魔獣の国に嫁ぎました02
私の名前はファリダ・ミゲル・コンデ。
魔獣の国にいるピィーという名前の、小さなもふもふ魔獣の妻である。生まれは隣国(と言って良いのかわからなくなってきたが)アズワンド王国のコンデ伯爵という小さな貴族の家に生まれ育った。何不自由なく暮らしていた私であったが、七ヶ月前にちょっと色々あり、現在は行き来の―――少なくともアズワンドの常識では―――楽ではない魔獣の国へとやってきた。魔獣の国は現地ではユグドラシルと言い、魔獣たちは自分たちのことを妖精と呼んでいる。彼らは寿命が人間より遥かに長いもの、或いは極端に短かったり、死んでるだか生きてるんだか分からない存在だったり。様々だ。簡単に纏めると、アズワンド王国ひいては人間の常識は魔獣の国の非常識ということだ。うん。この一文があればとっても分かりやすい。とはいえ、七ヶ月過ごしてきて徐々に私自身も非常識…………ユグドラシルの常識に染まってきたと思う。既に二割ぐらい染まったという自覚はある。それを自覚するのは大抵、家族からの手紙を読んでいる時だ。
ユグドラシルとアズワンド王国の間には、円形山脈と呼ばれる高く厳しい山脈が聳え立っている。人間世界ではただ山脈とか円形山脈とか呼ばれているこの山脈は、ユグドラシルでは「根の山」と言うらしい。大陸の北の国ではあの世のことを「根の国」と呼ぶ国もあるらしいが、どうやらそれとは無関係なようだ。あの世とこの世の狭間とか、そういう意味はサッパリないらしい。根で出来ているから根の山なんだとか。夫ピィーの世話役でもあり、私が嫁いできてからはもっぱら私の世話役でもあるボボさんがそう教えてくれた。ボボさんは背中に羽の生えた人間に極めて近い姿をした女性の妖精だ。やっぱりとても長生きだけど、他の妖精に比べて人間世界に理解がある。なので私が困惑していたりするとすぐに気付いて説明してくれるのだ。ただ、その説明がどうにも妖精くさいのはもう、仕方がない。だって彼らにとってはそれが常識なのだ。当たり前なのだ。私も時折、ピィーに聞かれて人間世界の話をするけれど、途中に「ねえファリダ、どうしてそうなるの?」とか聞かれた時は上手く答えられない。例えばお金だってそうだ。時間の数え方だって、一年の数え方だって。決まっているけれど、誰が最初に決めたのかとか、それが正しいのかとか言い出したらキリがないのだ。要は思い切りの良さだったのではなかろうか。私は「そういうものか」と諦めて受け入れた。お陰で楽しく楽に過ごせている。
さて、嫁いで七ヶ月な訳だが、ひと月前から新しい試みが始まった。それは家族との文通だ。先にも言った根の山の向こうにいる家族との文通の橋渡しをしてくれるのは、ボボさんだ。ボボさんの背中に生えている羽は、険しい山脈をひとっ飛びして手紙を届けてくれる。ひと月前に一回。そしてつい三日ほど前に二通目となる手紙を送り、今日ボボさんが返信を持って帰ってきた。
「ファリダっ、遊ぼうよ~」
「手紙を読んでからね、ピィー」
「ええ~~遊ぼう遊ぼう」
ピィーのサイズは大体、中型犬から大型犬の間ぐらいの大きさだ。しかし見た目はもっふもふ。白色の毛玉にしか見えない。触ったことがあるので違うと分かってはいるのだが、足がほんの数センチしかないのではないかと錯覚するほどに長毛でその上見るからにふわもふした毛をしている。大きくなったらお義父様のような姿になるらしいのだが、今の姿からは全く想像が出来ない。重さも意外とあるため、あまり力のない私にはこの子を持ち上げる事は出来ない。しかし倒すぐらいは出来る。
