警視庁の刑事様と
「俺は所轄の刑事さんではないですよ。」
事前に電話で連絡も入れて、その上で警察に出向いた俺への開口一番がそれだ。
「杉並署の担当刑事を紹介するぐらいしてくれていいだろう。君の子供を預かっている大恩ある俺の申し出なんだからさ!」
丸めた書類ゴミがばしっと俺の胸元に当たった。
「ばか。大声で言わないでよ。子持ちだと知られて、俺がここでモテなくなったらどうしてくれるの。」
本庁の捜査一課は完全なる男所帯だ。
周囲で長谷を嗤う声の細波が起きている。
彼は机から立ち上がると、俺を連れて部署を出た。
彼は適当に俺を連れて署内を歩くと、人気のない廊下の長椅子に座り、俺を隣に座るように顔を動かした。
「千代子は田辺の子か?」
俺が尋ねながら座ると、ハっと空気を吐き出すような笑い声を彼はあげた。
「子供ではないけどね。田辺と血縁があるって竹ちゃんは気づいたんだ?」
彼は笑いながら懐から一枚の写真を取り出した。
そこには坊主頭の若い長谷と田辺が写っていた。
戦地での肖像写真サービスだ。
サービスと言っても有料であるので、一人一枚で写るよりも複数で撮って写真代を割って払うというのが習わしだった。
後で写真を切ってわけるのだ。
分割されていないという事は、この写真が仕上がった頃には、長谷には送る相手がいなくなっていたのであろう。
写真の長谷の胸に輝く階級章が、写真を撮った当時には彼が少尉であった事を示している。
「これが君が呼び出された写真か。」
「そう。殺されたホステスが田辺の妹の友人でね、彼女の子供を預かっていたらしい。その担保か身分証と一緒にその写真が箪笥の中にね。」
「妹は?」
「さぁ。寄る辺の無い少女が体を売るって良くあることだろ。子供抱えちゃ仕事が出来ないからね。体を売るなら尚更。」
「千代子は田辺の事を知らない顔をしていたぞ。田辺も知らない顔だしね。」
「まぁ、色々あるでしょ。妹の子供って気づきたくないだろうしね。それにしてもあの子は面食いなのかね。田辺の方を怖がるばかりのくせに、俺が親父って思い込むのは早いしさ、預けた矢野にはすんなりでしょ?」
ハハハと俺を小馬鹿にしたように笑う彼は確かに童顔だが、色白の肌に印象的な二重の瞳の顔立ちをした見栄えの良い男でもあるのだ。
「君は、千代子の引き取り手は探していないな。」
「ちゃあんと見つけてあるでしょう。」
嫌らしくヒヒヒと嗤いながら彼は俺の肩をつつく。
俺はやはりとがっくりだ。
彼は誠司の行動を見越して彼に預けたのだろう。
根が全うな誠司が、豪邸の贅沢に子供を慣らした上で女中に放り投げてお終いとは、絶対にするわけがないのだ。
それも、彼のベッドに入り込むような女中に預けるはずなど無いのは絶対だ。
だが、彼には日中仕事がある。
そこで我が家だ。
普通の家で、日中も人が居る我が家を誠司が突撃するのは確実だ。
よって誠司が千代子を連れて我が家に居候をすれば、自然に田辺に懐くようになるという算段だろう。
千代子の安全のためにと、田辺が学校の送り迎えまでしているのだ。
一昨日からは手を繋ぐようになったが、それまでは千代子の真後ろにぴたっと張り付くようにしての送り迎えだ。
俺は彼らを送り出す度、田辺が変質者として警察に逮捕されないか心配で彼の帰宅を家でじっと待っていたのは言うまでもない。
「でも、さすがだね。矢野は疑いもしなかったのにさ。あいつは素直に俺の子だと信じるの。あんたはそこら中に種を撒き散らしているからなって、失礼なセリフ付きよ。」
長谷は両腕を肘から上に上げて手のひらを天井に向けた。
何時も思うが、彼の指は細く長く、ピアニストのようでもある。
「俺が新婚旅行で日南海岸を目指したのは、彼に綺麗な海の話を散々聞かされていたからだからね。向こうに行ってみて地元の人達の顔立ちが田辺に似ているなって。彼と同じく浅黒くて彫が深い。千代子もそんな顔でしょう。」
「それだけ?もしかして俺に山かけた?」
「君は嘘吐きだろ。俺に語った君の子供云々を差っ引いても、どうして預けるのかなってね。いつもの君だったら自分の子供でも施設に預けて、口封じに来る殺人者の囮にしちゃうでしょう。あ、俺達だったら少々の奴等に対処できるからって、やっぱり囮中?」
「竹ちゃんの俺を見る目が最低だったって知れて嬉しいよ。ああ、もう。古傷と一緒に胸までも痛むようだね。」
嫌味たらしく長谷は、自分の右膝下をこれ見よがしにさすった。
そこには俺に撃たれた銃創があるからだ。
「本隊を餌にすれば、俺達の隊は全員逃げられます。」
そう進言した彼の膝下を俺は撃ち抜き、四人の隊員に長谷を後方に送るように指示をしたのだ。
そうすれば俺以外の隊員は咎を負う事も無く、無事に本国へ逃げ帰れる。
しかし、田辺だけは俺の側に残った。
俺の後悔は田辺を俺の元に残したままにした事だ。
俺は矢張り一人で死ぬのが怖かった愚か者であったから、残るという田辺を無理にでも国に帰そうとしなかったのだ。
彼がいなければ、俺は帰国が不可能だと受け入れた時点で頭を打ち抜いていただろう。