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【再掲】魔獣の国に嫁ぎました  作者: 重原水鳥
短編形式投稿時の作品群

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1/8

魔獣の国に嫁ぎました01

 私の名前はファリダ・ミゲル・コンデ。アズワンド王国のコンデ伯爵家の娘である。年齢は今年で十八歳になる。


 さて。伯爵と言っても、わが生家であるコンデ伯爵は、伯爵の中でも下の上。いや、嘘だ。辛うじて下の下ではないが、それぐらいだろう。

 しかし貧乏であった訳ではない。父母姉との四人が生きていくのには十分なお金はあった。数は少なくとも執事、メイド、料理人などもいた。更に姉には優しい上流伯爵の家系の婚約者と結婚し、私も中流伯爵ではあるが家ぐるみで仲の良い幼馴染兼婚約者がいた。幸せだった。


 ところが。


 なんと、驚いたことに。私の幼馴染兼婚約者様は、王女に一目ぼれをされてしまったのだ。我が家ではこれを通称「一目ぼれ事件」と呼んでいる。

 詳しいことは知らない。社交界で出会ったのだろうとは思う。コンデ家は裕福とはいえなかったので、社交界にもそこまで顔を出していない。幼馴染兼婚約者が出る時は大半が一人で行っていたようだ。

 それに貴族と言えど、私は下流伯爵の娘。王女様なんぞ遠すぎる存在だ。王城だって、成人の儀で招かれた時しか入ったことがない。なので想像力も足りなかった。一目ぼれをされたから、何が起きるのか分からなかったのだ。今だって分からないが。婚約者(かれ)が将来的にどうなるのか。王族になるのか? まさか奇跡的成り上がりで国王になったりするのか? そういった詳しいことは知らない。

 だがとにもかくにも私はその一目ぼれ事件のせいで、ひっどい目にあったのだ。


 まず、幼馴染兼婚約者から婚約破棄をされた。


 次に、その理由は私にあるとして冤罪(私が王女様に嫌がらせをしたとか、なんとか)をふっかけられた。全て事実無根だ。


 加えて、このまま私が国内にいるのは嫌なのだろう。その罪を許す代わりに、山を越えた向こう側に広がる魔獣の国へ嫁げ、とのお達しだ。しかも国王陛下から勅命の。


 (冤罪の)罪を許してやるから国外へ行け? ちょっとよく分かりませんね。


 などとは、口が裂けても言えない。

 なにせ相手は王族、こっちは伯爵界隈の隅っこに生息している下流伯爵家の娘である。


 父も母も、すでに嫁いでいた姉も心配してくれた。が、もう私は考えるのも面倒になってその提案を受け入れた。こっちにはなんの後ろ盾もない。私には物語の主人公のように、特別な力を使える血なんて流れていないし、先祖は平凡な貴族で、王族や公爵様などに一目ぼれされる容姿もない。

 魔獣の国は恐ろしい噂も多いけれど、仮にも他国から嫁いできた娘を殺すことはないだろう。そう祈るしかない。そうであると自信があった訳ではないが、このまま国内にとどまったとて、今までのように生活することはムリだ。その上家族にだって、既に嫁いではいるが、姉にだって迷惑をかけてしまうだろう。それはいやだ。


 というわけで、私は家族に別れを告げて魔獣の国へと乗り込んだ。



 ◆



 魔獣の国とは我らがアズワンド王国の北東に広がる山脈のむこうがわの国だ。

 正確にいうと。私たちの国がある大陸の中央部分は円形に山脈が連なっていて、その山脈の内側の世界のことを魔獣の国と呼ぶ。この魔獣の国には、山脈の外側に暮らす我々人類を遥かに凌駕する力を持った魔獣たちが暮らしている。

 魔獣という俗称は人間が勝手に呼んでいる…………彼らからすれば蔑称で、彼らは自分たちのことを「妖精」と呼び、魔獣の国のことは「ユグドラシル」と呼んでいるらしい。


 らしい、というのは嫁ぐためにやってきた迎えの馬車の中で、私の夫となる人物…………の、父の部下だという女性が説明してくれたのだ。


 女性は人型だった。魔獣の国の人間だ、と怯えていたので少し肩透かしを食らった気分だ。もっと怖い見た目の者が来ると思っていたのだ。

 変わった処といえば、背中の翼だ。背中に鳥のような翼が生えているのだ。「痛くはないの?」と聞いたら笑いながら「痛くなどございませんとも」と返事が返ってきた。彼女の一族は、皆生えているらしい。

