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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜  作者: 緋影 あきら
9/12

ーお忍びの旅ー

ジリジリと鉄板で焼かれるような暑さの中、鴻夏(コウカ)は馬に揺られながら、本日何度目かの弱音を吐いていた。

「も…無理…」

「何を甘えた事を言ってるんですか。まだ出発して二時間も経っていませんよ」

呆れたようにそう答える牽蓮(ヒレン)が、本当に鬼のようだと鴻夏(コウカ)は思う。

結局 鴻夏(コウカ)の一世一代の脱走劇はあっさりと失敗に終わり、鴻夏(コウカ)花胤(カイン)に戻る事も出来ず、何故か花嫁一行とも別行動で、今 砂漠のど真ん中を牽蓮(ヒレン)ら三人と旅していた。

すでに正体がバレてしまっているため、特に変装もしていないが、服装だけは旅をしやすいよう男の子の物のままである。

そして今、鴻夏(コウカ)ら四人は何故か堂々と公道を外れ、一面何の目印もない砂漠のど真ん中を突っ切るような無茶な行路を進んでいた。

正直今何を目指してどこを進んでいるのかもわからないが、多分最終的な行き先は同じ風嘉(フウカ)皇城(おうじょう)なのだろうなとは思う。

だが何故わざわざこんな無茶な行路で、旅をしなければならないのか…やる事があまりにもぶっ飛び過ぎていて理解に苦しむ。

ただ鴻夏(コウカ)以外の三人はかなり旅慣れしているようで、この燃えるような暑さの中でも特に何の問題なくサクサクと進んでいた。

しかしこれが初旅となる鴻夏(コウカ)が、旅慣れしている彼等と同じ速度を保てるわけもなく、気がつくと自然と一行から遅れがちとなる。

そしてその度に、鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)(たしな)められる羽目(はめ)になっていた。

そして本日すでに何回目かもわからない牽蓮(ヒレン)の注意に、ついに鴻夏(コウカ)がキレたのである。


「あのね!私はあんた達と違って、旅なんてした事もないのよ?最初からあんた達と同じ速度で移動するなんて出来るわけないじゃない!」

「…それはこちらも考慮(こうりょ)しないでもないですが、それでも姫は遅すぎなんですよ。下手に(はぐ)れられると面倒ですし、第一この進み具合では夜になっても次のオアシスまで辿(たど)り着けません」

いきなりバッサリと容赦(ようしゃ)なく言い切られ、鴻夏(コウカ)はグッと言い(よど)む。

自分が皆の足を引っ張っている自覚はあるが、だからと言って何も自分も好き好んでこんなキツい行路を進んでいるわけではない。

もっとマシな道ならば、自分だってここまで足を引っ張らないはずだとは思うが、何故か行路に関しては牽蓮(ヒレン)(がん)として譲らない。

どうも彼にはどこか寄りたい場所があるようで、花嫁一行と行動を共にするとその場所を通らないから、こうしてわざわざ別行動しているようだった。

…しかし問題なのはそこではない。

その牽蓮(ヒレン)の行きたい場所とやらに、何故自分まで付き合わないといけないのか…?それが納得いかないのである。

そこに行かなくてもいいのなら、こんな強行軍で進む必要もなく、皆の足を引っ張る事もなくなるのだが、それに関してはずっと牽蓮(ヒレン)却下(きゃっか)され続けていた。

結論から言うと牽蓮(ヒレン)の行きたい場所に、鴻夏(コウカ)も連れて行く事が本来の目的のようである。

その理由までは知らないが、何も知らない鴻夏(コウカ)にしてみればいい迷惑な話であった。


そしてイライラしながらも馬を進めていると、それを見兼ねたのか、總糜(ソウヒ)がスッと馬を寄せて話しかけてくる。

「まぁまぁ姫さん、そんなに怒らないでよ。せっかくの可愛い顔が台無しっすよ? 主もあれで特に悪気があって言ってるわけじゃないんだし…」

「…あれでわざとだったら、もうすでに一発殴ってるわよ?」

物騒な事を言ってのける鴻夏(コウカ)に、おやおやと言わんばかりに總糜(ソウヒ)(たず)ねる。

「あらら、実はもう結構キテます?」

「当たり前よ!何なの、あいつは⁉︎昨日はちょっといい奴かと思ったのに」

ブツブツと文句を()れながら、怒り散らすと總糜(ソウヒ)は少し困った顔をしながらこう答える。

「あー…まぁ主もちょっと言葉足りないっすよね。でも主のやる事には全部ちゃんと意味があるはずなんで、悪いけど最後まで付き合ってやってくれないっすかね?」

まるで親しい友人を(かば)うかのような口振(くちぶ)りに、鴻夏(コウカ)はふと興味を()かれた。

そしてこの機会に、()き上がった疑問をそのまま相手にぶつけてみる事にする。

「…昨夜も思ったけど、貴方達って随分(ずいぶん)親しげよね?」

「まぁ…普通の主従関係とは違うっすね」

「普通とどう違うの…?」

何気なく聞き返した言葉だったが、聞かれた總糜(ソウヒ)の方は困ったような表情でこう答えた。

「…姫さん。俺らみたいなのはね、お(えら)いさんにとっては使い捨てが普通なんすよ。でもうちの主は冷徹(れいてつ)に見えて、実は身内(みうち)にもの(すご)く甘い人なんす。それこそお偉いさんなのに、俺らみたいなのも見捨てる事が出来なくて、命張って自ら助けに来ちゃうようなお馬鹿(ばか)さんなんすよね。…だから立場上は主従なんすけど、俺らにとってあの人はかなり特別な存在なんすよ」


