第40話 11 「おやおや、どこへ行こうとしているんですか?」
顔を上げる。漆黒の空に散らばる星々が、かすかに瞬いていた。世界は、変わり続ける。
「世界は……常に前へ進み続けるものだ。」
夜闇の中に、その声だけが響く。
「だが、その歩みが良きものなのか、悪しきものなのか……誰にもわからない。」
そう言い残し、老人は背を向けた。
静かに、そして迷いなく、闇へと消えていく。その衣の裾を微風が揺らし、彼の姿をさらっていった。
バイスタは黙したまま、じっと机の上を見つめる。灯りは次第に消えていき、闇が静かにこの場を飲み込んでいく。
やがて、静寂の中で最後に響いたのは——
「……ドン。」
——
時は流れ、今に至る。
ザックは静かに立ち尽くしながら、手の中の小さな球を見つめる。指先でその滑らかな表面をゆっくりとなぞるように撫でた。
「……あぁ。」
ふっと口元が綻び、微かな笑みが浮かぶ。その目には、遠い日々の残像が映り込んでいた。
「実に……鮮烈な記憶だったな。」
そして——
幕が、静かに降りた。
ザックは賑やかな大通りをゆっくりと歩きながら、指先で器用に木製の球を回していた。軽やかに放り投げては受け取り、滑らかな木の感触を楽しむように弄んでいる。何気なく辺りを見回すと、道の両側には軒を連ねる商店が立ち並び、人々が行き交い、賑わいの声が絶えない。商人たちの活気ある呼び声、客同士の談笑が混じり合い、空気には食べ物や香辛料の香りが漂っていた。
思考の海に沈みながら歩いていたその時、不意に肩へ衝撃が走った——ザックの体がわずかに揺れる。目の前には、どこにでもいそうな男が一歩後ずさりし、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「す、すみません!お怪我はありませんか?」
男の声は礼儀正しく、しかしどこか緊張を含んでいる。
ザックは足を止め、軽く肩を回して違和感のないことを確認すると、無表情のまま手を振った。
「問題ない、気にするな。」
短くそう返すと、彼はまた歩き出し、雑踏を抜けるように人の少ない方へ向かう。手元の木球を弄びながら、まるで何事もなかったかのように独り言を呟きつつ、彼の表情は相変わらずの飄々としたものだった。
やがて、通りの喧騒は次第に遠ざかり、足音の響きも静寂の中に吸い込まれていく。風が木々を揺らし、葉擦れの音が耳をくすぐる。ふと前方を見やると、薄暗い林がぽつりと広がっていた。枝葉の隙間から差し込む月光が、地面に淡い光と影を散らしている。その静寂の中、二つの人影が身を潜めるようにしゃがみ込み、ひそひそと何かを話していた。
「へへっ、簡単だったな!あの男、あっさり引っかかりやがった!」
一人がくぐもった声で笑いながら、財布を開き、中の札束を指で弾くように確かめる。目には欲深い光が宿っていた。
「なあ……」もう一人が眉をひそめ、少し不安げに囁いた。「あいつ……どこかで見たことないか? なんか、妙に見覚えがあるんだけど……」
「は? 気のせいだろ。そんなことより、見ろよこの金!」
最初の男は鼻で笑い、財布の中を物色し続けた。だが、その手が突然止まる。彼の目が、一枚の証明書に釘付けになる。唇がわずかに震え、読み上げる声はかすかに震えていた。
「ま、まさか……こいつの冒険者証……名前は……ザ……ザック!?」
その瞬間、彼の顔から血の気が引き、先ほどまでの余裕は完全に消え失せた。
もう一人もその名を聞いた途端、息を呑み、驚愕に目を見開く。
「な、何だと……?! ザック!? あの名高い戦闘チームのメンバーの……!?」
その時——
「へぇ……どうやら、俺は街を歩いてても誰にも気づかれないらしいな。」
どこか気だるげな声が響いた。
二人が慌てて振り返ると、そこには一本の木にもたれかかる男の姿があった。月明かりの下、ザックが腕を組み、僅かに口角を上げながら彼らを見下ろしていた。
「俺の知名度がまだまだ足りないのか、それとも顔が地味すぎて覚えられないのか……どっちだろうな?」
ザックの声音は低く、どこか楽しげな響きを持っていたが、まるで底知れぬ深さを秘めたような鋭さもあった。風が吹き抜け、彼の髪を揺らす。月光がその輪郭を際立たせ、影が彼の表情をより神秘的に映し出していた。