 女性と相乗りとなった馬車を引く馬も、普通の馬ではない。その額には一メートルはあろうかという長い螺旋模様の角がついている。「ユニコーン」という名前の馬なんだとか。アズワンド王国にはいない馬だ。しかも体のサイズもでかい。そして美しい。

 凄いもので、ユニコーンは何時間も走っても疲れないらしい。コンデ家を出発してから私のための休息以外休むことなく、ずっと軽やかに走り続けていく。どうやらサイズだけでなく、体力もこちらの馬とは違うらしい。さすが魔獣の国の馬。こちらから魔獣の国に行くなら片道一週間はかかるとも言われる道を僅か一泊二日でユニコーンは走って見せた。道中には人間やこちらの馬では越えられないといわれるあの山脈もあったが、丘を越えるような感覚だった。もしユニコーンがアズワンド王国にいたりしたら、大人気だっただろう。美しく、その上力も体力も強いのだから。


 一泊二日という短い時間だったことも幸いし、旅自体はそこまで疲れなかった。ずっと座ってはいたけれど。それに女性が終始面白い話をしてくれたお陰で緊張も和らいで魔獣の国へと入ることになった。


 夫となる人物がいるという屋敷はとてもとてもとても大きな屋敷だった。サイズも驚きだったが、どちらかというと、建築様式的に、アズワンド王国とそこまで差のない建物が建っていることが驚きだった。魔獣の国は原始的な世界だ、と言われていたから。冷静に考えると、今まで魔獣の国へ行って帰ってきた人間は殆どいないのだから、絵本や本で語り継がれている魔獣の国の描写がどの程度正しいのかは疑問を抱いてしかるべきだったのだろう。全っ然疑問なんて持ってなかったけれど。

 しかしまあ大きさにびびってしまったのも事実だ。女性との会話で消えた緊張も帰って来てしまった。帰ってこなくて良かったのに。


 心臓を色々な意味でドキドキしながら私は女性に案内されて中へと入った。広い広い広い。ここは城か? と間違うほどに広い玄関ホールが広がっていた。

 平然としている女性の様子から、普通なのが分かる。彼女に案内されて奥へと入っていく。

 少し歩いた先にあった、幅のひろーい廊下を歩いていると前方から白い毛玉が走ってきた。正面から見るとただの毛玉でしかないが、どうやら四速歩行の生き物のようだ。胴らしき部分もある。犬と言うには毛深過ぎるし、耳も尻尾もない。魔獣なのは確かだろう。

 その毛玉が現れたことに「おや」と女性が声を漏らすのと、毛玉が私に向かってくるのは同時だった。え、と思った次の瞬間にはぶつかった。


「きゃあ!?」

「わっ、ん!?」


 突撃されてよけれるほど私は運動神経はよくないし、思ったより大きな毛玉を受け止める力もない。そのまま倒れこんだ私は思い切り腰を打った。

 ううう、と痛みで呻くと、毛玉が動いた。毛先がくすぐったい。毛の感じが実家で飼われていた犬のようだ、と思った瞬間。その毛の隙間から、こぶしサイズの目玉がのぞき、ヒュッと息をのむ。二つの黒々とした目が私の顔を覗き込んでいた。本来あるはずの口や鼻はよく見えない。やはり毛深すぎる。さわり心地は柔らかすぎず、芯のある感じで中々いい、などと心底どうでもいいことを思った。

 毛玉の向こう側から、女性が私たちを覗き込んだ。女性の羽が毛玉をつつく。毛玉の意識は私から女性に移ったようで目玉は見えなくなった。


「こら坊ちゃま、お嫁様を脅かしてはいけませんよ」

「ぼっ…………嫁!?」


 女性が笑いながら声をかけると、毛玉の目玉はまた私を向き、顔を左右にかしげる感じで揺らしてからどいた。

 私はというと、「嫁」というワードに驚愕していた。この場で性別が女性であり「嫁」という単語が似合うのは――――毛玉の性別はよく分からないが――――私と、羽の女性しかいない。そして私はこの国に「嫁」入りにやってきたことを考えれば「嫁」なる人物は私しかいないのだ。そしてそして、目の前の毛玉に女性は「坊ちゃん」と声をかけた。坊ちゃんとは基本的に男性に用いる呼称で。つまり――――。


これ(・・)が夫!?!?)