衝撃的(しょうげてき)な言葉だった。

皇族(おうぞく)が『影』と呼ばれる忍達に守ってもらうのは当然の事だと思っていたが、まさかその彼等が使い捨て同然の扱いを受けているとは知らなかった。

そしてそんな彼等を、牽蓮(ヒレン)が家族のように大事にしている事も…。

『…優しい人…なのかも…?確かに私も昨日から何だかんだで世話になってるし…』

ふと気づけば鴻夏(コウカ)は昨夜からずっと、牽蓮(ヒレン)に助けられっぱなしなのである。

今も自分を見捨てて行く方がよっぽど楽なはずなのに、文句を言いつつもちゃんと皇都(おうと)まで連れて行こうとしてくれている。

大体 鴻夏(コウカ)のような砂漠を知らないド素人が、こんな場所で一人 (はぐ)れたら、間違いなく(かわ)き死にするか(けもの)盗賊(とうぞく)(おそ)われて殺されるかのどちらかしかない。

だからそうならないよう、口煩(くちうるさ)く注意してくれている牽蓮(ヒレン)は、実はかなりの世話焼きなのかもしれないと今になって鴻夏(コウカ)は思った。

そしてその事に一旦気づいてしまうと、今まで上辺(うわべ)だけ見て一人で怒って()ねていた自分が急に恥ずかしくなってくる。

仕方ない、もう少しあの男に付き合ってやるか…と鴻夏(コウカ)が少し照れながらも、(あきら)めたようにそう思った時だった。


バサッという大きな音と共に、目の前の光景が一面真っ白になった。

そしてふわりと何かに包まれる感触がして、白一面の光景が消え去ると同時に、その影から牽蓮(ヒレン)の顔が(のぞ)く。

いつの間に目の前に来ていたのかと、驚いて声も出ない鴻夏(コウカ)に対し、牽蓮(ヒレン)はまったく動じる事なく淡々とこう告げた。

「…陽射(ひざ)しが強くなってきました。姫が今お使いの外套(がいとう)では防ぎきれないと思いますので、どうぞこれをお使いください」

「…あ、ありがとう…」

「いえ、それより急がないと。この辺りは夕方になると砂嵐が起こりやすくなります。荒れ始める前に次のオアシスまで辿り着かないと、皆の身に危険が及びます」

そう言いながら、丁寧に鴻夏(コウカ)外套(がいとう)を巻いてやると、牽蓮(ヒレン)は再び何事もなかったように前を向く。

ある意味、事務的とも取れる態度だったが、それでも鴻夏(コウカ)は気付いてしまった。

牽蓮(ヒレン)が自分に着せてくれたこの外套(がいとう)は、おそらく彼が鴻夏(コウカ)の為にわざわざ用意してくれた物だ。

何故ならその外套(がいとう)は、派手(はで)な模様こそないものの、誰がどう見ても明らかに女性物で、しかも(すそ)に細かな金糸の刺繍(ししゅう)(ほどこ)されたかなり上等な物だった。

そして彼は先程、夕方になると砂嵐が発生する危険性があると言った。

つまり朝から口煩(くちうるさ)いくらいに鴻夏(コウカ)を急かしていたのは、彼なりに鴻夏(コウカ)の身を案じての事だったのだとふいに理解出来たのだ。


『なんだ…単に不器用なだけで、実は良い人なんじゃない』

気付いた途端、自然と鴻夏(コウカ)に笑みが(こぼ)れる。

それを鋭く見逃さなかった總糜(ソウヒ)が、こっそり鴻夏(コウカ)にだけ聞こえる声でこう(ささや)いた。

「…ね、だから言ったでしょ?うちの主は身内に激甘なんすよ」

「私も…身内に入れて(もら)えてるの…?」

「もちろん。だって姫さんは、風嘉(フウカ)帝の(きさき)になる人だからね」

そう言われた途端、何故かチクンと胸のどこが痛むのを感じた。

『…そう…か。私は彼にとっては、主君の妃になる姫。だからこうして無条件に大事にしてくれてるのね…』

つい先程までの暖かい気持ちが急激に(しぼ)んでいくのを感じながら、鴻夏(コウカ)は一人足元に視線を落とした。

牽蓮(ヒレン)が自分にも優しいのは、単に主君への忠誠心の表れに過ぎないのかと思うと、なんだかとても惨めな気分だった。

…ここに居る嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)は違う。

彼等はちゃんと、牽蓮(ヒレン)に彼等自身の事を大事に思われている。

だが自分は花胤(カイン)の姫という立場がなければ、彼にとって何の価値もない人間だ。

そう思うと、まるで自分だけが異分子だと言われているような気がして、鴻夏(コウカ)はひどく哀しくなった。

そしてそれっきり、鴻夏(コウカ)總糜(ソウヒ)とも話す気分になれず、そのまま無言で馬を進める。

總糜(ソウヒ)もそんな鴻夏(コウカ)の気配を(さっ)したのか、付かず離れずの距離を保ちつつも、それっきり何も話しかけては来なかった。

そして元々が無口な嘉魄(カハク)と何を考えているのかわからない牽蓮(ヒレン)、相変わらず(にぎ)やかに鴻夏(コウカ)以外に話しかけ続けている總糜(ソウヒ)の姿を見ながら、鴻夏(コウカ)は黙々と旅路(たびじ)を急ぐ。

