四杯目「ようこそ英雄の足跡」
頬を撫でる軟草。透いた風が吹き抜ける森の中。獣人の王国騎士見習いと、サファイアの瞳を持った死神。向けられた槍斧と、剣を持った温かい手。「信じたい」、そう思った瞬間暗転する視界。二つの深紅の瞳。気が付けばプリズムを放つ水晶の欠片が宙に舞っていて………
「―――はっ」
そこでセンは目を覚ました。見知らぬ天井、そしてカーテンの隙間から覗く光。まだ頭がぼーっとする中、センは身体を起こして辺りを見渡した。自身が寝ていたベッド、整頓された本棚、小さな机…どうやら使われていない個室、のようだ。耳をすませば元気な子供の声が聞こえてくる。一体ここはどこなのだろう。あれから何があって、どのくらい眠っていたのだろう。あの時はとにかく必死でただ彼を守りたいと…
「そうだ、アイツは……」
と、あの黒髪と煌めく蒼が頭を過ぎった時、こちらに近づいて来る足音が聞こえる。そしてそれはセンの居る部屋の前で止まり、ドアノブが回った。もしかして、とキィと開く扉の隙間に期待を寄せるが、現れたのは別の人物であった。
「目ェ覚めたか」
そう低い声で言った人物は、ひょろりとした30代くらいの眼鏡の男性だった。伸びた整えられていない髪は彼の顔半分を覆い、その髪の隙間からは魚類の持つ鰭の様な耳が見えた。べっとりと目元にこびり付いた隈も酷く根暗と言う言葉がよく似合う風貌だったが、眼鏡の奥で細く伸びた瞳孔と口元でチラリと光った鋭いギザ歯がどこか威厳を感じさせた。
「……誰?」
「俺はレイレード。この“ファミリア”で教師をしとる。事の経緯は聞いとるで。お前がぶっ倒れたあの後、“クロ”がここまで運んできたんや」
そう言うと彼は、レイレードは気怠げに頭を掻きながら「んったくまた面倒なモン持って来おって…」と愚痴を漏らす。そこで聞き覚えのない名前にセンは気付いた。
「クロ………?」
「あー……まあ、外の世界じゃあ死神だなんだ大層な名前で呼ばれとるなぁ。あんな臆病者のくせに…」
トクン、と心臓が小さく高鳴った気がした。どうやらあの人の名前は「クロ」と言うらしい。センはなんとも言えない気持ちになったが、その単語を数回繰り返し、心に刻んだ。
「まあそういうことで、ここはお前が居た森の先っちゅーわけや」
レイレードはそう言いながら、センの付近にある窓へ近付いて行きカーテンを翻した。一気に部屋に入り込んだ光に誘われるように窓の向こうを覗くと、センは大きく目を見開いた。
「ようこそ。異端者たちの街、“英雄の足跡“へ」
目に入ったのは、木やレンガで作られた建物が立ち並ぶ街並み。上手く自然と調和したそこでは様々な種族の人間たちが楽しそうに出店を覗いたり、子供たちが遊んだりしていた。出店には見たこともないような果物や道具などが並び、センは目を輝かせながらその街並みに見入っていた。グランは異端者のことを「頭のおかしい連中」と言っていたが、これのどこがおかしいのだろうかと頭の片隅で思った。
「れいせんせぇー!!まぁ〜だ〜!!」
「もういわれたところできるようになったよ!」
すると部屋の扉から二人の子供が飛び出してきた。子供達はレイレードの服を掴んで彼をぐいぐいと引っ張っていく。
「チッ、うるせぇ小魚共め……この隣の部屋に暇な奴が住み着いとるから、街のこととか案内してもらい。じゃ」
そう言うとレイレードは子供達に引きずられながら部屋を出て行った。
(………なんか、大変なことになっちまったなぁ)
センはそう思いつつベッドから足を下ろす。かけられていた毛布が剥がれ、自身があの真っ白でフリルのついた服を着ていたことを思い出す。センは少し眉間に皺を寄せたが、小さな机の上に畳まれた服があることに気が付いた。
センの着ていた白服は着脱に難しい構造をしており、脱ぐのに少し手こずっていた。なんとか脱ぎ、机の上のシャツに手を伸ばした時、センは自身の身体の異常に気が付く事となる。
(なんだ……?この傷跡……………???)
