第43話 最終章 《雨の彼方にいる君へ》
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少年は家に戻った。足取りはどこか重たく、それでもその奥には確かな決意が宿っていた。彼の瞳に一瞬だけよぎった光は、長い風雨のあとにようやく見つけた一筋の道しるべのようだった。
部屋はいつもと変わらず静まり返っている。年季の入った床が彼の足元で軋む音だけが、かすかに響いた。机の上には柔らかな電灯の光が降り注ぎ、彼の痩せた背中を淡く照らしていた。それは、どこか決別の優しさを纏っているようだった。
彼は静かに椅子に腰掛け、一枚の便箋を取り出し、ペン先をそっと紙に当てた。数秒の沈黙ののち、心の奥深くに押し込めていた言葉たちを、一文字ずつ書き始めた。
「……彼女は、この手紙を読まないかもしれない。だって、これまで一度も僕を気にかけてくれたことなんてなかった。でも、それでも――見てほしいんだ。」
一筆一筆に、少年らしい不器用な強さと、まだ幼い未完成な思いが滲んでいる。彼はゆっくりと書き続けた。まるで、長い間背を向けてきた誰かに語りかけるように、あるいは、過去の自分自身と別れを告げるかのように。
書き終えると、彼は深く息を吸い、便箋を丁寧に折りたたんで机の端に置いた。そして静かに立ち上がり、まるでその手紙に、自分の過去すべてを封じ込めたかのように、その場を後にした。
その夜、雨は静かに降り続いていた。
深夜、久しぶりに少年の母親が彼の部屋の扉を開いた。ギィ…と鳴る音は、時の流れが削った疲れの音のようだった。しかし、部屋にはもう誰の気配もなかった。整えられたベッド、そして机の上に静かに置かれた一通の手紙だけが、そこに残されていた。
母親の視線が部屋をひととおりなぞる。その瞳には、最初こそいつもと同じ無関心と、どこか軽蔑すら含んだ冷ややかさがあった。しかし手紙を開き、文面を目にした瞬間、その表情はピタリと止まった。
読み終えた彼女は、音もなく椅子に腰を下ろし、何も言わずにただ俯いた。その頬を、一筋の涙が音もなく流れ落ち、手紙の隅を濡らした。インクが滲み、文字の輪郭が少しずつぼやけていく。
――その頃、少年は旅に出ていた。
「それから、いくつもの手がかりを辿って……この街に辿り着いたんです。」
少年は顔を上げ、ニックスの瞳を真っすぐに見つめた。その瞳には、夜の灯に反射する小さな光が宿っていた。
「どうか……僕の言葉を信じてください。セレナは……悪い人なんかじゃない。彼女は、僕にとって本当に大切な存在なんです。たくさんのことを、助けてくれました。」
少年の声が少し震える。それでも真剣さは揺るがない。
「僕がここに来たのは、自分の気持ちを確かめるためなんです。……彼女をどうしても見つけなければならない。ずっとこの街にいたって聞いて……でも、誰かに気づかれてしまったらしい。だから騎士団が来たんです、きっと彼女を捕まえに。お願いです、どうか……助けてください。」
少年は顔を上げる。その瞳は、雨上がりの湖のように揺れていた。迷いと不安、そして微かな希望が、そこに同時に存在していた。
少しの沈黙の後、ニックスの顔に穏やかな笑みが浮かんだ。それはまるで、冬の夜に灯された炉の火のように、静かに、けれど確かに温かかった。
「もちろんだよ。」
ニックスは優しく言った。揺るぎない意志をその言葉に込めながら――
「この件は、僕に任せて。必ず彼女を……無事に連れて帰るから。」
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