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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜  作者: 緋影 あきら
5/12

ー転機ー

豪華(ごうか)皇城(おうじょう)謁見(えっけん)の間に、十名ほどの風嘉(フウカ)からの使節団が到着していた。彼等が(ひか)える赤い絨毯(じゅうたん)の両側には、花胤(カイン)の政治を(にな)う高官達がズラリと並んで控えている。そしてその絨毯(じゅうたん)の先には数段の階段があり、その最上段の玉座(ぎょくざ)には使者を見下ろす形で花胤(カイン)帝の姿があった。

「…遠路(えんろ)はるばるご苦労であった」

重々しい口調で花胤(カイン)帝が口を開く。

それに対し、使節団も高官達も一斉にザッとより深く頭を下げ、花胤(カイン)帝に対して最上級の礼を取った。それに手を挙げて答えると、花胤(カイン)帝は使節団の者達に対し、頭を上げるよう(うなが)す。

それを受けて使節団の一人が、(うなが)されるままに(げん)()いだ。

「…偉大(いだい)なる花胤(カイン)帝に拝謁(はいえつ)する機会を頂けました事、誠に光栄に存じます。私はこの使節団の長を(つと)めます、(ハク) 須嬰(シュエイ)と申します。この度は(ちまた)でも評判の『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』のお一人を、我が国の皇后に…とのお話、誠に恐悦至極(きょうえつしごく)(ぞん)じます。くれぐれも花胤(カイン)帝によろしくお伝えするよう、()が君より書状を預かってきております。どうぞお受け取りを…」

そう言って(ハク)と名乗った男より差し出された書簡(しょかん)花胤(カイン)の側近の一人が受け取り、(うやうや)しく花胤(カイン)帝へと献上(けんじょう)する。それを無言で受け取ると、花胤(カイン)帝はその場の人々の視線の集まる中、パラリとその書簡を(ひろ)げ目を通した。


「…なるほど。風嘉(フウカ)帝は今回の縁談(えんだん)(こころよ)くお受けくださるというのだな?」

そう(たず)ねた花胤(カイン)帝の言葉に、オオッというどよめきが高官達の間から沸き起こる。

おそらく断られる事はないとは思っていたが、それでも実際にこうして風嘉(フウカ)側からの正式な返答を得た事で、花胤(カイン)側もようやく一安心する。それに対し、風嘉(フウカ)側の代表 (ハク)は恭しく頭を下げながらこう答えた。

「はい。在位三年にして、我が主君は未だ一人の妃もお迎えになっておられません。陛下もご存知の通り、三年前のあの未曾有(みぞう)の大乱で我が国の内政(ないせい)壊滅的(かいめつてき)な状態に(おちい)りました。我が主君は一日も早く国土を回復させるべく、日々のすべての時間を国政に(つい)やされておられます。鴻夏(コウカ)皇女には、ぜひそんな主君の支えと(いや)しになって頂きたく…よろしくお願い申し上げます」

「…うむ。まだ年若く未熟(みじゅく)な娘だが、ぜひよろしく頼む」

「ははっ、御意(ぎょい)のままに…」

ザッと再びその場に居る者全員が、花胤(カイン)帝に向かって頭を下げる。

それを合図としたかのように、花胤(カイン)帝は朗々とした声で部下へこう告げた。

「誰か。鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)をこれへ」

その声と共に、キィッと謁見(えっけん)の間の扉が大きく開く。自然と集まった人々の視線の中、シャランという(かんざし)(すず)やかな音色(ねいろ)と共に目にも(あで)やかな男女の一対(いっつい)が登場した。

言うまでもなく『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』と名高(なだか)い、鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)の二人である。


姉の鴻夏(コウカ)皇女の手を取り、堂々と父皇帝の元へと誘導する凛鵜(リンウ)皇子。(うわさ)(たが)わぬ二人の完璧(かんぺき)美貌(びぼう)に、風嘉(フウカ)の使節団も花胤(カイン)の高官らも思わず息を()んで見守った。

その中をまるで天女の(ごと)く、夢のように美しい二人が歩いて行く。自然と道を開けた風嘉(フウカ)の使節団の人々の側を通り抜け、二人は父皇帝の前まで辿(たど)り着くと、ふわりと(そで)(ひるが)優雅(ゆうが)で完璧な礼を見せた。

