魔女オフィーリアの小箱
大きくなったら何になりたい?
何気ない、誰にでも聞かれる問いかけでした。
「私はお嫁さん」
「僕は勇者になって、ドラゴンを倒すんだ」
「あたしはねー」
みな口々に夢を語ります。そんな子どもたちのなかで、ひとりだけ口を開かない子がいました。アーサーです。
アーサーは何も答えられませんでした。
だって、なりたいものがないのですから。
自分だけ答えることができなかったアーサーは、なりたいものを見つけないと、と探し始めました。
「父さんの宿屋を継いでくれるんじゃないのか」
「それじゃ、夢がないじゃないか」
期待のこもった眼差しに、アーサーは頬を膨らませます。父親の望むものには、このままでなれてしまいます。なりたいものとはいえません。
村中の人と話し、いろいろ見聞きしてもみつからなかったので、村はずれの森に住む、魔女オフィーリアに相談しました。
「なりたいものを見つけたいんだ」
「なら、坊やの夢の中から見つけるんだね」
そういってオフィーリアは、アーサーに箱を渡しました。底の面積はアーサーの両手に少しあまるかというぐらいの、小箱です。
「枕元において寝るんだ。そうすれば、翌朝夢の土産が箱に入っている」
どこを探してもないのなら、夢の中になりたいものが隠れているかもしれません。アーサーが喜んで受け取ると、彼女はにたりと笑いました。
「タダではやれない。その箱からでてきたものをアタシに寄越しな。なりたいものだったときは、坊やがもっているといい」
なりたいものがみつかるなら、とアーサーは頷きました。
翌朝から、アーサーは目を覚ますと箱を開けるようになりました。大きさはいつも箱に入るサイズなので、小さいこともあります。小さな箒に、掌に収まる剣、家のミニチュアはなんだか自分の家に似ています。箒はオフィーリアに会った次の朝だったので魔法使いの夢でもみたのかもしれません。剣は冒険者や鍛冶屋でしょうか、家は大工にでもなっていたのかも。
夢を覚えていないアーサーは、ずっと自分が夢をみていないのだとばかり思っていました。けれど、毎朝箱の中には何か入っています。夢をみている証明を得て、アーサーは箱を開けるのが楽しみになっていきました。
けれど、箱からでてきたものたちを全部オフィーリアに渡しました。どれもなりたいものではなかったのです。
自分がもってきた夢土産を検分している彼女に、アーサーはたずねました。
「オレって、変なの?」
アーサーの問いに、オフィーリアは手にしていた夢土産を机におきました。
「仲間外れは嫌かい」
こくん、と素直に頷くアーサーに、ひひっと魔女らしくオフィーリアは笑います。
「外れ者のアタシを前にいい度胸だねぇ」
「オフィーリアは魔女なのが嫌なの?」
「いいや」
ゆるりと横に首を振るオフィーリア。彼女が魔女ではないところを、アーサーは想像ができませんでした。
「はぐれたくない、ありきたりも嫌だ、とはずいぶん我儘だねぇ」
人間がそのようだからこそ、魔女の商売は成り立つのだが、とオフィーリアは皮肉を口にのせます。
「みんなと違ってなりたいものがないオレはつまらない」
「つまらないねぇ」
オフィーリアは、机の上の夢土産をそれぞれ一撫でし、ひとつを指さしました。
「コレは坊やの夢の中からでてきた。要は、お前さんの欠片だよ」
「欠片?」
「ああ。対価としてアタシに渡した以上、もう坊やの中には戻らない。いらないとアタシに渡すのはいいが、そのうちお前さんの中身が空っぽになるよ」
箱の力の代償を渡してから教えるとは。しかし、魔女とはそういう生き物なのです。嘘を吐かない代わりに、言わなかったり、言い方が紛らわしかったりするのです。
しかし、代償をきいてもアーサーは怖いとは思いませんでした。怒りも湧きません。むしろ、目の前の魔女が優しく思えました。だって、何もないと思っているアーサーに中身がつまっていると教えてくれたのですから。
アーサーは少し考えます。箱を使いつづけるかどうか。
「それでも、見つけたい」
考えてみたものの、アーサーの答えは変わりませんでした。
「そうかい」
オフィーリアは止めませんでした。子供を守るべき村の大人たちとは違います。彼女は魔女ですから。
それからもアーサーは毎夜、枕元に箱をおいて眠りました。起きると夢の内容は覚えていませんが、やはり箱を開けると何か入っているのです。
見たこともない紋様の、クッキーよりも大きな金貨。
富豪になる夢でもみたのでしょうか。夢の中の硬貨なので現実では使えそうもありません。たくさんのお金を動かして集めるなんて、大変そうです。なので、オフィーリアに渡しました。
虹色の綺麗にカットされた宝石。
今度は宝石職人でしょうか。夢の中からでてきたので、いろんな色をしたみたこともない鉱石です。ただお金を集めるよりは技術がある方がカッコいい気がします。綺麗だと感じますが、こんな風に石を綺麗にしたいとは思えませんでした。また、オフィーリアに渡しました。
「どうしてどれも違うんだろう」
「さてねぇ」
夢土産を渡しながらアーサーは疑問を口にします。目の前の魔女は、曖昧な相槌だけうって、答えてくれません。どちらかというと自分への質問でしたが、彼女なら教えてくれるかもしれないという期待もありました。だから、答えてくれないオフィーリアに、アーサーはがっかりしました。
「物じゃないのかもしれないねぇ」
