朝のひとときとニュース
二階から階段を下りてくる足音で目を覚ました。
目を覚まして、俺の顔のすぐ前に田辺の薄汚れた顔がある。
田辺と俺は居間で酒に潰れて、そして寒いからと無意識に抱き合って眠っていたようだ。
無精ひげに覆われた垢だらけの身体となって、汚水のような体臭に塗れながらも、それでも凍死するよりはと毎夜抱き合っていた収容所時代も思い出し、懐かしさと情けなさで心まで冷え込むようだ。
目覚めて俺を見つめる二日酔いで血走った目をした男も、俺と同じ記憶の邂逅をしたらしい。
「……おはようございます。」
「……お早う、田辺。」
俺達は物凄く嫌そうな顔を互いに見せて、むっくりと起き上がった。
「あの、おはようございます。」
台所で俺達の間抜けな動作に所在なくなってしまったのは、祥子だ。
見てはいけないものを見たかのように顔を赤らめているだけでなく、俺達に向ける笑顔からして引き攣っている。
「早いね、君も昨日疲れているだろう?いいよ、朝ご飯は田辺が作るから。」
「祥子、作って。俺は二日酔いだよ。」
兄がばたっと再び横になると、祥子は嬉しそうに目を細めた。
「すぐご飯を作りますから。それで、この辺りで杉並に戻るには、バスですか?電車ですか?お屋敷に戻らなければいけませんので。」
「いいよ。」
「え?」
「俺の実家でしょ。いいよ。今日は千代子といてやって。久しぶりでしょ。あの子が起きてママの姿がないと可哀相だよ。」
「でも。」
「いいって。お屋敷の若様がいいって言っているのだから聞きなさい。」
「ばか様に聞こえますよね。」
「うるさいよ。」
横から口を出してきた田辺と言い合っていると、再び階段を下りてくる音が響いた。
今度は軽くタタタタという軽い足音だ。
「ママ、ママ!どこ!マーマ!」
叫びながら台所に入って来た千代子は、母親の姿を見つけると一直線に彼女の体にしがみ付いた。
ぎゅうと祥子の体に必死に抱きついている千代子が、年よりも幼く見える。
「ほら、いなさいよ。」
祥子は何も言わずに俺に深々と頭を下げ、そして朝食に取り掛かり始めた。
千代子は母親の側で母親に言われるまま野菜や玉子を手渡している。
「いいねぇ、こういう風景。」
「隊長もすぐでしょう。」
「更紗にこんな風景が作れると思う?」
「ちゃあんとわかった上で結婚されていたと知って驚きましたよ。」
「君は酷いよね。」
田辺はふふふと笑いながらテレビを点けた。
「テレビだ!」
千代子はようやく母親の側を離れて居間に飛んできて、田辺の横にちょこんと座ってテレビを熱心に見守り始めた。
俺は来年発売されそうな新車を諦め、田辺の機嫌を取る為に洗濯機とテレビを買ったのだ。
けれど、千代子のテレビに喜ぶ様を見て、買って良かったと思い直した。
実際、俺自身もテレビには感激しているのだ。
「テレビばかりだと目が悪くなるぞう。」
更紗にするように、千代子の頭をぽんと撫でようとしたその時、千代子が叫び声を上げた。
キャーではすまないくらいの悲鳴だ。
「ごめん。怖かった?大丈夫?」
「隊長違います。テレビを見て。」
俺が振り向いたテレビの画面には、道を外れて雑居ビルに突っ込み炎上大破した黒焦げの車の枠組みと、誠司の顔写真が写されていた。
台所から居間に来た祥子も画面を覗き、ヒっと小さな悲鳴を上げた。
「――尚、車内には誰も乗っておらず、警察では車内に残された免許証から相良誠司さんの行方を捜索すると共に――」
「矢野ちゃんは乗っていなかったようですが、行方不明?」
テレビから視線を動かさないまま田辺が呟いた。
「あいつ、そういえば家で待っていなかったよな。どうした?」
「相良様が急病だと帰られたのです。」
俺の呟きに似た言葉におどおどと祥子が答えると、田辺が鼻からフンっと息を出した。
「隊長、矢野ちゃんがそう言っていただけで、電話も来ていません。俺は風呂に入っている頃でしたが、電話のベルは聞いていませんよ。おい、あいつは電話していたか。」
祥子は首を振り、千代子が泣き出した。
「私を苛めた人たちをやっつけるって言ってた。」
「誠司はどうしてそいつらを特定できたんだ?」
俺が呆然と呟くと、田辺が泣く姪をギュッと引き寄せた。