「…お呼びでしょうか」

涼やかで美しい声で、二人は父皇帝を見つめ返す。我が子ながらあまりにも人間離れしたその美しい容姿に、さすがの花胤(カイン)帝も(しば)見惚(みほ)れた。

鴻夏(コウカ)よ、其方(そなた)に命ずる。これより三日の後に風嘉(フウカ)帝に嫁げ」

「…心得ましてございます」

凛鵜(リンウ)よ、其方の姉の婚姻(こんいん)だ。其方が送迎の長として鴻夏(コウカ)を国境まで送り届けろ」

「…拝命(はいめい)(たまわ)りました」

(うやうや)しく二人が勅命(ちょくめい)を受けると、花胤(カイン)帝は椅子から立ち上がり高らかに宣言した。

「皆の者よ、(うたげ)の用意をせよ。風嘉(フウカ)帝と第五皇女 鴻夏(コウカ)との婚姻がここに決まった。この婚姻により風嘉(フウカ)と我が花胤(カイン)は、今後より一層良い関係を(きず)く事になるだろう」

わぁっと一気に周囲が盛り上がる。

その中で鴻夏(コウカ)はチラリと風嘉(フウカ)の使節団へと目をやった。彼等もまた大役を果たし、各々ホッとした表情を浮かべていたが、その中に一人、他人事のように涼やかな表情で控える者が居た。


昨夜突然 鴻夏(コウカ)の前に現れ、この婚姻に関わる取引を持ちかけてきた『(コウ) 牽蓮(ヒレン)』と名乗った男である。

相変わらず何を考えているのかわからない男ではあったが、鴻夏(コウカ)のもの言いたげな視線に気付くと彼は穏やかに微笑(ほほえ)んだ。

それを受けて、今度は鴻夏(コウカ)の方が逆に困ったように視線を外す。その外した視線の先には弟の凛鵜(リンウ)の顔があった。

いつもなら目が合うと、優しい笑顔で答えてくれる凛鵜(リンウ)だが、今日はどうした事か自分を見つめたまま動かない。

そのまるで別人のような真摯(しんし)眼差(まなざ)しに、鴻夏(コウカ)(しば)戸惑(とまど)った。

凛鵜(リンウ)…?」

小首を(かし)げて鴻夏(コウカ)(たず)ねる。途端(とたん)にハッと我に返った凛鵜(リンウ)は、すぐにその視線を落とすといつもの笑顔でこう答えた。

「…何でもないよ」

「そう…?」

他の者の目もあるため、それ以上は何も聞けなかったが、何か違和感を感じた鴻夏(コウカ)はそのまま弟を見つめ続けた。

その視線を感じながらも、凛鵜(リンウ)はわざと自らの視線を他へと外す。

すると視線を外した先に風嘉(フウカ)の使節団が居て、凛鵜(リンウ)もまた鴻夏(コウカ)と同じく、その中に居る(コウ) 牽蓮(ヒレン)と目が合ってしまった。

再びニッコリと男が微笑む。

ところが対する凛鵜(リンウ)はというと、キッと相手をひと(にら)みすると、盛大にプイッとそっぽを向いてしまった。

それを受けて、男はくすりと笑う。

『やれやれ、姉弟 (そろ)って何とも可愛らしい事だ』と心の中で思いながら、男は澄ました顔でその場をやり過ごした。

そして(うたげ)の準備が(ととの)うまでの間、(ひか)えの間で(しは)し待つよう退出を(うなが)された風嘉(フウカ)の一行と共に、何事もなかったかのようにその場を後にしたのである。




美しい音楽に(ぜい)を尽くした豪華(ごうか)な料理。

所狭(ところせま)しと()り付けられた(めずら)しい果物に、()びるほど大量の高価なお酒。

広間の中央では、美しい舞姫(まいひめ)達がヒラヒラと()って、場に(はな)()えながら人々の目を楽しませている。

花胤(カイン)の皇城では、風嘉(フウカ)の使節団をもてなす為の(はな)やかな宴が(もよお)されていた。

しかしそれらのすべてを凌駕(りょうが)して、人々の視線を()きつけて止まないのは、滅多(めった)(おおやけ)の場に姿を現さない事で有名な『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』こと、鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)の二人であった。