その甲斐(かい)あってか、初心者にはかなりキツい速度での旅ではあったが、陽が沈み切る少し前に、鴻夏(コウカ)ら四人は何とか小さなオアシスに辿り着く事が出来た。

そしてその夜、鴻夏(コウカ)はまた初めての体験をする事になるのである。




満天の星空の下、小さいながらも緑豊かなオアシスで、鴻夏(コウカ)は一人固まっていた。

目の前にはいつの間に組まれたのか、大きめの()き火が(こう)々と揺らめき、ぐつぐつと鍋の中身を煮え立たせている。

その横には白い大きな布を張って作った簡易天幕が立ち、拾い集めた石を積んで作った簡易の(かまど)では、小さな薬缶(やかん)がシュンシュンと(にぎ)やかに湯気を沸き立たせていた。

その平和な光景を見ながら、鴻夏(コウカ)は思わず呆然と立ち尽くす。

着いた時にはまったく何もなかったはずなのに、自分が少し離れている間に、その場はまるで魔法のように居心地のいい空間に作り変えられていた。

その事に純粋に驚くと共に、鴻夏(コウカ)は何もしなかった自分が恥ずかしくなる。

思えばこのオアシスに着いてからというもの、牽蓮(ヒレン)等は何もした事のない鴻夏(コウカ)を放置し、それぞれが何かの作業をしていた。

実は鴻夏(コウカ)も何か手伝おうとは思ったのだが、それを言う前に牽蓮(ヒレン)に『先に水浴びをしてきてください』と大きめの布を渡され、一人湖へと追いやられたのである。

そして言われた通りに、旅の汗と(ほこり)を落として戻ってみると、もはや現場はこの通りで、鴻夏(コウカ)は自分一人が何もしなかった事が気まずくてしょうがなかった。


『聞いてないんだけど…』

最初に頭に浮かんだのは、それだった。

いくら自分が世間知らずの姫とは言え、さすがにこれはないと思う。

自分が呑気(のんき)に水浴びをしている間に、彼等はテキパキと()()を集めて焚き火を起こし、その合間に簡易テントを張ったり料理の下ごしらえなどもして、あっという間に今夜の寝床と夕食を完成させてしまった。

皆疲れているはずなのに、文句一つ言わずに作業をして、水浴びから戻ってきた鴻夏(コウカ)を暖かく迎えてくれる。

「あ、姫さん、お帰り〜。ちょうどもうすぐ夕飯が出来るよ」

そんな鴻夏(コウカ)の気持ちも知らず、總糜(ソウヒ)が明るく声をかけた時だった。

「おや?ちょうど良かったみたいですね」

ふいに後ろから牽蓮(ヒレン)の声がした。

びっくりして振り返ると、そこにはいつの間にか両腕にたくさんの果物を抱えた牽蓮(ヒレン)が立っていた。

牽蓮(ヒレン)殿っ⁉︎…え、果物??」

「…ああ、はい。ここのオアシスに結構 自生(じせい)してるんですよね。姫は何がお好きです?」

ニッコリと微笑みながら牽蓮(ヒレン)が言う。

それに何か返答する前に、總糜(ソウヒ)がその場に強引に割って入ってきた。


「ちょっと主〜?勝手に一人でフラフラしないでくださいよ。主に何かあったら、俺と嘉魄(カハク)のせいになるんすからねっ⁉︎」

「ああ…ごめん、ごめん。でもほらここは小さいオアシスだから、他の旅人も居ないみたいだし…」

少しバツが悪そうに牽蓮(ヒレン)がそう言うと、總糜(ソウヒ)はチチチと指を振りながら、すかさずこう答える。

「ダメっす。そう言って前もフラフラ歩いて盗賊に襲撃(しゅうげき)されたじゃないっすか」

「あー…そうだったかな?」

「そうっすよ。もうホントに勘弁(かんべん)してくださいよ。あの時は最終的に黎鵞(レイガ)にその事がバレて、俺 一ヶ月ぐらいマトモに口聞いてもらえなかったんすから…」

ぶつぶつと文句を()れる總糜(ソウヒ)の言葉に、鴻夏(コウカ)が思わず反応した。

黎鵞(レイガ)…?誰なの、その人…?」

思わず初めて聞いた名を復唱(ふくしょう)すると、ピタリと牽蓮(ヒレン)總糜(ソウヒ)の動きが止まる。


もしかして聞いちゃマズかったのかな…とも思ったが、すぐに牽蓮(ヒレン)が説明してくれた。

「…() 黎鵞(レイガ)風嘉(フウカ)の氷の宰相(さいしょう)殿です。ここにいる總糜(ソウヒ)は、実は黎鵞(レイガ)殿の専属の影なんですよ」

「えっ⁉︎總糜(ソウヒ)って牽蓮(ヒレン)殿の忍じゃなくて、風嘉(フウカ)の宰相様の専属なの⁉︎」

「そうっすよ〜。こう見えて俺、結構優秀なんすよね」

しゃあしゃあと得意げにそう言ってのける總糜(ソウヒ)に、牽蓮(ヒレン)が余計な一言を付け足す。

「まぁ元々、總糜(ソウヒ)黎鵞(レイガ)殿が連れてきた忍ですしね。その事もあって、總糜(ソウヒ)黎鵞(レイガ)殿にだけは頭が上がらないんですよね」

「ちょっ…主、余計な事まで教えないで」

少し赤くになって照れている總糜(ソウヒ)に、鴻夏(コウカ)は思わずおや?と思う。

確かにこの反応は、初めて見る總糜(ソウヒ)だ。

今までふてぶてしいやらチャラチャラしてるわで、忍にしてはやる気があるのかどうかも(あや)しい感じだったが、それも牽蓮(ヒレン)が本来守るべき主人ではなかったからなのかと思うと、少しだけ納得する。

