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政元地獄變!  作者: pip-erekiban
第二章 流轉之將軍
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第五話 犬追物御挙行之次第

 義材よしきの探索と同時並行して、政元は義高(明応二年六月、義遐よしとおより改名)の将軍任官に必要な用途を朝廷に献上しなければならなかった。しかしその目処が立たない。

 政元が銭を得ようとしているのは義高を将軍に据えるためだみ。朝廷は、義高の献金に報いるために将軍位を下すのである。その献上された銭が荘園押領によって獲得したものだったとしたら、それは義高の手柄とは言えない。本来は朝臣の収入だったはずの銭が、犯罪者の手を経由して朝廷に戻ってきたという、ただそれだけの話になってしまうからであった。

 上原元秀あたりは臆面もなく荘園押領に手を染めていたが、細川京兆家の稼ぎ頭だった元秀の銭は朝廷に献金できないというジレンマを抱えていたのである。政元は元秀に頼らない、真っ当な方法で集めた銭を献上しなければならなかった。

 このころ、洛中洛外から犬の姿が消えた。

 与次よじ弥兵衛やへえとコンビで犬を捕らえる犬取りであった。与次は竹杖たけづえ、弥兵衛は竹杖と虫取り網のような長物を携えていたから、一見して犬取りと分かる出で立ちだ。

 見れば町人の多数住まう長屋に一匹の白い犬。つながれてもいないのに長屋の前をうろうろしてそこから離れようとしない。おおかた長屋の住人に飼われているのだろう。無駄に吼えないところも、この犬が満ち足りた環境にいることを思わせた。

「あれいこか」

 与次が弥兵衛に言うと、弥兵衛はすべてを理解したように長屋の影に隠れた。

「ほうら、来い来い」

 与次が切り分けた猪の生肉を手に呼びかけると、尾を振りながら近付いてくる犬。美味そうにこれを喰らう。与次は更に一枚切り身を与えた。犬の視線が猪肉に釘付けになる。

 その瞬間、与次が竹杖の先から伸びる輪っか状の紐を、犬の首に括り付けた。竹杖の反対側から延びる紐の末端を引っ張ると、犬は激しく吠えながらも身動きが取れなくなってしまった。

 そこへ弥兵衛。網で犬を絡め取る。

 あっという間の早業であった。

「母ちゃん、シロが、シロが!」

 泣き喚く五歳ほどの男児。どうやらシロと呼ばれた犬の飼い主らしいが、母親ともどもシロが連れ去られる様子を指を咥えて眺めるしかなかった。

 斯くの如くして捕らえられた犬は洛中洛外で三〇〇匹にも及んだ。相応の犬が集まったところで、政元は犬追物いぬおうものの挙行を宣言した。

 犬追物は笠懸かさがけ流鏑馬やぶさめと並んで「騎射三物きしゃみつもの」の一つに数えられる軍事訓練の一種だ。当時は単に武士の訓練という以外にも、スポーツイベントとしての側面を有していたともされている。主上や公卿が招待されたのみならず、市井しせいの民までもが見物に押しかけ、主催者はそういった見物人からはどうやら見物料を徴収したらしいのである。

 銭儲けの手段として寺社本所領押領が封じられていた政元が取り得る、窮余の銭儲け策が犬追物の挙行だった。

 四十間(約七三メートル)四方の競技場の中央には、太さ一尺八寸(約五四センチメートル)にも及ぶ縄が敷かれ、さながら土俵のような円形を形作っている。

 縄の外には、この日を晴れの舞台と踏んで着飾った騎馬武者が一騎。この一騎を遠巻きに囲んで、同じく着飾った騎馬武者が三騎、配されている。

 そこへ現れたのは犬引きだ。竹杖の先につながれた犬は、ただならぬ雰囲気を察してぎゃんぎゃん喚きながら竹杖に咬みつき、なんとか逃れようとする。

 犬引きは縄の内側に犬を放り込むと、竹杖の先の紐を緩めた。一目散に駆け出し、縄の外へ逃れようという犬。太さが五四センチもある縄だから飛び越えなければならず、速度が落ちる。

 それを見計らって縄の外の騎馬武者が矢を射た。これは犬射引目いぬうちひきめと呼ばれる一種の鏑矢かぶらやで、当たった際の衝撃を和らげるためにやじりが湾曲している。神事としての側面を有していた犬追物では、流血はタブー視されていたのである。

 それでも当たれば無事では済まない。柔らかい腹に当たって深々と矢が突き刺さったまま逃げる犬もあれば、脚一本吹き飛ばされる犬もあったというから、まったく無血で済むことはなかった。

 馬場が血で汚されたら、そのたびに犬引きや犬掛けといった人々がその場を清掃した。彼らは河原者と呼ばれた被差別民で、中間ちゅうげん小者こものなど武家被官人と地続きの存在だった人々だ。犬追物の挙行には、彼ら河原者による下支えが必須だった。

 さて騎馬武者が射た犬射引目は的を外し、第二射をつがえている間に犬が縄の外に飛び出してしまった。するとその犬を追って外の三騎が一斉に駆け出す。縄の外の騎馬武者が射損ねて、縄の内側から犬を逃すと、外に待機する三騎がその責任をとって逃げ出した犬を射貫くのが犬追物のルールだ。

 俊敏に走り回る犬を騎乗しながら射なければならないのだから至難の業である。ある一騎などはまさに矢を放とうとした刹那、あぶみを踏み外して落馬してしまう始末であった。これには多数参集した見物人からどよめきにも似たため息が漏れる。この四騎は失格と見做された。

 失格だから犬は無罪放免――とはならない。控えていた犬引きがどこからともなく現れて、逃げ疲れた犬を易々と竹杖で捕らえ抑え込むと、失格した四騎のうちのひとりが、身動きの取れなくなった犬を射た。犬はどうあっても射たれる運命にあるのだった。

「はい、次!」

 このようにして次々と呼び込まれる騎馬武者と犬。

 競技時間は一組につき五分程度ではなかったかとされており、この時政元が集めた犬が三〇〇匹とされているから、どれだけ急いでも一五〇〇分(二十五時間)かかった計算になる。とても一日で終わったとは思えない。

 事実「蔭涼軒日録」ではこの時の犬追物について、九月三日時点で

  (八月二十三日より)近来犬追物毎日是有

 として、十日以上にわたって連日挙行されたと記している。一組につき五分程度として正味の競技時間は一日につき二時間程度だった計算になるが、実際には呼び出し(競技者の紹介)もろもろを含め、一日がかりの興行になったのではなかろうか。現代でいうところの大相撲興行に似ている。

 まとにされた犬はその日のうちに調理され、競技者や河原者の別なくスタッフ一同に振る舞われたらしい。

 現代的な動物愛護の観点から見れば思わず卒倒しそうになる蛮行だが、娯楽の少ない時代とあって、これが大いに受けた。シロが捕らわれたときには大泣きした男児も、射貫いぬかれた犬の痛みよりもむしろ、着飾った騎馬武者の勇壮な姿に心奪われる始末だったから、なにをかいわんや。

 そんな騎馬武者の中でもひときわ美しく技量に優れた若武者があった。細川京兆家累代の被官人である香西氏の生まれで、政元近習の香西こうざい又六またろくであった。

 かつて寵愛した若者が立派な武者に成長を遂げんとする姿を、政元は頼もしく眺めるのであった。

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