今宵(こよい)はさすがに鴻夏(コウカ)自身の婚姻を祝う宴とあって、普段はこういった場に姿を現さない二人も珍しく(そろ)って参加している。

そしてその完璧なまでの美貌を眺めながら、人々は(あこが)れの溜め息をつき、二人を()(たた)えるのであった。

「いや、まさに奇跡(きせき)の美貌ですな…。お二人共、嫁いで来られた頃の翡雀(ヒジャク)皇后に生き写しではないか」

鴻夏(コウカ)皇女はまるで天女のようにお美しい。そして凛鵜(リンウ)皇子も、いや男性であるのが惜しまれるほどお美しい…」

「…まさに完璧な一対ですな。あのお二人の横に並ぶのは、相当の勇気がいるわい」

家臣達からそういう感嘆(かんたん)の声が上がるが、当の二人にとってはどうでもいい話だ。

さすがに不細工(ぶさいく)だとは思っていないが、生まれた時からこの顔なのだ。正直自分達の容姿にそれほど興味があるわけではない。

ましてや鴻夏(コウカ)にしてみれば、この年齢になってもまったく男だと疑われもしない事を有り難いと思う反面、多少の不満がないわけでもない。とはいえ、双子の弟の凛鵜(リンウ)ですら、女性と見紛(みまご)うばかりの美形なのだ。

女装をし、薄く化粧(けしょう)まで(ほどこ)している自分などは、正直女にしか見えなくてもしょうがないのかもしれない。


そう思いつつ、ふと視線を泳がせるとたまたま目に入っただけなのに、次々と人々が頬を赤らめ感嘆の吐息を()らす。それを見ながら『この顔のどこがそんなにいいのやら…』と鴻夏(コウカ)は心の中で毒づいた。

確かに母も弟も一般の人々に比べると、その容姿は人間離れしていて美し過ぎる。

だが美しいという事が、必ずしもいい事ばかりをもたらすわけではない。

実際に自分達 母子もこの容姿のせいで、血の(つなが)りのある、異母兄弟達や叔父達にすらずっと色目を使われてきた。

さすがに皇后である母に手を出す勇気はなかったようだが、自分や凛鵜(リンウ)はよくそういう対象として、何度も無理矢理 物陰(ものかげ)に連れ込まれそうになったものだ。

その事もあって、自分達は徐々に離宮から出なくなっていったのだが、十歳を過ぎると、皇太子候補の一人でもある凛鵜(リンウ)は一人で皇立学院へと通わざるを得なくなった。

…その頃からだったと思う。凛鵜(リンウ)時折(ときおり)(かげ)のある表情を見せるようになったのは…。


『あの人なら何か知ってるかな…?』

ふと鴻夏(コウカ)はそう思った。

三年前まで皇立学院の教授として、凛鵜(リンウ)と親しく付き合っていたというあの男。

自分や母を気遣(きづか)い、凛鵜(リンウ)は決して学院内での事を口にしなかったが、あの当時 皇立学院にはまだ沢山の異母兄弟達が通っていた。彼等が凛鵜(リンウ)に対し、何の手出しもしなかったとはどうしても思えない。

そう考えたところで、唐突(とつとつ)鴻夏(コウカ)の目の前に飲み物の(さかずき)が現れた。

びっくりして慌てて振り返ると、すぐ後ろに双子の弟の凛鵜(リンウ)が控えている。

「何か悩み事?」

「…凛鵜(リンウ)…!」

まるで恋人同士のように自然に寄り添う二人に、女官達からキャアという(かす)かな声が()れたが、鴻夏(コウカ)はさして気にする様子もなく、自分の目の前に差し出された杯に手を伸ばした。

「元気ないね?」

凛鵜(リンウ)の方もさして気にした様子もなく、いつものように優しい笑顔を見せる。

そして片方の杯を鴻夏(コウカ)に渡すと、凛鵜(リンウ)はもう一方のほうに口を付けた。


「…貴方と母上を置いて行かなければならないのが心配で…」

ポツリと鴻夏(コウカ)がそう(つぶや)くと、凛鵜(リンウ)は困ったように微笑みながらこう答える。

「僕と母上は大丈夫だよ。むしろ大変なのは鴻夏(コウカ)の方でしょう?」

そっと(ささや)凛鵜(リンウ)は、相変わらず優しい。

小さい時から彼はいつも(おだ)やかで優しく、そして誰よりも(かしこ)かった。

そんな凛鵜(リンウ)の優秀さは周囲の誰もが認めるところで、鴻夏(コウカ)の身内の欲目というわけではなく、皇立学院内でも『神童(しんどう)』との呼び声が高かったと聞いている。

