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黒猫は金魚鉢をひたすら覗く  作者: 蔵前
三 千代子様
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長谷が言う事には

「賢いよ、矢野は。喧嘩も唯の喧嘩ではなくて一般人を守るって形を取っていたからね、人望あるから彼らを捕まえようにも目撃証言が取れない。おまけに幼いヤツを食わせて学校に通わせて、年長の奴等は町工場で真面目に働いてもいたのよ。褒められこそすれ、非難できないでしょ。誰も自分の生活で手一杯で戦災孤児の面倒なんか見たくもないのだしさ。矢野だってガキだったのにね。」


「だから誠司に子供を預けたの?」


「急に俺の子供だって連れて来られても困るでしょう。覚えも無い相手だし。ちゃんと千代子の引き取り手を探すからさ、それまで竹ちゃんも頼むよ。」


「君は酷いヤツだな。」


 誠司は長谷の子供だという千代子を、長谷によって押し付けられたのだ。


 十二月五日のホステス殺害事件で長谷が現場に呼ばれて行ってみれば、現場の同僚刑事によって彼の目の前に小さな子供が引き出されたのだという。


 君の子供じゃないの、と嘲笑と共に。


 仕事に出てこないホステスの自宅に店の人間が出向いたら、鍵が開いたままのアパートの一室に死体が仰臥していたのだ。

 呼ばれた警察が部屋の中を調べている最中に、押入れの隅で体育座りで身を縮こませていた小さい子供を発見したのだという。

 そして被害者の部屋の箪笥の中から、若かりし頃の長谷の写真が出てきたのだ。


 情報将校だった癖に自分の写真の管理も出来ていないとは!

 長谷はとんだ間抜け野郎だ。


「それで、君がお父さんって?」


 長谷は愛嬌のある大きな目をぐるっとさせて、ニヤっと嗤ってみせた。


「この間手柄を立てた嫌がらせだよ。男の嫉妬はしつこいからね。」


 彼は俺の妻を救うために一肌脱いでくれたのだ。

 相良家も天野家も富豪である。

 今後の上司の天下り先を紹介できそうな部下を、持ち上げない上司などいないであろう。


「それにね、殺人が俺が追っている奴等の関係かもしれないからね。千代子が喋らないって事で殺人犯に殺されなかったのかも知れないけどさ、あの子を施設に入れるのは危険でしょ。その点誠司だったら安全でしょ。それにあいつ、相良の養子になって女達に狙われているからいい女避けにもなったでしょ。女中達が勝手にヤツのベッドに潜り込むんだってさ。笑えるでしょう。もう俺に感謝して欲しいくらいよ。」


「君は本当に酷い男だな。」


 そんなことを思い出していたら、二階から何時もの叫びが上がった。

 千代子だ。

 誠司が千代子を連れて俺の家に来て以来、彼女は夜中に必ず叫ぶ。

 昼間一言も喋らない分を取り戻すかのような大声だ。

 そしてその叫びは、ただ、「ママ!」なのだ。


 俺達はその叫びを聞く度に、彼女の受けた傷を想い胸が痛むのだ。

 誠司は最初の叫びで二階に駆け上がって行き、すでに台所に彼の姿は無い。


「矢野ちゃんは凄いね。彼は妹か弟がいましたよね、きっと。守れなかったから彼は必死で守れるもの全部を守ろうとするのかもしれませんね。」


 誠司のいなくなった席を眺めながら、田辺が憐れみを含んだ声で呟いた。


「君も家族が行方不明なんだろ。」


 港で別れた俺達が東京で再会した時、彼は故郷の家族が行方知れずで実家も無くなっていたと寂しく笑っていたのだ。

 農地解放で息子の帰らない田辺の家は農地を全部奪われて、年老いた両親と妹が行方知れずとなったのである。

 俺に付き合ったばかりに彼はシベリアに抑留され、帰国するのが遅過ぎたのだ。


「家族はこっちで全員死んでいました。墓も建ててやりましたから、それはもういいです。」


「すまない。それで千代子ちゃんをどうして誠司は相良邸で匿わないのかね。」


「矢野ちゃんは自分が元の生活に戻れないって騒いでいますよ。贅沢を覚えさせたら彼女が普通の生活が出来なくなるってね。それに、黙っていましたが、あなたが出入り禁止になった翌日に千代子ちゃんを相良邸に矢野ちゃんは連れて行ってね。それで改めて絶対に駄目だと。」


「何が絶対駄目だったんだ?それに俺に内緒って。」


「タベちゃんのおしゃべり。」


 台所の戸口に誠司が立っていた。

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