魔獣の国に嫁ぎました03
目を開くと、白い場所に立っていた。
霧の漂う場所に、一人立って行った。
ここはどこだろう? ピィーは? ボボは? お義父様は?
≪――――≫
呼ばれた、ような気がした。
振り返ると、そこには―――。
◆
「ファリダ!」
「ぐえっ」
潰したような声が喉から飛び出した。目の前に見慣れた天井が写る。上も下もふわもふ。どうやら私の上半身、胸元に体を横にする形でピィーが飛び乗ったらしい。まだおなかあたりだったらマシだったのに。というか、なぜ飛び乗った。起こしに来たのは分かる。だが、なぜ、飛んで、乗った。
「ぴ、ぴぃー、重い」
「はぁい」
そう返事をしたピィーは私の体の上を転がった。胸元から足元に向かって結構なサイズと重さの塊が転がっていく。苦しさから息を詰めた。ぐえ、と淑女らしからぬ声が出たが……まあ今更だろう、淑女とか。しかし普通にどいてくれ……とは思ったものの、素直にどいてくれたのは事実なので目を瞑ることにする。
ベッドといえるのか謎なもこもこが敷き詰められた空間、いやむしろ巣と呼んだほうがしっくりくる空間は、本当にそこら中がもっこもこの、おそらく、綿や、それが入ったクッションなどが敷き詰められている。
聞けば元を辿ればお義父様の抜け毛を綺麗に洗って制作されたらしい分厚いクッションと綿の丸い塊――ピィーではない――は私とピィーの部屋の床を覆っているのだが、ピィーは昔からこの部屋で寝ていたそうで、むしろこのクッションが無ければ寝れないらしい。父に抱かれているような気持ちになるんだとかなんとか。最初はベッドのように敷布団があり掛け布団があり枕がある訳もないこの寝室に狼狽えたが、今では全く問題なく安眠できる。お義父様の懐かはともかく、包まれているという気持ちは私にも分かる。
(しかし、さっきのは……)
夢、の中だったのだろう。一面薄い霧の中のような不思議な空間。怖さはないけれど心細さはあって。一体此処は何処だと、振り返って、そこで目が覚めた。
どんな夢だったのかという記憶も曖昧だというのに、夢を見たという事実はやけにしっかりとあった。変な夢を見たなぁと思う。
「ファリダッ! 朝ごはんを食べよう! そしたら出発だよ!」
「そうだったわね」
ピィーの言葉で、今日は遠出をする予定だったことを思い出す。
比較的近場であればピィーが一人で連れて行ってくれるのだが、今回はちょっと遠い。山脈の外側に、美しい花畑があるらしい。そんな情報が、山に住んでいるちょっと怖い見た目の三兄弟から話があったのだ。
「すげえ綺麗だったでさぁ。なあガス」
「んだんだ。いっちめんが花だったでさぁ。なあダス」
「だな。人間もきっと気に入ると思いますよ」
開けば一口で人間を食べてしまいそうなギザギザした大きな歯を持つ長い口を広げながら三兄弟は、ボボさんとピィーにそう言ったらしい。
三兄弟が来ると分かると、途端にボボさんは苦い顔をして私を隠した。なので私は遠目から見ただけだったが、ボボさんの大きさが普通の人間と似たサイズであるため、遠目でも十分に三兄弟のサイズがかなり大きいことは分かった。その歯を見れば三兄弟が肉食なことも分かる。彼らはピィーの嫁……つまり、私が人間であることを知ってる上で、人間が好きそうな場所を報告しにきてくれている訳だから(前にピィーが三兄弟に、綺麗な場所を見つけたら教えてくれるように頼んでいたらしい)、流石に私の事は食べないだろう。……多分。だがまあ、安全のため、と言われて引き離されるのであれば素直に引き離される。あの見た目は怖い。横で喋られたら、いつ食べられてしまうのかと恐怖するだろう。
そんな訳で一面花畑の美しい光景を見るべく、私たちは遠出の予定を立てた。
場所は、山脈の向こう側。
ただし領地としてはアズワンド王国ではなく、その隣国オッガーサ王国だ。
これには少し、躊躇した。
アズワンド王国とオッガーサ王国の仲の悪さは折り紙つきだ。歴史はどこまでも遡れるぐらいに長いこと領地を取り合って争い続けている。とはいえここ百年ちょっとは休戦状態のため、私の世代は実際にオッガーサと争いをしたことがある人はあまりいない。なので戦争というものの実感は薄いのだが、それでも国民は全体的に、オッガーサ王国にたいして敵対心がある。