おそらく生来(せいらい)病弱(びょうじゃく)ささえなければ、父皇帝もとっくに彼を正式に皇太子として指名していた事だろう。

それほど凛鵜(リンウ)立派(りっぱ)な皇子だった。

しかしそんな病弱で優しい弟を置いて、自分は三日後には風嘉(フウカ)に嫁がなくてはならない。

その事がひどく不安で(かな)しかった。

そしてどうしようもない事とわかっていても、生まれてからただの一度も離れた事のない片割れと、これからは別の場所で生きていかなければいけないという事が信じられなかった。

そんな時だった。二人の前に厄介(やっかい)な人物が現れたのは…。



「…おやおや、我が異母妹(いもうと)殿と異母弟(おとうと)殿は、相変わらず仲睦(なかむつ)まじい事ですな」

魏溱(ギシン)異母兄上(あにうえ)!」

ハッと二人の間に緊張(きんちょう)が走る。今 二人の目の前に現れたのは、年の頃は二十代後半といったところの(いか)つい雰囲気の男だった。

骨張った四角い顔に団子のようにずんぐりとした鼻、(ほお)にはそばかすが散り、正直女性的な顔立ちの二人とは違い、お世辞(せじ)にも美男とは言い難い顔立ちの男である。

しかもその身体はやたらとガッチリとしていて、いかにも男らしい体躯(たいく)であった。

彼は庶子(しょし)ながらも花胤(カイン)帝の第二皇子として、数年前から花胤(カイン)皇軍の将軍職を任されていたが、そのあまりに我儘(わがまま)横暴(おうぼう)ぶりに、部下達からはひどく敬遠(けいえん)されていた。

しかも酒と女癖(おんなぐせ)が非常に悪く、こういった場ではいつも()め事引きを起こして父皇帝を(なや)ませている。

そんな厄介な異母兄(あに)が、よりによってこの場で二人に(から)んできた。

しかも現時点ですでに()っているらしく、その息は早くも強い酒気(しゅき)()び、頰もうっすらと上気している。


正直厄介な人物に目をつけられてしまったと、二人は顔を見合わせて(あせ)ったが、相手はそんな二人の気も知らず、半ば強引にその場に割り込むと、実に好色(こうしょく)そうな目で二人を(なが)め回した。

「まずはおめでとうと言うべきかな、鴻夏(コウカ)風嘉(フウカ)帝の皇后とは、小娘が大した出世じゃないか?」

「…ありがとうございます、異母兄上(あにうえ)

早くも(から)む気満々の異母兄(あに)に、どう退散願おうかと考えていたところ、いきなり鴻夏(コウカ)はその左手を(つか)まれ、強引にその腕の中に引きずり込まれる。

「あ…異母兄上(あにうえ)⁉︎」

鴻夏(コウカ)っ!」

焦る凛鵜(リンウ)の声が後ろで(ひび)いたが、相手は(かま)わず鴻夏(コウカ)を後ろから抱きすくめると、その(あご)(つか)み、無理矢理自分の方を向かせた。

間近に酒臭い息がかかり、思わず鴻夏(コウカ)は顔をしかめる。


「ふん、『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』だか何だか知らんが、どうせそのお綺麗(きれい)な顔で風嘉(フウカ)帝を誘惑(ゆうわく)するよう言いつけられたんだろう?お前より十五も年上のジジイに、その綺麗(きれい)(あし)を開いて()びを売るわけだ?我が異母妹(いもうと)ながら実に淫売(いんばい)な事よ」

ザワッと周囲にどよめきが沸き起こった。

言われた鴻夏(コウカ)の頰も怒りで朱が走ったが、そもそも風嘉(フウカ)からの使節団も参加しているこの宴で、この皇子はいきなり何を言い出すのかと誰もが焦った。

だがなまじ身分が高いだけに、周囲の誰もそれを指摘できない。一応身分上は対等の立場にある凛鵜(リンウ)が、必死に鴻夏(コウカ)を救出しようと異母兄(あに)を説得したが、酔っ払っている男はまったく耳を貸そうとしない。

このままではまずいと、秘密裏(ひみつり)に皇帝に知らせるべく従者数名が玉座の方へと走ったが、その報告が花胤(カイン)帝に届くより先に、静かな声がその場を(せい)した。


「…なるほど?確かに鴻夏(コウカ)皇女ほどの美女ともなれば、我が風嘉(フウカ)帝も心奪われ、夢中になられるやもしれませんな」

「誰だ?」

その場に居た者達が、一斉に声のした方を振り返る。そこに居たのは、先ほど花胤(カイン)帝に挨拶(あいさつ)の言葉を述べた風嘉(フウカ)の使節団の長、(ハク) 須嬰(シュエイ)であった。

