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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
二 相棒様
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新婚なので頭は沸いています

 俺は田辺の後を追いかけるように歩きながら居間に入ると、台所にいる彼に声をかけた。


「もういいでしょう。俺は結婚が初めてなんだから仕方ないじゃない。でも楽しいものだね、結婚。君も経験するとわかるよ。何なら、母さんに言って君のお見合いを設定してもらおうか?」


「十八歳の幼な妻を娶ったからか、最悪に頭が沸いていますね。あなたが幸せなのはいいですけどね。だからって、新婚旅行先で定住すると言い出すってなんですか?」


 十月十六日の披露宴が終わるやいなや、俺は更紗に青い海が見せたいと、俺の空色のダットサンに彼女を乗せて九州の日南海岸まで走ったのだ。

 彼女は辿り着いた青い海と美しい砂浜、そして東京では見ない椰子の木に感動した。


「なんて綺麗なの!」


 海に感動した彼女は、季節が秋で、十月も半ばであるということを忘れ去った。

 一直線に青く煌めく海岸に駆けていくのは、彼女がケダモノでもあるからだ。


 俺の素晴らしきケダモノだ。


 俺がシベリア抑留から解放されて帰国すると、世界は俺が居ない者として回っていた。

 婚約者は弟と結婚しており、弟は父の跡継ぎとして扱われていた。

 けれど、そんなことは俺にはどうでもよかった。

 俺は婚約者も父の後を継ぐことも、元々嫌であったのだから。


 しかし家族は俺が居場所がないと悩んでいるものと心配し、結婚させることで俺を落ち着かせようと考えた。


 だが、残念な事に傷を負い外見がボロボロに変わった俺は、結婚したい男性から見るのも嫌な男性と評価が変わってしまっていた。

 そこで、性格に難ありだが美貌で名高い更紗の姉と婚約させられたのである。


 俺に人間は外見じゃないと宥めた彼らが、外見だけの女性を紹介するとは皮肉この上ない。

 まぁ、それだけ俺は結婚相手としては下の下であったのだろうが、そんな身分の俺でも彼女との結婚は嫌でしかなかった。

 俺は婚約破棄がしたいと碌で無しを演じ、機転の利く更紗が俺の後押しをして、俺を意に添わぬ婚約から解放してくれたのである。


 ひとつの約束を俺に投げたが。


「五年後の私の誕生日に迎えに来い!私が結婚してあげるよ。」


 俺は彼女を迎えに行かなかった。


 シベリア抑留により、俺の顔や体には幾つかの凍傷の痣が在り、手足の指も少ないという姿なのだ。

 詳しく言えば顔には額と右頬に皮が剥がれた後の痣が在り、右手の薬指と小指が第二間接から先がない。

 両足の指は左右の小指と右の人差し指の先と、つまり、合わせて三本の欠損だ。


 そんな姿で成長した彼女にノコノコ会いに行き、子供の頃の敬意を持って俺を見つめた瞳が失意に輝く様が見たくはないと、俺は敢えて約束を忘れた愚か者であったのだ。


 そのせいで更紗は不幸に塗れ、再会した頃には彼女は体と顔に傷を負っていた。

 けれども彼女は傷を負う前と変わらず、俺のケダモノのままである。

 こんな俺を素晴らしい男と見惚れてもくれるのだ。


「駄目だよ!更紗!ちょっと、風邪をひいちゃうよ!」


 二日前に妻にしたばかりの花嫁は、俺の目の前で子供みたいに次々と服を脱いでいき、俺は太陽よりも眩しいものがあると教えてくれた。

 だが、俺に彼女の過去の不幸をも見せつけていた。


 彼女の裏側、左腕の二の腕から肩甲骨にかけて、怪我を縫った大きな痕があるのだ。

 俺が迎えに行かなかったせいで、彼女は人殺しの男に殺されかけたのだ。

 俺が言葉を失った事に気がついた新妻は、ひょいっと俺に振り返り、俺が見つめているものが自分の傷跡だと気が付いた。

 すると、左腕を肩に平行に上げて見せた。


「ねえ!線路みたいでしょ!子供がチョークで書いたような線路!」


 更紗の嬉しそうな大声で、確かに、青い海を目の前に黄金に輝く彼女の裸体の背にそれは白く輝き、可愛らしく美しいとさえ俺も感じた。

 感じただけでなく、俺だってそれが傷跡ではなく、彼女が言う線路でもなく、実は天使の片翼のように美しいものに見えているのだ。


 俺を誘う天使だ。


「俺には翼に見えるよ!白く輝く綺麗な翼だ!」


「あははは!じゃ、じゃあ!飛んでくる!」


 天使は俺の前でドボンと海に飛び込んだ。

 更紗の声に珍しく照れがあったと、俺は有頂天になってしまった。

 俺も急いで服を脱ぎ捨て、彼女の後に続いて海に飛び込んだのだ。


 遊泳する者などいない、秋の海でしか無いというのに。


 海から上がった後の事までも思い出し、俺は自然に顔が緩んだ。

 俺達は寒い寒いと抱き合い、そのまま獣のような初夜を迎えたのである。

 満天の星の下で。

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