そして納得すると共に、新たな疑問が湧いてきた。


「あれ…?總糜(ソウヒ)が宰相様の専属の影なら、今 宰相様は一体誰が守ってるの?」

さすがに放ったらかしという事はないとは思うが、守るべき主人の側を離れてまで、何故 總糜(ソウヒ)がここに居るのか?という疑問もある。

しかしそれに対し、牽蓮(ヒレン)は実に曖昧(あいまい)な返事を返した。

「…ちゃんと代わりの忍が付いてますよ。大丈夫、ほぼ四六時中(しろくじちゅう)一緒に居るはずなので、總糜(ソウヒ)がここに来ていても彼の身は安全です」

「ま、俺に比べたら、かなり頼りない奴っすけどね…」

ちょっと不満そうに總糜(ソウヒ)がそう付け加える。

それに対し、珍しく寡黙(かもく)なはずの嘉魄(カハク)がボソッとこう(つぶや)いた。

「…お前の場合は、相手が誰だろうと気に()わないだけだろう」

「ちょっ、嘉魄(カハク)のオッサン!普段無口なくせに何でこんな時だけ参戦してくんの⁉︎」

思わぬところからの横ヤリに總糜(ソウヒ)(あせ)ってそう言うと、嘉魄(カハク)はそれには答えず、また黙々と焚き火に小枝を追加する。

どうも言うだけ言っておきながら、總糜(ソウヒ)の質問には答える気がないらしい。

その勝手気儘(かってきまま)な態度に、さすがの總糜(ソウヒ)もカチンときたのか嘉魄(カハク)に対して怒鳴り続ける。

「ちょっと?無視すんなよ、オッサン!」

「まぁまぁ、總糜(ソウヒ)嘉魄(カハク)は事実を言ったまでだし」

返事をしない嘉魄(カハク)に代わり、ポンッと總糜(ソウヒ)の肩に手を置きながら、牽蓮(ヒレン)がにこやかにそして問題とは少しズレた答えを返す。

そんな牽蓮(ヒレン)に対し、總糜(ソウヒ)は振り返り様に(つか)みかかりながら、弾丸のように話を続けた。


「もー、また主はそうやって嘉魄(カハク)の味方ばっかする!いくら俺が黎鵞(レイガ)の専属だからって、冷たくないっすか⁈」

「いや、そういうつもりはないんですけど…。でも總糜(ソウヒ)黎鵞(レイガ)至上主義は、今に始まった事でもないですしねぇ…」

襟元(えりもと)を軽く掴まれながらも、あくまでもにこやかに牽蓮(ヒレン)が答える。

それに対し、はぁ〜っと派手に溜め息をつくと、總糜(ソウヒ)は諦めたように手を離した。

「…もういいっす。どうせ俺は主にとってはオマケっすから。それよりあいつ…ホントに大丈夫だろうな?黎鵞(レイガ)の髪一筋でも傷つけてたら、マジでただじゃおかないからな」

愚痴(ぐち)の後半が、何気(なにげ)に代理の忍に対するものだという事はさすがに鴻夏(コウカ)でもわかった。

どうも牽蓮(ヒレン)らの言う通り、總糜(ソウヒ)の自分の主人に対しての思い入れは半端(はんぱ)ないようだ。

それに対し、牽蓮(ヒレン)は呑気にこう答える。

「ま、大丈夫じゃないかな?確かに嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)に比べたら頼りないかもしれないけど、彼もそれなりに優秀だよ」