彼は魏溱(ギシン)に対し、あくまでも丁寧(ていねい)に礼を取ると、続けてこう言い放つ。

「申し遅れました。私は風嘉(フウカ)使節団の一人、(ハク) 須嬰(シュエイ)と申します」

「…ふん、風嘉(フウカ)の高官か。高官ごときが俺に意見するのか?」

「とんでもございません。まさしく皇子の仰る通りと思った次第にございます」

ニッコリとあくまでも穏やかに答えながら、その目がふいに危険な光を帯びる。

その次に発せられた容赦のない言葉に、さすがの魏溱(ギシン)も無言で唸った。

「…ちなみに我が風嘉(フウカ)帝は、十四の歳より国境線を守り、(ちまた)で『戦場の鬼神』の異名(いみょう)を取る稀代(きだい)の戦上手。今後は鴻夏(コウカ)皇女のお声掛け一つで、どのように動かれるかはわかりませぬな」

「…貴様、たかだか高官の分際で花胤(カイン)の皇子である俺を(おど)すのか…っ!」

真っ赤になって(うな)魏溱(ギシン)に、(ハク)と名乗った男はさらに言葉を続ける。

「とんでもございません。ただ私はともかく、未来の風嘉(フウカ)皇后への無礼は我が君への無礼(ぶれい)に等しいと我等は(とら)えます。これ以上 鴻夏(コウカ)皇女に対し、そのように無体(むたい)な行いを続けるようなら、そういう事もあり得るという事を(きも)にお(めい)じください」

ギラリと殺気(さっき)すら感じさせる視線で、(ハク)魏溱(ギシン)見据(みす)え続けた。その無言の圧力に、ついに魏溱(ギシン)鴻夏(コウカ)を解放する。


鴻夏(コウカ)…っ!」

慌てて鴻夏(コウカ)を抱き止める凛鵜(リンウ)に目を()り、チッと鋭く舌打ちすると、魏溱(ギシン)は今にも殺さんばかりの勢いで(ハク)を睨みつけた。

それを真っ向から受け止めながらも、(ハク)は無言の迫力でそれを受け流す。

一瞬即発の雰囲気の中、ようやくそこに報せを受けた花胤(カイン)帝が駆けつけ、事態は急速に終わりを告げた。

魏溱(ギシン)…!お前と言う奴は…」

「父上、この男を(ばっ)して下さい!この男はたかだか他国の高官の分際でありながら、皇子であるこの私を(おど)したのです!」

まるで子供のように駄々を()ねる魏溱(ギシン)に、花胤(カイン)帝が激昂(げっこう)する。

「黙れ!謝罪(しゃざい)をすべきはお前の方だ、魏溱(ギシン)。今すぐ使者殿にお()びをせよ。これ以上の客人への非礼は、(わし)への非礼に等しいと心得るのだ!」

「ち…父上…」

「さぁ、魏溱(ギシン)。使者殿にお詫びを」

強く花胤(カイン)帝に(たしな)められ、さすがの魏溱(ギシン)もこれ以上は不利と(さと)ったのか、モゴモゴと何やら謝罪めいた事を口にすると、慌ててその場を後にした。

それを目の端で確認しながら、やっと二人はホッとする。

おそらくそれを見ていたのだろう。

その時スッと鴻夏(コウカ)達の側に(ひざま)ずき、優しく声をかけてきた者が居た。

言うまでもなく、先程 魏溱(ギシン)から鴻夏(コウカ)(かば)ってくれた(ハク) 須嬰(シュエイ)である。


「…大丈夫ですか…?」

(ハク)将軍…」

ほぼ異口同音(いくどうおん)に、鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)が相手の名を呼ぶ。その段階になってようやく、鴻夏(コウカ)は自分を助けてくれた人物の姿をまじまじと見つめ直した。

(ハク) 須嬰(シュエイ)。彼は風嘉(フウカ)の人間にしては珍しく、黒髪に濃い(あお)の瞳、日に焼けた浅黒い肌を持つ筋骨(きんこつ)(たくま)しい美丈夫(びじょうふ)であった。

今回彼は風嘉(フウカ)の使節団の長としてこの場に来ていたため、文官と変わらない正装を着ていたが、本来の彼は現 風嘉(フウカ)帝の元で将軍職を務める、武官中の武官だった。

