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プロローグ2/2


いつの間に眠ってしまっていたのだろう、はっと覚醒すると最初どこにいるのかわからず混乱したが、よくよく思い返し、立ち上がって姿見の前で自分の姿を点検する。

ソファでうたた寝していたので、髪型は崩れておらず、ドレスも思ったほど皺にはなっていない。

ほっとして、部屋を出ようとすると、男女の声が廊下から聞こえて来た。


「大丈夫ですか?」

「酔ってしまったみたい……あ、ここね」

ガチャガチャとドアノブを回す音がする。驚いて咄嗟に身を隠す場所を探し、分厚いカーテンの向こう側へ滑り込むのとドアが開くのは同時だった。


「はぁ……飲み過ぎてしまったわ」

「ここで休まれるほうがいいでしょう。では、私はこれで」

「待って」

「エメリーゼ殿、男女が一つの部屋に、というのはいらぬ誤解を招きます」

「アレク、お願い、もう少しだけ……」


こ、これは……私はこの場をどう逃げ出したらいいものか、ああ、でもちょっと興味がなくもない……な、何を血迷っているの、私ったら!

どちらにしても今は出られないのだ、見つからないように、こっそりと脱出を試みるしかないと息を殺して様子を伺う。


「アレク、苦しいの、手伝って、ね?」

「エメリーゼ殿……」

シュル、シュル、パサリ……衣擦れの音に続き、ベッドのギシリと軋む音が聞こえる……こ、こここれ以上ここで聞かなきゃいけないの?!いくら初心(うぶ)でもこれから何が起こるかぐらい、私にだって想像がつく。


「私が出来るのはここまでです、さぁ、休んでください」

「アレク、お願い、お休みのキスを……ね?」


チュッ……チュッ……いぃいやぁあああああああ!!もう無理ーーーっっ!


「あああ、あのっ!!」

勇気を出して、そっとカーテンから出て来た私が見たものはーーー。


ドレスをすっかり脱ぎ、下着姿でベッドに腰かけているブルネットの美女と、その美女の腕が首に巻きつき、覆いかぶさるような形でベッドに片膝をついている、先ほどの神々しい人間だったーーー。


「きゃあああああ!」

「き、君はなんだ!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、気分が悪くて休んでたら、こちらに急に入って来られたので……すみませんでしたーーー!」

目を瞑ったまま一息に言うと、淑女であることも忘れてドレスの裾をたくし上げ、私は脱兎のごとく逃げ出した。


急いで階段を駆け下り、会場へ入るとオットーの姿を探し、彼を見つけると懇願した。

「オットー様、お願い、後生ですから馬車をお借りしたいのです!!」

「アデリーヌ嬢、どうしたの?そんなに息をきらせて。何かあった?」

オットーが引き留めても絶対に帰るつもりだった、最悪、この屋敷の馬を借りてでも。


「帰りたいのです、どうしても」

「……そう、じゃあ僕も一緒に帰ることにするよ」

あっさりとオットーが一緒に帰ることを了承して玄関に向かう途中、ちょうど階段から降りてくるヴェッヘンバウアー伯爵の姿が見えた。私は素早くオットーの身体に隠れるように、前に一歩踏み出す。


