私の主は後宮に嫁いでいく
私はアズワンド王国第三王女ロレイン・アイリス・ラ・アズワンド様に仕える侍女。名乗るほどの名前はない。
ロレイン王女は、「恋狂いの王女」と呼ばれている。それはどう聞き取っても悪口だろう。
愚かな王女、頭の可笑しい王女、尻軽王女。呼ばれ方も様々ある。堂々とは誰も言わない。貴族たちが、皆隠れて囁くのだ。
それも仕方の無いことだと思う。事実、ロレイン王女は見境がない。目と目が合えば恋に落ちたと叫び、男に擦り寄る。何故か変なところで頭が固く、身体の関係がないだけで、次から次へと恋をして前の男を捨てていく彼女は滑稽で、憎らしい。
彼女のほかの兄弟姉妹たちを見れば見るほど、そんな思いが強くもなる。
私たちが仕えているアズワンド王国王家には現在、国王の子供は八人いる。
王太子であり長男である第一王子。以下、第二王子。第一王女。第二王女。この四人は国王の亡くなった前王妃の子供だ。前王妃は第二王女を出産後、体調を崩して亡くなられた。
その後入られた後妻である現王妃の最初の子供がロレイン第三王女。そしてその後に第四王女、第三王子、第五王女と続く。
この八人いる子供の中で、最も愚かだと思われているのがロレイン王女だ。なのでロレイン王女の侍女には誰もなりたがらない。ロレイン王女の侍女という職は、つまりは彼女の尻拭い役だからだ。大抵が入れ替わり立ち替わりで消えて行く。長年務めているのは私だけ。
私の母は現王妃様の乳母子だった。その関係で現王妃様に目を掛けていただいてきた。最初はただそれだけの理由で、ロレイン王女の侍女となったのだ。私が侍女に着いたのはロレイン王女がまだ愚かだといわれる前のこと。六歳ごろだ。当時の王女は聡明な子供だった。純粋で素直で学ぶ意欲を持っていて。侍女などにも優しくて。
「みて、みて。このお花、きれいね。おかあさまにおみせしたいわ」
そういって王女は笑っていた。私は彼女が好きだった。この頃は、もっと多くの侍女仲間がいて、和気藹々と暮らしていた。王女と言えど、ロレイン王女は第五子でその上第三王女。だから他の王子着き王女着きの侍女たちに比べて柔らかい雰囲気があった。―――そう、過去の話だ。
いつからだろう。変わってしまわれたのは。
王女が幼かった頃の私はただの下っ端侍女。ロレイン王女の教育係などではないし、傍に控えるような身分もなかった。私が知っているのは、食事時や身体を清められる時や眠る時などの私的な時間ばかり。彼女が勉強をする時、公的な人と会う時、私はその場にはいなかった。だから私には分からない。彼女が変わってしまった原因が。
勉強は厳しかっただろう。王族なのだ、当然だ。それが辛かったのだろうか? それとも母に甘えられないことが? それは他の王子王女だって同じだ。彼女の異母兄姉たちなどは、既に実母を亡くし、母親に甘えることなどできない状況だった。第二王女など、自分が生まれたせいで母が死んだのだと思っているらしい。この国の王子王女という兄弟の仲が良いのか悪いのか。私のような下々の人間には分からない。彼らの関係は難しくて歪で絡まっていたのだ。
私がロレイン王女の侍女として、どんな時でも傍にいる者として彼女に会ったのは、既に同僚や先輩が十人はいなくなった後だった。私よりも優秀だった彼女たちは、ロレイン王女の起こした不始末の尻拭いの一貫として、クビにされたり、左遷されたりしていた。当初は王女が悪いだけでなく、周りの人間、彼女を育てていた人間たちにも問題があると強く思われていたが、私が彼女の傍仕えになった時は、そうではないと。……王女自体がどうしようもない人間だと、判断された後だった。お陰で私は、ロレイン王女が度々問題を起こしても、クビにはならなかった。代償として彼女の尻拭いに奔走した。辞めなかったのは、目をかけてくださっていた王妃様の力になろうと思ったのが一つだったけれど、今となっては何故辞めないのか、自分でもよく分からない。
王女はどうしようもないお方だ。
幼い頃からお好きだった絵本を抱きしめて。絵本の中の、王子様とお姫様を見て。頬を染めて、恋を語る。目を輝かせて、愛を語る。ただ一つの愛。永遠の愛。そんなものが実在すると彼女は信じていた。―――目の前に全く違うものがあるにも関わらず。
そう。全く違うもの。永遠でもない、ただ一つでもない、彼女にとって何よりも身近な男と女。
実のご両親であられるアズワンド王国国王ギルバート・ミッチェル・ジェームズ・ウォーレン・エマニュエル・ラ・アズワンドと、王妃スニータ・アメリア・マ・アズワンド。
