売春組織と千代子
俺は義妹が売春をしていたと長谷から聞いて、脊髄反射の様な言葉しか出せなかった。
「うそ。」
「ほんとう。あの物が無い時代でも戦争成金で良い暮らしをしていた奴らはいただろ。そいつらを客にして稼いでいたんだ。ただの娼婦でなくお嬢様学校の身元の正しい女の子だ。かなり高く売れて何でも買ってもらえて良い思いをしたそうだね。それでも、それが嫌って仲間が出たらお終いでしょ。そこで神野が売春した金で同じ高級品をお揃いに買うことを強要したんだよ。それが仲間の証であり、罪の証拠になる。奴隷の足枷だ。そして神野は体を売ることは自分の解放だと友人に薦めたそうだ。女性性の解放は貞淑を植え付けた男の呪縛から解き放たれる事にこそあるってね。」
「それで、君が言っていた間違った女性解放運動の提唱者ね。」
俺は婚約時代の美佐子の持ち物を思い出した。
真珠のイヤリングに金のコインのペンダントに高級革の小さな鞄。
「詳しいのはどうしてだ?」
「小林ゆう子の垂れ込みだよ。俺達が売春組織を捜査していた過程で彼女に知り合ってね。小林は神野主宰の売春クラブが嫌になって町から出奔して、結局まともな職に就けずに売春組織の言うがまま売春して生計を立てていた。田辺祥子と偽名を使ってね。千代子の事件は希望的観測で言うと組織の仕返しかな。足抜けは許さないってね。」
「それじゃぁ、千代子は小林の子供だったの?田辺は関係なかった?でも千代子の母にしては、ええと、小林はここが地元の扁平な顔立ちだよ。南国美人と程遠い顔立ちだよ。」
「竹ちゃんて……。まぁ、いい。千代子は田辺祥子の子供だって言っているでしょ。田辺祥子が両親と一緒にバス事故にあった日に、小林は彼らのお金と身分証を盗んじゃったの。それで田辺祥子として売春して。それでまた足抜け時に金が必要だからって、本物の田辺祥子の子供を盗んじゃったの。そして、撲殺死。」
「死んでいたホステスが小林か。それで希望的観測なんだ。娘を取り戻す母親の仕業って可能性もあるのだね。田辺は妹が死んでいて、整理が付いているって言っていたのに。」
「売春していた過去があるから兄と呼べないって身を隠しているんでしょ。田辺の家は名士だったからね、兄の邪魔になってはいけないって考えなのかな。それで田辺は妹には会わないけれど、仕送りはしていたそうだね。」
俺はとうとう車を止めた。何の事はない、エンストしてしまっただけだ。
ガシュっと。
「何をやっているの。赤ちゃんが怪我したらどうするの。車馬鹿なんだから運転ぐらいはまともにやってちょうだいよ。」
「うるさいよ。君達は全部知っていて俺に黙っていた?」
長谷は大きな目をぐるりと回すと、鼻で嗤った。
「俺も最近知ったんだよ。田辺は俺が知っている事を知らない。俺が知っているのは田辺祥子が俺に告白してきたからだよ。私が殺しましたって、その事情もね。でもね、あの殺しは男の手によるものだったさ。それで問い詰めたら、祥子が千代子を誘拐されて田辺に相談をしたのだそうでね。それで田辺が千代子を探しに動いた矢先のあの事件だ。押入れで一部始終を見ていた千代子は、田辺に怯えて一言も俺達に喋らない。そして俺達は普通に人殺しができる人間だろ。」
俺は再びエンジンをかけなおして車を発進させた。
人通りのない道で良かったと思いながら。
そして子供を抱いている長谷の手を見ながら、千代子の事を思った。
「君が父親って言うのも本当だったんだな。」
「それは違うでしょ。計算は合うけどね。」
「やっぱり。田辺にそれを君がどう説明するか見ものだよ。」
「え、もしかしてまた山をかけた?酷いよ。」
「君は情報将校だったわりに甘いし抜けているよね。」
君の唇が嘘を語る代わりに、君の手が全てを告白しているというのに。