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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
四 竹ちゃんの現場
16/60

一家惨殺事件の現場にて

 皆川知徳みながわとものりの殺害現場であり自宅は、弟の家があった並びの一軒であった。

 区画の北側の一番端であり隣の敷地が売れ残っているためか、住宅街で取り残された感がある。


「いい家だねぇ。この区画は皆新築でしょ。それもお高めの。」


「皆川家は土地持ちの農家でね。昨年だったかな、急に土地を売ってこの家を建てて家族全員で越して来たんだ。引退した老夫婦に会社勤めの長男夫婦と子供に被害者の次男だ。七人家族に三部屋のこの家は少し手狭じゃないかな。」


 家の前で羨ましそうに声をあげていた長谷は、俺の返答に両の眉毛を持ち上げて愛嬌のある表情をして、再び家に向き直った。


「詳しいね。それで、子供は幾つの子達?」


「三歳と生後半年の子だね。」


「ふうん。」


 彼は周囲を見回し、そして勝手に現場となった敷地へと身を翻した。

 彼の黒いロングコートは裾が短冊のように彼の動きに合わせて閃く。

 現場を警備している制服警官は長谷には警察手帳の提示を求めたが、慌てて長谷の後を追う俺には誰何も一切無く嬉しそうに通した。


「よろしくお願いしますよ。若様。」


 制服警官の掛け声を受けた俺に、ブっと長谷が噴出した。


「若様?新婚旅行から帰って来ない馬鹿様ではなくて?」


「煩いよ。俺だってあの呼び名はやめて欲しいのだから受けないでよ。」


 何のことは無い。

 親父の親友で後援会長の藤枝條之助ふじえだじょうのすけが俺の幼い頃に勝手にそう呼びかけるようになり、町内会の皆様までマネし始めただけのことだ。


 あの爺め。


 そして人の良さそうな若い巡査の名前は今川だった。

 親父の後援会の爺の一人、今川康友いまがわやすともの一族の者に違いない。


「康友爺さんは元気?」


「勿論です。自分は彼の甥の息子になりますね。今川康之いまがわやすゆきと云います。以後、お見知りおき下さい。」


 大当たりだ。


「うん、わかった。康友爺さんによろしく伝えてね。」


「勿論です。若様。」


「それは止めて。」


 ガララと玄関扉を開ける音が鳴った。


「で、玄関にこんな風に転がっていたわけね。」


 長谷の声に俺も玄関に目を向けた。

 玄関の上がり框に両足がかかり、腰から上が助けを求めてかたたきに横たわり、片腕を玄関扉に伸ばしている。


 そんな風に死体があったと、白いチョークで描かれた白い枠があった。


 赤黒く固まった血溜まりに浮かぶ白線。

 被害者の皆川知徳は、此処で動けなくなっての失血死であった事が伺える。

 また、刺されながら逃げ惑ったのか、玄関口から覗ける屋内の廊下や砂壁には、彼の物らしき血痕や赤い大小の手形のスタンプが押されていた。


 ほとんどが俺の右手のような不完全な手の形のものだ。


「遺体は仰向け?うつ伏せ?」


 長谷の質問に若い制服警官は困った顔つきで答えた。


「すいません、自分はわかりかねまして。」


「仰向け。」


「竹ちゃん詳しいね。犯人なの?」


 長谷の背中を軽く拳で突いた。

 今川巡査は背を向けて笑っているようだ。


「ご近所一行様が我が実家で大騒ぎの陳情中なんだよ。早朝に電話で俺を叩き起こした、俺よりも事件に詳しい俺の母に話を聞くかい?」


「室内を見てからね。この皆川家の他の皆様も君の家?」


 それに答えたのは今川巡査だ。


「皆川さん達は古い納屋で心中されていまして。」


「嘘う。」


「ほんとう。納屋の中で練炭自殺していたと聞いたよ。子供達も一緒だそうで可哀相でね。」


 俺が巡査の代わりに答えると、長谷はぐるっと玄関を今一度見回して、それから靴を履いたまま家の中に上がっていった。


「長男夫婦の部屋はどこ?君達はこの家の物は一切触っちゃ駄目だよ。」


「二階です。」


 巡査が答えるや、彼は白い手袋を嵌めながら真っ直ぐに階段にむかい、そのまま音を立てずに上階へと上がっていった。

 俺と巡査は顔を見合わせ、一緒に長谷の後を追いかけて二階の長男夫婦の部屋に向かうことにしたのだが、階段の途中で巡査が疑問を口にした。


「どうして長男夫婦ですか?若様。」


「俺はバカ様だからわかるわけがないでしょ。」


 今川巡査は俺から顔を背けて隠しているが、笑いを隠さなかった。

 笑う今川巡査の肩越しに階段下が見え、そこに丁度小さな血溜まりがあった事に気がついた。

 そして、階段を上がりきった廊下の隅に叩き付けたような血の滴りの形跡だけが残っている。


「どうして此処だけ拭いたのかな。」


「若様、お早く。」


「君は少し遊んでいるね。」

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