『オッガーサ人には芸術を愛する心がない』
『オッガーサの人々は動物のようだ』
という言葉に始まり、アズワンドに伝わることわざやら言葉やらには、オッガーサへの敵対心が含まれるものが多くある。
その敵対心のようなものは、当然私にだってある。オッガーサと聞けば嫌味の一つ吐くぐらいには民族レベルで植えついた敵対心なのだ。オッガーサ王国もアズワンド王国に対してそんな感じなので今更だろう。
なので土地的にみて、その花畑がオッガーサ王国にあると聞いた時は迷った。が、ピィーの真っ直ぐな、不思議そうな目を見ていくことを決めた。
ピィーにもボボさんにも三兄弟にもお義父様にも、アズワンドとオッガーサが仲が悪いことなど関係がないのだ。外の世界でいくら戦争をしていようと、所詮は人間のしていること。妖精には、ユグドラシルには、関係のない話だ。
一応ボボさんとお義父様には人間側の事情を話した。当初はピィーとボボさんと私の三人の予定だったのだが、そういう事情が人間にあるのなら、とそこに更に案内役も兼ねて三兄弟ともう一頭が用意された。移動手段は馬車だ。
その馬車は質素なものだった。私の事を迎えに来た時のような飾りのあるものではなく、人などを運ぶことだけを目的に作られたような馬車。しかし中のイスなどは屋敷から寝室のクッションなどを持ち込んだことにより快適だ。また見た目こそ簡素だが、サイズは大きい。中には私とピィーとボボさんが入ってもスペースがあまっている。ちなみに三兄弟は翼があるので自分で飛んでくるようだ。あと一頭が何かと思ったら、馬車の前にいるのがそうだと気がついた。
馬車を引くのは当然の如く、ユニコーンだ。おそらくは私が嫁入りしてきた時と、同じユニコーンだろう。相変わらず逞しい馬だ。
朝食を食べて屋敷の外へ出ると、既に用意が整っている馬車があったので。さて、入ろう。と考えたところで、いやここでまずはボボさんを待って、ドアを開いてもらったほうがいいのかな? と考える。淑女的には、貴族的には。……だがここにそんな常識なんてあってないようなものだろうし、やはりもう入ってしまっても……。と一人で悩んだところで、ユニコーンがこちらを向いた。既にユニコーンは馬車に繋がれて、あとは乗客が乗って出発を待つだけだから、つまらないのかもしれない。などと思ったその時に口が開かれ――、
「やあ、こんにちは」
「えっ!? あ、え!?」
仰天して変な声が出る。
ユニコーンは首をかしげる。長く美しい鬣がさらりと落ちた。
「どうかしたかな」
「しゃ、しゃべっ」
「アハハッ。そういえば、嫁入りの時は僕、喋らなかったかな? 僕はヴォンデック。見ての通りユニコーンだよ、よろしく」
そういって、人の二倍はあるのではと思うほど長い睫毛がパチンとウインクを飛ばす。
ヴォンデック。どこか、どこかで聞き覚えのある名前と、あとは衝撃に固まっていると、後ろからボボさんたちが現れる。
「お待たせしました。……ファリダ様、どうしました?」
「ボボさん、しゃべ、しゃべ!」
「ボボ、僕のことを紹介しておいてくれなかったのかい? 酷いねぇ。なんだったらボボと一緒に一番最初にファリダ様に会ったのは僕だっていうのに、僕はこの八ヶ月間、ずぅっとただの馬だと思われていたんじゃないか」
「嗚呼、説明していませんでしたっけ? ファリダ様、彼はユニコーンのヴォンデック。本日の移動を担当します。もう一頭、というのは彼のことです」
ふさり、と鬣が揺れる。人間だったなら、髪の毛を払ったと見える行動だ。そこでそういえば、ボボさんがそのもう一頭、と思われる名前として「ヴォンデックが……」と名前を出して喋っていたな、と記憶が繋がった。なるほど全く知らない人がまた現れるのかと思っていたが、全然違っていたようだ。
あの予想の数十倍数百倍快適な嫁入りが実現したのは、ひとえに彼のお陰といえる。私は背筋を正してヴォンデックに礼をした。
「ファリダ・ミゲル・コンデと申します。こ、輿入れの際はありがとうございました。凄く速くて、殆ど疲れることもなく移動が出来ました」