センの身体、主に肩や腹部などに大小様々なサイズの傷跡があったのだ。この世界に来る前に刺された時の跡では無さそうだった。もっと時が経っているような…、などと思考を巡らせたが簡単に応えには辿り着かなそうであったので、その問題を後にすることにした。
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シンプルなシャツに黒の半ズボンとサスペンダー、膝下まである靴下と茶色のローファー。そして首からはあの時光を放ち、暗闇で自分に力を貸した「存在」の目の色と同じの赤い宝石のついたループタイを下げていた。
新たな服を身に纏ったセンはレイレードの助言に従い、隣の部屋のドアの前に立っていた。
「ここ…だよな」
扉からは謎のオーラが放たれており、鼻をツンとつくような、例えるなら学校の理科室のような匂いが漂っていた。
コンコン、と恐る恐る扉をノックしたセン。しかし案の定返事は無かった。
(居ないのかな…?)
そう思いつつも、もう一度扉を叩こうとした時、ガチャとそれは開かれた。
「……誰、アンタ」
扉から顔を覗かせたのはセンよりも20センチ程身長の高い金髪の女性だった。薄汚れた白衣を着ており、研究者のような風貌である。瓶底眼鏡をかけていて顔はよく見えなかったが、声のトーンや雰囲気からこちらを良く思っていない様子は見てとれた。
「え、えっと、俺は…セン。ここに来たばっかりでレイレードさんに君に街を案内してもらえと言われたんだけど…」
センは慎重に女性の顔色を伺いながら尋ねた。
「……悪いが今忙しいんだ。他を当たってくれ」
しかしセンの期待とは裏腹に、開いたばかりの扉はバタンと閉められてしまった。
「…………」
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仕方なくセンは一人で外に出てみることにした。窓越しでは伝わらなかった暖かい風が頬を撫で、落ち込んでいたセンの気分は少しずつ元に戻っていった。新たに踏み入れた土地、異端者の街“英雄の足跡”。まだまだ不安の方が大きいが、いい街だと思った。
そう思いながら街中を歩いていると、段々建物の数が減り、自然の比率が多くなっていくのを感じた。そして気づけば森の入り口のような場所へとたどり着いた。センはこの先から自分は来て、この先であの人と出会ったことを思い返す。
「死神………クロ………………」
そしてきっと、まだこの森の中に彼は居るのだろう。グランの話が正しければ、彼はこの街を囲む森の中で街の人たちを、異端者たちを守っているのだから。
「せめて、お礼だけでも…」
と、センが踏み出した時、シャツの袖をくいと引っ張られた。
「おねーさんっ。そっちは危ないよ。おっかな〜い死神が住んでるからね!」
振り向くとそこには自分よりも小さな男の子が居た。この街にはあまり見合わない中華風の服を着ており、耳からは縞模様の熊のような…いや、虎の耳が生えていた。後ろでは同様の模様の太く長いしっぽが揺れていた。よく見ると大きな長い袖で手が隠れており、変わったデザインの服だな、とセンは思う。そして彼の言った「おっかない死神」という言葉に少し疑問を覚えたがセンは続けた。
「キミは?」
「ボクは闇虎。よろしくね!」
そう闇虎は笑顔で言った。獣人、と呼ばれる種族であろうがその幼く明るい姿からセンは弟の彩のことを連想させる。彼は今頃どうしているだろうか。きちんと自分以外の人間に保護されているだろうか。結局、置いてきてしまったと、センは後悔の念を噛み締めた。しかし今はそれを飲み込む事とした。
「俺は…セン。よろしくね」
「うん!おねーさん見ない顔だね。もしかしてここに来たばっかり?良かったらボクが案内してあげよっか!」
「いいの?」
「もっちろん!任せてよ!なんたってボクはこの、“英雄の足跡”のガイドマスターだからね!」
先程閉じられてしまった扉。一度振られてしまったセンにとっては願ってもみない申し出である。闇虎は自身の胸を誇らしげにドンと叩くとセンの手を引っ張っていった。
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それからセンは森を後にし、闇虎に連れられながら街の中の様々な場所を訪れる事となる。様々なお店や、芸を披露する人、老若男女問わず人が集まる広場など…簡略的に案内されていくうち、センは見覚えのある建物へと辿り着く。
