表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜  作者: 緋影 あきら
12/12

ー結末と幕開けー

湯に()かり、旅の汗と(ほこり)を綺麗に流して、白い風嘉(フウカ)の女性ものの衣装に着替えた鴻夏(コウカ)は、その後 言葉通りに現れた暁鴉(ギョウア)に連れられ、別室へと移動した。

そこには先程まで姿も見なかった侍女(じじょ)達が幾人か待機しており、鴻夏(コウカ)が入るや(いな)やてきぱきと髪型を整え、薄く化粧を(ほどこ)し、見事な装飾品で飾り立てると、再び一礼して部屋の外へと出て行ってしまった。

その間 暁鴉(ギョウア)終始無言(しゅうしむごん)壁際(かべぎわ)に寄りかかり、支度(したく)をする鴻夏(コウカ)の様子を眺めていたが、準備の終わったのを見るなり、軽く口笛を吹きながら素直に感嘆(かんたん)の声を上げた。

「へぇ〜、さっすが有名な『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』。ちゃんとすると黎鵞(レイガ)様といい勝負だね」

「…()してよ。あんな綺麗(きれい)な人に(かな)うわけないじゃない」

心底嫌そうな顔で鴻夏(コウカ)がそう答えると、暁鴉(ギョウア)は大真面目な顔で否定する。

「いやいや…美しさの種類が違うだけで、あたしはなかなかいい勝負だと思うよ?むしろあたしは姫さんの方が人間的で好みかな。黎鵞(レイガ)様の美しさはもう現実離れしてて、人間っていうより芸術品系だもん」

そう言われ、確かに…と鴻夏(コウカ)も思う。

実際に会ったからこそより思うのだが、この世にあれほど美しい男性が存在していていいものだろうかと鴻夏(コウカ)は思う。

あの美しさはまさに凶器。

何せ未だに自分と同じ生きた人間である事が、信じられないほどの美形なのである。

…ただその冷たく美しい見た目と裏腹(うらはら)に、性格の方はかなりキツそうで、鴻夏(コウカ)は逆にそれがあったからこそ、ちゃんと生きた人間なのだなと思えたぐらいだった。

そしてそう思った事が表情に出ていたのか、ふいに暁鴉(ギョウア)が楽しげにこう(たず)ねてくる。


「今 黎鵞(レイガ)様の事、見た目と中身が全然違うって思ってたでしょ?」

「…か、顔に出てた…?」

「やっぱりね〜。初対面の人は大抵(たいてい)そう思うんだよね。何せあの見た目だから、勝手に大人しい印象を持っちゃう人が多いんだけど、でも本人はあの通り、全っ然大人しくも何ともない性格じゃない?だから勝手に懸想(けそう)した奴等が、(せま)るなりいきなりバッサリやられて、再起不能(さいきふのう)になる事が多いんだよね〜」

ケタケタと笑いながらそう告げる暁鴉(ギョウア)に、鴻夏(コウカ)がおそるおそる(たず)ねてみる。

「あ、あの…宰相(さいしょう)様って、その…女性より男性の方がお好きなのかしら…?」

「ん?いや、どっちかっていうと人間嫌いだから、正直 男も女も興味ないタイプだよ」

「え、總糜(ソウヒ)と恋人同士なんじゃないの⁉︎」

真面目にそう聞いた鴻夏(コウカ)に、暁鴉(ギョウア)はあっさりと笑いながらこう答える。

「あー、そっか、そっか…總糜(ソウヒ)ね!總糜(ソウヒ)の方は確かに黎鵞(レイガ)様にベタ()れだけど、黎鵞(レイガ)様の方はどうなんだろうね?(やしな)()だから可愛(かわい)がってはいるみたいだけど、なんせ十五歳くらい年下のはずだから、下手したら相手にもされていないかもね」

「じゅ…十五歳差っ⁉︎さ…宰相様って一体幾つなの⁉︎」

どう見ても二十代前半だと思っていた黎鵞(レイガ)が、実は結構年上だと聞いて、さすがに鴻夏(コウカ)()()いつく。

すると暁鴉(ギョウア)は、少し考えながらこう答えた。

「さぁ…いくつだったかなぁ?四十はいってなかったと思うけど、三十代半ばぐらいにはなってたと思うよ。ま、あたしの覚えてる限り、ずっと見た目は変わんないけどね」


ますます人間離れしている美貌(びぼう)の宰相に、鴻夏(コウカ)唖然(あぜん)としていると、暁鴉(ギョウア)は特に気にした風もなくこう答える。

「さ、それより姫さんはそろそろ広間に行かないと。(あるじ)達も(そろ)ってる頃じゃないかな?」

そう言われ、ふいに鴻夏(コウカ)は先程から世話になりっ放しのこの女忍(にょにん)に、何のお礼も言っていなかった事に気付く。

とりあえずこの後すぐ、花胤(カイン)へと追い返されてしまう可能性もあるので、鴻夏(コウカ)は今この場でちゃんとお礼を言っておかなければと思い、たどたどしい口調で暁鴉(ギョウア)にこう告げた。

「え…っと、その…暁鴉(ギョウア)さん…でしたっけ?あの…さっきからお礼を言いそびれてたけど、私の身代(みが)わりをしてくれてありがとう。あとここまでの案内も、とても助かりました」

ご丁寧にペコリと頭まで下げる鴻夏(コウカ)に、暁鴉(ギョウア)が目を丸くする。

けれどすぐに軽く破顔(はがん)すると、暁鴉(ギョウア)鴻夏(コウカ)の足元に(ひざまず)きこう言った。

「ふぅん?あんたホントに深窓(しんそう)の姫君なんだね…。普通身分の高い人は、あたしらにお礼なんざ言わないよ?」

「え、そうなの?でもたくさんお世話になったら、お礼は言うものではなくて?」

キョトンとした顔で、小首(こくび)(かし)げながらそう(たず)ねる鴻夏(コウカ)に、暁鴉(ギョウア)豪快(ごうかい)に笑う。

「はは…あんたホントに面白いねぇ。いいね、あたしはあんたが気に入ったよ!…あたしの事は『暁鴉(ギョウア)』でいいよ、姫さん。(しのび)敬称(けいしょう)なんざつけるもんじゃないさ」