「なぁに、あれぐらいは散歩みたいなもんさ」
散歩なのか、あれが。ユニコーン、やはり凄い。一家に一頭ほしい。
「さぁ、乗り込んでくださいファリダ様。坊ちゃん。向かいましょう」
ボボさんに言われるがまま馬車に乗り込む。ピィーも乗り込みボボさんも乗り、ドアが閉められるとともに、馬車が走り出した。
◆
馬車に乗って、一時間程。私たちは目的地だという花畑に到着した。嫁入りの時は脅かさないためにも走らなかったそうだが、今回は多少の揺れも私がなれたために大丈夫だろう、ということでヴォンデックはかっ飛ばしたそうだ。それでもあまり揺れを感じなかったのは馬車の作りが凄いのか、ユニコーンが凄いのか。ともかく、窓の外の景色は紙芝居の如く変わっていき、あっさりと人間が越えることができないあの山を越え、私たちは花畑へとたどり着いた。
「わぁ――」
ボボさんの差し出された手をとりながら馬車を降りた私は感嘆の声を上げる。
一面、本当に一面。見渡す限り、花だけが咲いている。馬車が留まっている場所はギリギリ花畑ではないが変わりに緑の草が生い茂っている。花の色もう子供みたいな表現しか出来ないのだけれど、赤、ピンク、白、黄色、黒っぽいの、紫、青、と本当に色鮮やかだ。
バサ、バサと空から翼の音がして、飛んで移動していた三兄弟が降り立った。
「どうです、綺麗でしょう! なぁガス!」
「んだんだ!」
「はいっ、凄い綺麗です!」
「良かったね、ファリダ。三羽とも、ありがと!」
これは確かに綺麗だ。相手はユグドラシルの住民だから、人間とは感性が違うという事実は予想(場合によっては実体験による経験)があって、だからこれでちょっと違う美しさだったりしたらどうしよう、とか内心思っていたのはここだけの秘密にしよう。まあ三羽が降り立つと花畑とのアンバランスさが凄いんだけど。これも黙っておこう。今までだって、家族で近場の花畑に出てきて、食事をしたりする、みたいなことはしたことがある。けれどその時の花畑の何倍も広くて綺麗だった。
ピィーの良かったね、にうんっと答えると、一気にピィーが駆けて行った。
「遊ぼう、ファリダ!」
今日ばかりはその言葉に遊んであげようなんていう思いもなく、私は勢いよく頷いたのだ。
花畑で追いかけっこをしたり寝転がったりと、全く以て物語の青春のようだけれど、蓋を開ければ真っ白な毛玉とそこそこいい年の女子がキャアキャアと騒いでじゃれあっている光景だ。そもそも案内してくれた三兄弟は花畑に興味なんざない。彼らはそのまま花畑を見下ろせる山肌の岩で眠っているようだし、ヴォンデックは馬車で待機。そしてボボさんはというと、先ほど私が呼び寄せたので今は近くにいる。
「今からね、ファリダと一緒にお父様に王冠を作るの!」
「王冠、ですか」
「はい。花冠っていうほうが正しいですけど」
花畑で遊ぶといっても二人しかいないのだからやることもそうない。全力で駆け回った所で、私はピィーに「次は何する~?」と聞かれ、「なら花冠を作りましょう!」と提案した。だがただ花冠を作るだけでは全く以てつまらない。ということで、ならばお義父様に差し上げるぐらい、大きなものを作ろう! という話になった。
「まずは花がたっくさんいるわね……ボボさん、黄色とか白色の花を沢山集めてください! ピィー、青とか紫の花をお願いね。私は赤とか、ピンクとか探してくるわ!」
小さな足を僅かに上に向け、ピィーが「了解!」と声を上げる。おそらく私が前に教えた敬礼をしようとしているのだけれど、足が体格にたいして短すぎて、全く届いていない。しかし頑張ろうと上に上げた結果、バランスを崩してコテンと転がってしまった。可愛い。
さて、赤とかピンク、と言ったけれど、今私たちがいる辺りは、青とか紫の花が多い。なので私は少し移動をすることにする。この花畑、本当に広い。もう少し向こうにいけばもっと違う花も咲いているだろう。
言われるがまま、近場で花を摘み始めてたボボさんが、離れようとする私に気付いて慌てたように声をかけてきた。
「ファリダ様、あまり一人で歩き回るのは――」
