第48話 10 空間を切る
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しかし――天地をも引き裂かんばかりの爆発が収まった後、煙と塵がまだ空を覆う中、カスの視線は戦場の中心へと鋭く注がれていた。
――だが、そこには誰もいなかった。
「……消えた?」 カスは眉をひそめ、目に明らかな困惑と動揺を浮かべた。「おかしいな、…」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、かすかだが馴染みのある魔力の波動が、静かに、だが確かに周囲に広がった。
「……なに?」
カスは驚愕の表情で振り向くと、まだ崩壊しきっていない開けた空間の上に、まるで空気の中から滲み出るように、ぼんやりとした人影が現れ始めた。
それは――ニックスだった。
彼はまるで意識も守りもなく、地面にどさりと崩れ落ちていた。全身が灰まみれになり、虚無と混沌の深淵から這い出たかのような様相をしていた。
黒洞の中で味わったあの猛烈な浮遊感は、まだ身体の奥底に残っており、まともに座ることさえ難しそうだった。
歯を食いしばりながら、彼はよろめく足取りでゆっくりと立ち上がる。だがその姿は、まるで生まれたばかりの獣のように不安定で、地面を踏む感覚すら馴染んでいないようだった。
「そんな……あり得ない……!」 カスの瞳が大きく見開かれ、驚愕と困惑が混ざった声を上げた。 「どうやって脱出した!? お前の速度でも、あのブラックホールから逃げることなど不可能なはずだ!」
ニックスは額に手を当て、ぼんやりとした表情で言葉を探すように呟いた。
「うーん……空間移動?……かな? 原理はよく分からないけど……まあ、またうまくいったみたいだね」 彼の声は無邪気な独白のようでありながら、その奥には確かな実感が滲んでいた。
「何度か練習すれば……コツが掴めるかもしれない」
彼は笑っていなかったが、その声色には、どこか微笑みを感じさせる響きがあった。
カスは唇を歪め、怒りをこらえるように低く唸った。 「……フン、くだらん。だがもう関係ない」
彼は右手をゆっくりと持ち上げ、掌の中に再び深黒の引力が凝縮されていく。それはまるで世界そのものを呑み込まんとする渦。
「今度こそ……逃げられるか試してやろう」
「――引力マックス!」
新たなブラックホールがその姿を現す。 前よりも遥かに密度が高く、中心の引力はまさに重力の暴君。周囲の空間が軋み、空気すら吸い込まれていく。光も音も引き伸ばされ、ねじれ、虚無へと吸い込まれるかのようだった。
「……小僧、今回は無理だぞ」
幽霊の声がニックスの胸の奥で響いた。その声には珍しく、静かな緊張感が込められていた。
「さっき逃げられたのは、まぐれに過ぎない。今回のブラックホールは桁違いだ。同じ技をもう一度出せても、逃げ切るのは無理だ」
ニックスは答えなかった。ただ、深く息を吸い込み、静かに目を閉じた。
そして――目を開いたとき、そこにはこれまでと違う鋭さが宿っていた。
「……そういえばさ、さっき抜け出せたのって……“空間を開いた”から、だよね?」
「以前は精神世界の中でだけ、それができた。でも今回は……現実の中で、それをやった」
幽霊は一瞬黙ったが、すぐに冷ややかに言い放った。 「無駄だ。お前が空間を開いても、ブラックホールはその空間ごと一瞬で飲み込むぞ」
「分かってる」 ニックスは低く呟き、ゆっくりと唇の端を上げた。
「……でも、もし“空間を開く”のではなく――」
彼は手をゆっくりと持ち上げ、指先で空をなぞるように一閃した。
「“空間を切る”ことができたら……どうなると思う?」
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