そう言うと暁鴉(ギョウア)はすっくと立ち上がり、鴻夏(コウカ)に対して手を伸ばす。

そして彼女は笑顔で力強く、鴻夏(コウカ)に対しこう宣言した。

「さぁ姫さん、案内するよ。今の風嘉(フウカ)を治めているうちの(あるじ)達の元に!」

その言葉を聞きながら、鴻夏(コウカ)は一人 (ひそ)かに覚悟を決める。

鴻夏(コウカ)のこれからの運命を決める宴が、今まさに始まろうとしていた。




美しく色とりどりのタイルで(いろど)られた回廊(かいろう)を通り抜け、鴻夏(コウカ)風嘉(フウカ)後宮(こうきゅう)内にある広間へと案内された。

そこは大理石の床に絨毯(じゅうたん)()き、その上にたくさんのクッションを()()めただけの場で、璉瀏(レンリュウ)帝を中心に彼の側近(そっきん)達が円座(えんざ)で座り、(なご)やかに語り合っている。

そして先程 鴻夏(コウカ)と別れた後、璉瀏(レンリュウ)帝の方も同じように着替えてきたらしく、白を基調としたそれなりに身分を感じさせる服装に改め、場の中心に座っていた。

こうして見ると、相変わらず(ひょう)々とした雰囲気は変わらなかったが、そこはやはり皇帝というだけあって、彼のみが他の人と違う独特の雰囲気を(かも)し出している。

それを遠目(とおめ)で見つめながら、どうして今までそれに気づかなかったのかと鴻夏(コウカ)は思った。

確かに現皇帝が、身分を(いつわ)ってまで直接会いに来るとは思わなかったが、今にして思えば時々感じていた妙な違和感の正体は、これだったのだなと思う。

璉瀏(レンリュウ)帝は、先日会った月鷲(ゲッシュウ)鴎悧(オウリ)帝のような(はな)やかで相手を鼓舞(こぶ)するような雰囲気はなかったが、逆に相手そのものを包み込むような静かで理性的な存在感を放っていた。

例えるならばどこまでも続く海のように、その大きな(うつわ)で部下達を包み、その才能を(あま)す事なく自由に発揮させる、まさにそんな感じの皇帝だと鴻夏(コウカ)は思った。


そう思って見ていると、ふいにその視線に気づいた璉瀏(レンリュウ)帝がこちらへと視線を向ける。

彼の薄い(みどり)の瞳が真っ直ぐに鴻夏(コウカ)の姿を射抜き、鴻夏(コウカ)がドキリとして固まった瞬間、彼はふわりと優しげに微笑んだ。

「…お待ちしておりましたよ、姫」

スッとその場から璉瀏(レンリュウ)帝が立ち上がると、他の側近達もスッと無言で鴻夏(コウカ)に対し(ひざまず)く。

そのあまりに分不相応(ぶんふそうおう)な扱いに、何と答えたものかと戸惑(とまど)っていると、璉瀏(レンリュウ)帝は自ら鴻夏(コウカ)へと近付きその手を取った。

「さぁこちらへ。今夜は内々での食事会なので、極少数の者しかおりません。姫も気を(つか)わず、(くつろ)いでくださいね」

「あ、あの…」

何か答えようとはしたのだが、それを言葉にする前に鴻夏(コウカ)はぐいぐいと璉瀏(レンリュウ)帝に手を引かれ、円座(えんざ)中心へと連れて来られてしまう。

そして自然と集まった注目の中、鴻夏(コウカ)はひどく居心地(いごこち)の悪い思いをしながらこう思った。

『いくら極少数っていったって、この面子(めんつ)でどう(くつろ)げというの…』

その場に居たのは、先程 謁見(えっけん)()遭遇(そうぐう)した宰相 () 黎鵞(レイガ)、将軍 (ハク) 須嬰(シュエイ)、そして本物の(コウ) 牽蓮(ヒレン)とあと初めて会う小太りの文官が一名、そして何故か十歳くらいの小さな男の子とそのお付きの女官が一名だった。

一瞥(いちべつ)しただけでも、今の風嘉(フウカ)の政治の中枢にいる大物ばかりなのは明白(めいはく)で、鴻夏(コウカ)は知らず緊張でその身を固くする。

するとその時、思いもかけず足元から実に可愛いらしい声が鴻夏(コウカ)に向かってかけられた。


「貴女が(レン)のお嫁さん?」

「え…?」

驚いて素の呟きを漏らしながら、鴻夏(コウカ)は声のした方へと視線を落とす。

するとそこには亜麻色(あまいろ)の髪の女の子と見紛(みまご)うばかりの美少年が居て、そのキラキラとした(みどり)の瞳で鴻夏(コウカ)の事を見上げていた。

そしていかにも子供らしく、無邪気(むじゃき)にニコニコと笑いながら、実に素直な感想を述べる。

綺麗(きれい)だね。僕、母上や黎鵞(レイガ)以外で、こんなに綺麗な人は初めて見たよ」

「あ…ありがとう…?」

とりあえず(ひざ)を付き、少年と目線を合わせながら、鴻夏(コウカ)はそう答える。

この子は一体誰なんだとは思ったが、少年はしばらく真っ直ぐ鴻夏(コウカ)を見つめ続けると、パッとその視線を璉瀏(レンリュウ)帝に向けこう言った。

「うん。僕このお姉さん、好き。このお姉さんなら(レン)のお嫁さんになってもいいよ!」

「…そうですか。随分(ずいぶん)と気に入ったようですね、(タイ)?」

優しく少年を見下ろし、璉瀏(レンリュウ)帝が彼の頭を撫でながらそう尋ねる。

すると少年は満面の笑顔でこう答えた。

「うん、だって綺麗だし、すごく優しそう。あと…何だろ?よくわかんないけど、すごく(レン)とお似合いな気がする」

少年にそう言われ、鴻夏(コウカ)は思わず真っ赤になり、璉瀏(レンリュウ)帝は穏やかに微笑んだ。

「…そうですか。(タイ)は彼女が合格だそうです。君達は…?」

そう璉瀏(レンリュウ)帝に尋ねられ、まずは側近のうち() 黎鵞(レイガ)が口を開く。


「…私は貴方のお決めになった事なら、基本従いますよ。もちろん多少思う所がないわけでもございませんが、總糜(ソウヒ)からの報告でも、特に大きな問題があるようには思えませんでした。またあの他人に辛口(からくち)總糜(ソウヒ)が、何故か姫をかなり()しております。この短期間であれを手懐(てなず)けるとは、姫の人心(じんしん)掌握力(しょうあくりょく)はなかなかのものかと存じます」

そう淡々と語った黎鵞(レイガ)の意見を受け、今度は(ハク) 須嬰(シュエイ)が口を開く。

「私もこの旅の間、姫を間近(まぢか)拝見(はいけん)させて頂き、そのお人柄(ひとがら)に好感を抱きました。もちろん私も黎鵞(レイガ)と同じく、多少は思う所がないわけでもございませんが、最終的に貴方がそう決められたのなら、特に反対は致しません」

