①お願い事
いつぞやのスポーツイベントからルーティンという言葉をよく聞くようになったが、ルーティン=日課と言い換えるとするならば、誰にでも一つや二つは思い当たるであろう。
朝起きてから家を出るまでの一連の動きや寝る前にストレッチをすることなど、人にとっては知らず知らずのうちにとっている行動があるはずだ。非日常体験も日課になればルーティンとなるのだろうか。
私「橘 深月」が仕事を終えてからなじみの喫茶店に行くことも、ルーティンといえるだろう。平日最後の金曜日疲れと、週末休めることの安堵感からか、最寄り駅の改札を抜けたあたりから、思考の堂々巡りのように色々と考えながら歩いている。
商店街のから一本左に抜けた路地に入ると、「夕乃珈琲店」という看板が目に入る。春先の夕暮れどきだからか、店構えが赤いレンガだからか分からないが、今日はオレンジの光がとてもまぶしく感じる。佇まいからしてどこかレトロな雰囲気のあるこの店は、気持ちだけでもタイムスリップした気分になれる。
細やかな装飾のついたドアを開くと「チリンチリーン」と入店の合図が鳴り、小気味の良いジャズが耳に入ってきた。
「いらっしゃいませ~、あ!深月さん!」
とかわいらしい声が聞こえる。
定期的に来ていると、指定席のような場所ができるが、今日のところはあきらめよう、先着順だ。
「…まあいいか」
といつもの席を横目にレジ横のカウンターに座ると、マスターが声をかけてきた。
「いらっしゃい、今日はどうする?」
年相応の白髪がとても似合っている、所謂イケおじであるマスターはわかりきっている質問をした。
「セットお願いします、フードはナポリタンで」
これもいつもの会話である、フードはいつも日替わりメニューを注文するが、以前にマスターがメキシコ料理にハマった際は「ナチョス」や「タコス」ばかりがラインナップされていたため、メキシカンな夕食ばかりになった記憶があるが忘れたい。
「夕乃ちゃーんナポリタンね、あと豆持ってきてくれー」
とマスターがその店員さんに言う。
「はーいおじいちゃん。チョットマッテテー」
声の主の看板娘である「葉月 夕乃」は腰程まである長く綺麗な黒髪が自慢で、非常に整った顔立ちをしている正統派美少女である。仕事中は長い髪を後ろでまとめており、制服である白シャツ・黒スカートとエプロンがよく似合っている。
この店は珍しく祖父と孫の2人だけで切り盛りしており、店名は夕乃ちゃんが店のお手伝いを始めた際に変えたそうだ。マスターはいつもこのことを笑いながら話し、夕乃は恥ずかしいのか、頬を赤く染まらせているが、嬉しそうに聞いている。店が広いわけでもないため席数も比較的少ないが、店を2人で動かすとなると相当大変なんだろうなと、いつも脱帽している。
「おじいちゃん、注文取りは私がするから大丈夫だって、お客さんも落ち着いてきたし」
「別にいいだろうて、どうせいつもの注文だしな!」
ガハハと快活に答えるマスターに夕乃は苦笑いして、豆をテーブルに置いた。
「ごめんなさい、おじいちゃんがいつも」
と申し訳なさげに言うが、私は存外こういうやりとりが好きなのだと伝えると、にこりと微笑んだ後、キッチンへと戻っていった。
「そういえば、今日は意外に客が多いですね」
「意外には余計じゃが、夕乃の大学に新入生が入ったからなぁ、今年は地元だけじゃなくて、他の地方から来た人が多いらしいから、試しに来てみてるんじゃろう」
「たしかに、そんな人たち多いですね」
と「いつもの席」に目をやると、女子大生らしきグループが座っていた。
「まあ、僕が1人で4人席座るよりは良いよな」
などと思っていると、先ほどの会話で気になる点があったことを思い出した。
「あれ?夕乃って女子大生なの!?」
つい声に出して言ってしまったが、キッチンの奥から声が聞こえた。
「そうですよー、話してませんでした?今年で2年生ですよ~」
「ちなみに、奥のテーブル席の子たちはサークルの後輩です、私の家が喫茶店をしていることを話したら、是非行きたい!ってことで」
と夕乃が手をひらひらと振ると、テーブル席の子たちも振り返してきた。
寝耳に水だった、一瞬ポカーンとしたあと、
「全然知らなかった、店じゃそんな話をしていなかったし、いつも店にいるからてっきり」
と常連であったと自負しているにも関わらず、まったく気が付かなかったことに焦りながら話す。
「バリバリ女子大生です!多分深月さんの2つ下になるのかな?、ちょうど手伝っている時間に深月さんが来られるんですよ、私が目当てなんじゃないかって最初話してました」
と楽しそうに答えると、出来立てのナポリタンと食器を私の前に並べた。
「意外だったか、フフ…まあコーヒーでも飲んで落ち着け」
マスターも少し笑いながらコーヒーをカチャリと置いた。
少し落ち着いた後
「なるほど…まあ、夕乃が目当てってのは否定しないけど」
と淹れたてのコーヒーを啜りながら言うと、彼女はは顔を赤くしてキッチンに戻っていった。
「少しはやり返せたかな、表情がコロコロ変わって面白い」
と夕乃お手製のナポリタンを口にした。
食事を終え他の客も帰り、落ち着いたころマスターが言った。
「先ほどの話というわけではないんじゃが、夕乃がお前さんにお願いしたいことがあるんだと。」
「大学の?、そうなんですか、まあ僕に出来ることなら。」
と答えた後、ちょうど洗い物を終えた夕乃がいそいそと、隣の席に座って切り出した。
「さっき後輩来てたでしょ、私の大学の」
「あぁ、同じサークルっていう…そういえば、夕乃の入っているサークルって?」
「…カフェ研究会ってところなんだよね」
もじもじとしながら言う。
「おぉ夕乃にピッタリじゃないか、だからさっきの子たちもこの店に来たがってたんだ、それで僕は何をすればよいの?」
「うん…実は………いや…やっぱり…」
夕乃が口ごもっていると、見かねたのかマスターが言った
「夕乃はお前さんを彼氏にしたいんだと」
この日で一番驚いたかもしれない言葉だった。
続く