二人の間に、永遠の愛などない。たった一つの愛などない。それをスニータ王妃の第一子であるロレイン王女は、よく知っていた筈だ。―――そうだったからこそ、彼女がこうなってしまったのかもしれないけれど。
国王は王妃を愛してなどいない。直接言葉にはしたことなどないが、そう思っていることは確実だった。まだ、彼の愛が前王妃にあるというのなら救いがあったかもしれないが、それらしい様子も無い。子供がいるに越したことはないと王妃を抱いて、彼女との間に四人も子供を作ったけれど、ロレイン王女が「恋狂い」になった頃からは王妃との触れあいも一気に減った。国王の周り、特に宰相部の男たちは王妃の耳に届くか届かないかというギリギリの所で囁いた。「あの狂った王女が生まれたのは、きっと王妃が悪かったのだろう」と。上の四人が優秀だったということもその囁きの勢いも増した。それに王妃は苦しんでいた。
――夫婦の関係は冷め切っていたが、ロレイン王女が原因なのかは正直怪しい。それは卵が先か、鶏が先かと言い争うようなものだろうと思う。ただ、王妃が王女の行動で首を絞められるようであったのは事実だとは思うけれど。
結局の所、王女が「恋狂い」となった本当の原因など、私には分からない。だが彼女はデビュタントを済ませた頃から、王女とは思えないほど奔放だった。
「あの方こそ、わたくしの運命のお方だわ!」
恋に落ちたのだと語る彼女のその表情を、可愛いと思えたのは最初の数回だけだろう。それを越えてからは怒りや呆れが先にたち、最終的に私はただ憐れんだ。
最初の頃は、彼女に恋をされた男たちも嫌そうではなかった、むしろノリノリな貴族も多かった。けれど次第に反応は冷淡になっていき、その内遊びのような扱いになっていたことを私は知っている。王女がそれに全く気付かず、相手を愛していたことも知っている。
ロレイン王女と次から次へと変わっていく恋人の姿を見ながら。
いっそのこと、身体の関係を持ってしまえば。
王女としてトコトン道を間違えれば。
王女としての彼女は殺されて、ただのロレインになって、まだ生きるのが楽なのではないかと思ったことはある。矛盾だらけのその存在は―――たった一つの愛を望みながら、自ら次から次へと愛を捨て、新しい愛を求めるその姿は―――ただ憐れみを。同情を誘うだけだった。本当に、そうなってしまえば楽だっただろうに。
彼女は王女としては決定的に生き方を間違えながらも、最後の一線だけは踏み越えなかった。
第四王女、第三王子、第五王女――つまりはロレイン様の弟妹たちは、そうした姉の行動と、そして夫と姉と周りの人間によって苦しむ母を見て、まるで反面教師のように優秀に育っていった。第四王女など、ロレイン様との年の差は二つしかないから、本当に苦労なさっただろう。けれどデビュタント以降社交界で汚点など晒さず、むしろその優秀さを次第次第に広めていった。続くように第三王子もその優秀さを広め――しかし、上手いことに第一王子と第二王子、つまりは異母兄たちとは争うつもりなどないのだと主張をしていった。第五王女も可もなく不可もなく、というお方ではあるが失点を出さないその生き方はある意味で末子としては十分なものといえるだろう。こうした下の弟妹たちの活動により、王妃様は少し持ち直された。他の御子様方が活躍することで、ロレイン王女が可笑しいのは、別に王妃様のせいではない、と証明されたようなものだったのだ。
ロレイン王女はそのまま生き続けた。諌めなかったのか、など耳にたこが出来てしまう。諌めたところで聞かないのだ、どうしようもない。国王直々に諌められたことはないが、ほぼそれに近い形での諫言が来た事はあるし、王妃様からは何度も直接止めるようにいわれていた。私とて言ったことはあるが、他の方々が言っても聞かないのだから、当然私の言葉など届きはしない。
可哀想なお方だ。哀れなお方だ。寂しいお方だ。望めば望むほど、求めるものは遠ざかっていく。
王女が十七歳を迎えた年の、ある日。新しい恋をした。いつもと同じ一目ぼれだろうと思っていた。だがこれが、王女の人生というを一気に別の道へと誘う方向転換の切欠となった。
新たな恋人は、中の中ほどの伯爵家の嫡男。貴族としてはギリギリ、実際に会ったこともあったが、王女に一目ぼれをされたことでかなり強気な性格になっており、少々横暴さが目に付いた。王女は優しい、と言っていたから、当初はそういう人間だったのかもしれないが、元々持っていなかった権力を持つことによって性格が捻じ曲がる人間は多い。伯爵家からすれば、王女など天上の人間だ。空から降ってきた権力の象徴に、彼は可笑しくなってしまったのかもしれない。
