亡き父の言葉
父が亡くなって1年と1ヶ月。出張先の古いビジネスホテルで、私は不思議な夢を見た。
夢の中の私は、広い洋館に住んでいた。
夜、そろそろ寝ようしていたところ、外が何やら騒がしい。2階の窓から外を眺めると、暴走族のような集団が集まって大声で喋っていた。
「ちょっと戸締りを見てくる」
私は妻にそう言うと、1人で1階に下り、窓の戸締りを確認して回った。
いくつかの窓の鍵を閉め忘れていて、私は確認して良かったと思いながら鍵をして回った。
玄関の鍵も閉め忘れていた。危ない危ないと思いつつ玄関の鍵を閉め、2階に戻ろうとしたとき、ふと人の気配を感じた。
私が驚いて後ろを振り向くと、亡くなった父が立っていた。
† † †
玄関ホールは薄暗く、はっきりとは見えなかったが、父は、ガンで亡くなる直前の痩せた姿ではなく、60代の頃の筋肉質で白髪頭の元気な姿だった。
ただ、父親の顔色は土色だった。父親は私の方に少し近づくと、何かの体液を吐き出した。
「ああ、ごめん。吐いてしまった」
父は特に苦しい訳ではないようで、淡々と私に謝った。私は、父は腐敗しているのだと、少し怖く感じた。
父親は、私に穏やかな顔で言った。
「俺は、ずっとこの世を彷徨うことに決めたよ」
そこで私は目を覚ました。いつの間にか、涙を流していた。
お父さん、どうして。どうしてこの世に残るの? なぜ彷徨うことに決めたの? 成仏できないの?
隣の部屋に聞こえてしまうのではないかという声で泣いてしまった。その日は仕事にまったく集中できなかった。
† † †
父は無神論者だった。
末期ガンになった父は、病床で、田舎の土地の権利状況、通帳の暗証番号、自宅の登記や父の死後に必要な諸手続の詳細を私に伝えた。
「俺が死んだら、骨は田舎の墓に入れなくていい。どっかに放ってくれ」
最後にそう言うと、父は静かに涙を流し、嗚咽した。父が泣くのを見るのは、生まれて初めてだった。
「お父さん、大丈夫だから安心して。僕が全て上手くやっておくから。流石に骨は捨てられないけど、ちゃんと上手くやっておくから」
私は、父の手を握りながら何度もそう言った。
父は、在宅での緩和ケアを希望した。私は病院の看護師や地域包括支援センター、市役所と調整し、急ぎ在宅医療や介護認定の手配を進めた。
看護師も地域包括支援センターや市役所の職員も、みな真摯に対応してくれた。
父の在宅療養が始まった。医者が驚くほど薬が効いて、父はほとんど苦しさを感じずに過ごすことができた。
実家は父と母の2人暮らし。私と妹は遠方に住んでいた。
比較的実家に近い妹が時々実家に手伝いに行ってくれていたが、母が「介護疲れ」にならないか心配だった。
幸い、訪問看護師が毎日2回来てくれたので、母の負担はかなり軽減された。
「お父さんのことは私達に任せて無理しないでね」
訪問看護師は笑顔で母にそう言ってくれたそうだ。この笑顔と献身的な看護に、母をはじめとした我々家族は、本当に助けられた。
いよいよ父が危ないという時期になり、私は短期介護休暇を取得して実家に戻った。
長期戦を覚悟したが、父はあっさりと逝った。
父が亡くなる前日、モルヒネを使い始めていた父がベッドで顔をしかめ、何度も寝返りを打とうとするようになった。
私と母は、何度も「どこか痛いの?」と聞いたが、父は首を横に振った。何か強い苦痛がある訳ではなさそうだったが、あれが所謂「身の置きどころのない」状況というものだったのだろうか。
翌朝、訪問看護師が来てくれてすぐ、父は亡くなった。大きく目を見開いたかと思うと、動かなくなった。
「目を閉じさせてあげてもいいですか?」
私が訪問看護師に聞き、父の顔にそっと手を乗せた。
