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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
九 悪党と悪徳警官
33/60

餓鬼道に堕ちた者が集まる場所

「こんな敵もいない基地で!そんな言い訳が通じると思うのか!」


 中尉になったばかりの竹ノ塚隊長は、上官の怒号に何ら揺らぐことも無く、ただ少年の面影が残る顔をにっこりと綻ばせた。


 けれどその笑顔は死地での暮らしで培われた魔物の笑顔だ。

 床に転がる副指令という間抜けの慄きは、その周囲の観衆にまで伝わった。


 即ち、そこにいるもの皆、その美青年将校に怯えたのだ。


 中尉は腰を屈めて、まるで契約を持ちかける魔物のような風情で、その怯えるだけの矮小な男の耳にさらなる恐怖を落とし込んだ。


「銃弾はどこにいても飛んで来るものですよ。寝ていようが起きていようが。人が多いところではそれだけの数が。」


 長谷は俺の言葉を聞いたあの時と同じ顔で、あの頃の思い出を彼風に脚色して喜びながら当時の俺のセリフを口にした。

 俺は彼のその表情とお遊びに少々ウンザリしながらも言葉を返した。


「よく覚えているね、君。」


「副司令官様を転がせて脅した中尉様なんて君くらいだよ。お前はいつでも殺せるぞってね。それも不特定多数が狙っているぞってね。あいつはその日以来びくびくと怯えて、精神を病んでの後方送りだったさ。知っていた?」


 勿論知っている。

 俺の副官は田辺だ。

 そして、彼が嬉しそうに俺に副司令官のその後を報告して来たのだから。

 あいつは絶対に繋がりのある本隊の奴等を煽って、少佐殿に悪戯をさせていた筈だ。


「いいよ、昔話は。さぁ、行こう。ただの話し合いに余興を付けられたら誠司が怒る。」


 長谷は俺にニヤっと笑いかけると、鼻血で顔中を赤くして、怯えてヒイヒイ声を出している男の肩を掴んで歩かせはじめた。

 あの掴み方は痛いだろう。

 童顔の甘い顔立ちでも、長谷は俺と同じ死地を歩いて来た男なのだと、長谷と長谷によって痛みを与えられながら引き摺られていく捕虜の後姿を眺めながら、俺も前に踏み出した。


 ボロボロの外見の若社長を引き摺った俺達が事務所ビルに押し入ると、誘拐事件を起こす為に事前に人払いをしていたのかビル内のどこにも人の姿は見えず、俺達はすんなりと社長室に迎えられた。

 そこでようやく俺達は「人」に出会うことが出来た。


「お帰りなさい。リストは勿論だけど、子供はちゃんと連れ帰った?あれはパパがご執心の大事な子供よ。」


 ゴテゴテしい成金趣味の社長室に、母のお気に入りの泥大島を纏った美佐子が主のようにふんぞり返って座っていたのだ。


 それも社長の椅子に。


 俺達の姿に驚き大口を間抜けに開けた女の耳元を飾るのは、母の瑪瑙のイヤリングだ。

 その姿に、十年近く彼女に我慢していた幸次郎に罪悪感が湧き上がり、彼がダチョウを実家の庭に飼いたいと言い出しても味方になろうと決心した。


「誘拐などせずに電話をして戴ければ、ご注文の品ぐらい届けて差し上げましたのに。」


 長谷は絨毯敷きの床にごろりと若社長を転がせた。

 俺は壁に背を向けられるところに移動して、左手に杖を持ち右手はポケットに突っ込んだだらしない格好で壁に寄りかかった。

 一先ず俺の役割はないし、美佐子と話し合いたくも無い。

 美佐子は愛人の酷い姿に鼻を鳴らしただけで、長谷に堂々と向かい合った。


「それで、お持ちいただけたのかしら。リストの方だけでも。」


「いくら出します?」


 美佐子の目尻がキツくなり、白い頬がかぁっと赤くなった。

 今日一日で彼女の物欲の凄さがわかった俺には、この目線で長谷が殺されるのではと心配したほどだ。


「いくらをご所望なの?」


「あなたにとって幾らの価値があるのかなって事ですよ。」


 がちゃ。

 音を立てて社長室のドアが開くと、古社長の方の恰幅の良い藤田泰雄が、用心棒の様な部下二人を従えて入って来た。

 泰雄は後ろの黒服と対称的な仕立ての良い白のスーツに派手色のシャツを着込み、首と指先に派手な装飾品を飾っているという、若作りどころか映画俳優のような派手な格好だ。

 ただし、揉み上げを長くしても映画俳優にはなれないのにと、彼の外見への頑張りに悲しさだけが沸くという、そんな風貌の男だった。

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