玄関口で男爵に(つか)まっているオットーを尻目に、私はさっさと馭者の手を借りて馬車に乗り込むと、暴れ回る胸の辺りを手で押さえつけた。

今さっき見たもの、あれはなんだったの……あれが仮にも婚約者がいる男のすることなのかと腹が立つやらなんやら、頭の中は爆発寸前だった。


馬車の扉を開けて、オットーが乗り込んでくる。


「玄関でヴェッヘンバウアー伯爵に呼び止められてね、今日は一人かと聞かれたよ」

「……なんとお答えになったのです?」

震える声でオットーに問いかける。

オットーは器用に片眉を持ち上げると「もちろん、と答えたさ」と笑って言った。


*****


屋敷に帰り、湯浴みを済ませて着替え終わると、どっと疲れが押し寄せてきた。


「お嬢様、だいぶお疲れのようですね。お休み前に何かお飲みになられますか?」

髪をタオルで乾かしながら、ライザが鏡越しに尋ねてきた。


「疲れた、どころじゃないわ……飲み物はいらないけど……少し話を聞いてくれる?」

ライザが休むのが遅くなってしまうのが少し申し訳ない気もしたが、このままではどうにも腹の虫が収まってくれそうになかった。


「もちろんですとも。私でよろしければ」

「ありがとう……」


ライザを相手に、今日の出来事をぽつりぽつりと話した。


ライザは最初は大人しく聞いていてくれたが、段々とその表情が険しくなっていくーーー。


「そんな方の許に、大切なお嬢様を嫁がせるわけには参りません!!」

「そうよね、私もそう思うわ……」

「なっ!何を他人事のように仰っておいでなのです!明日、旦那様のところへ参りましょう!いっそ今すぐお邪魔したいぐらいですわ!」

「ライザ、さすがに今からはお兄様にもご迷惑よ」

「ですが、なんなんですか、お嬢様というものがありながら、なんてこと……」


ーーーーー婚約者がある身であっても、エスコートぐらいは許される社交界。ただ、基本的に同伴者は婚約者で、許されても身内やごく近しい縁の者と限られている。

あの部屋で起こったことを鑑みても、身内ではないというのははっきりしている。ということは、やはりヴェッヘンバウアー伯爵は『婚約』を知らないのだと思いたい。

知っていてやっているとなれば、とんでもない男ではないか。例え僅か三年だったとしても傍にいたくない。


これは早々に決着を付けなければーーー。

ライザの怒りの声を聞きながら、明日早々に兄に話をしようと決めた。


翌朝ーーー。


食堂で朝食の時に、兄にそれとなく予定を聞くと、午前中は王宮へ出仕せねばならないと言われたので、午後に時間が欲しいと頼むと、いやに真面目な顔をして頷いてくれた。

ひょっとすると、屋敷に帰ってから挨拶もそこそこに自室へ引っ込んだ私のことを、送ってくれたオットーから聞いたのかもしれない。


*****


兄が戻ってきてからしばらくして、執務室の扉をノックした。

了承の返事が返ってきたので、扉を開ける。


ソファに座って向き合うと、いつになく難しい顔をした兄がいた。


「お兄様、実は昨晩のことなのですが」

「その前に、今日、王宮で陛下に謁見してきた。……ヴェッヘンバウアー伯爵とともに」

「……え」

「ヴェッヘンバウアー伯爵は『婚約』についてご存知なかったようだ。あちらは婚姻約定書を王宮の役所に預けていたようだな」

「そんな……」

「とりあえず、異存はないそうだが。近いうちにお前に会いに……おい、どうした?」


私はポロポロと涙が零れるのを止められなかった。兄がぎょっとした顔をしているのがわかったが、それでも止めることが出来ない。


「お兄様、ヴェッヘンバウアー伯爵はお噂通りの方でした……私には身に余るお方です、どうか、一生のお願いです、この『婚約』を無かったことにしていただけないでしょうか?」

「それは、今となっては難しいだろう……そう言えば、昨晩の夜会にヴェッヘンバウアー伯爵も招待されていたんだったな、オットーも何かあったようだとは言っていたが……一体、何があったんだ?」


私はさめざめと涙を流しながら、掻い摘んで説明する。結果的に盗み聞きになってしまったが、あれは不可抗力だ、私は悪くない。


「彼の噂は私も聞いてはいたが……うーん……」

兄は腕を組んで目を閉じ、考え込んでしまった。


「お兄様、私をしばらく領地へ返して頂けませんか?病弱で婚姻など無理だとわかれば、あちらも考えてくださるのでは?」

「だが、お前の病弱、はかなり無理があるぞ?」

「なぜです?」

「祖父さんから頼まれた、騎士団の何人かと剣を交えてなかったか……?お前は王宮に出仕することもないから知らんだろうが、意外と有名人だぞ?」


……何、それ。知らないんだけどーーー私は驚いて、涙も引っ込んでしまう。


「夜会でダンスを踊るより、剣舞が似合う令嬢だとか、騎士団の奴らが言ってたなぁ……」

「ちょっと!お兄様!それ、ヴェッヘンバウアー伯爵はご存知なの?!」

「どうだろうなぁ……そこまでは知らんが。とにかく、お前の病弱は無理だな。そこは諦めてくれ」

「で、では、剣で怪我をして身体に傷があるということに……っ!」

「お前の剣技は騎士団の面々も認めているーーーということは、剣で怪我というのも……なぁ?」

「お兄様はたった一人の妹が可愛くないんですの?!」

「可愛いが、お前のそれは自業自得なんじゃないのか?」

「……くっ……」


兄の言う通り、祖父が褒めてくれるのが嬉しくて、ついつい調子に乗ってやっていたことは間違いない。刺繍やダンスが出来なくたっていいと祖父が言うから、全てを鵜呑みにしていたわけではないが、苦手なことは後回しにしていたことは事実……。

私が膝の上でハンカチを握りしめながらプルプルと震えていると、兄がため息を一つ吐きだしてから、ソファに座りなおして私に告げる。


「アディ、お前の気持ちもわからなくはないが、彼に関しては噂ばかりが先行しているような気がしてならないんだ。しばらく彼の様子を見てからでも遅くはないんじゃないのか?」

「お、お兄様はあの場をご覧になっていないから、そんなことが言えるんです!仮に結婚したとしても、女性関係で苦労するのが目に見えているではありませんか!私は嫌です!」

「アディ……」

「それに、それに……あ、あんな神々しい人間とずっと暮らせだなんて!私への拷問ですか?」

「拷問って、大袈裟な……ま、まぁ、気持ちはわからなくはないが……」

「……ともかく、このお話はなかったことにしてください。して頂けないなら、私が自分で破棄してくださるように、お願いしに参りますから!」

「わ、分かった、分かったから少し落ち着いてくれ……」


涙で幕が張った目で兄を睨みつけると、兄も弱り切った顔で片手で頭を掻いている……兄のせいではないのはわかっている、土の下で眠っている祖父を叩き起こして、襟首を掴んで文句を言いたいぐらいだ。

「お前の気持ちは十分過ぎるほどわかった。とりあえず、近いうちに彼は我が家に来ると言っていたから、彼の考えを聞いてみよう。突然現れた婚約者に、戸惑っているだろうし」

「……伯爵様の考えをお聞きになっても無駄でしょうに……そうは言っても、手順を間違えてはいけませんものね。わかりました、お兄様、よろしくお願いいたします」

兄は疲れた顔で右手を上げ、それを合図にソファから立ち上がる。


「アディ、先走るなよ」

「わかってますわ」


私はノブに手をかけ、振り返りもせずに返事をすると、廊下へ出た。


ーーーーなんとしてもあちらから破棄してくださるように仕向けなければ。こちらが傷つかない方法なんてないんだから、少しでも傷は浅いほうがいいに決まってる。

浅い傷なら治りも早く、跡も残らないのだから……。


ほんの少し、棘のようなものが胸を刺した気がしたが、気付かないふりをした。


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