味では、いくら気に入られていようが源二郎もまた、政元殺害の有資格者だった。
源二郎は御局という一室まで退去すると、その部屋にいた刑部卿という女性に
「今から腹を切りますので御検使賜るよう御屋形様にお伝え下さい」
というと、何があったのかも分からないまま刑部卿が政元を探しに出たが、どうも邸内に御屋形様の姿が見当たらないという。探してないところは湯殿くらいだが女の身では覗くことが出来ないとでも言ったのだろう、それではとばかりに源二郎が湯殿を覗くと、首を欠いた主政元の遺体が、血の海の中に転がっていた。
「竹田孫七が御屋形様を殺害したぞ!」
源二郎の叫び声が邸内に響き渡った。