 毛玉が私を見ている。そして私はというと、あまりの衝撃に動けずにいた。


 そのまま腰が抜けてしまい動けないでいる私を、羽の女性はひょいと抱き上げた。太っている訳ではないが、軽くもないだろう。だが(羽を除けば)人間そっくりな容姿の彼女だが、実態は違うのだと感じる。彼女はそれこそ手紙か何かを持ち運ぶかのような気軽さで私の身体を抱き上げた。歩いている間もちっとも苦にするような素振りもない。私を運ぶ女性の足元を毛玉がちょろちょろと動きながら着いて来る。短く見える足を小刻みに動かして着いてきているのだろうか。

 先ほどの廊下から一分もかからず着いたのは、扉だけで「どこの巨大ホールの入り口だ!」と突っ込みたくなるサイズの部屋だった。女性が扉の前に立つと、独りでに扉が動き開いた。中は成人の儀で一度だけ赴いた王宮の謁見場を思い起こさせた。豪奢さは王宮より劣るが、黒や茶色といったシックな色合いが一面広がっている部屋には重厚な雰囲気がある。天井の高さも二十メートルはあるだろう。

 女性が一歩踏み出すとともに、身体を空気に押しつぶされるような感覚が襲ってきた。百メートルはあるかという奥行。その奥に、足元にいる毛玉とは比べ物にもならない存在がいた。巨大な巨大な毛の塊。いや、生き物。その存在から発されている…………これは、なんといえばいいのだろうか。オーラとでも言えばいいのか、ともかく凄い。女性は普通に室内を歩いていくが、一歩ずつその存在に近づいていくうちに私の四肢は中心から順に凍りつくようだ。

 女性の足元にいた毛玉が、元気良く飛び出すと走っていく。すると大きな大きな白い毛の塊に見えた中から一部分が動いた。ゆっくりと振り上げられたそれが尻尾であると認識したのは何秒も経ってからだ。

 宙に浮いてゆらゆらと揺れているその尻尾に、じゃれつくように毛玉が飛びかかる。その姿はまるでネコのようだ。ネコっぽさなど欠片もないが。


「大旦那様、坊ちゃまのお嫁様が到着致しましたよ」


 女性がいうと、部屋が振動しだした。巨大な存在が動いたことで揺れたのだと少し遅れて認識する。そんな軽い地震を起こしながら巨体が動く。それを見上げながらアズワンド王国の古い伝説を思い出した。


 <白の巨獣>


 アズワンド王国において魔獣の代名詞であるその名前。嗚呼、その姿はまさしくそうだ。アズワンドの人間で、<白の巨獣>が恐ろしくない人間なんていない。私の体は岩のように固まった。白い毛、なんの動物か分からぬ身体、人間では測ることが難しいほどに大きな身体。女性は、自分たちのことを魔獣ではなく妖精だと言った。妖精という生き物がどんなものかは分からないけれど、やはり妖精よりも魔獣という言葉が一番しっくりくるだろうと思った。


 振り返り、巨体の顔が見えた。敢えて似ている動物を探せば、顔はヒツジに似ていた。けれどヒツジやヤギなどにある角はなく、体中が犬や猫のように毛で覆われている。体型は狼……に、似ているだろうか。ともかく毛が多い。モッフモフだ。大きな顔は口を開いていなかったが、おそらく私一人を飲み込むなど容易いだろう。黒々とした目の大きさは毛玉の、拳大どころではない。私の頭より大きいのではないだろうか。

 その大きさを実感し、固まっていた体が今度は逆に震え始めた。私を抱えている女性は当然気付いたが、ただ単純に大きさに驚いている思ったようで「大きいですけど、怖くないですよー」と言った。いやムリです、とは返せない。

 <白の巨獣>と思われる存在(それ)は女性に抱えられている私を見て目を僅かに細めた。


「何があった」


 聞こえた声は足元から上がってきたかのように低く重い。身が竦む。喉が絞められているような気がする。


(その見た目で人間の言葉が喋れるんだ……)


