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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜  作者: 緋影 あきら
11/12

ー邂逅ー

牽蓮(ヒレン)達と砂漠を旅し始めて三日目。

風嘉(フウカ)皇都(おうと)まであと一日となったところで、鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)に案内されて不思議な場所にやってきていた。

そこは今までの緑豊かで自由な雰囲気のオアシスとは違い、堅牢(けんろう)な石造りの壁で囲われた、まるで要塞のような建物が建つ不思議な空間。

そこの唯一の出入り口となる鉄扉の前に、今ひっそりと誰にも悟られる事がないように、一人の上品そうな老人と嘉魄(カハク)が待っていた。

そして老人は近付いてくる鴻夏(コウカ)達に気付くと、丁寧な仕草(しぐさ)で一礼し歓迎の()を示す。

「お久しぶりにございます。嘉魄(カハク)殿の知らせを受け、ご来訪(らいほう)をお待ちしておりました」

ゆったりと長い白ひげを揺らめかせながら、老人が牽蓮(ヒレン)に対し声をかける。

それに対し牽蓮(ヒレン)は素早く馬から降りると、老人に向かって穏やかにこう答えた。

「…久しぶりですね、鶬壽(ソウジュ)。会うのは三年ぶりになりますか」

左様(さよう)にございますね。月日が経つのは早いもので、私がここの墓守(はかもり)に就任してもうそんなになりますか。老人にとってはあっという間の年月にございますな」

ほっほっと(なご)やかに笑い声をたてながら、鶬壽(ソウジュ)と呼ばれた老人が穏やかな目で牽蓮(ヒレン)を見つめる。

そしてスッと身体を右にずらすと、鴻夏(コウカ)達に向かって一礼しつつこう告げた。

「あまり時間もない事ですし、挨拶はここまでとして、早速ですがご案内させて頂きましょう。どうぞ私に付いてきて下さいませ」

そう言って、老人は重そうな鉄扉を押し開け、中へと入っていった。


それに続き、牽蓮(ヒレン)も慣れた様子で馬を引きながら、鉄扉の中へと入っていく。

その姿を見て、慌てて馬から降りてはみたものの、鴻夏(コウカ)は迷ったように石壁に囲われた鉄扉を無言で見つめた。

正直ここが何なのかはよくわからなかったが、そもそも外国人である自分が、このまま牽蓮(ヒレン)の後について入って行っていいものだろうか?と鴻夏(コウカ)は悩む。

だがそんな鴻夏(コウカ)の心配を余所(よそ)に、總糜(ソウヒ)はまるで当然のように鴻夏(コウカ)手招(てまね)いた。

「姫さん、早く!」

「は、はい」

戸惑(とまど)いつつも呼ばれるがままに馬を引いて扉へと近づくと、嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)が鉄扉の両脇に立ちながら鴻夏(コウカ)の事を待っていた。

とりあえず(うなが)されるままに、皆に続いて鉄扉を(くぐ)るとそこは白い石造りの立派な建物を中心に、緑豊かな世界が広がっていた。

建物の周りには、一面の花畑と(あふ)れんばかりの水をたたえた噴水と池。

池にはピンクの蓮の花と共に銀の(うろこ)を輝かせながら魚達が泳ぎまわり、太陽の光を(はじ)いて輝く噴水には小さな虹が掛かっている。

そして少しだけ植えられている木の枝には、色とりどりの鳥達が止まり、その可愛い(さえず)りで鴻夏(コウカ)達を歓迎してくれていた。


先程 石造りの壁の外から、何となくぼんやりと想像していた感じとはあまりにも違っていて、その落差(らくさ)鴻夏(コウカ)は驚いて固まる。

しかしそんな鴻夏(コウカ)の後ろで、ふいにギイィと鉄の(きし)む音がして、バタンと出入り口の鉄扉が閉じられた。

振り返ると嘉魄(カハク)と共に扉を閉めた總糜(ソウヒ)が、鴻夏(コウカ)に向かって手を差し出ながらこう告げる。

「姫さん、馬は中まで入れないからここで預かるよ。手綱(たづな)を貸して」

「あ…はい」

言われるがままに總糜(ソウヒ)に馬を預けると、いつの間にか牽蓮(ヒレン)の乗っていた馬も扉の側に(つな)がれていた。

そして戸惑(とまど)鴻夏(コウカ)に、少し先の石畳(いしだたみ)の道に立つ牽蓮(ヒレン)が声をかける。

「姫、早くこちらへ」

「は、はい」

慌てて(きびす)を返して牽蓮(ヒレン)の元に向おうとした鴻夏(コウカ)だったが、ふと動いたのが自分だけで嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)がその場から動かない事に気付く。

振り返ると、總糜(ソウヒ)がその考えを読んだようにこう答えた。

「この先に行くのは、(あるじ)と姫さんだけだ。俺と嘉魄(カハク)はここから先へは行けない。だからここで待ってるよ」

「え…、でも…」

「姫、行きますよ」

(かさ)ねて牽蓮(ヒレン)にそう呼ばれ、オロオロと牽蓮(ヒレン)總糜(ソウヒ)らを交互に見つめる鴻夏(コウカ)に、珍しく無口な嘉魄(カハク)が穏やかにこう告げる。