「大丈夫大丈夫! 少ーし向こう側に行ってくるだけだから! ボボさん、たくさん花摘んでね!」
「……気をつけてくださいね!!」
少し迷ってから送り出してくれたボボさんの声に私は「はーい」と呑気な返事をした。このときの安易な行動を、少し後に私は後悔することとなった。
◆
想像したとおり、少し歩いた先にはまた少し中心の色彩が違った花畑が広がっている。その花畑の中から綺麗な赤やピンクの花を摘みながら私はどんどん移動していった。一部の場所で沢山摘むと、やはり帰る時の景観がよろしくないと思うのだ。いろいろな場所から、少しずつ花を頂戴して歩いていた私は、知らぬ間に随分と遠くまで来た事に気づかなかった。
「そこにいるのは誰だ」
「っ!?」
突然、声がした。聞き覚えのない声。ピィーの声ではない。ボボさんでもない。三兄弟でもヴォンデックでもない。人間の声だ、とある意味当然のことに心底驚いていた。
ピィーたちの姿を求めて周囲に視線をやる。居ない。そこで自分が花を摘むために一人で動いていたことを思い出す。しまった、調子に乗って離れすぎてしまった。ていうかここどこだ、とも思う。花にばかり視線をやっていて、周囲を見ていなかった。完全に最初に到着したのとは別の場所に出てしまっている。
「……女か」
丁度摘んだばかりで手に持っていた花を強く握る。茎が曲がって、花は変な方向を向いた。他の摘んだ花は、横に束になって置いてある。
ゆっくりと振り返ると、男がいた。若い。私よりは年上そうだけれどそこまで離れてはいないだろう。緑の目。金色の髪。カッコイイ、部類だと思う。男の腰には剣。きている服はとても高級そうなもの。貴族かもしれない。当然だが土地の場所から考えて、オッガーサの。
「ここで何をしている」
「……花、を」
なんとか声を絞り出すと、男の強い視線が、私の手に注がれた。緊張して強く握りすぎた花を見ても男の表情は全く変わらない。
強い緊張に蝕まれながらも、私の心はどこか冷静だった。いや、冷静という言葉は違う。安堵を感じていたというべきか。場所から考えて、男がオッガーサの人間であることは間違いないだろうが、彼が久方ぶりに見た“人間”であることも間違いない。ユグドラシルで暮らし始めて、ボボさん以外にも人間と同じような姿をした妖精には会った。だが誰も、人間と同じではなかった。羽があったり耳が長かったり角があったりサイズが大きかったり小さかったり。やはり“人間”は、私一人だった。それがどこかで心細かったのだと、男を見たときに分かった。緊張して心臓は早鐘を打っているのに、同時に安心もしている。
男の表情が、少し柔らかくなった。
「……この辺りの者か」男の言葉は疑問系ではなく、自分に言っているようだった。「来い、此処はもう遊んでいい場所ではない」
反射的に首を横に振った。来い、という言葉への拒否反応だ。私は彼とは行けない。
私は花を持ったまま後ろに下がる。ピィーの元に帰らなきゃ。
何本もの花を踏み潰した。なんだか遠くで花の妖精の怒った声が聞こえた気がする。
「何を嫌がっている?」
表情が険しくなる。男が可憐な花を踏み潰し、こちらに近づいてきた。男が一歩近づけば、私は二歩下がった。
しかし同じ一歩でも向こうは真っ直ぐ進んでいて、私は後ろ向きで下がっている。それに向こうは男で私は女だ。すぐさま距離は縮まり、男のマメだらけの手が私の手を掴んだ。あまりの力強さに、掴んでいた花が落ちていく。
「やっ! 離して!」
「何をそれほど嫌がる。まさかキサマ、アズワンドのスパイか?」
首を横に振る。アズワンドの人間であ……ったが、今は違う。私はユグドラシルの、人間だろう。嫁入りをしたらその先の人間になるのは人間の常識から考えてそうだ。
それにどちらにせよスパイなんかではない。ただ花畑に遊びに来ただけだ。
「なら何故逃げる」
男の視線は厳しい。なんでこの人こんな怒ってるんだ、と思った時。男の背後から声が聞こえてきた。
「クリストフ殿下ッ! いらっしゃいますか?」
「此処だ」
「!?」
今の声、殿下、と言ったか。今。
そしてこの男、それに返事をしたか!?