しかも風嘉(フウカ)では剣を取らせたら当代随一(とうだいずいいち)との噂もある、有名な武将である。

その彼がまさか敵地で不興(ふきょう)を買うかもしれない危険を冒してまで、自分を庇ってくれるとは思わなかった。

その好意に驚きつつも、鴻夏(コウカ)は申し訳ない気持ちで一杯になる。

「…ありがとうございます、(ハク)将軍。私は大丈夫です。それより異母兄(あに)が大変な失礼を…」

「…(ハク)将軍、私からも御礼を言わせてください。姉を異母兄(あに)から救って下さって、ありがとうございました」

慌てて(ハク)に向き直りつつ、鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)は心からの謝辞(しゃじ)を述べる。それに対し、(ハク)はニッコリと(さわ)やかな笑顔を見せると何でもない事のようにこう答えた。

「いえ、御身(おんみ)にお怪我(けが)がなかったのなら、(さいわ)いでごさいます。私の事はどうぞお気になさらずに」

それに合わせて、花胤(カイン)帝も改めて詫びの言葉を口にする。

(ハク)将軍、愚息(ぐそく)が大変な失礼を致した…。また娘の事も気にかけていただいて、心より感謝する」

「とんでもございません、陛下。鴻夏(コウカ)皇女は我が主君の妃になられる御方(おかた)…。臣下として皇女をお守りするのは当然の事です」

涼やかな表情でそう答える(ハク)に、周りの女性達からキャアという黄色い声があがる。

腕っぷしが強く金も地位もあり、そして見た目も中身も男前…これはもうモテない方が(むずか)しいというものだ。


ところがふと気づくと、花胤(カイン)帝は目の前にいる(ハク)ではなく、その後ろに(ひか)える男の方に目を奪われていた。

何気なくその視線の先に目をやると、見覚えのある亜麻色(あまいろ)の髪が目に入る。

「…其方(そなた)(コウ) 牽蓮(ヒレン)か…?」

「はい。お久しぶりにございます、陛下」

(ひざまず)き深々と頭を下げながら、男は静かに最上級の礼を取る。

父皇帝が(コウ) 牽蓮(ヒレン)の事を知っていたのには驚いたが、よくよく考えてみれば自分の皇子達も通わせていた皇立学院の教授の事を、彼が知らないはずがなかった。

だがそれより驚いたのは、普段はあまり感情を(あら)わにしない花胤(カイン)帝が、皮肉げに口の(はし)(ゆが)め、静かな怒りを含んだ視線を男に向けながらこう言い放った事である。

「三年ぶりか…。(かくま)ってやった恩も忘れ、許しも得ず勝手に故国(ここく)に戻った男が、よくも今更 儂の前に顔を出せたものよ…」

「…その節は大変ご無礼を申し上げました。緊急の事態でありましたので、取り急ぎ書面のみでのご挨拶となりました事、長年心残りに思っておりました」

父皇帝の鋭い視線を気づかないはずもないだろうに、相変わらずこの男はしゃあしゃあと涼しい顔で受け流す。

公式の場であり、風嘉(フウカ)の正式な使者の一人として来ている自分に、花胤(カイン)側が手出しが出来ない事を熟知(じゅくち)しているからこその強気な態度だった。それを苦々しく思いながらも、花胤(カイン)帝は静かに吐き捨てる。


「…まぁよい。今更言うても(せん)無き事よ。ただし次 儂の前におめおめとその(つら)(さら)したら、その時こそはその命無きものと思うがよい」

決して脅しではない剣呑(けんのん)な視線を受けながらも、(コウ) 牽蓮(ヒレン)はまったく(ひる)まない。

それどころか余裕でニッコリと微笑むと、実に優雅な仕草(しぐさ)でこう答えた。

「…陛下の寛大(かんだい)御心(みこころ)に感謝申し上げます」

「ふん、せいぜいその命大切にする事だ」

最後にそう言い置くと、花胤(カイン)帝はもう用は済んだとばかりに(きびす)を返した。

そしてたくさんの取り巻きを引き連れ皇帝が去った後、その場には鴻夏(コウカ)凛鵜(リンウ)(ハク) 須嬰(シュエイ)(コウ) 牽蓮(ヒレン)の四名がとり残される。

一瞬シン…と気まずい雰囲気が流れたが、すぐに(ハク)が自分の部下に向き直り、口調も荒く(つか)みかかった。

牽蓮(ヒレン)!貴様やはり花胤(カイン)国に遺恨(いこん)を残していたのだなっ⁉︎」

「あー…まぁ、そうなりますかねぇ」

あらぬ方へ視線を泳がせながら、牽蓮(ヒレン)と呼ばれた男が口籠(くちごも)る。

その襟元(えりもと)を掴んで揺さぶりながら、(ハク)は怒りも露わにこう怒鳴った。

「『そうなりますかねぇ』じゃない!貴様、絶対何かやらかしたんだろう⁉︎そうでなければ、花胤(カイン)帝に『次はない』なんて台詞(せりふ)をもらうわけがないだろうがっ!」

