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熟年夫婦

「そうして馬鹿女と馬鹿男はその日の内に入籍だと書類を書いて、孤児の養子縁組の書類まで仕上げてしまいましたとさ。それでその書類束を「年明けに出しといて。」と俺に押し付けてウチの賃貸物件にタダで入るって、どういうことですか?祥子は赤ん坊の世話があるって勝手に家を辞めてしまうし、何ですか、何なんですか?あいつらは。」


 田辺はぶつくさ怒りながら、台所のテーブルに煮物の鉢をどんと置いた。


「なんですかって、君の妹でしょう。彼らに物件を紹介したのも君でしょう。」


「違いますよ。あれは元々俺が住むはずだった場所です。長谷の馬鹿がいつの間にか自分の荷物を入れて住み込んでいたとは知りませんでしたよ。」


 田辺はギロっと俺を睨んだ。


「台本を書いたのはあなたでしょう。」


「そんな訳ないでしょう。長谷一家にタダで入られたらウチの損失じゃない。」


 彼は俺を睨むと、焼魚の皿をドンっドンっと置いた。


「えー、鯖だったら味噌煮にしてよ。俺は鯖の塩焼きは鯖臭くて嫌なんだよ。」


「鯖が鯖臭くなかったらおかしいでしょうが。良いから、今回は俺が台本書きましたって言って下さいよ。そうでないと、俺は七年以上も同じ場所に住んで妹の側にうろついて、戻って来る事を待ち望んでいた馬鹿を弟にした事になりますからね。ぞっとします。」


「祥子さんは物凄い美人じゃないの。家事も出来て気立てもいいし。池堀から逃げ回りながらも和裁で女手一つで生計を立てていたという頑張り屋だ。君の仕送りを受けていたとしてもね。おまけに娘があんなに可愛らしければ離れがたいって。そうでしょう。」


 田辺はフンっと鼻を鳴らした。


「あん人はあなたと違って発展家でしたけどねぇ。ねぇ、隊長。俺があなたに最初に教えたことを覚えていますか?」


「まず手を見なさい、だね。」


 手には人生が見えるだけでなく、血縁関係も見えるのだ。

 千代子の手と長谷の手はそっくりだ。

 そして、長谷が抱いていた赤ん坊の手は、小さいが特徴のある長い小指を持っていたのである。


 田辺は鼻や指先に父親の遺伝が出ると俺に教えた。

 ゲリラは父と息子という風に、家族で動くものが多いからと。

 顔や服装は変えることができても、手は変えられないからと。


「いいじゃない。全員が幸せになったでしょ。彼も寂しかったんだよ、許してあげて。君だって七年も想い続ける馬鹿は嫌だって、今さっき俺に言ったばかりじゃないか。」


 田辺は返事代わりに大きくはぁ、と溜息を出した。

 俺は椅子から立ち上がり、ガス釜から米をよそっている田辺の横に立つと、コンロの上の鍋から椀に味噌汁をよそった。

 そうしてお互いに無言でそれぞれの場所にそれぞれのものを置いた。

 俺達は席に付き、いつもどおり両手を同時に合わせて同時にお辞儀をする。


「いただきます。」

「いただきます。」


 俺は小皿に煮物をとりわけて、箸をつけ口に入れる。

 旨い。


「寒い時には大根の煮物はおいしいよね。豚バラ大根は田辺のものが最高だよ。」


「お粗末さまでした。」


 田辺は茶道を嗜んでいた模様で、おれは毎度その返しにびくびくする。

 どうして茶道の人は、褒められてもありがとうと返さないのだろうかと。


「全く。俺はあなたの女房が戻ってきたらどこに住めばいいのか。」


「で、でね、我が家を建て増しするのはどうだい?二世帯にして君に。」


「嫌ですよ。俺におさんどんや子育てをさせるつもりですね。」


「更紗におさんどんできると思う?子育ても。」


「だからあれほど俺は止めたでしょうが、嫌ですよ。矢野ちゃんに聞きましたよ。千代子がウサギを飼いたいって言ったら、鍋にすると最高よねって目を光らせたって。」


「あぁ、おいしいよね。ウサギ。あいつ、動物の皮をはいで捌くのが上手いんだよ。あいつに捌けない生き物は河豚くらいかなぁ。いや、河豚もいけるかな。九州でもね、あいつは腹が減ったと農家の子豚を盗む勢いでね。捌きたい丸焼きしたいって。それで思わず電報を打ったの。盗んじゃったら弁償金が必要になるからね。」


 田辺はもそもそと食事に戻った。


「どうしたの?」


「いえ、そんな相手と知って結婚したあなたが恐ろしくなっただけですよ。俺の馬鹿な妹夫婦はいいかなって。あと二ヶ月の間に女中と俺の住む部屋をみつけないとですねぇ。」


「このままずっといてよ。」


「いやですよ。俺も結婚を考えませんとね。紹介してくれるのでしょ、相手。」


「俺は結婚で頭が沸いているよ。そうなってもいいの?」


 田辺は大きく溜息をつき、それから意地悪そうな顔つきをした。


「もう、別居にしたらどうですか?平安時代みたいに通い婚。」


「男の夢だねぇ、それ。好きな時だけ子供も可愛がれるし。」


「本気で最低な人ですね。あなた。」


 ハハハと俺は笑い飛ばす。

 自分を、人生を。

 忍びがたきに耐える必要などない、楽しもう、人生を。

 俺達は生き続けなければならないのだから。


「明日の大晦日は早起きして空き物件の掃除をして周りますからね。自宅も掃除できていないのにたった一日でどこまでやれるか。」


「来年に回そうよ。」


「楽ばっかり考え無いで下さい。」

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