 と、現実逃避をしながら全く動けない私に対して、怖がるそぶりもなく、慣れた様子で女性は笑い声を上げる。


「坊ちゃまが先ほど体当たりをして驚かせてしまいまして」

「……ピィー……」


 呆れたような声を上げると、<白の巨獣>は器用に尻尾を伸ばす。そして毛玉を持ち上げた。毛玉は逃げようと暴れている。しかしそれは、大人の手を赤子が叩くようなもので、ダメージを与えられてはいないようだ。毛玉を自分の眼前へと持ってくると、それを見下ろして、<白の巨獣>は言う。


「ピィー。我が息子よ、何をしているのだ」


 バタバタと小さな手足を動かしていた毛玉の名前は、ピィーと言うらしい。おかしな名前だ。息子、なのだから”彼”なのだろう。となればやはり、確実に、結婚相手はあのピィーという、よく分からない生き物なのだろう。ほんの僅かだったものの、違うことを期待していたので逃げ場が無くなった。

 毛玉は巨体に何度か揺らされると、変な鳴き声を上げ始めた。私には分からないが、どうやら魔獣の国で使われる言葉のようなものらしい。女性が耳元で教えてくれた。人間からすると何かの音にしか聞こえないのだが、彼らはしっかりと意思の疎通は出来ているようだ。会話が終わったらしく音が止むと、大旦那様は尻尾を振った。その先に捕まえられていた毛玉はこちらへと転がってくる。ころんころんと転がってくるその姿は可愛らしくもある。先ほど突撃されていなければ、その様子はただフワフワのかわいい生き物、と微笑ましく思えただろう。

 突然女性が私を下ろした。しかしまだ腰は抜けてしまっていて、私は床に座り込んでしまう。まさか下ろされるとは思っておらず、咄嗟にえっ、えっ、と女性に縋ろうと手を伸ばすが、それよりも先に毛玉の目が私の目と合った。その瞬間目がそらせなくなる。まるで縄で引っ張られるかのように、毛玉から目がそらせない。黒い丸い瞳はまっすぐに私を見ていた。

 ……間近で見るのは怖いけれど、距離が少しあればそこまで怖くもない、かも。そう感じた。毛玉の目が、つぶらな瞳に見えてきた。


「ごめんなしゃい」


 毛玉が頭(と思われる部分を)を下げた。

 目にとらわれていた私は、突如放たれた人語に呆然としてしまう。いや、巨体が人語を喋ったのだから毛玉も喋れるだろう、と脳内で突っ込む。冷静になれ、落ち着け、と。落ち着ける要素もないが。いやだが、ここで醜態を晒せばそれすなわちアズワンド王国の醜態。いや、なによりコンデ家の醜態だ。落ち着け。落ち着け。

 毛玉はおそらく頭(顔が見えないから頭で合っているはずだ)を下げたまま、たまにちら、ちらとこちらを見上げくる。その拍子に白い毛の隙間から黒い目が覗いた。

 毛玉の言葉に答えることなく放心していた私は女性たちからの視線で我に返り、息を整えると、座ったままではあるがスカートの裾をつまみあげた。カーテーシーのつもりだ。立とうにも足に力が入らず無理だったのだ、これで許して欲しい。


「アズワンド王国、コンデ伯爵が一子、ファリダ・ミゲル・コンデと申します。……先ほどのことは気にしておりませんので、お顔をお上げくださいませ」

「僕、ピィー! よろしくね! ファリダって変な名前だね!」


 言い放たれた言葉に頬をピクリと引きつらせる。変わってるのはそっちの名前だ! 絶対に!!


 ――――これが、私と夫であるピィーとの出会いである。



 ◆



 魔獣の国、失敬、ユグドラシルにはアズワンド王国のような結婚式がないらしい。なので私がピィーと出会ったあの日から、私はピィーの妻となったことになる。成文法として法律が定められている訳でもないようで、書類を書くとかいうこともなかった。ただ、指輪の替わりとして小さな牙を貰った。ピィーの歯なのだという。一瞬「えっ」と思ったが、随分昔に抜けた歯で、綺麗に洗浄もしてあるから大丈夫だといわれた。どうやら婚姻相手に何か自分のもの(牙、爪、羽などなど)を送るのが風習らしい。これが指輪の代わりか……と思いながら、私はその牙をネックレスにして首にかけた。こうすれば無くさないし目立つだろう。私とて、少しぐらいは宝石の指輪とかにあこがれがある。が、言ったところで意味もない。魔獣たちに我が侭を言って怒りを買うよりかは、黙って受け入れたほうがいいに決まっている。