そう須嬰(シュエイ)が言い終わると、次は鴻夏(コウカ)が名も知らない小太りの文官がのんびりと口を開く。

「私はそうですねぇ…。今日初めてお会いしたので、正直姫のお人柄(ひとがら)についてはわかりかねますが…、それでも経済的効果の面から考えると、ご結婚いただいた方が(もう)かりますので、賛成一択(さんせいいったく)ですかな」

思わずその場に居た全員が『ん?』と疑問に感じたところで、皆の考えを代弁したかのように(コウ) 牽蓮(ヒレン)が口を(はさ)む。

「えっ⁉︎そういう問題なんですか、樓爛(ロウラン)様?」

すかさずそう問われ、樓爛(ロウラン)と呼ばれた人物は、あっさりと(うなず)きこう答える。


「うん、そういう問題だよ。(かせ)げる時に稼いでおかないとね」

「ぶ…ブレないですねー…。さすが元海上商人…。自国の皇帝の結婚すら、単なる商売のネタですか…」

半ば呆れたようにそう呟く牽蓮(ヒレン)に、今度は璉瀏(レンリュウ)帝が意見を求める。

「…君は、牽蓮(ヒレン)?君自身はこの件について、どう思ってるのかな?」

「僕…ですか⁉︎…そうですね。僕も黎鵞(レイガ)様や須嬰(シュエイ)様と同じで、(レン)さえ幸せになれるんなら、相手が誰だろうと特に反対はしませんよ」

悩みつつもそう答えた牽蓮(ヒレン)に満足気に(うなず)くと、璉瀏(レンリュウ)帝はふいに天井へと視線を上げ、次々に影達の名を呼んだ。

「…嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)暁鴉(ギョウア)

「は…、お呼びですか、(あるじ)

スッとその場に、何処(どこ)からともなく三人の忍が現れ、璉瀏(レンリュウ)帝に向かって(ひざまず)く。

その姿を確認しながら、璉瀏(レンリュウ)帝は穏やかに彼等(かれら)に対しても同様(どうよう)に意見を求めた。

「…君達はどう思います?」

「我々がですか…?」

「そうです」

(かさ)ねてそう問われ、まずは嘉魄(カハク)が口を開く。

「…以前にも申し上げましたが、私は姫のお人柄(ひとがら)(この)ましく思っております。ですから主がお望みになられるのなら、特に反対する(いわ)れはございません」

それを受けて、次は總糜(ソウヒ)が口を開く。

「俺は面白ければそれでいいんで、基本賛成っすね。あと姫さんが居ると、毎日がより楽しくなりそうなんで、ワクワクするっすよ」

そう答えた總糜(ソウヒ)を呆れたように見つめながら、最後に暁鴉(ギョウア)がこう答える。

「あたしも姫さんの件は賛成ですね。いずれ誰かを迎え入れなきゃならないんなら、ちゃんと信用出来る相手がいい。少なくともこの姫さんに他意(たい)はないのは明らかだし、何より素直で変わってて面白いよ。あたしはこの姫さんが気に入ったね」


次々と目の前で自分を批評(ひひょう)され、鴻夏(コウカ)面喰(めんく)らって黙り込んでいると、全員の意見を聞き終えた璉瀏(レンリュウ)帝が改めて鴻夏(コウカ)へと向き直った。

「…決まりですね。姫、私の部下達は満場一致(まんじょういっち)で、貴女を正妃(せいひ)として迎え入れる事に賛同(さんどう)してくれました。あとは姫の心次第です」

「わ、私の…?」

何の事かわからず、オロオロとそう(たず)ねると、璉瀏(レンリュウ)帝は鴻夏(コウカ)の前に(ひざまず)きこう告げた。

「姫、私と契約結婚をしませんか?」

ニッコリと満面の笑顔でそう告げる璉瀏(レンリュウ)帝に、鴻夏(コウカ)は意味がわからずポカンとする。

すると続けて璉瀏(レンリュウ)帝は、悪戯(いたずら)っぽく人差し指を口元に当てながらこう付け足した。

「実は私の方にも少々事情がございまして、普通の方を(きさき)に迎えるわけにはいかないのですよ。そういう意味でも、姫はこちらの条件に沿()った方ですので、私としては姫との婚姻(こんいん)を望んでいます」

予想もしなかった璉瀏(レンリュウ)帝の申し出に、鴻夏(コウカ)は更に混乱したのであった。




暖かな湯気(ゆげ)を立てるお茶を手に、鴻夏(コウカ)はまだ少し呆然としながらその場に座っていた。

そして璉瀏(レンリュウ)帝とその側近達に囲まれ、混乱しながらもこう確認する。

「えー…っと、つまり貴方にとっても私は結婚相手として都合が良い…って事でいいのかしら…?」

「そうですね。要約(ようやく)するとそうなります」

ニッコリと相変わらず(つか)(どころ)のない笑顔を見せながら、璉瀏(レンリュウ)帝がそう答える。

それに対し、鴻夏(コウカ)はおそるおそる相手を見つめながら思いきってこう尋ねた。

「あ、あの…でも私は、その…花嫁としてはかなり致命的(ちめいてき)な問題があって…。貴方に限らず、男性と結婚するのは無理…というか…」

どう伝えたものかとモゴモゴと要領を得ない事を呟いていると、璉瀏(レンリュウ)帝が(こと)()げにこう答える。

「…知ってますよ。貴女の本当の性別の事でしょう?ここに居る皆も知ってます。それを知った上で、私は貴女に契約結婚を持ちかけているのですが…」

「は…?」

唖然(あぜん)とする鴻夏(コウカ)に、璉瀏(レンリュウ)帝はあっさりとそう告げると続けてさらにこう述べた。

「むしろそれがあるからこそ、私は貴女と結婚したいんですよ。普通の女性だと何かと面倒な問題が起こりますので、それくらいならいっそ男性の貴女と結婚する方が都合が良いんです」


淡々とそう答える璉瀏(レンリュウ)帝に、鴻夏(コウカ)はまったく頭が付いていかず混乱する。

そもそもいつから彼は自分の本当の性別を知っていたのか、そしてそれを知りつつも、何故(なぜ)()えて自分との結婚を望むのか…?

