第54話 12 アンチウイルスの起動
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エリーサは、今自分が立っている場所が、先ほどまでの幻術で作られた虚構の空間とはまるで異なることをはっきりと感じていた。
空気には形容しがたいほどの「現実感」が満ちており、もはや目の前が現実なのか、それとも限りなく引き延ばされ、輪郭を失った幻境の境界なのかすら判別できない。
周囲を見渡せば、空間のあらゆる場所で、淡い幽光を放つ無数のコードが流星のように旋回し、絡み合っていた。それはまるで、世界そのものが静かに謎めいた呪文を詠唱しているかのようだった。
遠くに目を向けると、それら光の線が壁の一点に収束し、運命の手で編み上げられたかのような巨大な網を形成しているのが見えた。
好奇心に駆られて近づいたエリーサは、やがて気づく――光線の一つひとつの先端には、小さな世界が封じられている。そしてその中では、人々が一人ひとり、幻術の中に囚われていた。
当初、彼女はそれが何を意味するのか理解できなかった。だが、ある一つの世界の中にシャの姿を見つけた瞬間、雷に打たれたようにすべてを悟った。
――こここそが、幻術の「中枢」だ。
この旋回するコードは、幻術の存在を支える“骨格”であり、光の線は、幻影を直接他者の意識に刻み込むための通路。
そして自分があの奇怪で混沌とした一連の幻境をさまよったのは、おそらく……システムが不具合を起こしたからだ。
彼女の幻術世界は完全に構築される前に崩れ、その結果、偶然にもこの幻術の核心部に迷い込んだのだ。
エリーサは思わず胸の内でほくそ笑む。
――命の危機に瀕していながら、ここまで推論できるなんて、さすがは小隊長の私ね。
あの間抜けな隊員たちはまだ幻術の中で足止めを食らってるはず……待ってなさい、私が助けてあげるわよ、バカ三人組! ははははは!
と、上機嫌で口にする。
だが――妙だ。ここにニクスの姿がないのはなぜ?
どうやってこれを破壊すればいい? ……この線を直接断ち切る?
しかしもし本当にコンピュータシステムのように、切断した途端に全構造が崩壊し、“爆発”すれば、全員の脳に取り返しのつかない損傷を与えるかもしれない。
思案を巡らせるその時――
空間が突如として闇に沈み、次の瞬間、世界は濃い血のような赤に塗り潰された。耳元で突き刺すような警報が一斉に鳴り響くかのようだ。
エリーサは思わず一歩退き、胸がぎゅっと締めつけられる。
――まさか、触れてはならないものに触ってしまったのか?
直後、周囲の空間に、ゆっくりと無数の人影が浮かび上がった。
それらは、塵に蝕まれたかのようなくすんだ白いマントをまとい、顔は深い影に隠れ、手には漆黒で弓なりの大鎌を握っていた。
その姿は冷たく、死の気配をまとい、まるで冥府の淵から這い出してきた死神の軍勢のようだった。
その瞬間、エリーサは理解する。
――もしここを巨大なコンピュータに例えるなら、今の私はシステムに侵入した“ウイルス”であり、
この大鎌を振るう存在こそ、呼び覚まされたアンチウイルスプログラムなのだ、と。
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