 親指サイズの牙(歯)は今日も私の胸元で揺れている。


 ピィーとの結婚生活は想像の百倍は楽だ。

 ピィーはたんじゅ………純粋な性格だった。子供っぽく、こちらの感情を読み取って気を回したりすることはしないが、私が困っていると言えばちゃんと助けてくれたし、私に懐いてくれて「ファリダ! ファリダ!」と声を上げて私の後をよくついてきた。気持ちはさながら弟を持った姉のような感じだ。実際には私は末っ子なので下に兄弟姉妹はいないのだけれど。

 羽の生えた女性――――ボボさん曰く、ピィーはこれでも年齢としては三十ぐらいらしい。一回りは年上だと言う事実を聞いて驚いたが、魔獣の寿命は長い。人間に換算すると、十六歳ぐらいだろうだと聞いて安心した。十六歳の精神年齢もあるか怪しいとは思うが(私はまだ一桁ぐらいでは、と思う)、年が近ければ気楽に過ごせることには変わりがない。

 <白の巨獣>、否、お義父様は五百歳ぐらいらしい。少なくとも、ボボさんが把握している範囲ではそれぐらい生きているとか。普通の会話の流れで突然爆弾を放り込んでくるのがボボさんの悪いところ。驚きすぎて変な声が出た。あと、<白の巨獣>であることはボボさんからも確認が取れた。「嗚呼そうですね、四百年ぐらい前にそんなこともあったかなぁ」という軽い喋りで。アズワンド王国からすれば本当に、大変な話で、今でも伝わっている恐怖話だというのに、襲った側はあっさりしたものだ。「大旦那様は人間食べませんのでご安心ください」という彼女の言葉を信じるしかない。まあ実際、お義父様は親切だ。私は人間世界の考えからすると失礼なことを、緊張のせいでやらかしたが、それに対して怒られたことは一度もない。いやむしろ、怒っている場面など一度も見たことがない。お義父様は最初に出会ったあの部屋からは出ないらしい。怪我をしているのかと思ったがそうでもなく、あそこで仕事もしているそうだ。私には分からないけれど。


 ……が、そうした様々なことにも、半年も暮らすと慣れてしまった。


 魔獣の国(ユグドラシル)には私たちの常識は通じない。これ大事。


 これを心に刻めば、ユグドラシルでの生活は快適だ。アズワンド王国のような作法を強制されることもない。それを披露する場もない。ユグドラシルの住民たちは、妖精たちは自分の気のむくままに暮らしていた。朝が来るからおきて、仕事をして、食事をして、余暇があれば遊びに行ったり、仲間で集まっておしゃべりをしたり。屋敷にくるものもいる。小さくひ弱な人間である私をバカにするようなものもいなかった。適材適所、できる者ができることをする。そうして暮らしているのだ。

 ある時、とある妖精が家を建て替える、とお義父様に言いに来た。するとその話は周辺妖精たちに広まり、家を作るのにオススメの木材や石材を、森に住むものや力のあるものが集めた。力のあるものがそれを運び、設計の心得があるものが立て替える妖精の希望を聞き、家の組み立てる図面を作った。それに合わせて力のあるものや手先の器用なものが組み立てていく。家は一週間ほどで出来上がった。妖精は出来上がった家を喜び、手伝ってくれたものたちに感謝を告げた。謝礼を支払ったわけではない。ただ「どうもありがとう」と言い、他の妖精たちは「どういたしまして」と言ってそれぞれの暮らしに戻って行った。ユグドラシルにははっきりとしたお金の概念がない。これがお金だ、というものもない。それでもこうして生活が成り立つというのは、本当に不思議であるとしか言い様がなかった。

 ちなみに。自由きままに暮らしている彼らにも、一応王族、貴族、平民のようなピラミッド構造らしきモノはあるらしいが、はっきりとユグドラシルの王と言える存在はいないそうだ。アズワンド王国では完全に<白の巨獣>すなわちお義父様が「魔獣の国の王」と思われていたから少し驚きだった。

 ユグドラシルの中央には一本の樹が聳え立っていて、敢えて言うのならばこの樹が王だとか。最初に言われた時も現在も全く理解できないが、この樹木は意思をもっているらしく、ユグドラシルにとって本当に大事なことについてたまに、たまに、呟くそうだ。基本的には言葉を発することはなくこの世界を見守っているだけらしいが。樹が王様であるという時点で、ちょっと良く分からない。