悩んだ末に出てきた鴻夏(コウカ)の答えは、かなりトンチンカンなものだった。

「え…っと、それってつまり貴方が女性より、男性の方がお好きだから…って事なのかしら…?」

そう言った途端、あちこちで一斉に吹き出す声がする。

總糜(ソウヒ)暁鴉(ギョウア)樓爛(ロウラン)などは完全にその場で腹を抱えて笑い出し、須嬰(シュエイ)黎鵞(レイガ)牽蓮(ヒレン)は吹き出しこそしなかったものの、あらぬ方へと視線を外し肩を震わせ笑いを(こら)えている。

あと(タイ)と呼ばれた少年のみは意味が分からずキョトンとし、嘉魄(カハク)と名も知らない女官は特に何も変わらず終始無言(しゅうしむごん)だった。

そして鴻夏(コウカ)にそう(たず)ねられた璉瀏(レンリュウ)帝はというと、困ったように(ひたい)に手をやりながら冷静にこう答える。

「…姫。何か激しく勘違(かんちが)いをされているようですが、別に私は男性の方が好きというわけではありませんよ…」

「えっ、そうなの⁉︎じゃあ…なんで()えて私⁉︎意味がわからないわ…」

そう尋ねると、璉瀏(レンリュウ)帝は溜め息をつきつつ、こう答える。

「…ですから、女性を(きさき)に迎えると後継問題が発生するからですよ。どんなに気をつけていたとしても、絶対に妊娠しないという保証はありません。私はここに居る泰瀏(タイリュウ)皇位(こうい)を譲ると決めていますので、余計な争乱(そうらん)(たね)は作りたくないんです」


そう説明され、ようやく鴻夏(コウカ)も納得する。

確かに女性であれば妊娠する可能性もあるだろうし、そもそも婚家(こんけ)との利害的(りがいてき)(つな)がりもあるので、もし子供が出来てしまえば必ず後継者争いが勃発(ぼっぱつ)する。

また国民にしてみても、争乱(そうらん)を引き起こした先帝の息子より、風嘉(フウカ)の解放者である璉瀏(レンリュウ)帝の子供に皇位(こうい)を望むのは当然の事だ。

おそらく璉瀏(レンリュウ)帝はそれらも心配し、最初から自分の子供は作らないつもりなのだと、ようやく鴻夏(コウカ)も理解した。

「あ…そういう事…。ごめんなさい、完全に私の勘違いだったわ」

素直にそう謝ると、璉瀏(レンリュウ)帝は困った顔をしつつも『わかればいいんです』と言って溜め息をつく。

とんだ勘違いはあったものの、とりあえずお互いの利害(りがい)が一致している事を再確認した鴻夏(コウカ)は、その時点になってようやくこの事態を冷静に考え直した。

どうせこの縁談がなくなっても、皇女である自分はどこかに嫁がざるを得ない。

それならばいっそ、全てを承知の上で自分を貰ってくれるという璉瀏(レンリュウ)帝とこのまま結婚した方がいいのではないだろうか?

幸い璉瀏(レンリュウ)帝の側近達も、全てを知った上で自分を妃として受け入れてくれる気でいる。

そして何より鴻夏(コウカ)自身に、この国に残りたいという意志が芽生(めば)えていた。

正直自分に何が出来るかはわからないが、璉瀏(レンリュウ)帝が護るこの国を自分も一緒に護りたい。

そして彼をその苦しみから解放したあげたいと心から思った。



そして鴻夏(コウカ)は決意も新たに、こう切り返す。

「…あの…本当に私でいいのかしら…?私は世間(せけん)()らずだし、正直この国の役に立てるかどうかもわからない。それに女装にしても、いつまで通じるのか怪しいんだけど…」

そう思いきって尋ねると、璉瀏(レンリュウ)帝は淡々とこう答える。

「…あと五年。長くても七年ですかね…?」

「え?」

「言い忘れていましたが、こちら側の事情の一つです。私は皇位(こうい)()く際に、ここに居る彼等にいくつかの条件を出しました。一つ目は私は自分の血筋(ちすじ)を残す気がないという事。二つ目は次の皇位は、ここに居る泰瀏(タイリュウ)に譲ると決めている事。そして三つ目は、私が皇位に()くのは泰瀏(タイリュウ)が成人するまでの間。長くても十年で、その後はこの国の皇位を退(しりぞ)くというものです」

衝撃的な告白だった。

周りに望まれ、その地位に相応しいだけの実績も能力もあるというのに、璉瀏(レンリュウ)帝はたった十年で皇位を退く事を決めているという。

そして元々それが彼が皇位に就く時の条件であるなんて、(にわ)かには信じられなかった。

だからつい鴻夏(コウカ)は彼に聞いてしまう。

何故(なぜ)貴方はそんな条件をつけたのか』と。

その答えは限りなく単純明快(たんじゅんめいかい)なものだった。


「…私は自分が皇位を()ぐに相応しい人物だとは、思っておりません。ただ次代を継ぐべき泰瀏(タイリュウ)はまだこのように幼く、とても皇位に就ける状態ではありません。だから私の役目は彼が成人するまでの間、この国を復興(ふっこう)させつつ諸外国から護る事、そして彼を皇位を継ぐに相応しい人物に育てあげる事です」

淡々とそう語りながら、璉瀏(レンリュウ)帝は穏やかな表情で泰瀏(タイリュウ)皇子の頭を()でる。

どこまでその意味がわかっているのかわからないが、幼い皇子は嬉しそうに璉瀏(レンリュウ)帝の手を取ると、自らの(ほほ)にその手を当てながらニッコリと微笑んだ。

今の二人の姿を見る限りは、とても仲の良い義理の親子としか見えなかったが、自らを仮初(かりそ)めの皇帝と(しょう)する璉瀏(レンリュウ)帝は、おそらく泰瀏(タイリュウ)皇子の為にその生涯の全てを捧げている。

いや…正しくは彼の元の君主(くんしゅ)である纜瀏(ランリュウ)帝の為に、そうしているのだと鴻夏(コウカ)は思った。

そしてそれに気づくと共に、鴻夏(コウカ)(くや)しさでその口唇を噛み締める。

すでに纜瀏(ランリュウ)帝が亡くなって三年は経とうとしているのに、未だにその呪縛(じゅばく)璉瀏(レンリュウ)帝を(しば)り続け、その人生の大半を支配している。

彼と纜瀏(ランリュウ)帝の間に何があったのかはわからないが、彼が本当の意味で自由になる日は来るのだろうか?

