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白百合と星夜

作者: 蒼井ふうろ

 冗談じゃない、とリリィは思った。星歴三〇五年、雪の月は六日のことである。


 リリィの目の前には小さな生き物が横たわっている。性別は女だろうか。見た目は人の子供のようだが体全体をうっすらと黒い鱗が覆っており、純粋な人間というわけではなさそうだ。しっかりと目を瞑っているため瞳の様子は分からないが、おそらく人間のそれとは異なる色味をしているのだろう。大元が人間の形をしているということは龍族の混じりものといったところだろうか。リリィは初めて見たが、そこまで希少な存在というわけでもない。問題は別のところにある。


 その小さな生き物が横たわった隣、わざとらしく書かれた「供物」の文字のほうに頭痛の種はあった。リリィの住む“黒夜の森”は人里から離れた場所にあり、滅多に人間が立ち入ることはない。生えている植物や生息している動物や魔物も人間とは相性の悪いものがほとんどであり、半ば追いやられるようにしてこの森にいるのだ。


 そして、リリィとて例外ではない。白い髪に橙の瞳、いつまで経っても老けぬ異形の少女。どうにも数奇な運命に愛されたらしい。人と何かの混じりものとして生を受けたリリィもまた、かつてこの森に捨てられた子供であった。



『お前は畔に咲く花のような見目の娘だな。どれ、あの花は古い言葉でリリィと呼ばれていたという。お前にその名をあげよう。ついておいで』



 そう言ってリリィを拾った養い親がいなければ、彼女はここにいないだろう。幸いにして養い親は情に厚く、リリィが一人で生活できるようになるまで何くれと世話を焼いてくれたものだった。養い親であった男は――リリィの父はリリィに魔法の素養を見出して、自身の持つ知識をすべて授けてもくれた。優秀な魔法使いとしてその筋では有名だったという父の教えに従って、リリィ自身もまた優れた魔女になったのだ。



『リリィ、お前はもう立派に一人で生活ができる。この森で暮らしても、この森を出ても苦労の無いように生活はできるだろう。だがねリリィ、忘れちゃあいけない。なんでもできる生き物だって、決して一人じゃ生きていけないのさ。他者に慈しみの心を持って生きてくれ。それが父さんの唯一の願いだよ』



 昨年の星の月の暮れに、父はそう言い残して死んだ。拾われてから何十年もの年月を共にした父の死はリリィに耐えがたい痛みを与えたが、なるほど、確かに生きていくだけなら困ることはなかった。父にかけられた言葉が、教えられた知識が、リリィの中に根付いている。しかし父がいたころに比べて生きることの彩度は格段に落ちたようにも感じられた。何を食べても砂を噛むようで、起きる時間も寝る時間も不規則になり、口を開くことも何かを考えることも億劫になっていく。


 このままでは父の後を追って死ぬのを待つだけになってしまうと、重い体を引きずって散歩に出たのが今日の昼下がりのこと。父と歩いた道をずんずんと歩き続け、龍族の混じりものを見つけて、今に至る。



「う……」



 久方ぶりに思考を巡らせていると目の前の生き物が呻いた。一度ぶるりと体を震わせたそれはゆっくりと目を開ける。金色の瞳がゆらゆらと彷徨い、視線がリリィとかちあった。絞り出すような声が生き物の口から洩れる。はくはくと口を開け閉めするが、かすれていてうまく声が出ないのだろう。苦しげに顔をゆがめている。


 ここで声をかければ“縁”をつなぐことになる。それは自分にとって、目の前の生き物にとって、本当に善い事なのか。リリィは逡巡し――大きなため息をついて、それから腹を決めた。



「目が覚めたのか」



 問いかければそいつは怯えたような目をしてこくこくと頷いた。その姿がかつての自分に重なり、意識していなかったはずなのに口がその言葉をなぞる。



「お前、名前は?」



 その時の光景は今も鮮明に思い出せる。父がそう問い、リリィは声が出せずに首を横に振るしかなかった。こいつもあの時のリリィと寸分たがわず、僅かに首を横に振る。名前はないらしい。外見上の年齢は七、八歳だろうか。それなりに育っているように見えるが、それまで名前すらつけられなかったとすればどういう生活をしてきたかは察しが付く。そこまで分かればリリィの取る手段は決まっていた。あとは相手がどう出てくるかだ。



「じゃあ、お前の名前は私が決める」


「え……」



 黄金の瞳がリリィを見つめる。怯えと、戸惑いと、それからほんの少しの期待。いくつかの感情がないまぜになったような瞳に、かつての父も同じような感情を抱いたのだろうかと思い、あまりの感傷具合に苦笑した。いや、今はそんなことに笑っている場合ではない。何か良い名を。こいつの期待に添えるような、美しい、生涯忘れえぬ名を。



「お前は闇夜に輝く星のような見目ね。どれ、星は古い言葉でステラと呼ばれていたという。お前にその名をあげよう。おいで」



 少女のやせ細った小さな体を抱き上げる。十と少しの頃から成長していないリリィの華奢な身体でも難なく持ち上がるほど、少女の体は軽かった。



「私はリリィ。黒夜の森で生きる魔女。今日からお前の養い親よ」



 リリィ様、とか細い声で繰り返すステラの口元をそっと指で押さえ、「様は要らない」と言えば困惑したように、それでいて照れたように笑った。倒れているときには見えなかった龍のような尾がふるふると控えめに左右に揺れる。


 “白百合の大魔女”リリィと“星夜の龍魔女”ステラ。後世そう呼ばれた偉大な魔女の師弟、その弟子は後にこう語った。「あの時、私の名は世界で最も美しい音によって紡がれたのです」と。




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