 お義父様はアズワンド王国的に分かりやすく言えば、大貴族というものらしく、この辺りに暮らしている妖精たちは大体みんなお義父様の部下と言えるらしい。

 けれど彼らの関係は私が知っている貴族とその使用人の関係とは全く違っていた。ボボさんのようにお義父様に敬語を使う人もいれば、まったく使わず友人のように会話をする人もいる(流石に上から目線で喋る人はいなかった)。それでもお義父様は特に気にしない。私の知っている貴族と使用人の関係から見ると、信じがたいほどに気安い間柄に見える。上下はあるが、別段お義父様はそういったものを求めていないらしい。あとユグドラシルでは全体的にこういう感じなのだとか。敬語を使うかどうかも自由とは恐れ入る。

 なおお義父様の仕事だが、説明されても難しくて正直よく分からなかったが、ピィーと私が結婚した話を聞きつけてお祝いの言葉を――――文字通り言葉だけの人が大半だった。アズワンド王国では信じられないことだ。祖国ではお金やらお祝いの品やらを山のように持っていかねばならない――――言いに来たものたち曰く、『周辺の自然を守っている』らしい。お義父様がいることによって彼らは平和に生活が出来る、と。だから彼らがお義父様のために働くのは当然なのだとか。金銭がないとこういう世界になるのだろうか。


 そんな風に今の家の常識というか、普通のことに慣れようとして生活してだいぶ経った。そんな中、四つ足歩行でも高さが私の腰ぐらいまであるピィーは、私を自分の背中に乗せて歩くのがマイブームらしい。ただピィーは、馬のように――――とは言っても馬だって別に乗ったことがある訳ではないが――――人が乗りやすい形をしていない。だって丸いのだ。いや、毛皮の内側にある体の形自体はお義父様と同じような形ではあるのだが、この毛というのが意外とボリュームがある。結果、重なりあって体形が丸くなっているのだ。その背中に乗ると、私のバランス感覚および筋肉がかなり必要とされることとなったのだが、筋肉痛を気にしないぐらい、ピィーは色々なところに連れて行っては景色を見せてくれた。アズワンド王国では体験できないようなことばかりだ。



 ◆



 半年経った処で実家に手紙を書くことにした。ボボさんが気を遣って申し出てくれたのだ。本当に頼りになる(ひと)である。



 魔獣の国はこちらの常識は通じないが、思ったより安全であり、私は幸せに暮らしていること。夫であるピィーやお義父様、(お父様たちに分かりやすく言うと)使用人であるボボさんたちも親切なこと。どうか心配しないで欲しいことなどを書いた。それからできれば、そちらの近況も知りたいことを書いてボボさんに託す。冤罪だが、私は罪をかけられて国を追い出された形だ。家に迷惑がかかっていなかは気がかりだった。

 ボボさんは翼を広げると颯爽と飛び去って行った。


「ファリダ! お手紙って美味しい?」

「美味しくないわ。それよりピィー、今日は南の花畑に連れて行ってくれるんじゃなくて?」

「うん! 行こう! 昨日聞いたんだけど、花の妖精たちが新しい花を咲かせるんだって!」

「この前とは別の? すごいわ。はやく行きましょう」


 慣れた手付きでピィーに跨る。


 …………手紙には書かなかったが。悩み自体はあるのだ。ちょっと下世話なことだが、夫婦の営みも一切ない。一緒に布団で横になって寝てはいるが、布団といってもベッドではなく、フワフワとした大きなクッションに寝ている。最近では、こちらの世界にはもはや「夫婦の営み」もないのでは? と期待している。ピィーのことは嫌いではないが、さすがに獣と交尾するのには抵抗があった。そもそもどうするのかの知識もない。貴族として最低限の、そういう知識も学んでいるが、ピィー相手では一切使えないし。ピィーも求めてこないので大層有難い。が、その内はっきりさせておくに限るだろう。とりあえず、本人には聞けないし。お義父様に聞く勇気もないし。ボボさんが帰ってきたら聞こうか。



