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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
十三 幸運の男
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お前の命は貰ったよ

「離婚した奥さんが静岡の実家に連れていった幼い娘さんが被害者の一人。」


 診察台に横たわる楽園の蛇が、淡々と熊笹の身の上を語った。

 この蛇に誑かされた、哀れな協力者の行動がよく見えるようだ。


「あの人は真っ当な人だろう。それなのに君に誑かされて殺人事件を見逃して、俺達を襲いに来るはずの藤田泰雄の部下の足止めまでさせたのか。普通に刑事事件で藤田を逮捕させるべきだったのではないのか?」


「神野の元旦那が静岡で警察官。娘の見舞いに静岡に行って、優秀な彼は事件を隠蔽してきた警察官の存在に気づいた。後はわかるよね。手にかけてしまったさ。あの夜の父親達と違ってね、彼を止める者がいなかったのだから仕方がない。そして自首するどころか自分の罪の証拠を消したんだ。まだ残っている犯罪者を殺すためにね。神野裕子は夫の遺体を見て藤田に殺されると勘違いして逃げてきたんだよ。町には熊笹という本当の断罪者が待っているとは知らずにね。」


「けれど君が彼の復讐を一先ず止めたんだね。」


「藤田からは金が奪えるからね。邪魔されるよりは協力者に仕立てた方がいいでしょう。それに、熊笹には中学生の息子がいる。まだ、彼には守るべき家族がいるの。地獄に落ちていても彼は普通の生活をして、これからも生きて行かなければいけないのさ。」


 熊笹を哀れむでなく、憧れを感じさせる響きで、彼は最後の言葉を呟いた。

 長谷が銃殺される身に自分を落としたのは、妻子も両親も家も何もかも焼けた大空襲の知らせの後だ。

 敗戦の色も濃い。

 俺に営倉から引き出されたあの日のあの時の彼は、俺に対して魂も人生も捧げると、そんな意思が読み取れる表情を浮かべた。


「あなたの隊の隊員で良かったです。」


 そう言い残して息絶えていった三人の隊員の顔に重なる、俺の大嫌いなあの表情を浮かべたのだ。

 畜生。


「お前は死にたがりで嫌なんだよ。」


 忘れがたい記憶に襲われた俺は思わず声をあげて、足をガンっと床に打ち付けてしまっていた。

 その振動で俺の杖は転がり、金属音独特の耳障りな音を診察室中に響かせた。


「急になんだよ、竹ちゃんは。怪我人に酷いよ。」


 長谷は乾いた笑い声を立てて俺を見返し、俺の向かいで処置中の伊藤医師がキリンのような目を俺にギロっと向けた。

 仲間思いの隊員達め。

 俺は隊員を喜ばせる隊長という名の奴隷なのだと、再び天井を見上げて覚悟を決めた。


「いいよ、長谷。そんなに死にたいならね、その命を貰ったよ。だからね、俺がお前を使うその時まで、ちゃんと生きていてくれよ。」


「それに僕を数に入れるのは止めて下さいよ。隊長。」


 伊藤がちゃちゃを入れて、俺にその目を細めてみせた。

 試作品の暴発で肩に破片が刺さった俺に、眉毛をグイっと動かして何も聞かず、通報もしないで処置をした男だ。

 通報してくれて刑務所に入りたくなったほど、俺は此処に俺を運んだ田辺に叱られ恐ろしい思いをさせられたが。

 田辺は怒ると誰よりも怖いのだ。


「おじいちゃんになってから呼び出されたらきついよ。」


 診察台でうつぶせになっている男が擦れた笑い声で呟いた。


「それでもさ、君は欲しかったんだろ。その言葉が。」


 長谷は体も頭も動かさず、俺に目線だけを動かした。

 診察台に横たわる長谷は、あの日の担架に乗せ上げられた長谷と重なる。

 あの日の長谷は仰向けであったが。


 俺に撃ちぬかれた足とその血で体中を赤く染めた男は、運ばれていく中、捨てられる犬猫の目で俺を見つめ続けていた。


 彼は逃げたいから俺に進言したのではない。


「一緒に残って本隊を逃がそうか。」


 俺にそう言って欲しかったのだ。

 彼は本国に戻っても何もないのならば、仲間という縁と玉砕を望んでいたのだ。

 けれど情けない俺は、寝食を共にした仲間の命の責任を取りたくなかった。


 一人で死にたかったのだ。


 そして、田辺が俺の側に残り、俺は死ぬ選択が無くなった事を恨みながらも彼に感謝もして、俺はまだ死にたくはなかったのだと極寒の地で生き抜いた。

 俺達は抱き合い暖めあい、お互いの心臓の鼓動を守りあったのだ。


「今度は最後まで一緒に戦おう。この世の中を楽しみながらね。」


 長谷は再び組んだ腕に顔を埋めた。

 長谷は俺に捨てられ祥子に捨てられて、自分一人で事を起こす計画を立ち上げていたのだろう。

 反政府団体を探していたのではなく、構築していたのだ。


 彼は何もない一人ぼっちであったから。


 神様が俺たちに望んだ「生き恥を晒しても死ぬな」という戦いは、生き抜いた俺達だからこそ仲間がいなければ辛過ぎるのだ。

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