危機はどこにでもある
長谷とのドライブは、皆川の子供を孤児院に渡したところでゴールだった。
俺は杉並の所轄に残るという彼をそこまで送って別れ、そして、我が家へと戻った。
本来であるならば、妻と弟と母が待つ相良の家に顔を出すもので有るが、俺は田辺に会いたかったのだ。
彼の言い分を聞き、そして、長谷の不安どおりに彼が小林を殺していたのならば逃がさねばならない。
長谷はそのために俺に情報を渡したのだ。
あの嘘吐きは嘘吐きとバレている所で嘘吐き失格だ。
「ただいま。」
家の中は常夜灯も点いておらず、当り前だが台所も真っ暗だった。
俺は慌てて玄関の壁のスイッチを手探りし、玄関の廊下の電気を点けた。
「田辺?」
そうだ、この家には千代子もいたのだ。
彼女はに二階だろうか?
けれど、俺と田辺にこよなく怯える小さな子供が寝るにはまだ早い時間だ。
寝ていたとしても、いや、寝ているならばこそ家中を真っ暗にするわけがないだろう。
千代子は夜泣きをする子だ。
俺は急いで靴を脱ぎ、とにかく台所へと廊下を早足で向かった。
照明の傘を手探りでつかみ、点灯スイッチをカチリと入れる。
白熱灯がパッと点灯して明るくなった台所は、当たり前だががらんとしており、田辺が俺に用意した夕食の存在など一つも無い。
それどころか、台所のテーブルには、陶器の箸置きを重石代りにのせた白い紙が置いてあった。
強く引っ張ったためか、揺れる電灯で目の前を光と影が揺れて動いている。
俺は一瞬呆然としてしまっていたのだ。
「あの、馬鹿!」
そして、書置きを読んで電話台へと走った。
勿論、掛ける相手は杉並に残ると言っていた長谷だ。
そこで杉並の俺の実家に掛け、あの女中に長谷を電話口に出すように命令した。
「いいから、君の兄さんが大変なんだ。そこにいるはずの馬鹿男を出してくれ。」
バタバタと人が動く気配が起こり、数十秒後に電話口に聞き覚えのある声が響いた。
「どうした?」
「この、間抜け!あの手馴れの田辺と千代子が誘拐された。やつらの残した書付の意味は何だ?あの二人を誘拐して奴等は何がしたいんだ!誘拐した奴等は何者だ!」
しばしの沈黙の後、長谷の疲れた声が響いた。
「俺を拾ってくれ。そのメモには何が書いてある?」
「二人は預かった。俺が帰宅したのを見計らって電話を掛けるとさ。さぁ、奴等が電話を掛ける前に、奴等に返す言葉を教えてくれ。」
「たぶん、神野が隠した女学生時代の顧客リストを要求するはずだ。その頃の客で未だに金持ちな奴らは多い。渡すと答えてくれ。」
「わかった。後で掛け直す。」
長谷を殴る気持ちのまま、強く受話器を叩きつけるように戻した。
そして、その数分後に電話が鳴った。
「はい。」
「友人と子供は預かっている。」
「口上はいい。彼らが生きている確認をさせろ。」
暫しの沈黙の後に、男の息を吐くような声がした。
「すいません。隊長。千代子は無事です。」
「わかった。換われ。」
俺の声に呼応するかのように、すぐさま先程の男が電話口に出た。
「今すぐにこいつらと交換の品を持って来い。リストと言えば分るだろう。」
「わかった。場所はどこだ?」
電話が切れると、俺は再び実家に電話をした。
今度は長谷がすぐに出たが、彼に話させる前に一方的に俺が話した。
「俺はお前を拾わない。俺の親父の車を使え。場所は――。わかったな。」
「おい、ふざけ――」
がちゃん。
長谷への怒りのまま、俺は叩きつけるように電話を切った。
俺は書斎に戻り、サイドボードへと向かった。
サイドボードの奥に置かれた最高級のブランデーをずらすと、そこに小さな鍵穴の付いた扉が現れた。
俺は鉄の杖の持ち手を動かして外すと、そこに隠してあった小型の鍵を取り出し、取り出した鍵を隠し扉に嵌めてまわした。
カチリと解錠すると、その鍵を取っ手代わりにして隠し扉を開けた。
手を突っ込み、目的のものを取り出す。
俺の手に握られた防水布に包まれたそれは、中折れ上下二連式の小型拳銃、レミントン・デリンジャーのレプリカという、俺の作った銃だ。
町工場でも、その気になれば違法拳銃ぐらい作れるのだ。
材料と金属を正確に切り出す技術と銃の構造を理解していなければ、弾を打ち出すどころか暴発しかしないものしか出来ない危険な行為だが、危機はいつだってそこにあるのである。
俺は手製のデリンジャーにこれまた手製の弾を込めると、コートのポケットにそれを落とし込んだ。
「あ、適当な書類。」
適当な紙束を書斎机から取り出して、それらしく見える様にと筒状に丸めて輪ゴムで巻いた。
「さぁ、ご招待を頂いたことだし、出かけますか。」