 南の花畑につくと、ちょうど新しい花が咲き始めたところだった。

 以前まで咲いていた花が一斉に枯れる。そして入れ替わるように地面から茎が伸び、葉が生い茂り、蕾ができる。そして花が開くのだ。その花々の周囲で、手のひら程度の身長しかない花の妖精たちが踊っている。こうして彼らは花を咲かせるのだ。

 その美しい景色を、花畑を一望できる場所に座ってピィーの体に寄り添いながら見る。


 お世辞でもなく、私には魔獣の国での生活は幸せだった。



 ◆



 ボボさんは私の家族からの手紙を携えて、三日で帰ってきた。往復の移動自体は一日もかからなかったようだが、突然のこともあり、私の家族が返事を書くのに時間がかかったようだ。


 一通目、父からの手紙。

 私がひどい目に合っておらず安心したこと。コンデ伯爵家はそもそも貴族としては弱い部類なので私にかけられた冤罪も問題にはなっていないことが書かれていた。姉の嫁ぎ先の伯爵家も気を使ってくれているらしく、特に変わりのない生活をしているという。幼馴染兼元婚約者の家とはあれ以降、双方気まずいのもあり関わっていないそうだ。


 二通目、母からの手紙。

 やはり私の状況への安堵。(ピィー)が優しい人であるらしいことへの安堵などが書かれていた。それから家は問題がないことなど、父とあまり違わない手紙だ。妻として、細かい問題が起きてないかなどの心配事がつらつらと書かれているがスルーした。母には申し訳ないが、向こうの常識は通じない世界なのだ、ここは。


 三通目、姉からの手紙。

 これが正直一番いろいろなことが書いてあった。父母の手紙のような内容の後に、幼馴染兼元婚約者と王女様の話などが書かれていた。

 姉曰く。王女様はあの後別の男性に一目ぼれをしたらしい。「え?」というのが感想だ。

 どうやら元々惚れっぽい人だったようで、そのことは上流階級の貴族―--―公爵や侯爵レベル――--であればとても有名な話だったらしい。私が婚約破棄を言い渡されたときのラブラブが嘘のように、王女様は別の男性の元へ行っているとか。幼馴染兼元婚約者も捨てられないように必死にアピールはしているようだが、燃えやすく冷めやすい性格らしい王女様はもうほとんど彼に興味がないらしい。おそらく彼女との結婚は絶望的だろう、と書かれていた。

 伯爵レベルで婚約を新たにしようにも、姉の嫁ぎ先の家が私への処遇を、ぼかしつつも噂として言いふらしていたせいでどこも娘を出したがらない。子爵の家も嫌がるところがほとんどだとか。男爵であれば少しはいるらしいが、男爵など爵位がある平民も同然だ。社交界では伯爵から上が貴族と見られるので、子爵以下は金持ちの平民ぐらいの扱いになる。そんな家の娘を娶るのは嫌らしい。ともかく、大変なようだ。


 運がないな。どんまい、としか思わなかった。

 もう私の中で幼馴染兼元婚約者への愛情は消え失せていたから、あんまり深い感想は浮かんでこなかったのだ。

 確かに冤罪はふっかけられたし、ひどい目にはあったが、おかげで私は此処にいる。ピィーとの生活は今まであったしがらみが一切なく平穏だ。


 幼馴染兼元婚約者とかの話はどうでもいいや、と私は手紙を閉じた。

 ボボさん曰く、私の家族とも話して、ひと月に一回手紙のやり取りをすることになったらしい。やった、と私は手紙が美味しいのかチャレンジしようとするピィーを机から遠ざけるよう、押し合いの攻防をしながら喜んだのだった。

◆ファリダ

 幼馴染兼婚約者に婚約破棄された上に冤罪ふっかけられた時は、ショックではあったがそのあとの冤罪に「はぁ???」っていう気持ちのほうが強かった。逆境に燃えるタイプ。魔獣の国ことユグドラシルで幸せに暮らしているが、それはファリダが図太かったから馴染めただけである。

 目下の悩みは子作りどうするの???