「どうっすかね?ま、こっち来る前に散々 (おど)しておいたから、多分俺が戻るまで死ぬ気で警護はすると思うけど」

何気に物騒な事を言う總糜(ソウヒ)を横目に、取ってきた果物を皿代わりの大きな葉の上に並べながら、穏やかに牽蓮(ヒレン)が語る。

「…そんなに(いじ)めないであげてくれないかな?彼 打たれ弱いんだから」

「えー、一番ひどいのは主っしょ?あいつ毎回もう嫌だって言ってんのに、いつも身代わりにしてんじゃん?重圧でおかしくなりそうって、毎回死にそうになってるっすよ」

「あ、そうなんですか?それは悪かったですねぇ」

のほほんとそう答えながら、果物をすべて並べ終わった牽蓮(ヒレン)が立ち上がる。

そして話についていけずに困っていた鴻夏(コウカ)に向かい、牽蓮(ヒレン)唐突(とうとつ)にこう言った。

「さて、姫。夕食の用意も整った事だし、皆で食事としましょうか」

焚き火の灯りを背後に受けながら、薄闇(うすやみ)の中でニッコリと牽蓮(ヒレン)が微笑んだ。




パチパチと火の()ぜる音を聞きながら、鴻夏(コウカ)(すす)められるままに、手渡された木の器に盛られた汁物に口をつける。

「!美味(おい)しい…」

思わず(こぼ)れた本音に、それを聞いた牽蓮(ヒレン)總糜(ソウヒ)らが()られて微笑む。

その視線にも気付かず、鴻夏(コウカ)は再び汁物を口に運んだ。

『嘘…やっぱりすごく美味しい』

旅先での料理という事もあり、正直見た目はかなり素朴(そぼく)な物であったが、その予想外の美味しさに鴻夏(コウカ)は夢中で料理を口に運んだ。

「あ、これもこれも美味しい」

渡された干し肉を軽く火で(あぶ)ったものも、薄く切られたパンもどれもこれもが美味しい。

一日中砂漠を旅し、疲れ切った体にはこれらの暖かい湯気の立つ料理は格別に染み渡るようだった。

正直そこまで料理に期待していなかっただけに、これはかなり嬉しい誤算だ。

しばらくは完全に周囲の事を忘れて、夢中で料理を頬張(ほおば)っていたが、ある程度お腹が落ち着いてくると急に現実が戻ってくる。

唐突にハッと我に返って顔を上げた鴻夏(コウカ)は、自分が他の三人にずっと注目されていた事に気付いて思わず真っ赤になった。

「あ、あの…?」

何で注目されてるのかと聞こうとしたら、總糜(ソウヒ)が感心したようにこう呟く。

「…姫さん、結構食べるんすね。俺 お姫様って人種は、無駄(むだ)格好(かっこう)つけて人前ではあんまり食わないのかと思ってたっすよ」

そう言われた途端、鴻夏(コウカ)はカーッと顔に血がのぼるのを感じる。

『しまった…っ!つい美味しくて普通に食べちゃった!』

今更後悔しても遅いが、あまりに初歩的な失敗に自らが情けなくなる。


貴族の作法としては、人前で特に男性の前で貴婦人がガツガツと料理を食べるのは無作法(ぶさほう)にあたる。

大抵(たいてい)は一皿につき一口程度だけ手を付けて、あとは残すのが礼儀(れいぎ)なのだ。

馬鹿馬鹿しい事かもしれないが、貴婦人たる者は、常に優雅(ゆうが)でそつがなく、どちらかと言うと少々 現実味(げんじつみ)が薄い余裕のある振る舞いが要求される。

そのため実はお腹ぺこぺこでも、人前ではほぼ食べずに、後で人目のない控え室などでこっそりといただくのが普通なのであった。

ところが鴻夏(コウカ)は今回それをすっかり忘れて、まったく残す事なくどの料理もしっかりと一人前を平らげてしまった。

こんな初歩的な無作法をするなんて、花胤(カイン)の姫として恥ずかしい事この上ない。

そのため思わず真っ赤になって(うつむ)いていると、それを見かねたのか、さりげなく牽蓮(ヒレン)が助け舟を出してくれた。

「まぁ健康的でいいんじゃないかな?格好つけて食べなくて倒れられるより、しっかり食べて明日に備えてくれる方がよっぽどいいし、出された料理を残される方が私は好きじゃないよ。だって誰かに作ってもらった物を残すなんて、そっちの方がよっぽど失礼だと思ってるからね」

淡々とそう語りながら、牽蓮(ヒレン)優雅(ゆうが)な手付きで手ずからお茶を()れると、一人一人に丁寧(ていねい)にお茶を手渡した。

鴻夏(コウカ)も差し出されたお茶を受け取りながら、そっと牽蓮(ヒレン)に視線を向けると、目が合った途端に穏やかに微笑んでくれる。


そして牽蓮(ヒレン)の意見を受けて、總糜(ソウヒ)もあっけらかんとこう答えた。

「まぁそれもそうっすよね〜。俺もよく貴族の女って、なんで人前で『もうお腹いっぱい』とか言って残しときながら、影でガツガツ食うんかな?わっかんね〜な〜って思ってたんすよ」

「あの…その、残すのが礼儀なのよ…」

ボソッと鴻夏(コウカ)が呟くと『マジで⁉︎』と總糜(ソウヒ)が食いついてくる。

あまりの恥ずかしさで頬を染めながらも、鴻夏(コウカ)は正直に自分の非礼(ひれい)()びた。

「…ごめんなさい。あまりにも美味しくて、つい完食しちゃったけど、貴族の女性としては無作法だったわ」

思わず縮こまって謝ると、心底わからないといった顔で總糜(ソウヒ)が答える。

「ん?別にいいんじゃね?主の言う通り、食いたいもんは好きなだけ食えばいいじゃん。残す方がおかしいっすよ」

「…總糜(ソウヒ)の言う通りだ。ここは別に皇城(おうじょう)じゃない。礼儀なんて別に気にしなくていい」

珍しく無口な嘉魄(カハク)も賛同の意を示す。

そして最後に牽蓮(ヒレン)が穏やかにこう告げた。

「この通り總糜(ソウヒ)嘉魄(カハク)も特に気にしてないですし、私もさっき言った通り、残される方が好きじゃないんですよ。だから姫も貴族の勝手な礼儀なんて忘れて、普通にしててくれればいいですよ」

今まで言われた事もない台詞を言われて、鴻夏(コウカ)は目から(うろこ)が落ちるような気がした。

ずっと自分が常識だと教え込まれてきた事が、果たしてどこまでが正しくてどこからが間違っているのか…。

だんだんとよくわからなくなってきた鴻夏(コウカ)余所(よそ)に、牽蓮(ヒレン)らは再び楽しげに語り出す。

それを目の端で(とら)えながら、鴻夏(コウカ)はこの旅の間に自分を取り巻く色々なものが急激に変化していくのを感じていた。

果たしてそれが鴻夏(コウカ)にとって、良い変化なのかどうかはわからない。

ただ一つだけ言えるのは、自分の中にすでに彼等に対する何かが育っていて、それのせいで自分はもう彼等を裏切るような事は絶対に出来ないという事だった。

そして軽く溜め息をつきながら、鴻夏(コウカ)は何もかもが予定外…とそう思ったのだった。




そして食事を終えた一同は、しばらくは片付けをしがてら思い思いに語らっていたが、すぐに明日からも続く旅に備えて、交代で身体を休める事にした。

もちろん旅慣れていない鴻夏(コウカ)だけは、疲れを翌日に持ち越させないため、火の番は免除である。

まずは嘉魄(カハク)から火の番をする事となり、残りの三名はそれぞれ簡易天幕の中で外套(がいとう)を巻きつけ横になった。

しかしこの時も初めての野宿に何をどうしていいのかわからず戸惑(とまど)鴻夏(コウカ)に、牽蓮(ヒレン)は一からすべてを整えてくれた。

また總糜(ソウヒ)牽蓮(ヒレン)は本当に外套(がいとう)一枚で横になるだけだが、それだと旅慣れていない鴻夏(コウカ)では身体が痛くなるからと、鴻夏(コウカ)のところだけはありったけの布類を()き詰め、ふかふかにしてくれている。