「じゃーん!ここはファミリアだよ!」
「って、ここ、さっきまで俺が居たとこじゃん」
センは先程自分が出てきた建物、ファミリアを改めて見上げると街の中でもトップレベルに大きい場所なんだと感じる。木造の寮のような見た目だが、どこか教会のような雰囲気も感じさせた。
「ここでは身寄りの無い子供たちが生活したり、勉強を教えてもらったりしてる場所だよ!ここの自堕落寝不足ダメ鮫野郎には気をつけてね〜!」
(レイレードさんのことか……)
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続いて目に留まった場所はファミリアほどまではいかないが、中々に大きな建物だった。
「ここはこの街を守ってくれている心強い1団、守護団のギルドだよ!」
“街を守ってくれている”その言葉にセンは反応し、頭に彼の姿が過ぎる。
「じゃあっ、死神もここの一員なのか?」
「何言ってるのおねーさん!そんな訳ないじゃない!死神はこの街を守ってる訳じゃない。ただあの森に住み着いてるだけの死霊だよ」
「さ!次々ー!」と闇虎は前に進んでいってしまった。死神、彼は一体何者なのだろうか、と多くの疑問を抱えながらもセンは闇虎の後をついていった。
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「こんにちは!星の子商店のおにーさん!」
そう闇虎は、小さな出店へと走って行った。店の看板には少し可愛らしい字で|星の子商店《Twinkle Stella》と書かれていた。
「おや、こんにちは闇虎くん。その子は?見ない顔だけど…新しく来た人かい?」
「は、はじめまして。セン…と言います」
"星の子商店のおにーさん”はふわふわな青い髪をした落ち着いた雰囲気の人だな、とセンは思う。着用しているエプロンには星型のマークがついていた。
「うん。よろしくねセン。ここはいいとこでしょ。外の世界とは違って力の差や階級の差も何も気にしなくていい。街の人もみんな優しいしね」
センの住んでいた世界では、思想の違う“異端者”や、力を持たない“無剣者”が迫害されるような所では無かったのでその考えが新鮮に感じた。しかしグランの一件があり、ここがどれだけ平和で安全な場所なのかはセンを身を通じて分かっていた。が同時に今朝、瓶底メガネの彼女に拒絶されてしまったことを思い出していた。
「そうですね……でも、みんながみんな優しいって訳では無いかもしれないけど…」
「ふふ、まぁそうだよね。同じ異端者といえど1人の人間だ。そりゃ分かり合えない奴だって居る………でも、きっと相手にも何か事情があるかもしれないし、寄り添ってみるのもいいんじゃないかな」
途中、星の子商店の彼は少し顔に影を落としたがセンがそれに気付くことはなかった。すると彼は小さな星のようなものが散りばめられた棒付きキャンディを差し出した。
「はい。ウェルカムサービスの星屑キャンディだよ。大変だろうけど頑張って。困ったことがあったらいつでも頼ってね」
センはそっと受け取ると、キラキラと光るそれを口に運んだ。途端、優しく落ち着くような甘さが口の中に広がった。少し懐かしいような、小さい頃母がべっこう飴を作ってくれていたことを思い出した。
「おにーさんボクもボクもー!」
「はいはい」
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そんなこんなで闇虎のガイドツアーは続き、気が付けば街の空は夕焼け色に染まっていた。
「まずい!もうこんな時間!お姉ちゃんに叱られちゃう〜!ばいばい!」
そう闇虎は陽気に手を振りながら跳ねるように去っていった。センも優しく手を振り彼を見送るが、どこか浮かない表情を浮かべていた。
『相手にも何か事情があるかもしれないし、寄り添ってみるのもいいんじゃないかな』
星の子商店の彼が言った言葉が離れない。同じ年齢程の闇虎と出会ったこともあってか、センは彩のことを再び思い出していた。
(結局俺は彩にもろくに向き合えないまま死んじまった……)
センは一歩踏み出すとファミリアへと戻った。そして自身の部屋の隣の、瓶底メガネの彼女が居る部屋の扉の前へ再び立った。
(もう、できるだけ後悔はしたくない………!)