「そう言われても…」

あくまでものほほんと返答する牽蓮(ヒレン)に、(ハク)の怒りと苛立(いらだ)ちは頂点に達する。


その様子を呆気にとられて見ていた鴻夏(コウカ)に対し、凛鵜(リンウ)はふいに(ハク)を制すると、珍しく牽蓮(ヒレン)に対して助け舟を出した。

「…(ハク)将軍。牽蓮(ヒレン)殿は嘘は言っておられませんよ。父上がお怒りなのは、それだけ牽蓮(ヒレン)殿が優秀で、手放したくなかっただけの話です」

凛鵜(リンウ)皇子…しかし…」

「私自身も未だに残念に思っておりますよ。それだけ牽蓮(ヒレン)殿の戦術・戦略論は素晴(すば)らしかった。許されるものなら、また教えを()いたいものです」

ニッコリと滅多にお目にかかれないような美人に(あで)やかに微笑まれ、さすがの(ハク)も頰に朱を走らせる。

それを横目に見ながら、凛鵜(リンウ)はチラリと牽蓮(ヒレン)に対し人の悪そうな目線を送った。

それを受けて、何となく『これでまた貸し一つ』と言われている気がするなと思いながら、牽蓮(ヒレン)()えてそれに気づかない振りをする。


今ひとつ納得いかない様子だったが、さすがに他国の皇子にそう言われては、(ハク)も引き下がらざるを得なかった。

渋々(つか)んでいた襟元から手を離すと、やれやれといった体で、牽蓮(ヒレン)は少し乱れた自らの衣服を正す。

その様子を不思議な面持ちで眺めながら、鴻夏(コウカ)は隣に立つ凛鵜(リンウ)に視線を戻した。

凛鵜(リンウ)…この方…」

「…ああ、鴻夏(コウカ)は会うのが初めてだったね?彼は(コウ) 牽蓮(ヒレン)殿。三年前まで我が花胤(カイン)の皇立学院で、戦略・戦術論の講師をされていた教授だよ」

実は会うのは初めてではないのだが、そう紹介されてはどう答えたものかと迷ってしまう。しかし戸惑いながらも相手に視線を移すと、牽蓮(ヒレン)は人差し指を口唇に当てながらニッコリと微笑んだ。

そしてスッと優雅に(ひざまず)くと、鴻夏(コウカ)の手を取り挨拶をする。

「…お初にお目にかかります、鴻夏(コウカ)皇女。私はこの度、貴女様をお迎えするため(つか)わされた風嘉(フウカ)使節団の一員で、(コウ) 牽蓮(ヒレン)と申します。どうぞ、お見知り置きを」

昨夜聞いたのとまったく同じ台詞だった。

思わず既視感(きしかん)に捕らわれ、鴻夏(コウカ)は何も言えずに相手を見返す。

まるで昨夜の出来事の方が夢だったのではないかと感じたが、あれが夢ではなかった事は牽蓮(ヒレン)の瞳が雄弁(ゆうべん)に物語っていた。

彼の薄い(みどり)の瞳が妖しく輝く。

「…あ、その…こちらこそどうぞよろしくお願い致します…」

何とかそう答えると、牽蓮(ヒレン)はニッコリと満足げに微笑んだ。




すでに夜明けの方が近いと思われる深夜、風嘉(フウカ)の使節団にあてがわれた客室の一つに、二人の男が揃っていた。

先ほどようやく歓迎の宴から解放されたばかりの(ハク) 須嬰(シュエイ)(コウ) 牽蓮(ヒレン)である。

ここは使節団の長である(ハク)にあてがわれた部屋だったが、その(ハク)の呼び出しを受けた牽蓮(ヒレン)が今 仕方なく部屋を訪ねて来ていた。

すでに自国から連れてきた密偵(みってい)達に周囲を探らせ、盗聴(とうちょう)襲撃(しゅうげき)の危険がないよう細心(さいしん)の注意を払っていたが、それでもまだ(ハク)は一向に警戒(けいかい)の念を(ゆる)めない。

