お嫁さんが魔獣の国に来るそうです
ボボという名の女は、ユグドラシルに住んでいる妖精の一人だ。背中に翼を持っている人型の妖精で、ユグドラシルの南西部の自然を護っている”大旦那様”のお世話をしている。
大旦那様の元で彼の世話を始めたのは五百年ぐらい前だ。大旦那様の体はその身に抱える巨大な力を抱えるためか、たいそう大きい。となると細々としたことをする存在が必要だ。外つ国ではそういうのを使用人と言うそうだが、ユグドラシルではそうは呼ばない。大旦那様の世話をしている妖精たちは誰一人として金銭で雇われているのではない。ただそうしたいから大旦那様の下で働いているのだ。
ユグドラシルには大旦那様のような存在が幾人か存在しているが、妖精たちはこぞって彼らの役に立ちたいと願う。ユグドラシルの「母」であるのは「樹」だが、大旦那様のような存在は「父」とも呼べる。彼らがいることによってユグドラシルは護られ、妖精たちは生活することが出来るのだ。
そうであれば、彼らを助けることに。支えることに。意味など必要がない。また、そもそも前払いで山のようにお金を貰っている状態なのだから、新たに金銭或いは金銭の替わりを貰う理由もない。
そうして大旦那様の身の回りにいるようになって、五百年の間に色々なことがあった。
例えば大旦那様が外つ国に遊びに行くといって出て行ったこともあったし、南東部と南部の喧嘩が五月蝿すぎて仲裁しにいったこともあった。大旦那様は気まぐれに子を作ることがあったのでその世話をしたこともある。通常、ユグドラシルでも子供を作るときに「父」と「母」が要るのだが、大旦那様レベルの存在になると一人で子供を作ってしまう。正確に言うと、自分の力と「樹」の霊脈から流れ出る力によって子供を作ってしまう。ユグドラシルで生まれ育つ妖精と言えど、「樹」から流れ出る霊力を直接その身に纏える存在は殆どいないので、大旦那様のような方法で子作りをするのは珍しい。
今いる「坊ちゃん」はボボが知っている限りでは三人目の子供だ。
透き通った膜から坊ちゃんが生まれた日を、ボボはよく覚えている。有難いことに坊ちゃんのお目付け役の一人を頼まれ、坊ちゃんが生まれてからはそれこそ歩けないので転がって移動していた頃から、彼のことをよく知っている。
そんな風に大旦那様に加えて、坊ちゃんの世話が始まって三十年ほど経過した時、山脈付近に暮らしているガスとボスとダスという三兄弟から不思議な連絡が入った。
ガスとボスとダスは外つ国とユグドラシルの間にそびえる山脈、ボボたちは「根の山」と呼んでいる場所に暮らしている。
この山の名前の由来だが、単純に山脈の正体はユグドラシルの「根」なのだ。根が盛り上がって外つ国との間に壁を築いている。外つ国にすむ人間たちにはとても越えられないような壁だ。
山脈で暮らしている三兄弟はボボとは違う膜のような翼を持ち、口は長く尖っている。尖った口にはギザギザの歯がついていることから分かるように、特に食べ物にこだわりのないボボに対して三兄弟は肉食だ。山脈に家畜を飼っていて、それを食べて暮らしている。のだが、その日現れた三兄弟はガスとボスが口周りを血まみれにしていて、しかもその血は微妙に家畜のものとは臭いが違って…………なんだ、と思っていると唯一口周りが汚れていないダスがなにやら咥えて運んできたものをボボに渡した。
「外つ国からの手紙のようで」
「外つ国? そんなもの何処で」
「根の山でさぁ。なぁボス」
「ああガス。山を飛んでたら、山頂付近に人間どもがいたんでさぁ。二十人くらいさぁ?」
人間。その言葉を聞いてボボは嫌な予感がした。
手紙から視線を挙げて、人間を見たという二人を見る。