貧乏伯爵でも、有名どころの王族ぐらいは押さえている………いや嘘、名前は覚えてない。脳内で、オッガーサ王国の王太子、という言葉が浮かんだ。だが名前が出てこない。クリストフ、という名前だっただろうか。ダメだ、自信がない。だがオッガーサには王子は一人しかいなかったように思う。ならば自動的に、そのたった一人の王子が王太子になっているだろう。
けれど消去法で言って、なにより状況的に、この目の前の男がクリストフという名前の、殿下と呼ばれる立場……つまり王太子であることはほぼ確定と言って良い状況だ。まさかオッガーサ王国の土地で、それ以外の国の王子がいるとも思えないし。
汗が伝う。
現れた騎士たちは、疎い私でも知っているオッガーサの軍服を身にまとっていた。確定だ。彼らはオッガーサの兵。そして言うのもなんだけど、この土地はアズワンドとの国境に程近い。……さっき、クリストフはこう言った。ここはもう遊んでいい場所ではない、と。その言葉の意味は――。
「その娘は?」
「花を摘んでいた。付近の村のものだろう」
「……いえ、殿下。恐れながら、そのような上等な服、この付近の村民は着ないと」
「何……?」
やばい、と思った。適当に誤魔化してしまったけれど状況がより良くない方向へと流れていることだけは分かる。やばいやばい。私がアズワンド出身の人間だと分かれば、問答無用で酷い扱いをされるのは目に見える。加えて、現実がいくら違かろうと、これを理由に戦争ぐらい、起こすだろう。平和ぼけしてきた私だって、そのぐらいのことは予想がつく。
騎士の言葉に、クリストフが私を見る目が厳しくなった。つかまれている腕の力も、強くなったのは気のせいなどではないだろう。
どうしてよりによって、一人の時に。いやそもそも元を辿れば私が一人でうろちょろしたせいだ。ごめんなさいボボさん、ごめん、ピィー。ヴォンデック、三兄弟。お母様お父様、お姉様――!
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
この世のものとは思えない声が響き渡った。騎士たちもクリストフも顔色を変え、上を見ている。空気を叩くような音が聞こえる。太陽の光が直接顔や体に当たっていたのが、一瞬影が出来た。まるで、何かが空を横切ったように。反射的に上を見上げるのと、空から巨大な影が落ちてくるのはほぼ同時だった。
「殿下ッ!」
クリストフの手が私から離れる。騎士たちが一斉に私から距離をとるように後退した。クリストフから少しでも離れようと後ろに体重をかけていたので、バランスをとれず私は尻餅をつく。私の尻が地面につくのと同時に、目の前に一頭の魔獣が降り立った。何本もの花が散った。
喉の奥からひねり出したような唸り声を上げているのは、三兄弟の誰かだ。見た目では判別が出来ない。
「魔獣だ!」
騎士の声が響く。私は地面に手をついて立ち上がった。足が震えて、上手く立てないけれど、なんとか立つことに成功する。
風を切る音がして、圧迫感が迫ってくる。続けざまに再び二頭の魔獣が降り立った。私の前で扇を描くように、三頭が並んだ。内、私から見て右側に降り立った一頭が振り返る。
「大丈夫ですか、嫁様」
「えっと、ダス、さん?」
「ええ。今にボボたちも来ます」
一番丁寧な話し口調だったのでよく記憶に残っているダスらしき一頭に返事をすると、こくりと彼は頷いた。どうやら名前はあっていたようだ。良かった、半ばあてずっぽうだったんだけど。
一方で、相手側から見て、どう考えてもこの状況はよくないものだった。
「魔獣がこんなところまで来るとはな……仕方あるまい、討伐せよ!」
「応!」
クリストフの発言にぎょっとする。騎士たちが剣を抜いた。
まずい。討伐、という言葉に厭な想像しか出来ない。
ダスさんたちは強いだろう。でも、でも。
「ダスさんッ!」
「舐めてくれたものだ、なあガス」
「そうださぁ。そんな鈍らで俺たちを殺そうなんて笑えちまうさぁ。なあボス」
「全くだぁ」
三頭の口が大きく開く。後ろから見ていても分かる。口の中に並んだ大きな尖った歯。騎士たちがそれに怯えた。べろりと歯を撫でているのは、人間のものよりもずっと分厚くて力もあって長い、舌だ。唾液が舌から歯に伝わり、重力に従って落ちる。
一触即発。
それを止めたのは再び頭上から降り注いだ声だった。
「待ちなさい」