しゃがみ込んだ私はピィーの身体に上から抱きついた。ピィーが楽しそうに鳴き声を上げる。そのまま「えいっ」と勢いをつけて体を転がす。走ると結構な速度を出すピィーだが、転がって移動するのも好きなので特に抵抗なく仰向けになった。ピィーのおなかの部分に顔をうずめる。
「あ~ふわふわ……」
「ファリダ何してるの~?」
四本の足がチョコチョコと動いている。その動きも可愛らしいとしか思えない。
殆ど毛ではあるが、おなかの辺りを撫でる。するとその感触も感じているのか、ピィーは気持ち良さそうな鳴き声を上げた。一応この鳴き声も言葉らしいのだが私には分からない言葉だ。それを繰り返していると、ぷー……という寝息が聞こえてきた。
「ファリダ様? 坊ちゃん? 何をなさってるんですか」
「ハッ、ボボさんシーッ!」
タイミングばっちりに廊下に現れたボボさんに、慌てて人差し指を唇に当てた。ボボさんは廊下で寝始めたピィーを見下ろす。
「……寝てますね」
「寝かしたわ」
伊達に七ヶ月妻をしていないだろうと心の中で自慢げな顔をした。ピィーは撫でられるのが好きだ。もふられるのも好きだが、優しくゆっくり撫でてやるとすぐに寝てしまう。
「悪いけれどボボさん、ピィーのことよろしく。私、私室で手紙読んでくるから」
「分かりました」
ニコリと微笑んだボボさんにピィーを頼みもとい押し付け、私は音を立てないように早足で部屋まで戻った。
私が暮らしているこの屋敷で、私の部屋といえる場所は二つある。
一つは寝室。ここは夫婦兼用のため、ピィーとの部屋、というほうが正しい。
もう一つは机と棚とイスと……人間世界の家具に似せた家具がおかれた部屋。本を読んだり、手紙を書いたりするときに使う部屋だ。お義父様の「一人心を落ち着ける時間もいるだろう」という心遣いによって出来た部屋でもある。ここにもピィーはくるけれど、お義父様指導のボボさんたちによって整えられたシックな色合いの室内、家具、照明といった部屋の雰囲気に当てられるのか、結構静かだ。私はこちらを私室と呼んでいる。
私室に入ると、ボボさんが持ってきてくれた手紙の封を切る。
お父様とお母様からの手紙は内容としては似たようなものだ。私の身の心配―――風邪は引いていないか、怪我はしていないかなどの事。あとは夫と上手くやっているのかなどなど。どちらも有難い手紙であることは事実だが、少し姉の手紙と比べると見劣りしてしまうのが事実だ。
お姉様の手紙はさすが現役で社交界に出ている、といえる。社交界は情報を得る場、お父様もお母様も滅多に行かないのに対して、格上の伯爵家に嫁いだお姉様の情報量は正直両親に勝る。私の手紙はただ近況を綴ったものなのだが、それに対してお姉様は様々な情報を教えてくれた。情報量が多くて少し引く。父や母の手紙が二枚程度なのに対して姉は十枚近くあるのだ。前回のお姉様からの手紙で、私がユグドラシルに来るキッカケとなった幼馴染兼元婚約者が、恋人であった王女様に振られたのは聞いた。別に手紙で聞いた訳ではないのだが、彼ら二人の状況などを含めて事細かに書かれていた。
まずは幼馴染兼元婚約者及び彼の実家である伯爵家。
彼は王女様に振られた後暫くは彼女に縋ったがやはり見向きもされず、仕方なく別の婚約者を得ようとして……盛大に失敗し、そして再び王女様へと縋りだしたらしい。ところが相手にされず、しかもあまりにしつこかったがために宰相たちから王宮に近づくことを禁止されてしまったんだとか。ついでに外出禁止令みたいなのが出て、軟禁状態だという。なので情報もそこまでない、と書かれていたけれどその時の彼の様子など、やけに詳しかった。どこからそんな情報が回ってくるというのか。社交界、恐ろしい場所。
次に王女様であるが……衝撃的だ。
