第54話 04 虚境の牢獄/目覚めぬ者たち
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ニックスは、突然足を止めた。
その気配――氷のように冷たく、ぞっとするほど馴染み深く、得体の知れない既視感が、神経を鋭く締めつける。
そうだ、この感覚…無限に続くあの日々、幾度も味わったことがある。あれは幻術の気配――だが、今回はこれまでのどんな時よりも濃く、重く、骨の髄まで染み込んでくるようだった。
――もし今、自分が幻術に囚われているのなら…それはいつから始まった?
敵の奇襲を受けたあの瞬間からか? それとも……俺たちはそもそも一度も剣を振るわず、最初から幻術の檻に閉じ込められていたのか?
「おかしい……」ニックスは心の中で呟く。
騎士団には高位の防幻装置が配備されている。さらに、反射や解除に長けた魔法師たちも揃っていたはずだ。本来なら、この程度の幻術が容易に通用するはずがない。
だが今は分析している時間などない――脱出方法を見つけなければ。
幽霊と交信を試みるも、まるで糸を断たれたように繋がらない。
――幽霊の助けなしでは、現実への扉は開けられない。
別の方法……自分の体を傷つけ、痛みで強制的に覚醒する。
だが、すぐにその考えを打ち消した。
下級の幻術でさえ痛覚だけでは破れない。ましてや、これほどまでに現実味を帯びた幻境なら――。
その時、耳元で星の声が響いた。
あまりにも聞き慣れた声、それでいて心臓を締め上げるような震えが混じっている。
――まずい! 彼女、危険にさらされているのか!?
「くそっ……ここから出なければ!」
刹那、世界全体が激しく揺れた。
大地が傾き、空気が低く唸りを上げる――
敵の攻撃か? それとも幻境そのものの動揺か?
だが、その荒々しい振動が、ニックスの感覚を研ぎ澄ませた。
幽霊の気配――確かに右手側に!
彼は獣のように駆け出す。暗闇の中で血の匂いを嗅ぎつけた捕食者のように。
部隊を離れ、虚ろな影を飛び越え、紫色の光を視界に捉える。
指先が光に触れた瞬間、水面のように空間が波打ち、一つの扉が開かれた。
――揺れる。微かな揺れ。
「……夜 起きて!」
かすれた声が耳の奥を叩く。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、そこには土と埃にまみれた地面と、あちこちに倒れ伏す人影。
周囲――皆、息を潜めたように動かない。
「夜! 目を覚ましたのね!」
星が傍らに膝をつき、安堵と困惑を入り混ぜた表情で見下ろす。
「怪我はない?……どうしてあなたがここに?」
「空間の扉を開けたのは夜、あなたでしょう?」星は言った。「もう解決したのかと思って外に出たら……皆、倒れていたの。」
ニックスは周囲を見渡す。
やはり、誰一人として意識が戻っていない。
幻術――それは無音の鎖となって、全員を縛りつけていた。
――これは……厄介だ。
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