さらに砂漠の夜は冷えるからと、鴻夏(コウカ)にだけは外套(がいとう)の上に毛皮まで掛けてくれていた。

正直至れり尽くせりで世話をされるだけで、何の役にもたってない自分を情けなく思っていると、その考えを読んだのか、静かに牽蓮(ヒレン)がこう告げた。

「…姫。今、姫は自分が何の役にもたってないと、そう思っていらっしゃるんでしょうが、人にはそれぞれ役割というものがございます」

「役割…?」

そう返すと、牽蓮(ヒレン)(うなず)きながらこう答える。

「そう、例えばそこに居る總糜(ソウヒ)嘉魄(カハク)は、主人の影としてその身を護衛し助けとなるよう仕える事が役割です。彼等はそう出来るだけの能力があり、またそのための特殊な訓練も受けております」

そこで一旦言葉を区切ると、牽蓮(ヒレン)は穏やかな眼差しで鴻夏(コウカ)を見つめる。

そして続きを待つ鴻夏(コウカ)に対し、再びゆったりと口を開いた。


「一方 姫の役割は、人をより良き方向へ導きその生活を護る事でございます。大半の者は善良で迷いやすく、自らの身を護る(すべ)すら持ちません。身分のある者は、そんな彼等が飢えたり苦しんだりしないよう、治安を安定させその生活を豊かに保つという責任があるのです」

「責任…」

暗示のように同じ言葉を繰り返しながら、鴻夏(コウカ)は不思議とその言葉に重みを感じていた。

そう言えば花胤(カイン)に居た頃に師事(しじ)していた家庭教師が、何かそれに近い事を言っていたような気がする。

その時聞いた言葉はもっと難解(なんかい)で、やたらとご立派な内容だった気がするのだが、今 牽蓮(ヒレン)が言っているのはおそらくそれと同じ事のような気がしていた。

そして鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)が遠回しな表現ながらも、彼なりに自分を(なぐさ)めてくれているのだという事に気付いてしまう。

それに気付くと同時に、鴻夏(コウカ)は思わず相手にこう聞き返していた。

「…つまり私の役割は別にあるのだから、今は貴方達が私に()くしてくれていても、特に何も気にしなくていいと言いたいの?」

左様(さよう)でございます。むしろ今の姫の役割は、私達に尽くされる事でしょう。下々の者にとって、上の者に尽くす事こそが喜びに(つな)がります。姫はむしろ私達にお世話をさせてやってるんだとでも思っていてください」

