第47話 08 岐路
---
「……痛ぇな……」
ニックスは歯を食いしばり、低く呟くように文句を漏らした。全身が痛みに苛まれながらも、ふらつく足取りで再び立ち上がる。顔は蒼白に染まり、唇の端からは血が垂れていた。手にした剣に体重を預けながらも、風前の灯のような身体で背筋だけは真っ直ぐに伸ばしていた。
「お前……なんでここに来たんだ? どうしてそんな姿になってしまった……?」
その声には、隠しきれない困惑と痛みが滲んでいた。
カスは静かに笑みを浮かべる。その微笑には、背筋が凍るような狂気が宿っていた。彼はゆっくりと手を挙げ、遠くを指し示す。
「なんで来たかって? お前はまだ、何も分かってないんだよ、ニックス。見ろ、あの軍勢を……黒くうねるあの軍団は、すべて俺が築き上げたものだ。この世界を変えるために、すべては用意されたんだ!」
彼の笑い声が夜を裂く嵐のように響き渡る。その声には、ねじ曲がった信念と狂気の執念が混ざっていた。
「……お前……本当に、正気じゃない。何があったんだ? 話してくれ、俺たちなら助けられるかもしれない!」
ニックスは一歩一歩、切実な思いを込めて近づいていく。
カスは俯き、深淵のような目をしていた。
「助ける? 無理だよ……お前、この世界を本当に理解してるか? 理解してたら分かるはずだ。俺たちには、その資格も力もないってことを。」
彼は両腕を広げる。その仕草は、まるで歪んだ世界を抱きしめるかのようだった。
「力が足りなきゃ、何も変えられない。たとえこの世で最強の男であっても、崩れゆく世界をただ見ていることしかできないんだ。」
その声は低く、重く、呪いのようにニックスの胸へと染み込んでいく。
「だからこそ……俺は『最強』をも超える存在になる。世界で最も恐れられる者に。すべての者が怯え、逆らうことをためらう……“規則そのもの”に。誰も俺のルールを破れない。それが、俺が目指す絶対の力だ。」
ニックスは呆然と立ち尽くす。かつてよく知っていたはずの男の言葉が、まったく理解できなかった。
「……お前、何を言ってるんだよ……ってか、全然意味分かんねぇよ! 一人で独り言ばっか言ってないでさ、早く一緒に戻ろうぜ! 俺たちを待ってる世界があるんだよ!」
カスは一瞬だけ沈黙し、どこか哀しげな笑みを浮かべた。
「だから言っただろ……俺たちはもう、同じ道を歩いてはいないんだ。」
次の瞬間、カスの姿が霞のように消えた。ニックスの視界が揺らぎ、気づいたときには、彼がすでに目の前に現れていた。鋭く振り下ろされる手刀が、風を裂く音を伴って首筋を狙ってくる!
「……っ!」
ニックスはほとんど反射的に跳び退き、辛うじてその一撃を回避する。荒い息を吐きながらも、その瞳は一瞬で鋭く研ぎ澄まされた。
「……強くなったな。前よりも、ずっと速い。」
カスはくすりと笑い、再び地を蹴る。次の瞬間、彼は疾風のごとく加速し——
ニックスが反応するより早く、その蹴りが彼の胸をとらえた。
「ドンッ!!」
凄まじい衝撃とともに、ニックスの身体は弾丸のように吹き飛び、大地に叩きつけられた。爆ぜる土煙が空を覆う。
カスはゆっくりと背を向け、その場を去ろうとする——
「シュッ!」
鋭い金属音が空気を裂いた。
閃光のような斬撃と共に、ニックスが彼の前に立ちはだかる。
その身体は傷だらけで今にも倒れそうだが、目だけは揺るがぬ決意を宿していた。
「……だったら、今のお前ごと……俺が連れ戻してやる。」
---




