氷河期世代による京アニ放火殺人事件と川崎児童大量殺人事件の関連性について考えて見た
京都アニメーション第一スタジオで放火殺人事件が起こり、三十四人が亡くなった。まだ予断の許さない人も多いらしく、最終的にはどのくらいの犠牲者数になるか分からない。
この事件を単なる異常者の突発的な犯行で、犯人のみをなじるのは簡単で、自身の正義感の発露と他者への攻撃を同時に行えるので、ストレス解消には持ってこいである。
しかし、待って欲しい。この構造は何処かで見たことはないか?そう、川崎児童大量殺人事件のときと同じ構造である。
あの時、犯人は多数の児童や周辺を殺傷したが、動機はというと、「自殺したかったから」であった。
それを知った、いわゆる知識人は、「一人で死ね」「他人を巻き込むな」と得意気に語った。
この意見に便乗して、匿名掲示板やSNSでも同様の意見が広まり大きく支持された。
そして、今回の事件である。
今回もまた、単なる異常者による事件として済ませる気だろうか?
彼等に共通するのは氷河期世代の負け組と言われる人であることだ。これまでは負け組になるのは個人の自己責任で、全ては個人の責任にのみ帰するとされてきた。そして、それを篤く支持するのも、また負け組の氷河期なのである。
これはまさに、メディアに支配された負け犬の思想そのものである。彼等はより大きな媒体の意見に便乗し、他者に対して自身の優位の発露ーマウンティングを手っ取り早く行いたいだけなのだ。
その結果が今回の事件なのだ。
負け犬と呼ばれる非正規氷河期による大量殺人事件はこれからも起こり続けるだろう。そして、それに巻き込まれるのも自己責任なのだ。これは、社会が産んだ氷河期世代というものに対する責任であり、彼等の起こす事件についても、自己責任で殺害されるべきであろう。