()ました顔でそう答えると、牽蓮(ヒレン)は穏やかにこう告げる。

「さ、そろそろお休みください。明日も一日砂漠の旅です。明日は今日よりもたくさん頑張っていただきますよ」

それだけ言うと、牽蓮(ヒレン)はそっとその場を離れようとした。


ところがそれに気付いた途端、鴻夏(コウカ)は思わず半身を起こしながら牽蓮(ヒレン)外套(がいとう)(すそ)を引いてしまう。

予想外の事に驚いて見下ろす牽蓮(ヒレン)の視線を感じながら、鴻夏(コウカ)は頰を赤く染めつつ、(うつむ)き加減にボソッとこう呟いた。

「あ、あの…その、寝付くまで側に居てくれないかしら…」

消え入りそうな声だったが、ちゃんと相手の耳には届いたらしい。

少し微笑む気配がして、牽蓮(ヒレン)は再び無言でその場に座り直した。

そして鴻夏(コウカ)に横になるよう(うなが)し、乱れてしまった外套(がいとう)と毛皮を掛け直しながらこう囁く。

「安心してお休みください。寝付くまでお側におります」

サラリと鴻夏(コウカ)の目の前に、牽蓮(ヒレン)亜麻色(あまいろ)の髪が流れた。

それをボンヤリと眺めながら、鴻夏(コウカ)は思う。

綺麗(きれい)…。()()(あか)りに透けて、まるで風にそよぐ金色の麦の穂のよう…』

何となく触ったら気持ち良さそうだなと思いながら、旅の疲れもあり、鴻夏(コウカ)はすぐにすうっと自らの意識を手放した。

だがその時、鴻夏(コウカ)は無意識にある物をしっかりと握り締めていた。

そしてそれに気付いた牽蓮(ヒレン)が、少し困ったようにこう呟く。

「…困りましたね。これだとここから動けない…」

鴻夏(コウカ)が無意識に握り締めていたのは、実は牽蓮(ヒレン)の髪だった。

それを見て、總糜(ソウヒ)が楽しげにこう答える。


「いいんじゃないっすか?火の番は俺と嘉魄(カハク)で充分っすよ。主は姫さんに付いててあげてください」

その言葉に嘉魄(カハク)も無言でこくりと頷く。

何も知らずに眠り続ける鴻夏(コウカ)の寝顔を眺めながら、何となくその場に穏やかで優しい空気が流れた。

そしてしばらくして、軽い溜め息と共に牽蓮(ヒレン)が諦めたようにこう答える。

「…ではお言葉に甘えて、私も今夜はこのまま休ませていただきますよ」

「どうぞ、どうぞ。いや〜、どうなる事かと思ったけど、意外と主と姫さんって合ってるのかもね」

「またいい加減な事を…」

突然妙な事を言い出した總糜(ソウヒ)に、牽蓮(ヒレン)が呆れたような視線を向けると、何故か嘉魄(カハク)までこう呟く。

「いや…總糜(ソウヒ)にしてはいいところを突いてるかもしれませんよ」

嘉魄(カハク)?君までそんな事を言うんですかっ」

驚く牽蓮(ヒレン)總糜(ソウヒ)が笑う。

「ほら、嘉魄(カハク)のオッサンまでああ言ってますよ?主みたいに(ひね)くれてるのにはね、姫さんぐらいの純粋培養(じゅんすいばいよう)が丁度いいんす。俺はそう思いましたね」

勝ち誇ったようにそう宣言する總糜(ソウヒ)に、牽蓮(ヒレン)は疑いの目を向ける。

自分と鴻夏(コウカ)が合っているなんて、とても信じられなかったが、無意識に自分を引き留めようとする鴻夏(コウカ)に対し、悪い気がしていないのも事実だった。


チラリと何も知らずに眠り続ける鴻夏(コウカ)に、牽蓮(ヒレン)は再度視線を投げる。

意識もないのに、しっかりと自分の髪を握り締め続ける鴻夏(コウカ)は、こうして見るとまだまだ幼い子供のようだった。

おそらく産まれた時から、常に一緒に居た弟の凛鵜(リンウ)皇子と引き離されて、不安と緊張の日々なのだろう。

そう思うと、何となく無理に引き離すのも可哀想(かわいそう)な気がして、牽蓮(ヒレン)は諦めたようにそのまま目を閉じた。

とにかく明日もまた砂漠の旅が続く。

今は少しでも体力の回復に努めよう。

そう思った牽蓮(ヒレン)は、鴻夏(コウカ)の側で座ったままの状態で眠りについた。




翌朝 簡単な朝食を済ませた一行は、早々に次のオアシスに向けて旅立っていた。

各自無言で馬を進めながらも、鴻夏(コウカ)は朝から後悔と反省の連続である。

まず朝 穏やかな牽蓮(ヒレン)の声に起こされ、目を開けた鴻夏(コウカ)は、昨夜と変わらず同じ場所に座り続けている牽蓮(ヒレン)の姿にまず驚いた。

そして次に、自分が無意識に牽蓮(ヒレン)の髪を握り締めていた事に気付き、真っ赤になって慌てふためく。

それに対し牽蓮(ヒレン)は特に何も語らず、鴻夏(コウカ)が髪から手を離した途端、スッと立ち上がってその場から離れていった。

サラリと昨夜 綺麗(きれい)だと思った亜麻色の髪が宙に(なび)き、牽蓮(ヒレン)が簡易天幕から外に出て行く。

その毅然(きぜん)とした後ろ姿を眺めながら、鴻夏(コウカ)はやけにドキドキしていた。

『あ、あれ…?私ったらどうしちゃったの?相手はあの牽蓮(ヒレン)殿なのに、何でこんなにドキドキしてるの…?』

自分で自分の反応に驚きながらも、鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)から視線を外せない。

昨日までは少し頭が良いだけの普通の男だと思っていたのに、今朝はやけに彼が輝いて見えていた。

どうしてそう見えるのか、その理由を鴻夏(コウカ)はまだ知らない。

だがいつかその答えに気付いた時、鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)はどうするのか…その結論は現時点ではまだ遠い先であった。


そしてその後、相変わらず何の目印もない砂漠の中を進みながら、鴻夏(コウカ)の中に別の迷いが生じ始める。

風嘉(フウカ)帝との結婚式まであと三日。

予定通りに挙式を行うなら、あと二日以内に風嘉(フウカ)皇都(おうと)に辿り着かなければならない。

だがこのまま牽蓮(ヒレン)達に連れられて、本当に皇都まで行ってしまってもいいのだろうか?

男の姫が嫁いできた事で、風嘉(フウカ)花胤(カイン)との間に戦争が起こらないとも限らない。

でもここまで来てしまっているのに、今更自分が失踪(しっそう)したら、今度は同行していた牽蓮(ヒレン)達が(ばっ)せられてしまう。

…それだけは嫌だった。

こんなに自分に良くしてくれた牽蓮(ヒレン)達に、迷惑をかける事なんて出来ない。

でもこれ以上、誰の事も(だま)したくなかった。

いっそ自分は男だから、風嘉(フウカ)帝とは結婚出来ないと言ってしまった方が良いのだろうか?

それとも素知らぬ顔で、挙式してしまった方が良いのだろうか?