聞き覚えのある声に今度こそホッとして、空を見上げる。騎士たちが「と、飛んでいる」「翼!?」「女」と驚きの声を上げる。まあ確かにボボさんは翼さえなければ、見た目は確かに人間なのでうろたえるのも分かる。足から力が抜け、私は花畑に座り込んだ。
とん、と空に浮かんでいた足が地面についた。三兄弟が並んでいる場所より少し奥、クリストフたちに一番近い場所に降り立ったボボさんはこちらに向けられている剣に眉を寄せる。
「武器を下ろしていただきたい。こちらに攻撃の意図はない」
「その魔獣たちをつれておいて?」
クリストフが、今だ開かれたままの三兄弟の口を見て鼻で笑った。
「彼らは、貴方がたが彼女に攻撃するような素振りを見せたから攻撃の態勢になっただけ。防衛反応だ。生物として、当然だと思うが? 貴方がたが攻撃をしないのであれば、すぐに口も閉じるし、攻撃などしない」
ボボさんはそこで口を閉じて、じっと騎士たちを見た。騎士は困った顔でクリストフに視線をやる。クリストフは片眉を上げた。その顔はやはり厳しいままだ。
「お前の言葉が真実であるという保障が何処にある」
ボボさんがため息をはいた。
「こちらはただ、花畑に遊びに来ただけ。お前たちが何をしていようと、人間の営み。興味はない。帰れと言われればすぐに帰る。――――ダス! ヴォンデックたちの所へ!」
「失礼いたしますよっと」
「えっ? えッ!?」
ダスがそう声を上げたかと思うと、彼の長い尾が私の胴体にまきついた。そして翼が広げられる。何事、と叫ぶ暇もない。大人二人分はあるかという大きな翼が即座に風を掴んだ。
気付いた時には、私は空中に飛びあがっていた。私の胸の下、胴の部分にきつく巻きついた尾だけが私を支えている。体は横で、上を向いた体制で飛ばれたため、地面を見る余裕はあまりない。飛びあがって数秒後にほんの僅かに首を捻って下を見た時には、既にクリストフたちは点になっていた。飛びあがったダスに続いて残りの二人も飛んできている。ボボさんはまだ地面にいた。
そこまで見た直後、ダスが思い切り方向転換をしたものだから、私の視界はぐるりと一回転し、気持ち悪さから目をつぶった。これ以上は酔う。いや既に酔っている。ぐるりと脳みそをかき混ぜられたような感覚に口を手で覆う。流石に空を飛びながら吐くのは勘弁したい。目を瞑り、必死に時間が過ぎるのを待った。
どれくらい飛んだのか、定かではないがキュォオオオオオオ! という形容し難い高音の音が聞こえてきた。
「坊ちゃんだなぁ」
風邪の音の合間でそんな声が聞こえ、どういう意味か聞こうとした。だが飛ぶ速度はあまりに速いし、とてもではないが口を開いたところで相手に私の声が届く状況ではない。
地面が先ほどより近い、と認識した時には速度が落ちていた。
「ファリダーーーーー!」
「ピィーーーーーー!」
色とりどりの花畑の中、真っ白な塊を見つけ、私は安心から大声で名を呼んだ。ダスさんが高度を下げる。ピィーの横にはヴォンデックも居た。バサリ、バサリと羽の音が聞こえ、私は残り一メートル、という辺りでまきついた尾から開放された。どさりと花畑に落ち、私の体重でつぶされた花弁が巻き上がる。
「ウワァーーー! ファリダ怪我ない? 何も痛くない? 大丈夫?」
「怖がっだ!!!」
クリストフたちも怖かった。ついでに空を飛ぶのもかなりの恐怖だった。私は駆け寄ってきたピィーの体の埋もれながらワンワンと泣き喚くのだった。
◆ファリダ
一人で行動はしないと心に決めた。
反省。
◆ピィー
ボボに指示だされてヴォンデックと待っていた。おそらくピィーとボボの立ち位置が逆だったなら三兄弟に下された指示が全く逆になっている。
おこ。
◆ボボ
一人取り残されたが普通に強いので攻撃されてもいなせる。一番話術的にも対応が出来る。自分の監督不行き届きと反省した。
◆ガス、ダス、ボス
いろんな意味で功労者。見た目はどうしたって怖い。
◆ヴォンデック
明るくさわやかな性格のユニコーン。ある意味ユグドラシルの妖精の中で一番ファリダからの尊敬を集めている。ウインク決めれるタイプのユニコーン。
◆お義父様
帰ってきたら義娘が目元赤いし息子がおこだしなんだ? と思いながら耳に花冠をかけられる。頭に載せるサイズを作るのには人間界の花には無理があった。
◆クリストフ
オッガーサの王太子。
彼の周りにはいやな予感が漂っている。