「ガス、ボス。お前たち、口周りの血は、なんの血だ?」
「にんげ~ん」
とガスとボスの声が揃った。
横にいたダスが申し訳なさそうな顔をしている。
ボボは眉間にしわを寄せた。
怒られると思ったのか、二人は慌てて弁解をする。
「あ、でもでも。いたの、通路じゃなかったさぁ。な、ボス」
「嗚呼。通路だったら俺たちだって食べなかったさぁ」
「人間を食べると怖がられるからあんまりするなって大旦那様からの言いつけがあっただろこんのバカ兄弟!」
兄弟を叩くダスを見ながら、わずかに首をかしげる。
通路というのは、ユグドラシルと外つ国をつなぐ道のことだ。大旦那様が遊びにいき外つ国に迷惑をかけた。その時にだいぶ外つ国の様子が変わっていることが発覚したのだ。そんなこともあり、最低限は外つ国の様子を見れるように。また、山脈を超える力を持たない外つ国の人間のために、安全にユグドラシルに来ることが出来る道が作られていた。
とは言っても、ユグドラシルに着いたあとの保証は特にされていないし、ユグドラシルは外つ国のような形の経済は成り立っていないので人間にとっては利益より不利益ばかりが目立つ。よって、最後に使われたのはだいぶ前ではあるが、それでもあそこはしっかりと繋がっているはずだ。
「なぜ通路を使わなかった……?」
「じ、実はボボ。…………通路、その。……埋まってて」
「は?」
ダスからの報告に、驚いて変な声を出してしまった。それにビビったダスはボボのものとは見た目の違う羽を縮こまらせながら言った。
「オイラも気になって見たんでさぁ。そしたら通路の入り口が岩で塞がっていたから、多分、それで使えなかったんだと……」
「……ガス、ボス、ダス。通路の被害状況をしっかりと確認してきて」
「あいあいさー!」
声をそろえた三兄弟が飛び去る。それを見送りながら、ボボは頭を抱えた。
通路が岩で塞がっていた。その岩にボボは心当たりがある。
ユグドラシルには年二回、雨季がある。この雨季はひと月ほど雨が降り続くものだ。今年の最初の雨季で、一部山脈の地盤が緩くなっているらしいことは把握していたが、ユグドラシル側では特に問題はなかった。まさか、外つ国側で問題が起きていたとは。あまりに使われないせいで入り口が塞がっている、気付かなかった。
となると、人間たちは久々に使おうとした通路がなく、それでもボボが持っている手紙を届けるために山脈を超えようとして、運悪く腹ペコだったガスとボスに見つかり…………。哀れにも襲われたのだろう。
しかしガスとボスを責める訳にもいかない。人間心で考えれば酷いことではあるが、妖精同士ですらたまに起きることだ。
妖精はそれぞれが大きな力を持つために、意図せず他人に不利益を被せることもある。時には殺すこともある。
ただ、死んだ処で妖精の魂はユグドラシルにある「樹」に戻り、再び生まれてくるだけなのでさほど問題にはならない。
一方で人間の魂も妖精と同じようなサイクルで生まれ変わってはいるようなのだが、妖精に比べてそのサイクルへの理解が浅いらしい。また一回一回の生への執着が異様に強い。弱くすぐ死ぬからだろうか。
妖精たちは一部を除き死なない限りは半永久的に生きれることもあり、命を賭すことを大事とは考えない。また生まれてくればいいのだから、死ぬ時は死ぬ。そう考えるのだ。
ボボは妖精の中でも人間の考えが分かるほうだ。そうであるように教育を施されているからではあるが。
人間にとって、根の山を山頂付近まで登るのは大変だっただろう。ガスとボスが見たのは二十人ほどだと言っていたが、途中に死んだ人間も沢山いるはずだ。それほどに根の山は、人間には過酷な環境である。そんな過酷な環境を通った結果が――――ガスとボスに食われたという事に同情を寄せつつ、自分が彼らにできることはこの手紙を大旦那様に届けることだけだと冷静に判断した。