ジリジリと焼け付く陽射(ひざ)しの中、八方塞(はっぽうふさ)がりの考えに(とら)われながら、鴻夏(コウカ)は一人深い溜め息をつく。

何度考えても、いい答えは出なかった。

正直今ほど自分が(かしこ)くない事を(うら)めしく思った事はない。


そしてこの時、鴻夏(コウカ)は気づいていなかったが、(もん)々と悩み続ける鴻夏(コウカ)の様子を無言で(うかが)っている者が居た。

言うまでもなく(コウ) 牽蓮(ヒレン)である。

彼は自分の考えに(とら)われている鴻夏(コウカ)を眺めながら、一人 意味深な笑みを浮かべていた。

そしてそれに気付いた總糜(ソウヒ)が、さり気なく牽蓮(ヒレン)にしか聞こえない声でこう囁く。

「主、今なんか悪い事を考えてたっすよね?」

「…何でそう思うんです?」

「だってすっげぇ、悪い顔してた。主がそういう顔してる時って、大抵なんか企んでる時だもん」

そう言われた牽蓮(ヒレン)が、クスリと笑う。

「別に…?ただいつ気付くかなぁと思っただけで、特に何も企んでませんよ」

「どうだかなぁ?主は常に何か企んでるから、もうそれが当たり前過ぎて、自分でも気付いてないだけなんじゃない?」

相変わらず失礼な事を平気で本人にぶち()けながら、總糜(ソウヒ)は疑いの視線を牽蓮(ヒレン)に向ける。

それを受けて、さすがに牽蓮(ヒレン)も呆れたように反論の言葉を口にした。

「…前から思ってましたけど、ホントに君は黎鵞(レイガ)以外はどうでもいいと思ってません?」

「いや、そうでもないっすよ?ちゃんと今もこうして主を警護してるじゃないっすか」

「君の場合は、皇都(おうと)に戻るついででしょう。あんまり人を極悪人扱いしないで下さいよね?今回の件も、別に私が仕掛けた事ではありませんから」

「んー…でもそれを最大限に利用しようとはしてるっすよね?」


そうすかさず總糜(ソウヒ)が突っ込むと、途端にぴたりと牽蓮(ヒレン)が黙り込む。

無言という事は当たりなんだなと思いつつ、總糜(ソウヒ)は再び口を開いた。

「主…そもそもあの姫さんが訳ありなのも、気付いてますよね?」

「…總糜(ソウヒ)も気付いてましたか」

「そりゃあ、忍ですからね。嘉魄(カハク)も気付いてただろ?」

そう總糜(ソウヒ)が話を振ると、嘉魄(カハク)も無言でこくりと(うなず)く。

それを横目に見て取りながら、總糜(ソウヒ)牽蓮(ヒレン)に対し、再び口を開いた。

「そんで主はどうする気なんです?正直俺は面白ければどうでもいいんすけど」

相変わらず本来の主人以外はどうでもいいんだなと思いつつ、素直に牽蓮(ヒレン)がこう答える。

「…花胤(カイン)の美人に預かると約束したからね。ちゃんと最後まで面倒みますよ」

その答えを聞いて、總糜(ソウヒ)がヒューッと軽く口笛を鳴らした。

そしてそのまま、感心したようにこう呟く。

「へー、まさか主がねぇ…。まぁ姫さん、良い子みたいだし?何となく泰瀏(タイリュウ)様も気に入りそうな感じしますもんね」

「そうだね…。そういう總糜(ソウヒ)は、姫の事をどう思っているんです?」


珍しく牽蓮(ヒレン)の方からそう問われて、總糜(ソウヒ)がうーんと首を(ひね)る。

「んー、そうっすねぇ…。まぁ嫌いではないっすね。偉い人特有の嫌な感じはしないし、結構な美人だしね」

いかにも面食いらしい発言の總糜(ソウヒ)に苦笑しつつ、牽蓮(ヒレン)は続けて嘉魄(カハク)にも答えを求める。

すると言葉少なに嘉魄(カハク)もこう答えた。

「…私も嫌いではありません。總糜(ソウヒ)の言うように、姫には不快感を感じませんので…」

嘉魄(カハク)の答えを受けて、牽蓮(ヒレン)が満足気に頷く。

それを確認し、今度は總糜(ソウヒ)牽蓮(ヒレン)に尋ねた。

「んじゃ、主は?主自身は姫さんの事、どう思ってんの?」

そう問われて、牽蓮(ヒレン)は穏やかにこう答えた。

「そうですね。君達の言葉を借りるなら、私も嫌いではないですよ。今までああいう感情優先型の人間は周りに居なかったので、次にどう動くのかが読み切れなくて、なかなかに面白い…」

まるで珍しい研究対象を見つけた教授のように、牽蓮(ヒレン)悪戯(いたずら)っぽい笑顔を見せる。

それを見ながら、總糜(ソウヒ)はあっさりとこう要約(ようやく)した。

「ふーん?つまり主も結構、姫さんの事を気に入ってるんすね」

「…何でそういう解釈になるんです?」

「え、だって、主って基本 身内以外には興味ないじゃん?しかも誰でも無条件で身内扱いするわけでもないし…。でも姫さんの事は、もう身内扱いしてるっしょ?」


あっけらかんとした口調で總糜(ソウヒ)にそう言われ、牽蓮(ヒレン)は思わず考え込む。

そしてまったく気付いていなかったが、言われてみればそうなのかなとようやく自分でも気が付いた。

まさか会って数日の人間をもう身内扱いしていたとは、自分でも驚きである。

ところがそんな牽蓮(ヒレン)にとどめを刺すかのように、總糜(ソウヒ)がケタケタと明るく笑いながらこう言った。

「姫さんもなかなかやるねぇ。あの綺麗(きれい)でおっかない弟くんの言うように、さすが『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』の太陽の名は伊達(だて)じゃないってか」

あっさりと痛い事実を突かれ、牽蓮(ヒレン)は静かに深い溜め息をついた。

どうやら事態は、牽蓮(ヒレン)自身も読み切れない方向に進んでいるようであった。


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