まず、幼馴染兼元婚約者と別れた後に恋をした相手とは破局したとか。元々相手の男性は奥さんを病気で亡くされた方で、子供もいて、再婚のつもりは全く無かったので王女様が望もうが恋仲にはなれなかったそうな。王女様自身がどう思っていたかは謎だが。
で。その後なのだが。な、な、な、なんと! 隣国の国王の後宮へと差し出されたらしい。
この隣国、そして国王、超、癖が強いとアズワンド王国まで噂が届いている。私も多少は知っていたけれど、お姉様が詳しく書いてくれていた。
まず隣国自体だが、彼の後宮には既に五百人に近い女性がいるのだという。というか後宮の土地だけで一つの街が作れるレベルに広いとか。どんなだ。想像も付かない。その後宮に山のように女を入れている。この話だけを聞くと、とても……その……こう、思いが強い人なのかと思うが、そうでもないらしい。かの国においては後宮に多くの女性がいることが男の権力を表すのだとか。後宮の女性の数が多ければ多いほど良い。ただの貴族や金持ちですら後宮を作るというのだ、国王の後宮は巨大にならないはずもない。そんな後宮に王女様は差し出されたのだとか。びっくりだ。で、この後宮。行きはよいよい帰りはこわいではないが、入るは易し、出るは難し。一度入れば後宮の中で一生を終えるしかないんだとか。後宮に入れるのは女性と去勢された男性のみ。国王に目をかけられる可能性が限りなく低い場所で一生生きていかなければいけないのだとか。きついな。後宮の外に出るとしたら、国王が部下に下賜する形でその女性を与えるしかないという。
そして国王だが、性癖が凄いらしい。詳しくは書かれていないが――――『ごめんなさい、ファリダ。私も聞きはしたのだけれど、流石に、ちょっと、言葉にするには憚られる言葉ばかりなの』とはお姉様の言葉だ――――まあそれぐらいヤバイということが伝わればいいだろう。少なくともピィーとの夜(ただ眠っているだけだって? 突っ込んではいけない)と比べれば数万倍やばい。
ただ…………流石に私とてとんでもない世界だとは思うが、如何せんユグドラシルのぶっ飛び具合と比べると……多少かすむ。
まあ、王女様が嫁ぎ先で幸せなのか不幸せなのかは分からない。もし私が何か助言できるとしたら次のように言うだろう。
「”私の常識相手の非常識”を心がければ余裕ですよ!」
と。
さて。そこで丁度一枚が終わっていた。ここまで何枚の紙が使われていたのか。その辺りはご愛嬌だ。次が最後か、と紙をめくろうとした時、私室のドアにドンッと何かがぶつかる音がした。
びっくりしてドアに振り返る。断続的にドアにぶつかる音。その原因で思いつくのはピィーだけだ。だが、普段ならしない行動だ。
私室のドアノブは私に合わせてあるため、ピィーには高い。ピィーは二足歩行が苦手なのだ。よってジャンプする、とかいっても難しい。普段ならばボボさんがいれば彼女に、他の妖精がいれば彼らにあけてもらう。誰もいなければ外から「ファリダー! あけてー!」と声をかけてくるのでこのように突撃することはない。
「ピィー?」
手紙を置き、ドアを開くと白い毛玉が私に突撃してきた。初日の初対面を思い出しながら地面に転がる。私室の床は柔らかい絨毯が部屋中敷かれているので倒れこんでも痛くは無い。
倒れた私はピィーを見上げた。どうしたの、と口を開くよりも先にいつになく咎める声色のピィーの言葉が飛んできた。
「ひどい」
「え?」
「ひどいよっ。僕はファリダと遊びたいのに!」
ピィーの小さな足が私の両脇の所に納まり、その黒々とした瞳が私を見下ろした。その瞳は心なしか潤んでいる。
「なのにファリダは手紙のほうが大事なの? 美味しくもないのに!」