出来る事ならば自分が、彼を真の意味で解放してあげたいと鴻夏(コウカ)は思った。


そして鴻夏(コウカ)はその思いのままに、その場でスッと(そで)を合わせると、璉瀏(レンリュウ)帝に対して最上級の礼を取る。

そして彼を真っ直ぐに見上げると、はっきりとした声でこう告げた。

「…璉瀏(レンリュウ)帝。私でよろしければ、貴方に(とつ)がせていただきます。微力(びりょく)ながら私も、この国の為に尽くさせて頂きたいと存じます」

その鴻夏(コウカ)の返答に、オオッと一瞬でその場が盛り上がる。

それを穏やかな表情で聞きながら、璉瀏(レンリュウ)帝は静かにこう返した。

「こちらこそよろしくお願い致します、姫。あと私の事は『(レン)』とお呼びください。対外的な場所以外では、他の皆にもそう呼ぶよう、お願いしております」

「わかりました。それでは(レン)、貴方も私の事は『鴻夏(コウカ)』とお呼びください。貴方に嫁ぐのであれば『姫』はおかしいので…」

ニッコリ笑ってそう返すと、璉瀏(レンリュウ)帝こと(レン)がなるほどと言った顔をする。

そして彼は改めて鴻夏(コウカ)の手を取ると、晴れやかな笑顔でこう告げた。

「わかりました、鴻夏(コウカ)。それでは契約成立という事で、まずは改めて私の仲間達をご紹介致しましょう」

そう告げる璉瀏(レンリュウ)帝と共に、その場に居る者達がザッと鴻夏(コウカ)に対し頭を下げる。

今ここに、正式に鴻夏(コウカ)璉瀏(レンリュウ)帝の正妃(せいひ)として認められたのであった。




その日その場に居たのは、(レン)こと璉瀏(レンリュウ)帝の側近中の側近達であった。

まずは(レン)鴻夏(コウカ)を中心に円座(えんざ)で座っていた彼等は、(レン)の左側に座る鴻夏(コウカ)に対し、そのすぐ左隣から順番に挨拶をし始める。

そして鴻夏(コウカ)の左隣に座るのは、風嘉(フウカ)の氷の宰相の異名(いみょう)を取る、() 黎鵞(レイガ)

まずは彼から改めて鴻夏(コウカ)に挨拶を始めた。

「改めて初めまして、鴻夏(コウカ)様。風嘉(フウカ)の宰相を(つと)めております() 黎鵞(レイガ)と申します。この見た目ですでにお気付きでしょうが、私の家は元々 鳥漣(チョウレン)の出身で、父の代に風嘉(フウカ)亡命(ぼうめい)して参りました。つまり私も元を辿(たど)れば、鴻夏(コウカ)様と同じ異国人でございます。どうぞお見知り置きを…」

そう言って黎鵞(レイガ)優雅(ゆうが)に頭を下げる。

間近(まぢか)で見ても完璧(かんぺき)()ぎる美貌(びぼう)(ぬし)に、鴻夏(コウカ)は圧倒されつつも何とか無難(ぶなん)に挨拶を返す。

すると続けて挨拶をしたのは、先程 謁見(えっけん)()で半べそをかいていた、(コウ) 牽蓮(ヒレン)であった。

「…先程はお見苦(みぐる)しい姿をお見せ致しました。改めてご挨拶申し上げます。私は風嘉(フウカ)の内政官を務めております、(コウ) 牽蓮(ヒレン)と申します。この通り見た目や体型が、多少 (レン)に似ているせいで、時々あのように影武者(かげむしゃ)役もやらされております…」

そう牽蓮(ヒレン)が言ったところで、ボソッと隣の黎鵞(レイガ)が『ホント見た目だけで、ヘタレの役立たずが…』とそう呟く。

それを受けて、思わず牽蓮(ヒレン)黎鵞(レイガ)に向かってこう叫んだ。


「だーかーらー、僕の本来の役割は、(レン)影武者(かげむしゃ)役じゃないんですってばっ!確かに僕は忍の修行もしましたけど、どっちかっていうと今の本業は内政官の方ですっ!」

「…知ってますよ。私は貴方の忍の腕前はこれっぽっちも信用しておりませんが、内政官としての能力は高く評価しております」

きっぱりすっぱり黎鵞(レイガ)に切り捨てられ、またもや牽蓮(ヒレン)が半べそをかく。

そしてそれを打ち切るように、隣の小太りの文官が勝手に挨拶をし始めた。

「えー…それでは初めまして、鴻夏(コウカ)様。私は(タイ) 樓爛(ロウラン)と申します。元々は西方で海上商人をしておりましたが、(レン)()われて、今は風嘉(フウカ)の財務長官をやらせていただいております。また今回は(レン)の結婚式という事でこうして皇都(おうと)に一時帰還しておりますが、普段は海上貿易の監視も兼ねて、西方領の方に詰めております。どうぞ鴻夏(コウカ)様も新婚旅行がてら、西方領へもお越しください。その方が宣伝に…あ、いや西方領の国民も喜ぶかと存じます」

「は…はぁ…。どうぞよろしく…」

()み手をしつつ、いかにも商人らしい抜け目のない勧誘(かんゆう)をする樓爛(ロウラン)に、かなり鴻夏(コウカ)が引いていると、今度は見慣れた武人がそれを打ち切るように挨拶を始めた。

「すでに花胤(カイン)で一度ご挨拶させて頂いておりますが、風嘉(フウカ)で将軍職を務めさせていただいております、(ハク) 須嬰(シュエイ)と申します。私も今はこうして皇都(おうと)に一時帰還しておりますが、普段は東方領に詰めております。どうぞお見知り置きを…」

「…(ハク)将軍、その(せつ)はお世話になりました。これからもよろしくお願い致します」

そう鴻夏(コウカ)(ハク)に挨拶し終わったところで、次に先程の少年がにこやかに挨拶を始めた。


鴻夏(コウカ)様、初めまして。僕は(ソウ) 泰瀏(タイリュウ)です。(レン)(おい)になります。後ろに(ひか)えているのは、僕の世話をしてくれている侍女(じじょ)燠妃(オウヒ)です。どうぞ仲良くしてくださいね」

ニッコリと無邪気(むじゃき)な笑顔を向けられて、鴻夏(コウカ)も思わず()られて微笑む。

そしてこんな小さな少年に『様』付けで呼ばれるのもなぁと思い、鴻夏(コウカ)はにこやかに少年にこう返した。

「こちらこそよろしくお願いしますね、泰瀏(タイリュウ)皇子。あと私の事はどうぞ『鴻夏(コウカ)』と呼んでくださいね?皇帝である(レン)が様付けでないのに、私だけ様付けされるのは嫌だわ」