剣を片手にまだウロウロと自室の探索を続ける(ハク)に、すでに長椅子の上で勝手に(くつろ)いでいた牽蓮(ヒレン)が、呆れたように口を開いた。

「…とりあえずもう落ち着いて座ったらどうなんだ、須嬰(シュエイ)?怪しい物はもう始末済みなんだろう?」

「何を言ってるんですか。いくら部下からすでに確認済みの報告を受けたとはいえ、自分で再確認するのは当たり前の事でしょう?」

生真面目にそう答える(ハク)に、はいはいと面倒くさそうに対応すると、牽蓮(ヒレン)はあくびをしながらこう呟く。

「まだかかるんなら、もう自室に戻ってもいいかな?早く寝たいんだけど…」

「待ってください、あとここだけ…よし、異常なし!」

そう満足げに呟くと、ようやく(ハク)が部屋の中央に戻ってくる。

そしてドカッと改めて牽蓮(ヒレン)の前の椅子(いす)に座ると、キッと目の前の男を睨みつけた。


「…なんで私が貴方を呼び出したか、すでに理由はわかってらっしゃいますよね?」

「んー…まぁ大体は…」

「大体はじゃないでしょう⁉︎そもそも貴方、なに一人で勝手にこんなとこまで来ちゃってるんですか?しかも今朝いきなり現れて、自分も使節団に加えろとか…無茶ぶりが過ぎますよ!」

喧喧(けんけん)(ごう)々とまるで小姑(こじゅうと)のように文句を()れる(ハク)を、まぁまぁと牽蓮(ヒレン)(なだ)める。

実は花胤(カイン)側には内緒なのだが、牽蓮(ヒレン)は今回の使節団には居ないはずの人物だった。

ところが今朝になって、ひょっこり(ハク)の前へと現れた牽蓮(ヒレン)は、半ば強引に使節団の一員としての参加を要求してきたのだ。

挙句に先ほどの花胤(カイン)帝との(いわ)くありげなやり取り…。(ハク)としては難しい外交中に、やたらと身内であるはずのこの男に足を引っ張られ、頭と胃が痛い事この上ない。

しかし相手はそれをわかっているのかいないのか、相変わらずのんびりとした様子でこう答える。

「うーん、まぁでも結局大事には至らなかったし?須嬰(シュエイ)花胤(カイン)での株も大幅に上がったみたいだし、結果としてはそう悪くもなかったんじゃないかな?」

「そういう問題じゃありません!そもそもここは風嘉(フウカ)国内ですらないんですよ?貴方、なに勝手に他国にまで足伸ばしちゃってるんですかっ!」

怒りも露わに襟元を掴んでそう詰め寄ると、牽蓮(ヒレン)の方は両手を上げて無抵抗の意思を示しながら、のんびりと答える。

「んー…それは美人に呼び出されたんで、仕方なく?」

「はぁああ⁉︎」

呆れと怒りで思わず叫ぶと、慌てて牽蓮(ヒレン)(ハク)の口を抑えた。


「シッ!流石(さすが)に声が大きいよ、須嬰(シュエイ)

「…!誰のせいですか、誰の!」

「うーん…一応私のせいになるのかな?」

「一応ではなく、間違いなく貴方のせいですよっ!」

フンッと鼻息も荒く(ハク)がそう答えると、心外(しんがい)だと言わんばかりに牽蓮(ヒレン)が答える。

「それはさすがに君の被害妄想(ひかいもうそう)じゃないかな?私は特に何もしてないぞ」

「ほほぉ、何もしていない?それなら何故本来なら自国にいらっしゃるはずの貴方が、ちゃっかり使節団の一員に加わって、しかも花胤(カイン)帝に目の敵にされる事態になるんでしょうねぇ?」

「あー…それは、その…」

途端にあらぬ方へと視線を泳がせた牽蓮(ヒレン)に、(ハク)はビシッと人差し指を突き付けると毅然(きぜん)とした態度でこう言い放った。

「よろしいですか?勝手に来ちゃったものはしょうがないので、今更どうこうは申しません。ですが今回の使節団の長はあくまでも私です!貴方の思惑は存じませんが、例え何があろうと、この旅の間はきっちり私の指示に従って頂きますよ?」

「…あー…はいはい。わかりました」

渋々といった体で、牽蓮(ヒレン)は溜め息交じりにそう答えた。

続く

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