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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
八 備えあれば憂いなし
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一番怖い男

「あなたは、くだらない事には本気で取り組みますよね。思いっ切り痛かったですよ、その弾。」


「でも、これは君が作ったペイント弾でしょう。」


「自分に使われるとは思いませんでしたからね。あぁ、痛ったい。」


 俺に撃たれて地面に足元に転がっていた血まみれの男が、悪態をつきながらむっくりと起き出した。


「あぁ、おじちゃん!」


 俺の後ろで子供の叫び声と泣き声が同時に起こった。


「あ、千代子を忘れていた。」


 四人もの敵を倒して助けた俺を素通りした小さな生き物は、寝ころんでいただけの田辺の首に大声で泣きながら縋りついた。


「隊長、千代子が怪我をしていたら許しませんよ。早く俺の縄を解いて。」


 俺に投げ飛ばされてしまった千代子は、俺が駆けつけるまで綺麗だった服は泥まみれに汚れてしまっている。

 転がした時の大きな音と悲鳴から考えるに、多分も何も、千代子は手のひらか膝ぐらいは擦り切れているはずだ。


「それね。俺はハサミを持ってくるのを忘れたのよ。そのまま俺の車まで歩いて。」


「ふざけないで下さいよ。ナイフぐらい奴等が持っているでしょう。それで、長谷は?あいつこそ来るべきなのに、あいつは何をしているのですか?」


「置いて来た。」


「置いて?」


「だって俺の違法拳銃を見咎められたら困るでしょ。杉並まで行くの面倒だし。親父の車動かないから、駆けつけるならタクシーだよね。俺達は長谷が来る前に撤収しよう。」


 答えながら田辺が俺に指示したように適当な奴の懐を探り、見つけたナイフで田辺の戒めを切ってやった。

 身体が自由になった田辺は泣き続ける姪を優しく抱きしめると、ハァと俺へと嫌味たらしく溜息をついた。


「それで、あなたが思いっ切り叩き潰したその男、美佐子さんの浮気相手ですよ。俺達が誘拐されたのはね、美佐子さんが一人で来たからです。驚きましたよ。突然千代子を抱きあげて凄い勢いで外に出るのですもの。俺は彼女が飛び出した後に侵入した奴らに抵抗も出来ずにあの有様です。俺には女子供を殴れませんからねぇ。あなたと違って。それから、いつも申してますが、最初に使ったあの声、脅しの声にあれはやめましょうよ。」


 俺は俺の隊の連中が俺があの声を使うたびに、俺以上の殺気を俺に浴びせて来たという恐怖も思い出していた。


「君達はどうでも、本隊の連中は怯えていたじゃないか。」


「本隊のひよっこがどうしたというのです。あの声はあなたには似合いません。あなたは普段の声のままであんな行動をするから怖いのです。よろしいですね。」


「……はい。」


 田辺は俺に言うだけ言うと、よいしょと、起用に姪を抱いたまま立ち上がった。

 姪を抱きながらも、彼は器用に首や肩をまわして体を解している。


「昼からずっと縛られっぱなしだったから、すっきりしましたよ。」


「おじちゃん、大丈夫?痛くない?」


「大丈夫だよ。」


 伯父と姪の仲睦まじい様子に、縄抜けどころか反撃できるはずの男が敢えて何もしなかったのは、これを千代子を手懐けるいいチャンスだと田辺は計算していたに違いないと俺は確信していた。

 そこで子供の前なのに、俺の口は余計な言葉を吐いてしまったのだろう。


「君が小林ゆう子を殺していないって知れて、俺もすっきりしたよ。」


 田辺は子供の前で言うべきことじゃない事を言った俺に対し、言葉を返さずに物凄い殺気の籠った目線で俺を睨み返した。


「千代子!千代子どこなの!」


 俺の余命がゼロになる状態を救ったのは、闇を切り裂く母親の叫びだった。

 長谷の到着は思いのほか早かったようだ。


「あぁ、ママ。ママ!」


 田辺の腕の中で千代子が泣き出して暴れだした。

 田辺は千代子を落ちないように抱き直すと、大声で叫んだ。


「こっさめだ!はよ来い!こん大馬鹿共が!」


 俺は顔には出さなかったが、久々に耳にした田辺の本気声にかなり怯えていた。

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