第四話 恐怖之陀羅尼
政元は看経間に朝から籠もりきりであった。経を読み陀羅尼を唱える姿は一心不乱そのもの。
(もうすぐじゃ。きっともうすぐ……)
飛べるようになる――。
脳裡に一瞬顔を覗かせた雑念を、いっそう声高に陀羅尼を唱えることで振り払う政元。 そんなところに
「お待ち下され元長殿!」
強引に主君の屋形に上がり込んで政元との面会を求める者がある。香西又六元長その人であった。
「やかましい! 屋形はいずこじゃ、屋形に会いに来た!」
血相を変えて吼える。誰もこれを止められず政元の籠もる看経間に踏み込んだ又六。
どかりと主人の前に腰を下ろし、
「屋形。俺は最近の屋形のやりようが理解できねえぜ」
咬みつかんばかりの勢いで身を乗り出す。
「わしのやりよう?」
惚けてみせる政元。しかし又六の要求など聞く前からお見通しである。
――阿波勢を排斥せよ。
それを言いたいのだろう。
案の定であった。
「屋形は一度は九郎殿を家督と定め申した。九郎殿は、かの九条家に連なる高貴の御血筋。加えて才芸衆に優れ、周囲には俺だけでなく家中屈指の勇者があまた近侍しておるゆえ力量も申し分ねえ。
だってのになんでいまさら新しく養子を迎える必要があったんだ。俺には分からねえ!
ご自分の決めたことを覆すなんざ天に唾するようなもんだぜ。違うか屋形」
言葉は乱暴、主従の間柄を無視したような物言いだが一部真を衝いて鋭い。
政元は家中の反対意見を押し切って澄之を養子に迎えた。にもかかわらず新たに阿波守護家から澄元を養子に迎えたことで、家中に
「屋形はいまになって世継ぎを変更された」
という動揺をもたらしたことは事実だ。急な決定変更が、権力者の権威を低下させる道理は今も昔も変わらない。
もっとも政元とてその程度の道理、今さら又六ごときに切々と説かれるまでもなく承知している。
(自分の次は澄之)
この意向自体は何も変わっていないのである。だから被官人にあれこれ口出しされる筋合いの話ではそもそもなかった。
澄元を養子に迎えたのは、細川家の血を引かない澄之に対する家中の拒否反応が政元の予想以上に強かったからだ。
自分の跡は澄之に継がせるが、更にその跡は澄元の係累でつないで細川の血筋に戻す――。
その布石のために澄元を養子に迎えたのである。従来の澄之後継方針を堅持しつつ、血筋にこだわる家中の意見にも配慮した苦肉の策であった。
しかしだからといって、今の段階でこの方針を家中に広く宣言すればどういうことになるだろうか。
澄之以後は続かないと知った又六や薬師寺長忠などの澄之派が、政元に反発することは間違いないことであった。
また次世代まで待てず焦れた澄元派がどう動くか、これも読みがたいところであった。次世代などといわずいますぐ譲れなどと言い出しかねない恐れがあった。
「レームダック」という言葉がある。「役立たず」「死に体」を意味する政治用語だ。トップによって後継指名がなされたような場合、周囲の者が次を見越して後継者にすり寄ることで、見向きもされなくなり権力を失ったトップ、或いはその現象を指す。
争いのない相続ですらある程度のレームダック化はこの時代避けられなかったというのに、いまの京兆家のように家督をめぐって真っ二つに分かれている状況で安直に後継者を指名してしまえば、レームダック化が行き過ぎて、最悪の場合政元は殺されてしまう恐れすらあった。
政元は答えた。
「まるでわしが澄之を廃嫡したような物言いだな」
「ってことは……」
思わせぶりな政元の言を聞き、とたんに喜色にわく又六。
しかし続いたのは
「兄弟で共に手を携え、家を支えてもらわねばならんというのに」
どうとも取れる政元の発言だった。
又六が
「こうなったら、次は九郎殿と仰せになるまで俺はここを動かねえ!」
血相を変えて言う。
自分の将来がかかっているとあって、政元から言質を取ろうと又六は必死だった。テコでも動く様子がない。
その時である。唐突に又六の眼前で印を結びはじめた政元。
続けて
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
九字を切る。
最初は呆気にとられるばかりの又六だったが、
南無喝囉怛那哆羅夜耶南無阿唎耶
婆盧羯帝爍鉗囉耶菩提薩埵婆耶
摩訶薩埵婆耶摩訶迦盧尼迦耶
「な……なんだ……」
政元に仕えて長い又六も、実際に政元が陀羅尼を唱える姿は初めて目にする。その声を聞いたことももちろんない。
唵薩皤囉罰曳數怛那怛寫
南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶婆盧吉帝
室佛囉楞馱婆
陀羅尼とは、修行者が修めるべき作法を編集した一種の経典とされているが、意味を理解するのではなく丸暗記して唱えることが重要とされた。修行に没頭するため、一心不乱にこれを唱えたのである。
生まれてこの方見向きもしてこなかった愛宕飯綱の修法を眼前に見せつけられ、何か気味の悪い呪いでもかけられたように青ざめる又六。
「わ……分かった。分かり申した。おやめくだされ……」
これまでの無礼の物言いも忘れて何故か許しを請う。
ようやく陀羅尼を唱え終えた政元が言った。
「修行の途中だったんだけど、そろそろ出て行ってくれねえかな」
又六は、乗り込んできた最初の勢いもどこへやら、恐怖のあまり足元も覚束ない様子で逃げるように政元邸宅を後にした。
『足利季世記』では、修行に没頭する政元を
京管領細川右京大夫政元ハ(中略)或時
ハ経ヲヨミ多羅尼(陀羅尼)ヲヘンシケ
レハ見ル人身ノ毛モヨタチケル
(京都の管領細川政元は、あるときは経
を読み陀羅尼を唱えれば、見る者は身の
毛もよだった)
と記している。修行に没頭する尋常ではない姿が、周囲から気味悪がられていたのである。この時代、権力者が特定の宗教(特に仏教)に傾斜すること自体は珍しいことではなかったが、それが政治的決定や周囲の人間に悪影響を及ぼしていたのであれば看過できない。
政元の場合、修験道への傾斜が後継者問題を惹起し、修行で唱える陀羅尼が気味悪がられて、内衆の一部から
政元カク物クルハシキ御事度々ナレハ御
家モ長久ナラシ
(政元はこのように様子がおかしいこ
とがたびたびあったので、家も長く続く
まい)
(『足利季世記』)
などといわれ、精神の均衡を疑われていたらしいから、これは政元一代の瑕瑾というべきであろう。
むろん政元とてそんな内衆の視線に気付いている。どれだけ気味悪がられ、嫌われようとも、空を飛んで逃げることさえできれば問題ないのである。
特に最近、体がふわりと浮くような感覚を覚えることが時折ある。修行は間もなく完成するはずだった。