そう鴻夏(コウカ)に返されたのが嬉しかったのか、泰瀏(タイリュウ)が輝くような笑顔でこう答える。

「じゃあ、僕の事も『(タイ)』と呼んでください。(レン)のお嫁さんになるんだから、これからはずっと一緒に居られるんだよね?」

「…そうね。多分そうなると思うわ」

そう答えるとパァッと顔を輝かせて、(タイ)(レン)に向かって話しかける。

「嬉しいな、(レン)。僕、やっぱりこのお姉さんがいいよ!あ、でもお姉さん…は違うのかな…?」


急に悩み出した少年に対し、(レン)はその頭をぽんぽんと軽く叩きながら笑顔でこう告げる。

(タイ)鴻夏(コウカ)鴻夏(コウカ)ですよ…?性別がどちらかなど、どうでもいい事です。(タイ)鴻夏(コウカ)が好きですか?」

「うん、大好き!綺麗(きれい)で優しくて、まるで母上みたいなんだもの」

間髪(かんぱつ)入れずにそう答える少年に、(レン)(さと)すようにこう告げる。

「…じゃあ大好きな鴻夏(コウカ)の秘密は守れますよね?もしこの後宮(こうきゅう)の者以外に、鴻夏(コウカ)の秘密がバレてしまったら、鴻夏(コウカ)はもう(タイ)と一緒に居られなくなってしまうかもしれませんよ?」

そう言われた途端、(タイ)が泣きそうな顔で首を横に振る。

そして(レン)に抱きつきながら、こう宣言した。

「そんなの、嫌だっ!僕…僕、絶対に喋らないよ!」

「…良い子ですね、(タイ)。私が側に居ない時は、(タイ)鴻夏(コウカ)を護ってくださいね?」

そう言うと、(レン)は近くに控える影達に目をやり、一人の忍の名を呼んだ。


暁鴉(ギョウア)…。君にお願いがあります」

「はい何でしょう、(あるじ)?」

不思議そうに尋ねる暁鴉(ギョウア)に、(レン)が告げる。

「今日から鴻夏(コウカ)の『影』になっていただけませんか?君も知っての通り、鴻夏(コウカ)は対外的には私の(きさき)です。そのため女性である君でなければ、守れない所も多々出てくるでしょう。ですから君さえ良ければ、ぜひ鴻夏(コウカ)の力になってあげて欲しいのてす…」

そう(レン)に言われ、暁鴉(ギョウア)は驚いたもののすぐに自信有り気にニヤリと笑って即答した。

「…あたしで良ければ、喜んで引き受けさせていただきますよ、主」

「ありがとう、暁鴉(ギョウア)鴻夏(コウカ)を頼みましたよ」

「はっ、この命に代えても」

そう力強く答えると、暁鴉(ギョウア)鴻夏(コウカ)に視線を移し、ニッコリと笑う。

「そういうわけなんで、改めて今日からよろしく、鴻夏(コウカ)様」

「…こ…ちらこそ…よろしくお願いします、暁鴉(ギョウア)…」

驚きつつもそう答えた鴻夏(コウカ)に、暁鴉(ギョウア)がとても満足気に笑う。

そしてこの瞬間、鴻夏(コウカ)は新たに得難(えがた)い味方を手に入れたのだった。




そして翌日、風嘉(フウカ)皇都(おうと)白瑤(ハクヨウ)』では、朝から祝福の鐘が響き渡っていた。

広場には色とりどりの花弁(はなびら)(あざ)やかに舞い、皇城(おうじょう)へと(つう)ずる全ての道には、人々の笑顔と祝福の声が(あふ)れている。

また街のあちこちに張り(めぐ)らされた水路(すいろ)には、たくさんの小舟(こぶね)がひしめき合い、全ての者達がその時を今か今かと待ちわびていた。

そんな中、皇城(おうじょう)最奥(さいおく)ではその歓声を(はる)か遠くに聞きながら、鴻夏(コウカ)が一人椅子に座り、目を閉じたまま静かにその時を待っている。

身に(まと)うのは、白い風嘉(フウカ)風の花嫁衣装。

ゆったりとした白絹(しらぎぬ)(はな)やかなレースと細かい金糸の刺繍(ししゅう)(ほどこ)し、要所(ようしょ)要所(ようしょ)(つや)やかな真珠をあしらった気品ある意匠(いしょう)のドレスは、まさにこの日の為に作られた最高級の逸品(いっぴん)で、鴻夏(コウカ)の美しさを最大限に引き立てていた。

また花嫁のベールによって、今はその表情があまり読み取れないが、鴻夏(コウカ)自身にこの婚姻(こんいん)に対する迷いがないため、生来の輝くばかりの気品と自信に満ち(あふ)れている。

自分でも驚くほど穏やかな気持ちでその時を待ちながら、鴻夏(コウカ)は一人ゆったりと今までの事を思い出していた。

頭の中を過ぎるのは、生まれた時からずっと過ごしてきた花胤(カイン)の離宮での日々。

今はもう二度と戻れないあの場所で、母と双子の弟の凛鵜(リンウ)と三人、誰よりも穏やかに幸せに過ごした。

男として生まれながらも、それを隠し女として育てられた自分は、世間的に見ればとても可哀想(かわいそう)な子供なのかもしれない。

けれど自分はおそらく、それを(はる)かに上回る愛情に包まれ幸せに育った。

だから性別を偽り、女として育てられた事にも鴻夏(コウカ)は何の不満も感じていない。

そして最初は不安でしかなかった今回の婚姻(こんいん)も、(ふた)を開いてみれば偶然とは思えないほどの幸運続きで、結果として自分は一生かかっても得難(えがだ)いような人々に、仲間として暖かく迎え入れてもらった。

そして今日、自分は自らの意志で彼に嫁ぐ。

この風嘉(フウカ)の英雄にして、稀代(きだい)の戦上手と名高(なだか)風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)に…!



コンコンという扉を叩く音がして、フッと鴻夏(コウカ)(まぶた)を開ける。

するとそれを見計(みはか)らったかのように、侍女(じじょ)が現れ丁寧に一礼をしながらこう告げた。

鴻夏(コウカ)様、そろそろお時間です」

そう言われ、鴻夏(コウカ)はスッと立ち上がる。

するとどこからともなく暁鴉(ギョウア)が現れ、鴻夏(コウカ)のすぐ側に降り立った。

「お、さっすが鴻夏(コウカ)様!似合ってるじゃん」

暁鴉(ギョウア)!」

昨夜から自分の影になったばかりの暁鴉(ギョウア)は、わりと總糜(ソウヒ)と似たタイプのようで、かなり気さくに接してくれる。

お陰でまだ出会ったばかりだというのに、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)はかなり親しくなっていた。

