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政元地獄變!  作者: pip-erekiban
最三章 薬師寺元一之亂
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第四話 明應八年之赤澤宗益(四)

 洛中の本営が四五分裂していることを知ってか知らずか、眼前に敵をおいてなお宗益そうえきに怯む様子はない。ながく東国にあって場数を踏んできた宗益は、戦場の機微というものをよく心得ている。

 敗勢というものは、いったん定まってしまえばどれだけあがこうとも覆すことは不可能だったが、恐慌が一気に全軍を覆い尽くして総崩れに至る特有の空気はいま、宗益の陣中に微塵も感じられない。それどころか全軍は従前にも増して意気軒昂だった。叡山すらも蹂躙して、この世に恐れるものがなくなったためか。

 翻って眼前に陣を張っている筒井や箸尾などの大和武士連中といえばどうだ。

 彼らはときおり馬を駆って赤澤兵団の眼前を横切り、威嚇のつもりかどうかは知らぬ、陣中に向かって矢を放つ定期便を送り込んできたが、それ以外は及び腰で、本格的に打ち掛かってくる様子がない。

 東国で実戦をくぐり抜けてきた宗益から見て、彼ら大和六方衆の馬術は一種の芸事のように映っていた。戦技と呼ぶにはほど遠い代物に見える。

 この宗益の見立ては決して強がりや敵に対する甘い認識ではなかった。

 大和国若宮神社では毎年十二月、春日若宮おん祭りが開催される。なかでも流鏑馬神事は当時、大和武士たちにとって一世一代の晴れ舞台だった。ときによっては謹仕ごんしの順序をめぐって闘諍に発展したとも伝わるから、彼らの熱の入れようが自ずと伝わってくる。

 ただこれは一種のエンターテインメントのようなものだったから、実戦の修羅場をくぐり抜けてきた宗益のような「ホンモノ」には物足りなく見えるのである。

 いったい西国というところは騎乗戦闘に不向きな土地柄であった。どこへ行っても家屋や田畑が集中しており、思い切り馬を駆け巡らせることができない。

 むろん応仁文明の大乱や両畠山の抗争を戦い抜いた大和武士も実戦経験は豊富だったが、彼らが主戦場とする西国では騎乗戦闘は廃れ、鍛えに鍛えた流鏑馬の腕前を実戦で使用する機会はついぞなく、いまは流鏑馬神事だけが、往古の昔には行われたのであろう騎乗戦闘の技術をほそぼそと伝えているばかりというのが実態だった。

 宗益はふと思い立った。

 ――あの騎馬武者を討ち取ったら、連中どんな顔をするだろうな。

 いま、味方の眼前で悠々馬を駆り矢を射かけてきては頻りに挑発する騎馬武者は、大和武士団選りすぐりの精鋭に違いなかった。しかし宗益の見立てに間違いがなければ、その技術は流鏑馬神事のために培われた芸事に過ぎず、およそ実戦向きの戦技ではない。彼を討ち取って大和武士団の鼻を明かし、恐怖におののく連中の顔を宗益は無性に見たくなってしまったのである。

 宗益は供廻りに何も告げずひとり栗毛の愛馬に跨がると、あぶみを蹴って駆け出した。五十路になんなんとする老齢にはとても見えない身のこなしだが、だからといって若さあふれる荒削りなそれでもない。

 いうなれば坊主が日常の勤行ごんぎょうを執り行うがごとき気負いのない身のこなしであった。

 宗益の接近に気付いた大和方の騎馬武者が急ぎ弓を引き絞ったが時すでに遅し、的を絞り終えていた宗益は愛用の強弓を放って敵の喉元を射貫くと、馬を降りてその首を掻き切ってしまった。

「春日若宮おん祭りの流鏑馬神事などしょせん稚児ちごの戯れ、恐れるに足らん。者どもかかれ!」

 宗益が号令すると、数千の赤澤兵団が雪崩を打って筒井や箸尾に襲いかかった。日頃は興福寺に仕える仏の軍団が赤澤兵団から逃げ惑う浅ましき様は、仏が悪鬼羅刹に逐われる地獄の情景もかくやと見える惨状であった。

 大和国衆の敗退に驚いたのが畠山はたけやま尚慶ひさよしだ。

 いま義尹方は、京都から義高方を一掃できる好機にあった。義尹と尚慶は南北から京都を挟み撃ちにする絶好の位置関係にあり、しかもその京都では代替わりを見越して徳政一揆が発生している最中であった。

 義高はただ悲鳴を上げるばかり、伊勢いせ貞宗さだむね貞陸さだみち父子は京都防衛の実際を担う武力に乏しく、政元だけがほとんどひとりでかけずり回っているというのが実情だった。

 このように義高陣営は退潮著しく、ほとんど首の皮一枚でつながっている状況だったが、そんなときに宗益が宇治に立ちはだかって尚慶の行く手を阻んだのだ。宇治で流れを堰き止められてしまえば、洛中へは一歩たりとも立ち入ることができない。勝利の勢いが止まってしまうことになりかねなかった。尚慶が嘆くのも無理のない話であった。

 しかも宗益は、大和武士団を追い払って宇治防衛に成功したのみならず、余勢を駆って尚慶方の前線、槇島城に押し寄せてきたのだった。尚慶は京都攻撃の前線となるべき槇島城を失陥し、洛中を陥れるどころの話ではなくなってしまった。

 そんな宗益のもとに政元から使者が届いた。

「今度は洛中に戻って一揆を鎮圧せよとの御諚」

 長経が呆れ顔で注進する。

 宗益が危惧したとおり、安富元家は土民蜂起以来一両日どころかひと月たっても一揆を鎮圧できていなかったのであった。

「安富殿のやりようは手ぬるい。思うに京町家の連中や取引のある馬借車借連中が相手じゃからと手心を加えたのであろう。面倒じゃ。皆殺しにしてしまえ」

 宗益が号令すると、例のごとく赤澤兵団は飢えた狼のように一揆衆に襲いかかった。一揆衆は徳政によって借財をなかったことにするどころか、いくら奪っても満ち足りることがない赤澤兵団の牙にかかり、かえって身ぐるみ剥がされるか命を奪われる始末であった。

 文字どおり南北を駆け回る宗益の活躍は、当時「破竹の如し」と評された。じっさい宗益の活躍がなかったら、義高方はこの危機を切り抜けることができなかっただろう。

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