第44話 13 真贋の境界
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ニックスは自室へと戻った。部屋の中はいつも通り静まり返っており、窓の外からは夜風に揺れる木の葉の擦れる音だけが微かに聞こえてくる。
彼は引き出しの奥深くから、今朝フィードが渡してきたレプリカを慎重に取り出し、その冷たい装飾品の表面を指先でそっとなぞった。まるで一つ一つの細部を確かめるように。
「……バレなきゃいいけど、大丈夫なはずだ。」
小さく呟きながらも、その瞳にはわずかな不安が揺れていた。
扉に手をかけたところで、彼の動きが止まる。振り返った視線の先には、部屋の隅に静かに置かれた小箱。
短くため息をつき、彼は再び歩を進めた。
深まる夜の帳の中、再び宿のロビーへと足を踏み入れる。柔らかな照明が木製の床に優しく広がり、静寂に包まれている。
ニックスの顔にはいつもの笑みが浮かんでいるが、その手には緊張が宿っていた。賞品を握る指先に力がこもる。
やがて、静かに待つ男の元へと歩み寄り、その手に品を差し出す。
「ただいま戻りました。お待たせして、すみません。」
「いいえ、そんな。むしろ、こんな遅い時間にも関わらず、私に“あなたの賞品”を見せてくれるなんて、感謝してもしきれませんよ、ニックス君。」
サムロンは穏やかな笑みを浮かべながら、いつもの丁寧な口調で返した。「それに、何度も言ってるでしょう?そんなに堅くならなくていいんです。もっと自然に接してくれた方が嬉しいですから。」
両手を差し出す彼の動きは優雅で、銀白のマントが椅子の上にしなやかに広がる。その様子は、まるで夜そのものが静かに見守っているかのようだった。
ニックスは一瞬迷った末に、手にしたレプリカをそっと彼の掌に置いた。
サムランはそれを受け取り、しばらくの間、じっと眺めた。そして、口元にふっと意味深な笑みを浮かべる。
「そういえば、ニックス君。今日、ちょっと面白いことがあったんです。」
語り口はあくまでも穏やかで、まるで何気ない日常の一幕を振り返るかのようだった。
「今朝、街の巡回中に、ふと思い立って、とある工房に足を運びました。そこは芸術品や装飾品の複製を専門にしている店だと聞いていて、ちょっと彫刻でも頼もうかと思ってね。
店主が帳簿を開いた時、ふと目に入った名前があったんです。とても、見覚えのある名前がね。」
彼はゆっくりと顔を上げた。灯りに照らされた黄金の瞳が、剣のような鋭さを帯びる。
「そう、それは――あなたの名前ですよ、ニックス君。」
語り口は変わらず柔らかいが、その一言一言は、胸の奥を静かに打ち鳴らす鼓動のようだった。
「気になって、つい店主に尋ねてしまいました。そして聞いたんです――あなたが依頼したのは、“ネックレス”。それも、“今、私の手にあるこの賞品と、寸分違わぬもの”だったと。」
空気が凍りついたかのような静寂が降りる。
「さて……私は少し気になりましてね。」
サムランは身体をわずかに前に傾け、その声はほとんど囁きのように優しかった。
「どうしてそんな“まったく同じもの”を作ろうと思ったのか。何か特別な理由でも?それとも……何かを隠すため、でしょうか?」
そう言って、彼は静かに手を上げ、足元で眠るように伏していた白い獅子を指さした。
「ちょうどよかった。私のこの仲間には、“真贋を見抜く力”があります。今この手にあるのが、本物か、それとも――あなたの精巧な模造品か。
……確認させてもらっても、いいですニックス君?」
その声音は、あまりにも丁寧で、あまりにも柔らかい。
けれどその笑みの裏には、底知れぬ冷たさと圧力が確かに潜んでいた。
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