そのため鴻夏(コウカ)は、先程から少し気になっていた事を暁鴉(ギョウア)に聞いてみる。

「ねぇ、おかしくないかしら?私、風嘉(フウカ)の衣装って初めてで、なんかこう落ち着かないんだけど…」

「全〜然、変じゃないよ?むしろ似合い過ぎなくらい。鴻夏(コウカ)様は少し身体の線が出てる方が、あたしは色っぽくていいと思うよ」

何となく気心(きごころ)の知れた女同士っぽい会話をしながら、鴻夏(コウカ)はそれでも不満げにこう語る。

「身体の線を出して色っぽいのは、暁鴉(ギョウア)みたいなタイプでしょ?私なんてどこも出てないから、貧弱(ひんじゃく)でみっともないだけだと思うんだけど…」

「そうでもないさ。鴻夏(コウカ)様は華奢(きゃしゃ)だから、そうやって肩を出したりウエストの細さを強調して見せたりするのは結構いいと思うよ?それにそのドレスは花嫁衣装で、そこまで露出度(ろしゅつど)は高くないから、ちょうどいいくらいさ」

そう言って鴻夏を持ち上げつつ、暁鴉(ギョウア)がこっそり鴻夏(コウカ)の耳元で(ささや)く。

「…さっき先に見てきたけど、今日は(あるじ)もかなり男前だったよ。まぁ元々(つく)りは悪くないし、結構色んな意味でイイ男だからね」

思いがけず(レン)の話を振られて、鴻夏(コウカ)はドキンと心臓が跳ね上がる。

そして思わず花嫁らしく、顔を真っ赤にしてその場で黙り込んだ。


璉瀏(レンリュウ)帝こと(レン)に嫁ぐ覚悟はとっくに出来ていたが、ふいにそんな風に言われると、やたらと彼を意識してしまう。

出会った時は(つか)(どころ)のない、何だか不思議な人という印象だった。

だが次に再会した時は、見かけはのんびりとしたごく普通の優男(やさおとこ)なのに、時に危険な雰囲気を(かも)し出す、どこか油断のならない男だとも思った。

しかし風嘉(フウカ)に来るまでの旅の間に、彼の不器用(ぶきよう)な優しさに触れたり、その(つら)すぎる過去を垣間(かいま)見たりして、いつの間にか自分の中で何か特別な存在になっていた。

この気持ちが何なのかはよくわからなかったけれど、それをじっくり考える前に鴻夏(コウカ)(レン)に契約結婚を持ちかけられ、悩んだ挙句(あげく)それを了承してしまった。

だから何でこんな事ぐらいで、いちいち自分が動揺してしまうのか…、鴻夏(コウカ)は未だにその理由がよくわからずにいたのだが、それも周りからすれば一目瞭然(いちもくりょうぜん)の話で、気付いていないのは当人達のみであった。

そしてその姿を影から見ながら、總糜(ソウヒ)が実にのんびりとこう呟く。

「…さぁて、姫さんはいつになったら気付くんかねぇ?うちの(あるじ)はああ見えて、かなりモテるから苦労すると思うけど…」

「それはうちの(あるじ)も同じだろう。複雑な情勢を読むのは得意なのに、人と自分の感情には(うと)すぎるぐらい(うと)い人だからな…」

珍しく無口な嘉魄(カハク)がそう応じると、『違いない』と總糜(ソウヒ)が楽しげに笑う。

そして慌てて広間へと向かう鴻夏(コウカ)を見ながら、總糜(ソウヒ)がこの状況をこう表現した。

「…感情以外の事は何でも知ってる(あるじ)と感情以外は何にも知らない姫さんね…。うん、結構いい感じにバランス取れてるじゃん」

影でそんな事を言われているとも知らず、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)に案内されるまま、急ぎその場を後にしたのだった。




美しい色とりどりのタイルで(いろど)られた回廊(かいろう)を通り抜け、鴻夏(コウカ)が広間に辿(たど)り着くと、すぐに視界に見慣れた後ろ姿が入ってくる。

長い亜麻色(あまいろ)の髪をゆったりと一つにまとめ、白と青を基調とした上品で豪奢(ごうしゃ)な衣装を身に(まと)った(レン)は、遠目から見ても他者を寄せ付けない静かな威厳(いげん)に満ち(あふ)れていた。

彼の周りには昨夜紹介されたばかりの側近らが控え、何事(なにごと)かを(レン)と語り合っていたが、鴻夏(コウカ)が広間に入って来た事に気付くと、全員が一斉にその場で(ひざまず)忠誠(ちゅうせい)()を示す。

そしてその気配を察した(レン)が、ゆっくりと鴻夏(コウカ)の方を振り返ると、彼は目が合った途端(とたん)にふわりと(あざ)やかに微笑(ほほえ)んだ。

「おはようございます、鴻夏(コウカ)。昨夜はよく休めましたか?」

「お…はようございます、(レン)。おかげ様でゆっくりと休めました…」

何とかそう返しながら、鴻夏(コウカ)は有り得ないほど暴れ回る自らの心臓にかなり動揺する。

先程までの落ち着きはどこへやら…なぜ(レン)に会った途端にこうなったのかと思いながら、鴻夏(コウカ)(レン)から目が離せなかった。

確かに暁鴉(ギョウア)が言った通り、今日の(レン)はいつにも増して輝いていた。

元々が上品な顔立ちのため、今のように身分(みぶん)相応(そうおう)の衣装を身に(まと)われると、自然と気品と威厳(いげん)が増すようで、今の彼は間違いなくこの四大皇国の一つである風嘉(フウカ)の皇帝にしか見えなかった。

どうしてこの彼を、ずっとただの文官の一人だと勘違いしていたのか…今にして思えば恥ずかしくなる。


しかし(レン)の方はというと相変わらずで、今日の主役の一人であると言うのに、まったく緊張感もなくのんびりとこう告げる。

「…その衣装、とてもよくお似合いですよ。今日の貴女を見た国民の熱狂(ねっきょう)()りが、今から容易に想像できますね」

「ありがとう…ございます…。でも貴方も今日はすごく素敵(すてき)で…、その…やっぱり風嘉(フウカ)帝でいらっしゃったんだなと改めて思いました…」

思わずポロリと本音を()らした鴻夏(コウカ)に、(レン)がキョトンとした顔をする。

しかしすぐに優しく微笑むと、彼らしく穏やかにこう返した。

「…ありがとうございます。まぁ孫にも衣装ってやつですかね?正直自分的には衣装に着られてる感が半端ないんですけど、一応皇帝なんで、対外的な場ではそれなりの格好をしないと示しがつかないそうなんですよね…」

