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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
十三 幸運の男
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君は全部自分でやろうとするから綻びる

「包丁を見た子殺しの夫は慌てふためき階段を落ちたので、そこで止め。彼女は次に自分を犯していた次男知徳を殺害。そしてね、自分の三歳児を人質に舅と姑に夫の遺体を納屋まで運ばせたんだ。お前らの唯一の血縁者だろうって。」


「その場にいないっていうのによくわかったね。」


「遺書だよ。納屋に残してあったそうだ。」


「嘘吐き。それは長男夫婦の部屋にあったはずだ。君が一人で漁る事が出来たのはあの部屋だけでしょう。君は京子さんの事を最初から知っていたね。」


 彼は気安い笑顔で微笑んだが、それはいつもの嘘吐きの顔。


「俺は神野裕子を見張っていただけだよ。変な動きをしているからまた幼女誘拐かと思うじゃないか。そうしたら金持ちの若夫婦と養子縁組の話し合いをしていてね。俺はあの惨劇が子供の交換からではないかと疑ってのあの行動だ。まぁ、お陰で遺書を見つけられたけどね。あの後の俺は皆川の子供の回収だけが目的。神野の子として育てたくないってね。けれど結局神野の用意した里親に子供を手渡す事になりそうで反吐が出そうだよ。」


 彼は俺の相槌など挟めないように、勢いづいて語り続けた。

 自分自身を嘲笑するようなニュアンスも込めて。


「それに遺書がなくても、安置所の遺体で大体想像が付いただろうね。返り血塗れの京子一人が無傷で、彼女一人だけ練炭の中毒死だ。血塗れの包丁も納屋に転がっていたと見せてもらったならば、普通に想像はつくよ。」


 夫の遺体を荷台に乗せ終わった事を確認すると、皆川京子は老夫婦の目の前でお駄賃とばかりに我が子を殺す。

 ギリシャ神話の魔女メディアが「後悔しろ!」と叫んで、心変わりした夫の目の前で三人のわが子を切り刻んで殺したように。


 それから目の前で最後の自分達の血縁者を殺されて絶望した舅夫妻を殺した。

 使われなくなった納屋には、彼女と良祐を蔑んだ者達がゴミのように重なって横たわっている。

 彼女はそれから家の中に戻る。

 階段上に転がったままの哀れな遺体をようやく抱き上げた時、彼女はきっと声を上げて泣いただろう。


 それは我が子ではない。


 彼女は自分の子供の身代わりとなった哀れな子供に、最大限の愛情を持って身奇麗にしてやり、自分の子供に着せるつもりだった新品の服を着せた。

 彼女はその子を抱いたまま納屋に戻り、自らの命もそこで終わらせた。


 彼女は実子の身代わりとなってくれた哀れな子の母となるため、そして本物の我が子の為に確実に死ぬ事を選んだのだろう。


 生き残った一番大事な子供の足枷にならないように。


 あの家で一箇所だけ血糊がふき取られていたのは、あの赤ん坊が殺された現場である。


「君は京子の全ての罪を神野に被せて子供の経歴をまっさらにしたかったのだね。母親が人殺しでは彼の将来に影を落とすと考えて。それから鎮魂もかねてかな。彼女を逃がすつもりの子供の取替えでしょう。神野の勝手な動きは千代子の誘拐で出来た綻びだね。」


 押し黙った分かり易い元情報兵の背中に、俺は大きく溜息をついた。


「本当に君は情が深いよ。可哀相だって、いち時にあれもこれもと欲張るからだよ。君はやりすぎなんだよ、いつもね。」


 今度は俺を見返してじとっと睨んだ。


「あんただったら、いち時に出来ただろうがね。」


「俺は出来ないし、しないよ。一人でなんてやるわけない。」


 長谷が目を丸くしたのと反対に、伊藤がククっと笑い出した。

 笑う時にガーゼを貼り付ける手に力が入ったか、長谷から、つっ、と小さな叫びが聞こえた気がした。


「長谷ちゃん、いい加減に気が付きなさいよ。この人、決断するだけの凄い怠け者。自分の好きな事は一生懸命だけど、あとはやりたくいないって全部僕達に投げていたでしょう。田辺ちゃんがお尻叩いていたの。おまけに坊ちゃんで跡継ぎ様だったからか、切れると松の廊下でも刃物振り回す馬鹿で、僕達苦労が絶えなくてね。田辺ちゃんの言う幸運の男って、君はちゃんと仕事する上司で幸運だった、の意味もあるの。」


 伊藤はにやにやと嬉しそうに言いながら、ぺたぺたと軟膏を塗ったガーゼを長谷の背中に貼り付けていっている。

 伊藤が俺を当時「坊ちゃん」としか呼ばなかった理由を俺は新たに知れて嬉しいよと、皮肉な気持ちで睨み返した。


「悪かったね、無能な怠け者で。それで、神野が暴れたのは梅毒ではなくて薬切れだね。」


「そう、ヘロイン中毒。彼女は禁断症状で病院で亡くなった。ヘロインの禁断症状はすさまじいからね。誰にも介抱されずに苦しみながら逝ったそうだよ。彼女は薬代欲しさに子供を売ろうとしたの。自分の子供は売れないでしょ。金持ち夫婦は身元の正しい健康な子供を指定していたからね。君は気づかなかった?」


「亡くなっていた子供の口元に兎口の手術痕があったね。」


「あの子は可哀相だね。」


 彼は組んだ腕に顔を埋め、その後は静に伊藤の治療だけに専念しているように見えた。


「それで、熊笹さんとやらはどこで関係するんだ?あの人は昔からあの地域の人で、信頼の篤い警部さんだよ。」


「奥さんが静岡の人でしょ。」


「そうだった、畜生。」


 俺は天井を向いて目を瞑った。

 全てが繋がったと言う事は、熊笹も不幸を抱いていると言う事なのだ。

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