私はいつもと同じく問題の後処理だけを考えて手回しをしていた。
が、困ったことに、この嫡男、元々婚約者がいたというのに――いや、婚約者がいること自体は以前にも何度かあった。だが現在ではロレイン王女の恋愛癖は有名なため、婚約者の令嬢にもお金を積み頭を下げれば、一定期間虫が周囲にいる、程度の認識で終わらせてくれる。ロレイン王女は基本的に恋をした相手にしか興味がなく、その周囲にいる女性などには無関心なのだ――なんと、元々いる婚約者との婚約を破棄したのだ。しかも王女を連れて城に登城した際に、王女に頼み込んで、公式な書類まで作って。
どうしてそんなことになったのか、訳が分からなかった。書類を作るだろう宰相部は、ロレイン王女の暴走であっさりと婚約破棄を命じるほど緩い部署ではない。
訳を探ってすぐに、『魔獣の国』の話題を聞いた。
なんていうことだろう。
今までロレイン王女は多数の人間に迷惑をかけてきた。だが、それで本格的に不幸になった人間はいなかったのだ。むしろ、王家としては一部役立っていた面もある。王女を利用して、王家に悪い影響を及ぼそう、とたくらむ人間を一部ではあるがあぶりだすことも出来ていたからだ。そうして不幸になったのは自業自得といえるから数えない。だが、今回は違う。
ロレイン王女は恋するあまり、嫡男の要望どおり、伯爵家嫡男と、婚約者である伯爵令嬢の婚約破棄の契約書を作った。そして伯爵令嬢は、この国を守るために末恐ろしい『魔獣の国』に嫁いでいく。これは、どうみたって「不幸」になっているではないか。
王女は、気付いていないだろう。彼女は書類が出来上がってから、それが伯爵令嬢に突きつけられるまで、ただの一度も書類を見ていない。そして、その書類は伯爵令嬢の目の前で嫡男によって読み上げられたというが、おそらく聞いていない。
頭を抱えて、もうどうすればよいのか分からなかった。王命となっているのであればもうどうにも出来ない。
宰相部にこのタイミングで、『魔獣の国』の問題がなければ、国王が許可を出さなければ、嫡男が王女に恋をされて暴走しなければ、――王女が。こうで。なければ。
考えても無駄なのだ。全ては為されてしまった。
伯爵令嬢は、大人しく魔獣の国へと嫁いでいった。
それから暫く、ロレイン王女は嫡男と楽しい恋人生活を送っていた。あれほど次から次へと恋をする王女がこれほど長く一人の人とともに居たのはほぼなく、そういう意味では嫡男は凄いといえる。
しかし結局、終わりは来た。
次に王女が恋をされたのは、ヘーロン伯爵。奥様を亡くされて以降、後妻を迎えることはなく、子供達を育てているお方だ。当然、嫡男のように燃え上がることはなく、丁寧に丁寧に王女を上手くいなしてみせた。その間、捨てられてしまった嫡男は何度も何度も城に来ようとしたりして必死だったが全て追い返される。
もし。もし、婚約を破棄せず、冷静に王女を対処していれば、彼は今頃元通りの生活に戻れただろう。全ての原因が、王女だとしても。……噂に聞いただけだが、彼の行為は底辺といえど伯爵であった令嬢の家族を怒らせた。そして令嬢の実姉の嫁ぎ先である伯爵家も怒り、嫡男の家は伯爵界隈からつまはじきにされ始めているという。
そうして再びいつもの生活が、始まったと思えば。まもなくとんでもない爆弾が落とされた。
「クリストフ様と結婚したいわ」
その一言は、終わりを意味すると、私はその後すぐに気付くこととなった。
◆
ガタンガタンと揺られる馬車。その中にはロレイン王女がいる。すぐに世話が出来るように、私だけが同席し、残りの者たち――輿入れに、道中だけ同行するものたちだ――は外にいる。
「ロレイン・アイリス・ラ・アズワンド、此度、おぬしを隣国へと輿入れさせることが決定した」
国王からの直々の命令。王女は喜んでいたけれど、その隣国はオッガーサではない。アズワンドは魔獣の国を除き、三つの国と隣り合っている。オッガーサはその一つでしかない。
気付いているのだろうか。気付いていないのだろうか。馬車に乗ったロレイン王女は嬉しそうに鼻歌を歌っている。
「ルールルー、ルルールールー」
ふと、その鼻歌は、随分昔に。まだ本格的に勉強が始まる前に。王妃様がロレイン王女に歌って聞かせていた歌だと、気付いた。
「ルールルー、ルルールールー」
行く先はただ一つ。後宮だ。王女が、かの国の国王に惚れるかどうかは分からない。だがかの国の国王が王女を愛することなど、万に一つもないだろう。
私の主は未来のない場所に嫁いでいく。私に出来るのは、一度入れば出ることの出来ないその終焉の花園にともに赴き、彼女の未来を見続けること、だけなのだろう。