「そんな事…!すごく似合ってると思うわ」

思いっきり力説をすると、周りからクスクスといった含み笑いが聞こえてくる。

そして呆れたように黎鵞(レイガ)がこう呟いた。

「仲が良いのは大変結構ですが、そろそろ神殿に向かう時間ですよ、(レン)?」

「…お願いですから、結婚式に遅刻とかはよしてくださいよ?護衛する側としては、一分のズレも結構な負担の増加なんですからね」

とすかさず須嬰(シュエイ)もそう付け足す。

そして最後に樓爛(ロウラン)が、いかにも彼らしくこう締め(くく)った。

「そうです、そうです。多少の待ちは焦らし効果で売上増大が見込めますが、大幅な遅刻は逆に売上減です!さっさっと神殿に行って式を済ませて来ちゃってください」

これにはさすがの(レン)鴻夏(コウカ)も、ただただ苦笑するしかなかった。




皇城(おうじょう)のすぐ側に隣接する形で、その神殿は(おごそ)かに建っていた。

風嘉(フウカ)皇家(おうけ)の全面支援の下、管理・運営されているこの大神殿は、先帝の異母妹(いもうと)にあたる太華(タイカ)皇妹(おうまい)巫女(みこ)とし、国民から絶対的な信仰を集めている。

そのため先の大乱の際も、なぜかここだけは(おそ)われる事なく、大乱前と変わらずその荘厳(そうごん)な姿を地上に留めていた。

そこで今、風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)花胤(カイン)皇女(おうじょ) 鴻夏(コウカ)の結婚式が行われている。

居並(いなら)ぶのは、今の風嘉(フウカ)を支える重鎮(じゅうちん)達。

その最前列には、璉瀏(レンリュウ)帝の(おい)にあたる泰瀏(タイリュウ)皇太子と共に、璉瀏(レンリュウ)帝の側近中の側近にあたる宰相 () 黎鵞(レイガ)、将軍 (ハク) 須嬰(シュエイ)、財務長官 (タイ) 樓爛(ロウラン)の姿もあった。

そしてシン…と静まりかえった神殿の中、何事もなく夫婦の誓いを済ませた鴻夏(コウカ)は、そのまま(レン)に手を取られ、(いざな)われるがままに皇城(おうじょう)露台(バルコニー)へとその姿を現す。

その途端、ドオッと地が(うな)るような大きな歓声が響き渡り、鴻夏(コウカ)はそのまま凍りついた。

鴻夏(コウカ)の視界一面に広がるのは、口々に祝いの言葉を述べながら、皇城(おうじょう)へと詰め寄せるたくさんの風嘉(フウカ)の国民達。

昨日街で見かけたように、全員が満面の笑顔を浮かべながら自分を歓迎してくれている。

もはや圧巻(あっかん)としか言えない光景に、圧倒されて立ち尽くしていると、ふいに(レン)鴻夏(コウカ)に向かって声をかけてきた。


御覧(ごらん)なさい、鴻夏(コウカ)。皆が貴女を熱狂的(ねっきょうてき)に歓迎してくれていますよ」

「え、ええ…。でも本当に私で良かったのかしら…」

ある程度覚悟はしていたものの、予想を(はる)かに(しの)ぐ人気振りに、鴻夏(コウカ)は呆然とそう呟く。

すると(レン)は優しく鴻夏(コウカ)を見つめながら、はっきりとこう返した。

「…大丈夫です。貴女の事は私が全力で支えます。それに私達には、たくさんの優秀な味方が居ます。大丈夫、皆で助け合えば何とでもなりますよ」

そう言うと(レン)はさり気なく鴻夏(コウカ)の肩を抱き寄せ、露台(バルコニー)の一番手前へと歩み寄る。

そしてスッと(レン)が右手を挙げた瞬間、ピタリと先程までの大歓声が止み、その場は嘘のように静まりかえった。

一体 璉瀏(レンリュウ)帝が何を語るのかと、人々が熱い注目を注ぐ中、皇帝として圧倒的な存在感を放つ(レン)の声が(ろう)々とその場に響き渡る。

「…本日、私 風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)は、花胤(カイン)よりここに居る鴻夏(コウカ)姫を正妃(せいひ)として迎え入れた。今この時より、鴻夏(コウカ)姫は我が国の皇后(こうごう)である。遠き国より我が風嘉(フウカ)に嫁いで来てくれた姫に、感謝と祝福を!そして新しい皇后に忠誠を!」

そう(レン)が宣言をすると、一気にその場は大歓声に包まれた。

あまりの人々の熱狂に、神殿も皇城(おうじょう)もそして大地さえもが歓声で震えている。


改めて『風嘉(フウカ)の英雄』璉瀏(レンリュウ)帝のその人気振りに圧倒されていると、隣に立つ(レン)が穏やかにこう告げた。

「さぁ…貴女も皆の熱狂に応えてあげてください。皆が貴女に手を振って頂けるのを、心待ちにしていますよ」

そう(うなが)され、鴻夏(コウカ)がおずおずと軽く手を振ると、途端に広場から大歓声が()き起こる。

「あぁ、なんてお美しいお妃様だろう」

「まるで天使のように美しくて、そして女神様のようにお優しそう…」

「陛下がなかなかご結婚されずに心配していたが、やれこれでもう一安心だ」

璉瀏(レンリュウ)帝 万歳!鴻夏(コウカ)様 万歳!」

そういう祝いの声が、次々と鴻夏(コウカ)の耳にも届いてくる。

まだ少し迷いはあったものの、それでも鴻夏(コウカ)はこの時、この国とこの人々の為に生涯(しょうがい)を捧げようと固く心に誓った。

そして未熟な自分を受け入れ、支えてくれると宣言した、先程夫となったばかりの男にこう告げる。

(レン)…私、努力するわ。この人達の幸せを護るために、精一杯努力します」

「…ありがとう、鴻夏(コウカ)。これからよろしくお願いしますね」

晴れ渡る空の下、穏やかに(レン)の声が響く。

その姿を眺めながら、(レン)の部下達も実に晴れ晴れとした表情で二人を見守っていた。




こうして『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』の()の姫と呼ばれた鴻夏(コウカ)姫は、風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)の正妃となった。

そしてこれを機に、運命の歯車はゆっくりと回り出す。

花胤(カイン)に残された『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』の片割れ、(いん)の皇子こと凛鵜(リンウ)皇子、『月鷲(ゲッシュウ)金獅子(きんじし)』と呼ばれる鴎悧(オウリ)帝、そして『鳥漣(チョウレン)狂帝(きょうてい)』の異名(いみょう)を取る華月(カゲツ)帝…。

四大皇国を中心に、世界は急激に波乱と陰謀(いんぼう)の波に(さら)され始めていた。

そして否応(いやおう)なしに仕掛けられる争いの波に、ここ風嘉(フウカ)も巻き込まれていく事になる。

しかし現時点でその事に気付いている者は、ほんの一握りであった。

風嘉の白龍 〜花鳥風月奇譚・2〜 へ続きます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