第七話 永正之錯亂(一)
似たような背格好の二人が、嵐山城の薄暗い一角で何やら話し込んでいる。
一人は香西孫六元秋。いまひとりは彦六元能。いずれも嵐山城主又六元長の舎弟である。ふたりとも一端の侍として脂が乗り始める三十路そこそこ。切れ長の眦が舎兄又六にうり二つだ。男色家だった政元のいかにも好みとする容貌であり、じっさい又六は政元の近習時代、その寵童を勤めたともされている。もっとも、舎弟二人に関していえばその記録はない。
寵童としての経歴があるなしにかかわらず、香西一族が京兆家の有力内衆であることに変わりはない。話し込む二人の声に耳を傾けてみると、しかしどうやら主家への恩返しとかそういった殊勝な話ではなさそうである。
真っ青な顔をしながら重苦しく口を開いたのは孫六だった。
「加悦城の件、屋形に露顕したら成敗は免れんであろうな」
丹後の陣の折、香西兄弟率いる丹波勢に割り当てられた攻略目標は、石川勘解由籠もる加悦城だった。城の守りは堅く、強攻めに訴えて簡単に落ちるような代物ではなかったが、督戦している政元の手前、手を抜くことが出来なかった。
その政元が前線部隊をほったらかしにして、先に帰京してしまったのだ。
丹後の陣はそもそも細川のいくさではない。盟友武田に請われてやむなく出陣したものだ。
細川勢は援軍だから土地を切り取っても知行できない、などといったことはさすがになかっただろうが、では香西兄弟にとって丹後がどうしても欲しいところかと問われれば、答えは明らかに「否」であった。
当時の武士は支配する土地の面積を競っていたのではない。端的に言えば、その土地に住まう人的資源や、人々から徴する銭をめぐって争っていたのである。特に又六は、先年起こった薬師寺元一の乱においては、南山城一帯に半済徴収を課すことで一気に人的資源を獲得し、乱を早期に鎮圧している。
このような成功体験を共有していたはずの香西兄弟が、山深く住まう人も少ない丹後に興味を示すはずがない。兄弟が丹後で懸命に戦った所以は
「政元が見ているから」
「ここで手柄を挙げたら澄之が後継者になれるかもしれないから」
これくらいしかなかったのである。
その政元が前線から姿を消したのだ。あとは澄之の失点にならぬよう、手柄さえでっち上げることが出来れば、犠牲を甘受してまで丹後に固執しなければならない理由は兄弟にはなかった。
「兄者、悪いのは俺らじゃねえ」
彦六も同じように青ざめなが言った。彦六は続けた。
「命懸けで戦ってる被官をほったらかしにしたまま自分だけ都に逃げ帰る屋形がどこの世界にいるってんだ。それが許されるんだったら俺たちが退いて何が悪い。違うか兄者」
確かにそうかもしれなかったが
「真っ当な理屈が通用する屋形でもなかろうが」
「……」
近年特に正気を失いつつあるように見える。眼前で突如印を結び、陀羅尼を唱え始めたおぞましい様子は兄又六から聞き及んでいるところでもある。
孫六は上目遣いに中空を睨みながら呟いた。
「……こうなりゃ殺るしかないな」
「殺るってまさか……」
さすがの彦六も逡巡を隠さない。しかし孫六はもう決意している様子だった。
「やむを得まい。他に方法があるか」
なんの実もない加悦城攻略を打ち切ったのは合理的判断に基づく行動だった。しかし虚偽の落城情報が政元に伝わることや、それを聞いた政元が兄弟にどういう仕打ちをするかは、香西兄弟がコントロールできることではないのである。
最悪の事態が訪れないよう、怯えながら日々を過ごすのはもう限界だった。
「又六兄には伝えるのか」
又六は今、病に伏せっているところであった。存外に長引き床払いできていない。
「やめておこう。あれで兄者はまだ屋形に何事か期待している節がある。しかし兄者も乗りかかった船には乗ろう。我らが先んじて事を起こしさえすれば、必ずや我らに味方してくれよう」
「では、澄之様には……」
「右に同じ!」
孫六が続けた。
「政元を殺した余勢を駆って阿波勢を討ち果たし、澄之様を屋形に据える。これは我らだけでなく又六兄の宿願でもある。ともに死力を尽くそうぞ」
かくの如くして政元弑逆の恐るべき計画は、澄之や又六など、枢要な人物に何も知らされないまま静かに動き始めたのであった。
永正四年(一五〇七)六月二十二日、政元は伏見まで出向き、沢で船遊びに興じている(『細川大心院記』)。
香西兄弟は主不在の遊初軒を訪れた。
「あいにく御屋形様は伏見にお出かけです」
近習の竹田孫七が応対に出る。主人の予定はあらかじめ通知してあったはずだとでも言いたげである。
「分かっておる。今日は屋形に会いに来たのではない。其許らに用があって参じたのじゃ」
「……?」
異な事を言う。近習の方が主人から言付かって内衆のもとを訪れることはあっても、その逆は聞いたことがない。
「こんなところでは話にもなりませんのでどうぞ」
ただならぬ香西兄弟の様子を察して邸内に誘う孫七。一室に集まったのは竹田孫七をはじめ福井四郎、新名与一など留守居の近習たちであった。彼らに囲まれるようにして座する香西兄弟。
「伝えようかどうか迷ったのだがな……」
孫六がもったいぶって切り出した。
「其許らが屋形の勘気を蒙っているらしい」
ええっ、というどよめきが一座から起こる。ただでさえ気難しい主人である。なにが気に障ったのかは分からないが、心当たりを挙げれば各々きりがない。
「それはいったい、誰にどのような失態があって……」
不安げな表情を隠すことなく異口同音に疑問を口にする近習たち。
「そこまでは知らされておらん。しかし其許らの顔を見れば分かる。これといった過失はなかったのであろう。分かった安心せよ。
其許らもよく知っているように近年、屋形には常軌を逸した言動が見受けられる」
孫六がここまで語ると、不安に曇っていた近習たちの純真無垢な瞳に希望の光が灯る。過失なきを自分たちに代わって弁疏してくれるのだろうかと。
孫六は続けた。
「思うに屋形の勘気なるものも、なにかの思い違いによるものであろう。其許らは京兆家家臣団の家々から集められた大事な子息じゃ。思い違いで殺されてしまっては御家の瑕瑾である。澄之様はそのことを気に病んでおいでだ」
「で、では澄之様が……!」
代わりに弁解してくれるのか。それなら心強い。近習たちに安堵の色が浮かぶ。
そんな近習たちに孫六が告げた。
「明日には屋形は帰洛するであろうから、その時こそ澄之様に対して無二の忠節を示す好機であるぞ。しくじれば明日はない。しかし首尾よく行けば其許らの栄耀栄華もまた疑いない。しっかり励めとの御諚」