そう自分で言ったもののどうしていいか分からず、一旦手を戻すと、父はいつの間にか目を閉じていた。穏やかな顔だった。
その後は、妹や私の妻子、親戚等への連絡、葬儀の手配、市役所での手続、戸籍謄本等の必要書類の取り寄せ、スマホ等の解約、電気等の契約の名義変更、法定相続情報一覧図の取得、遺産分割協議書の作成、不動産の移転登記の申請等々、息つく暇もない日が続いた。
私は、父の納棺の際に涙を流した他は、これらの諸手続を淡々とこなしていった。
† † †
あれから1年と1ヶ月。突然夢に現れた父に、私は狼狽した。
私は父のような徹底した無神論者ではなかったが、そんなに信心深い人間でもなかった。とは言え、夢の中の父の言葉にショックを受けた。
夜、出張先での仕事を終え、ビジネスホテルに戻った私は、コンビニ弁当を食べ、酒を飲みながら、普段滅多に見ないスピリチュアルなホームページを読み漁った。色々な人が色々なことを言っていた。
亡くなった人が現世に留まる様々な理由が説明されていたが、どれもピンとこなかった。
中には、供養が不十分だという趣旨の説明もあったが、父は無神論者で家族に優しかった。父が家族に祟るなんてことは考えられなかった。
「はあ、生きるのが辛い。死にたい」
スマホをテーブルに置き、私は呟いた。
中学生の頃から、私は突発的に死にたいと思うことがあった。
幸か不幸か、私は学生時代に死にかける経験をし、「死にたくない!」と強く思ったことがあった。
それで、この「死にたい」という気持ちは、本当に死にたい訳でなく、辛い現状を脱したいという気持ちであることに気づき、この気持ち、すなわち「希死念慮」と上手く折り合いをつけながら生きてきた。
しかし、父が亡くなってから少しして、私は過分な責任あるポストに就き、最近またこの気持ちになる回数が増えてきているように感じていた。
「お父さん、どうしてあんな風に夢に出てきたの? またお父さんに会いたい。生きるのが辛い。死にたい、死にたい……」
私は、ビジネスホテルのベッドに腰掛け、泣きながら酒を飲み、何度も呟いた。私の呟きに、答えはなかった。
† † †
翌朝、いつの間にか寝入っていた私は、ビジネスホテルの窓から入る日の光で目が覚めた。
外は寒そうだったが、とてもいい天気だった。昨日と打って変わって、私の心は穏やかになっていた。
窓の外を見ながら、私はふと思った。あんなに父のことを思って泣いたのは、父が亡くなって初めてだったのではないか。
父が末期ガンになり亡くなるまで、そして、父が亡くなった後、母の独居生活が安定するまで、私は黙々と自分がやるべきことをこなしてきた。父の死への悲しみは、まるで心が凍ったかのように不思議と感じなかった。
そんな中、仕事のストレスも重なり、父の死への悲しみが一気に噴出し、あんな夢を見たのかもしれない。
あの夢は、父の死に対して心の整理がついておらず、また、仕事のストレスが知らない間に溜まってきていた私を心配して、亡き父が私に見させた夢だったのではないか。
父の死に心の区切りがつかず、日々「死にたい、死にたい」と呟く息子に、「そんな状況では、安心してあの世に行けないよ」と父が言っているように感じた。
「お父さん、ありがとう。僕は大丈夫。安心して」
私は窓の外の青空に向かって呟いた。不思議と心が軽くなったような気がした。
「さて、準備するとしますか」
私は背伸びしてから笑顔でそう呟くと、シャワーを浴びにユニットバスへ向かった。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
自分の心の整理のために書いたお話ではありますが、少しでも共感していただけたなら幸甚です。