大旦那様はガスたちが人間を食べたことは特に咎めなかった。その代わり迅速に通路を開通させろ、とその場にいた別の妖精に命令した。明日か、遅くとも明後日には通路は開通するだろう。もう二度と悲劇が起きないことを祈るばかりだ。
人間からの手紙は長かった。妖精には理解できないが、それが外つ国のマナーであることは分かっていたので、要点だけまとめると以下のようなことだ。
どうかアズワンド王国を攻めないでほしい。その代わりに嫁を差し出す。嫁は自由に扱っていい。
何故嫁、と首をかしげる大旦那様や仲間たちに、ボボは外つ国では交渉事などで他国に嫁を差し出して人質とする文化があることを話した。
「ふむ。それで、嫁を差し出す代わり我々に、外つ国を攻撃するな、と言うのだな」
「そのようです」
「しかし分からん。その文脈であると、我々が外つ国を攻撃しようとしているようではないか」
「それは……私にも分かりませんが……」
ある程度理解があるといえど、相手の心が読める訳ではないのでその辺りは不明だ。
実はアズワンド王国側では盛大なる勘違いが発生しており、このような手紙が来ることになったのだが、ユグドラシルの妖精たちがその勘違いを察することはなかった。
「ふむ。ならば受けよう。ガスとボスが人間を食べてしまったのだから、対価として向こうの要求を飲んでも構わんだろう。……しかし嫁ならば婿がいるな」
そう言った大旦那様は屋敷の外の庭で転がって遊んでいる坊ちゃんが視界に入った。
「……ふむ。息子の嫁でいいか」
「えっ、坊ちゃんですか?」
ボボも庭を見る。父である大旦那様に比べて小さな、綿の塊のような尻尾を振りながら一人遊びをしている坊ちゃんがいる。
大旦那様が深くうなづいた。
「あれももうそろそろ、精神を成熟させてもいいだろう。そうでなくとも、人間と触れ合うことはピィーの学びになるだろうさ。ボボ、手紙をかけ。外つ国では普通返信をするのだろう」
「了解いたしました」
大旦那様がそう決めたのであれば、ボボには拒否する理由もない。
そうしてボボは承諾の手紙を代筆し、足の速い妖精に手紙を託した。
坊ちゃんの嫁として、一人の人間の女性をボボが迎えに行くことになる数か月前のことだった。
●ボボ
羽の生えた人型(天使型)の妖精。大旦那様の元で仕事をし始めて五百年ぐらい。人間情報に詳しい。
●大旦那様
ユグドラシル南西部を守っている妖精。大きい。
●坊ちゃん/ピィー
大旦那様の子供。
●ガス、ボス、ダス
山脈に暮らしている三兄弟。肉食。一番冷静で真面目なダスが居なかった事、またガスとボスが空腹だったのが使者たちの不運。
●二十人ぐらいの人間たち
ガスとボスに美味しく頂かれてしまった。王命で手紙を届けるために死ぬ覚悟で通路へ行ったら塞がってて、それでも帰れないので必死こいて山脈を上ったというのにこの仕打ち。当初はもっと仲間がいたが山脈の厳しさに次々に脱落していった。もし「ガスとボスが空腹ではない」「ダスも一緒」の条件を満たせていれば、食べられることなく、むしろ背中に乗せていってくれた。運が悪すぎた。
ボボが同情して食べられた人+途中脱落者の遺体とか遺品を集めてくれたので遺族に遺品は届いた。ボボが居なかったら多分そのまま放置されていた。
●妖精
にんげんのかんがえてることむずかしい。
分かりあうのってむずかしい。
しかし人間を完全に理解できないと対立するので、たいてい何割かは人間のことを勉強して理解する担当がいる。ボボもそれ。