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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
五 竹ちゃんの実家
19/60

茶番を終幕したのならば

 廊下を歩きながら俺はサロンから漏れ聞こえるというには謙遜過ぎる、溢れる大声の罵声の応酬を聞いていた。

 殆んど美佐子による、一方的な罵倒であったが。

 美佐子があのように声をあげるとは思わなかったが、これが本質だったのかと恐るべき女だ。


 結婚はお金のため。

 この家の男を愛するわけがないでしょう。

 この私が結婚してあげたのだから、感謝だけして言うことを聞いていればいいのよ、か。


「君を理解など出来ないよ。」


 弟よ、俺もだよ。

 戦地から帰ってこなかった俺の代わりに俺の婚約者と結婚して、俺の代わりに父親の跡継ぎとならざる得なかった、十年近くにも及ぶ、弟の不幸。


 全て俺のせいだ。


 俺はやるせない気持ちでサロンの扉を開けた。

 そこには母の着物を纏った鬼女と妻の裏切りで疲れきった男が喧騒を続けている姿と、息子の妻のその正体を目にして椅子に縋るように座る老女の姿である。


 ダン。


 音を立てて杖を床に強く打ち付けると、彼らが一斉に俺に顔をむけた。


「全部終いにするぞ。」


「どうしたの、恭一郎?」


 椅子に頼りなく座る母が弱々しく尋ねてきた。


「どうしたもこうしたも、こいつらの叫び声は、外に全部丸聞こえの駄々漏れです。幸次郎、お前は先日売った家の代金はどうした?使ってしまったか?」


「兄さん何を。父さんが建ててくれたものですから、売った代金は全部父さんに返すものだと通帳に入れて渡しました。」


「持ってこい。そしてその通帳をこの女にくれてやれ。被害者っぽく叩き出されて自由になりたがっている女だ。お前が自由にしてやれ。望みどおり蹴り出してやれ!」


 美佐子は途端に顔を蒼白にしたが、構うものか。

 懐から離婚届を取り出すと、サロンのティーテーブルに叩きつけるようにして置いた。

 そうしてから美佐子の首根っこを掴んで、テーブル前の椅子に座らせた。


「さぁ、美佐子、此処にサインをしろ。自由にしてやる。お前の大好きな可哀相な女という世間体をつけて追い出してやるよ。ほら、幸次郎は急いで通帳を持って来い。母さんはこの女を乗せるタクシーを呼んできて。」


 息子の不幸に自責の念で輝きを失って弱々しい老婆となった母が席を立ち、俺の命令どおりにしようと部屋を出て行こうとする気配が感じられた。


「待って、母さん。いや、いい。頼む。」


 一度は止めたが再び促した次男に、母は頷き部屋を出て行った。

 それを見送った弟は俺に振り返る。


「でも、兄さん。彼女は僕の妻で、あなたではなく僕が此処を納めるべきです。」


 幸次郎は青白い顔に決意を滲ませて俺に睨み返すと、俺を押し退けて美佐子の前に座り、俺に顔をむけて真っ直ぐに見返すと、彼は俺に生まれて初めて命令をした。


「兄さん、父さんの書斎の金庫にその通帳はあります。僕名義ですからわかりますよね。金庫の番号は母さんに教えてもらってください。二種類の三文判もついでに。」


「了解。」


 その十数分後、竹ノ塚家正面に止められたタクシーに、美佐子は持てる荷物と幸次郎の通帳を持たされて、幸次郎によってタクシーに押し込まれて放逐されようとしていた。

 彼女の持ち物に母から奪っていた宝石のほかに、新たな宝石も加わっていたことには脱帽だ。


 そんな事は他人にはわからないので、彼女は有無を言わさず追い出された可哀相な女の称号を手にいれ、弟は弱々しい男から妻を追い出した男になったはずだ。

 近隣の男性からは頼りないと言われていた弟は見直され、女性の同情票も手にできるに違いない。

 あんな大声で言い放った彼女の言い分を、近隣の皆様はしっかりと聞いていたのだから。


「まぁ、最終目標が竹ノ塚の家そのものだったなら、我が家は辛うじて彼女に勝てたってことなのかなぁ?なんだか負けた気しかしないけれど。ごめんね。着物や宝石、殆んど彼女に盗まれちゃったね。」


 隣に立ち、俺と同様にカーテンの隙間から、外の弟とその妻だった女を眺めている母は無言のままだ。


「まぁ、仕方がないよ。下手に居座られて命を盗られるよりいいでしょ。」


「君はどこにいたの。」


 振り向くと、俺達の後ろにニヤニヤ顔の長谷が立っていた。


「あら、この方は?」


「本庁の刑事ですよ。妻の事件で助けになってくれた。昨夜の事件の捜査協力をしてくれていましてね。これからいいですか?ちょっと嫌なものを見せますよ。」


 母は生来の毅然とした振る舞いを取り戻そうとしてか、しゃんと背筋を伸ばして弱々しいながらも微笑みを顔に浮かべた。


「今さっきの嫌なものよりも嫌なものならば、逆に歓迎だわ。」


「すばらしい!」


 母の回答に長谷は目を輝かせると、彼は俺の母が一瞬呆けたほどの悪い笑顔で嗤った。

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