表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
十一 田辺の告白
37/60

用水路の死体の身元

 最初の強盗殺人は田辺が関わっていた。

 田辺は妹に助けを求められ、小林ゆう子の自宅へと向かった。


 祥子は誘拐犯の居所も名前にも思い当たりが無かったが、田辺が持つ敵を追跡するスキルはかなり高い。

 祥子の家に投げ込まれた脅迫状の指定した金銭の受け取り場所や誘拐現場を元にして、半日かけずに彼は誘拐犯がいるであろう居住区を突き止めたのだ。


 流石、睨んだ相手を確実に殺す死神だと、敵国どころか自分においても「死神」とあだ名をつけられて怖れられていた田辺さんだ。

 そんな怖い田辺さんは、その町で田辺祥子の偽名を使う女がいるとの情報で、そこだと確信して部屋に向かったのだという。


 しかし、彼が小林を脅して千代子を奪還するには遅過ぎた。

 アパートの階段で女性の鈍い悲鳴を聞きつけ駆け上がり、そして上がりきった外廊下に足を踏み入れた所で、田辺は目的の部屋から飛び出して走り去った男とすれ違った。


 田辺は空けられたドアへと急ぎ部屋に入ると、そこには殴り殺されたばかりの、大の字に転がる小林の姿であった。


「千代子!どこにいる、千代子!」


 大声をあげても、死体が転がる殺風景な部屋には、田辺が見つけたいと望んだ子供の姿どころか子供の持ち物さえも何もない。


 押入れに押し込められていた千代子は、布団の中に潜り込んで息を潜めていたと思われる。

 その時の千代子は田辺が殺害者に似ていなくとも、大人の男自体が恐怖の対象だったのだろう。

 勿論田辺は押入れを開けて中を見回すこともした。

 だが、ぐしゃぐしゃの布団や女物の派手な汚れた服が押し込められている状態では、上の段にも下の段にも子供の姿を見つけることができなかったのだ。


 汚れた服から立ち上るすえた体臭や強い安物の香水で、子供独特の臭いなども打ち消されてしまっていたのだろう。


 結局何も見つけられないまま、田辺は外で聞こえたサイレンの音に撤退するしかなく、彼は一先ず触った押入れの戸と玄関扉を軽く拭いて部屋を出た。


「畜生!」


 田辺は罵り声をあげるや、数分前にすれ違った男を捕らえるべく走り出していた。

 他に千代子を見つける手がかりが無いのだ。


「俺が幸運だったのは、奴が不健康で余り走れず、公園のベンチで休んでいるところを見つけられたからですね。」


「それで、顔見知りって、どうして?」


「俺が戦争に行っている間に、祥子が嫁いだ相手ってだけです。兄が言うのも情けないですけど、祥子はちょっと面食いでしてね。祥子の前亭主の池堀幸久いけほりゆきひさは、なかなか顔立ちの整った優男でしたよ。」


 優男でしかない池堀が戦死しなかったのは、そもそも彼が重度のぜんそく持ちだということで、それが為に兵役検査ではねられたからである。

 戦時中においては、お国の為に従軍できない男は半人前だと言われ、池堀は肩身の狭い身の上となった。

 そんな彼が戦後に、なんと村の名士である田辺家の娘と結婚できたのだ。

 それも祥子は普通以上に美しい、村では高嶺の花の女である。

 しかし、彼の幸せはたった二年、農地改革で打ち砕かれた。


 GHQが行った農地改革は小作人への救済という名の、地主や庄屋などの古くからの村の顔役でもある名家を潰す目的のものである。

 よって、自分が耕作する畑だと宣言すれば、その土地を手に入れられるという雑なものであったのだ。


 池堀が喘息であることを理由に、お前には耕せないだろうと、村の健康な男達に悉く田辺家の農地を奪われてしまったのだ。

 田辺家が農地の大部分を失ったのは池堀のせいだと、畑を奪った人達によって池堀は嗤われ、そして彼は全てを祥子の責任にした。


 高嶺の花の祥子を嫁にさえしなければ、此処まで村の男達に馬鹿にされる事が無かったのだと恨み、彼がやっかまれて嫌がらせを受けるのは全て祥子のせいなのだと彼女に全ての鬱憤をぶちまけるようになったのである。


「それで、君はそいつに何をしたの。」


 居間のちゃぶ台を挟んで向かいに座る田辺は、俺が尋ねると肩を竦めた。


「何もしていませんよ。千代子の事を聞いただけです。遠の昔に半殺しにしましたから。あなたと港で別れて地元に戻った時にね。まぁ、そのせいで俺の姿を見るなり再び逃げ出して、ちょっと治安の悪い所に入っちゃったのです。ボッタクリバーや、怖いヒモをつけた立ちんぼは勿論、ひったくりや強盗ばかりの場所にね。千代子の事自体を奴は知らないようでしたからね、俺は思い切りました。」


 俺は田辺に湯飲みを軽く上げて賞賛した。


「素晴らしいよ、手を汚さずって。君は可哀相な男に小林に渡す予定の金を渡したのだね。その危険な場所で。これみよがしに。」


「大声もあげましたよ。この俺の今迄貯めたなけなしの大金だ、これを持って行けってね。」


 田辺の想定どおり、彼は美人局の的になり宿屋で殴り殺されて、全裸で冬の用水路に浮かぶ事となったのだ。

 女を殴っていた男が、女に騙されて殴り殺されるとは皮肉な話だ。


 治安の悪くない我が実家付近の宿にまで女と出向いて、我が実家付近で殺された事については、俺への嫌がらせにしか思えないほどに迷惑な話だが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