「え?」
「坊やは空っぽになるかもしれないのに、箱を使いつづけてるじゃないか」
普通は怖くなって使わなくなるものだ、とオフィーリアはいいます。アーサーに必死な様子はありません。なりたいものがない焦りも伺えず、ただつまらない自分が嫌だというだけで箱を使っているのです。深刻にならないのは、完全に中身を奪われない確信があるからかもしれない。それがオフィーリアの推察でした。
箱の力は、夢の内容を物にするしかできません。アーサーのなりたいものが形あるものでなかった場合、オフィーリアに渡しようがないのです。
じゃあ、物にできないものとはなんでしょう。彼女の指摘が当たっているような気もするし、形にできないものがあるのかとも首を傾げたくなります。
例えば、とオフィーリアは形にできないものを教えてくれます。
「魔女はなろうとしてなれるものじゃない」
血で決まる。魔女に憧れても流れる血に魔力がなければなれないのだそうです。
「魔女の血に目覚めてしまえば、もう人の理から外れるんだ」
それ以外の生き方ができなくなると、彼女は微笑みました。
たしかに、魔女の血は形にできません。血液だけあってもその血の力を使える者でないと意味がないからです。
「形にできないもの……」
本当にそんなものが自分のなかにあるのだろうか、とアーサーは家に帰ってから、しばらく箱をみつめていました。
そこに父親が仕事の手伝いを頼みます。
「アーサー、予約が入ったから手伝ってくれ」
「はーい」
客室の清掃やベッドメイクを終わらせ、目印になるようドアにリースをかけます。お客さんを招く準備に一区切りつくと、父親は魔女の家に通って何をしているのかと聞きました。最近のアーサーの様子が気になっていたようです。
「何になりたいのかなぁって」
ぽつり、とアーサーは探しているものを明かしました。アーサーの探しものがまだみつかっていないと聞き、父親は彼の目の高さに屈み、こっそりと教えてくれます。
「実はな、父さんは昔冒険者になろうとしたことがあるんだ」
意外な事実に、アーサーは目を丸くします。父親は宿屋の主人が板についており、自分に継いでほしいぐらいだから、余所見などしたことがないのだとばかり思っていました。
父親が若い頃、ときどきお客でくる冒険者をみてカッコいいと感じ、冒険にでたことがあったそうです。
「けどな、魔物ごとに倒し方が違って大変だし、野宿じゃ木の根の枕や地面も固くて身体が痛くなる。場所によっては交代で見張りもしないとだから、ゆっくり寝ることもできない。気持ち悪くても汚れたまま移動しないといけないこともある」
思っていたのとは違う散々さで、すぐに楽しくなくなったそうです。もちろんそんな状態のままは嫌なので、討伐や採取の道すがら、立ち寄れる街や村があれば宿屋をとりました。
「屋根があってあったかい風呂に、できたての飯、ベッドで眠れることがものすごく幸せに感じたよ」
お金を払えば、知らない土地でも安らげる場所を提供してくれる宿屋がとても素晴らしいものだと気付きました。そんな場所を提供できる自分の家は、思ったよりずっとすごい仕事をしていると、父親は見直し冒険者を辞めてこの村に帰ってきたそうです。
父親が誇らしげに仕事をする理由を、アーサーは初めて知りました。父親の枕元に箱をおいても、きっと何もでてきません。アーサーの父親のなりたいもの、なっているものは形にできないものです。
「いいな」
アーサーは父親が羨ましくなりました。息子の眼差しがくすぐったそうに、父親は微笑みます。
「アーサーもやりたいことがあったらやってみるといい。思ったのと違ってもいいんだ。何になっても、父さんは応援する」
宿屋にはいつでもなれるから、と帰る場所があることを教えてくれます。アーサーはまだ何になりたいかわかりません。けれど、いろんなことを知ってからでも決めるのは遅くないのかもしれません。
ありがとう、とアーサーは父親にお礼を伝えました。
翌日、予約したお客さんがきてアーサーも手伝いに大忙し。オフィーリアを訪ねることができたのは、夕暮れになってからでした。
「おや、今日は遅かったね」
子どもがくるには危ない刻限だとオフィーリアは茶の支度もせずにドアの前に立ちます。暗くなる前に帰るよう、アーサーを中に入れるつもりはないのでしょう。
アーサーもそれでよかったのです。今日はあることを伝えにきただけですから。
「もう箱の中身はあげられない」
今日のアーサーは手ぶらでした。
「なりたいものが見つかったのかい」
アーサーは首を横に振ります。
「見つかってない。けど、もう箱は使わない」
いつかみつけるからいい、とアーサーは笑いました。そうかい、と相槌を返し、オフィーリアも魔女らしくひひっと笑います。
「中身がないなら、つめりゃいい。坊やの中には、対価でなくした分だけこれから入るよ」
なくしたものは戻ってきません。けれど、これからまた新しく出会い経験するものが待っています。だって、幼いアーサーの未来の時間はたくさんあるのですから。
オフィーリアに箱をもっててもいいか聞くと、充分に対価はもらったと頷いてくれました。
もうアーサーは中身がでてくるのを待ちません。箱には自分がみつけたものを入れていこうと決めました。
いつか箱からあふれるぐらいになるまで――
素敵なアーサー描いてくださったtogaさんに最大級の感謝を。
※下部参照