そして意を決し、扉をノックしようと手を伸ばす。その時、
ドカン!!
大きな爆発音と煙と共に扉は勢いよく開き、それにセンは包まれた。薬品の匂いが混じった煙を吸い込んでしまい咽せるセン。煙が晴れ、目に映ったのは本やガラスの破片が散らばったボロボロの部屋と、ボロボロの瓶底メガネの女性であった。
「だ、大丈夫か!?」
「………問題無い。いつもの事だ。………クソっ」
女性は悔しそうに拳を床へと突きつける。センは散らばった本を拾い上げた。
「これ、魔法書…?」
それは不思議な文字と不思議な陣が描かれた古びた本だった。爆発に呑まれボロボロに、いや何度も何度も読み返された痕跡も見られる。
「あぁ。魔法薬の研究。難しい調合でお前には分からない。辞めておけ」
女性は割れた試験管のようなものを見つめ「また買い直しか……」と頭をかいた。一方センは拾い上げた魔法書をパラパラと捲っていた。
(何でだろう…初めて読む言語に、言葉なのに理解ができる……あの時と同じだ。俺の中にありとあらゆる、魔法に関する知識が入ってくる)
白い毛先はふわりと宙に舞い、そこから覗く右目はあの時と同じように赤く染まる。首元の宝石が光を放つ。するとセンは弾かれたように色のついた液体の入った瓶と、割れていない丸底フラスコを手に取った。
「おいっ…!?何勝手なことをしている!?」
そして調合をし始めたのだ。とても真剣な表情をしており、センの手は次々と材料へと伸びていった。
「今すぐ辞めるんだ。初心者が触っていいもんじゃな…」
そう女性がセンの肩に手を置き止めようとした時、センの口から言葉で形容がし難い「詠唱」が放たれる。
するとセンの持っていた丸底フラスコから光り出した。そして中に入っていた液体が形を成し、根を張りフラスコから飛び出し、バチバチと音と輝きを立てながら枝のようなものが育ち形成されたのだ。
「はっ!ご、ごめん!!なんか出てきちゃった!」
そこでセンは我に返った。やってしまった。仲良くなろうと思い再び来たのにこれでは逆効果じゃないかと、勝手に動いてしまった自身の身体を責めた。
「な、な……!」
(まずい…!怒られる…!!)
女性は肩を振るわせ、センの肩を勢いよく掴んだ。飛んでくるであろう怒号に備え、思わずセンはぎゅっと目を閉じた………が、浴びせられたのはセンの予想とは違うものであった。
「すっっっごいなお前!!!今のどうやったんだ!?」
「え……??」
女性はセンを押し倒す程の勢いであった。思わず呆気に取られるセン。かけている瓶底メガネがずれ、キラキラと輝くエメラルドの瞳と長い睫毛が顕になっていた。