第51話 10 笨蛋魔女と雑魚冒険者
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夢子は、風に乗って消えてしまいそうなほどか細い声で、口ごもりながらつぶやいた。その声には、羽のような軽さの中に、計り知れない重さの想いが込められていた。
「その……あなたの記憶を消すっていうこと……実は、私にはできるの。」
彼女の視線は泳ぎ、まるで罪を見抜かれるのを恐れる子供のように、侯佩の目を避けていた。
「ただ……ただね、ずっと夢を見てたの。いつか……ずっと傍にいてくれる人が現れるんじゃないかって。それだけのことだったの。だって……あなたは他の人とは違ったから。」
その声は次第に震え、肩も小刻みに揺れ始めた。
「ごめんなさい……私はあなたを騙してた。こんな私は……最低よね……卑怯者だよね……」
言葉が終わらぬうちに、侯佩はそっと微笑んだ。その笑みには、責める色は一切なく、まるで午後の陽だまりのように、優しく、柔らかく、彼女を包み込んでいた。
「君が僕の記憶を消せるってことは、とっくに気づいてたよ。」
彼の声は水面のように穏やかで、しかしその奥には、不思議と安心させられる強さが宿っていた。
「正確に言えば……ずっと前から、なんとなく感じてた。」
夢子の目に一瞬、驚愕の光が走った。唇がわずかに開き、信じられないといった表情が浮かんだ。
「そんなに驚いた顔しないでよ。」
侯佩は小さく笑い、茶化すように目を細めた。
「毎回、『記憶は消せないの』って言ってたけど、あの下手な演技じゃ誰も騙せないよ。」
彼は首を横に振り、声のトーンを一段落として優しく言った。
「でもね、それももう過去のことだよ。むしろ、ありがとうって言いたいんだ。……僕の記憶を、最終的に消さないって選んでくれて。だから、もう泣かないで。」
侯佩はそっと手を伸ばし、夢子の頬を流れた涙を指先で拭った。その瞬間、彼のまなざしは、夜の雪さえ溶かす春の風のように温かかった。
「ほら、笑って。」
彼は言いながら、口元に優しさと決意の入り混じった笑みを浮かべた。
「僕が誓うよ。その笑顔、絶対に守ってみせる——おバカな魔女さん。」
その瞳にも、静かに涙がにじんでいた。ぽろりと零れ落ちたそれを、彼は気に留めることもなくただ微笑んでいた。
夢子は鼻をすんとすすりながら、わざと強がるように顔を上げた。そして、どこか皮肉めいていながら、深い想いを宿した微笑を浮かべた。
「守ってたのは……ずっと私の方でしょ、雑魚アドベンチャラー。」
二人はふっと笑い合った。その瞬間、まるで世界のすべてが静まり返ったかのようだった。
手を取り合い、橙金色に染まる夕陽の中で、彼らは永遠に破られることのない約束を交わした。
風がそっと二人の指先をなでていく。それはまるで、運命の絆が今、確かに結ばれたことを祝福するかのようだった。
二人は強く抱きしめ合った。
それはまるで、かつてバラバラになった魂のかけらが、再びひとつに繋がれた瞬間だった。
——そして彼らはまだ知らなかった。遥か遠く、幾千里の彼方から、一糸乱れぬ鎧をまとった軍勢が、静かに、しかし確実にそのもとへと進軍していたことを。
その足音は迷いなく、目的はただひとつ。
風の中で、何かが静かに、そして確かに動き始めていた。
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