◆ピィー

 鳴き声みたい? 名前だよ。安直だって? 深い考えはない。変な名前を探した結果こうなった。作者にも名づけの理由がよく分からない。見た目はもっこもこふっわふわの何か。四速歩行。毛量が半端ではない。三十歳ぐらいだが人間で言うところの十六歳ぐらい。精神年齢は人間で言うところの十歳ぐらい。ファリダのことは自分のものだという自覚はあるが、とても子作りとかを考えるような思考はお持ちではない。

 悩みはないが、手紙が美味しいのか試したい。


◆ボボ

 翼を持った女性。ピィーも大旦那様もまあ体の形が細々としたことに向かない体なので、屋敷で身の回りの世話を手伝う仕事をしている妖精の一人。出てきてないがそういう妖精自体は他にも沢山いる。割と笑い上戸なタイプ。敬語は深い意味はなく、癖。


◆大旦那様/お義父様/<白の巨獣>

 ピィーの父。顔はヒツジ或いはヤギっぽいが体中毛が生えていて体はオオカミ系でサイズが馬鹿でかい。なお足は蹄。年齢はまあ人間からすれば信じがたい年数生きてる。五百年というのはあくまでもボボが把握している年齢。つまりボボの年齢は………??

 変なあだなは昔やらかしたことのせい。息子に人間の嫁を取らせたのは深い考えはない。ファリダが思ったよりいい子だったのでちゃんとうちの子認定して護っている。来た子がいい子でなかったら? お察し。



◆コンデ伯爵家

 伯爵ピラミッド最下層の伯爵家。人が良い。代々質素に慎ましやかに生きている。父も母も嘘つかないし誠実だし余計な欲もないので他の貴族たちからも実は結構気に入られたりしている。なので穏やかに一生を終えると思われ。伯爵家自体はファリダもいなくなったのでおそらく長女(姉)の子供が継ぐ。

 長女(姉)は同じ伯爵でもピラミッド上層の人に人柄を気に入られて婚約・結婚した。姉妹仲は良いので、昔から知り合いでもある幼馴染兼婚約者にはキレた。


◆幼馴染兼婚約者

 ただの一度も名前が出てこなかった。家ぐるみで仲良しだったが、王女様に惚れられてしまって欲が出た。残念だが、顔面とかも別に……。精々乙女ゲーの主人公のハーレムの端にいるキャラレベル。王女様が大層惚れ症なことは知らなかった。ピラミッド中層の伯爵家といえど、そういった話は聞いてなかった。この後当然王女様に見向きもされなくなって大変。なお王女様とラブラブのまま突き進んだとして、王女様が臣籍降下して嫁に来る程度で、別にそんな旨い訳でもなかった。


◆王女様

 原因だが別になんも考えてない。ファリダにちょっかい出したのは彼女ではなく彼女の周囲。騒動の最中、彼女の視線は幼馴染兼婚約者にしか向けられてなかった。恋は盲目状態をロケット速度で突っ走る女性。王族ではあるが別に地位はそんな高くない。しかし腐っても王族。面倒なことは色々周りがもみ消すのである。熱しやすく冷めやすい典型のため、幼馴染兼婚約者に飽きてしまった後は見向きもしなかった。遊んだわけではない。すくなくとも、その時彼女は本気で彼に恋をしていた。




●アズワンド王国

 北東に円形山脈があり、魔獣の国が広がっている。


●魔獣の国/ユグドラシル

 人間は魔獣の国、住人たちはユグドラシルとその場所のことを呼ぶ。人には理解不能でとんでもない力を持った存在(妖精)が暮らしている。魔獣と呼ばれるのもしゃーない。何せ突然巨大な毛の生えたヤギのようなオオカミのような複数の動物混ざったような存在が襲ってきたら魔獣にしか見えない。まずサイズから恐怖。え? どっかで聞いたキャラ描写だって? 少なくともアズワンド王国で「魔獣の国」という呼び名の原因はその人である。

 中心に巨大な樹木が生えている。樹木さんには意識がある。意思がある。たっまーーーーーーに喋る。らしい。

 一応生物なのでピラミッド型社会はあるらしい。一応。


●魔獣/妖精

 他称/自称。価値観とかが人間と圧倒的に違うので悪意がなくとも人間を恐怖に陥れる。大体皆姿がばらっばらなので、見た目が違うのが現れても差別とかはない。仲間内で喧嘩(人間が見たら恐ろしい大災害)もそこそこする。たまに遠出がしたくて山脈を越える。そして人間を恐怖に陥れる(悪意なしが多い)。寿命は基本的に人間より圧倒的に長い。

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― 新着の感想 ―
[一言] ボボさんが出てきた所で「あの話か!」となりました。 また読めて嬉しい。
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