そこで美味しいとかが大事なのか、と心中突っ込む。なお”手紙”というものが美味しいのかあまりにも五月蝿く聞くのでこの前軽くピィーへの手紙を書いて渡した。ピィーは食べた。食べた後、一言。「美味しくない」と言った。当たり前だろう。食用の紙があれば別だが、紙もペンのインクも、食べるためのものではない。
文句を紡ぐ口が動いているのが見える。口の中は当たり前なのかもしれないが赤い。なので白い毛の間から、黒い瞳と赤い口だけがぽっかり浮かんでいるようにも見える。
それをぼうっと見つめていたらやはり何時になく厳しい声が飛んでくる。
「ファリダっ! 聞いてるの?」
「聞いてるわ。眠らせたことを怒ってるの?」
「そうだよ! そんなに手紙が好きなら僕だってオットだもん、ファリダが読んでる間、大人しくしてるぐらいできるのに! ファリダ、僕を眠らせて廊下に放置したでしょっ、ひどい!」
「……ごめんなさい、そうよね。ピィーは子供ではないものね」
「! そうだよ! 僕、子供じゃないもん!」
自分は子供ではない。そう訴えるピィーは、もし人間であれば胸を張っていそうだ。自分は子供ではない、と訴えれば訴えるほど子供にしか見えないのだが。そういうところも可愛いものだと、この一応年上の可愛らしい旦那様の顔に手を添える。
「手紙は読み終わったわ。遊びましょう?」
「! うん!」
先ほどまで少し潤み怒っているような顔(とはいえ人間のような顔ではないから分かりにくいが)をしていたというのに、遊びに誘うと一転してしまう。こういうところが可愛らしいのだが、言うとまた機嫌を損ねるかもしれない。なので私は机の上の手紙に一度視線をやりながら、ピィーとともに私室を出た。
◆
『――――それから、どうやら近々わがアズワンド王国は、隣国のオッガーサ王国と戦争になるようです。それを考えると別の国に嫁いだ王女様はシアワセだったのかもしれないわ。ファリダ、貴女は魔獣の国にいるのだから安全だと思うけれど……。私たちは大丈夫よ。お父様もお母様も、どちらも騎士の家ではありませんし。嗚呼もしかしたら夫にお声がかかることがあるかもしれないわね。ライハンは以前騎士団に所属していたこともあるから。とはいえ、一度退団したライハンを使うようなことがあれば、この国も終わりかもしれません。そんなことはないと願っています。幼馴染兼元婚約者は一応、騎士団見習いの地位はあるようだから戦争へ行くのかも。どうかしら。それから――――』
◆ファリダ
ユグドラシルに嫁いだ人間の少女。コンデ伯爵家の娘。わー、気付いたら一ヶ月経ってる~(メタァ)。ピィーとは仲良し夫婦。私室は癒しの場。
◆ピィー
ファリダの夫のもこふわ妖精。今回ちょいおこ。優しく撫でるとすぐに寝る。自分は子供じゃない、って言えば言うほど子供に見えるんだよ……。
◆ボボ
羽の生えた妖精。ファリダの生活には不可欠なお世話係兼フォロー係。ユグドラシルの常識説明とかもしれくれる。
◆お義父様
今回未登場。ピィーの父。人間の心が分からないなりに、全く違う生き物だということは分かっているので息子に比べればフォローが出来る。
◆ファリダの姉
手紙だと口の悪さが少し押さえられる。なおファリダは姉が口結構悪いことを知ってる。というか姉の悪さが少し移って心の声はお穣様口調じゃない。伝えたいことが多すぎて手紙が分厚くなりちょっと引かれた。
◆ファリダの両親
ごく普通の貧乏伯爵夫婦。子供のことばかり気遣う手紙を書いてるのだが、姉の手紙の印象が強すぎてはしょられた。内容が夫婦でだいぶ被ってるせいもあり。長年一緒に暮らしていると思考も似てくることがあるのである。
◆幼馴染兼元婚約者
謹慎中……。
◆王女様
なんということでしょう。