「…姫、主がお待ちです。大丈夫、ちゃんとここで總糜(ソウヒ)とお帰りをお待ちしてますよ」


優しく嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)(うなが)され、戸惑(とまど)いつつも牽蓮(ヒレン)の元に行くと、先程出迎えてくれた老人もその場で鴻夏(コウカ)を待っていた。

そして老人が暖かな眼差しで鴻夏(コウカ)を見つめながら、優しく声をかけてくる。

花胤(カイン)鴻夏(コウカ)姫でいらっしゃいますな?」

「は、はい…。あの…すみません、ここがどこかは存じませんが、外国人の私が入っても問題はないのでしょうか…?」

おそるおそるそう尋ねてみると、老人は見た目通りの優しい声でこう答える。

「ほっほっ…構いませんとも。ここは風嘉(フウカ)の歴代の皇帝陛下ならびにその皇后さま達がお眠りになる陵墓(りょうぼ)にございます。姫は我が風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)帝の正妃となられる御方(おかた)。なんの問題もございません」

「えっ…皇家(おうけ)の墓⁉︎で、でも私はまだ風嘉(フウカ)帝とは正式に婚姻(こんいん)を結んでおりませんが…」

オロオロとしながらそう答えるが、老人はニコニコと笑うだけで何も答えない。

そして鴻夏(コウカ)の声が聞こえなかったのか、それとも元々聞く気がないのかはわからないが、くるりと(きびす)を返すと『こちらへ』と言って、勝手に陵墓(りょうぼ)の案内を再開してしまった。

それに対し、鴻夏(コウカ)は慌てて食い下がろうとしたが、まるでそれを(さえぎ)るかのように、牽蓮(ヒレン)鴻夏(コウカ)に向かってこう告げる。

「…行きますよ、姫」

「え、でも私…」

「ああ見えて鶬壽(ソウジュ)は足が速いので、うかうかしているとすぐに見失いますよ」

「あ、でも…その…」

何と言うべきか迷っている間に、スタスタと牽蓮(ヒレン)鶬壽(ソウジュ)に付いて霊廟(れいびょう)の奥へと姿を消してしまった。


それを見てどうすべきか迷ったが、ここで付いていかないのも良くない気がして、鴻夏(コウカ)は思い切って牽蓮(ヒレン)の後を追う事にする。

とりあえず彼等が姿を消した霊廟(れいびょう)の中にそっと入ると、薄暗(うすぐら)回廊(かいろう)(はる)か先にほんのりと灯りが見え、それがゆらゆらと更に奥の方へと向かっていた。

慌てて小走りでその後を追うと、(しばら)くしていきなり視界から目印(めじるし)の灯りがフッと消える。

見失ったかと思い、急いでその場所に駆けつけてみると、そこは突き当たりになっていて、そこから道が左右に分かれていた。

一体どっちに行ったのかと(あせ)ったが、すぐに右手からほのかな灯りと共に、鶬壽(ソウジュ)がひょっこりと顔を出す。

鴻夏(コウカ)姫、こちらですじゃ」

「は、はい」

呼ばれるがままにそちらに向かうへと、一箇所だけ扉が開け放された部屋が見え、中に牽蓮(ヒレン)が一人で立っていた。

一体どういう仕掛(しか)けなのか、廊下はあれほど暗かったというのに、その部屋の中だけは驚くほど明るく、まるで間接照明に包まれているかのように幻想的な空間となっている。

その光景に圧倒され、何も出来ずに立ち尽くしていると、鶬壽(ソウジュ)がやんわりとこう告げた。

「…どうぞ、中へ」

そう鶬壽(ソウジュ)(うなが)されるままに中に入ると、パタンという軽い音と共に、扉が閉められる。

そして部屋の中には、無言で上方を見ながら立ち尽くす牽蓮(ヒレン)とそれを見つめる鴻夏(コウカ)の二人だけとなっていた。

何となく声をかけられず、しばらくは鴻夏(コウカ)も無言で牽蓮(ヒレン)の背中を見つめていたが、ふいに牽蓮(ヒレン)が何を見つめているのかが気になり、その視線の先を辿(たど)ってみる。

するとそこに、鴻夏(コウカ)は見慣れない二人の男女の絵画を発見した。


一人は豪華(ごうか)な衣装を身に(まと)い、(かんむり)錫杖(しゃくじょう)を手にした威厳(いげん)に満ちた男性で、おそらく歴代皇帝の誰かだろうという事はすぐにわかった。

年の頃は四十代前半といったところだろうか?

牽蓮(ヒレン)と同じ亜麻色(あまいろ)の髪に意志の強そうな濃い(あお)の瞳が印象的な、なかなかの美男だった。

そしてその隣には明らかに二十代前半としか思えない、若く美しい女性の絵。

おそらくこの皇帝の正妃であろうが、人というには整い過ぎるほど整った容姿で、それ故にどこか(はかな)げな雰囲気の女性であった。

鴻夏(コウカ)の母も絶世の美女と(ひょう)される女性だが、この女性の美しさはおそらくそれに引けを取らないだけのものがある。

ただ母の場合は、健康的で力強く生命力に(あふ)れる印象だったが、この女性の美しさはおそらくそれとは真逆で、どちらかというと妖精や人形といった感じの生きているのが不思議なような(たぐい)のものだった。

特に透き通るような金の髪に薄い(みどり)の瞳、抜けるような白い肌などは、人間というより人形に近く、まるで体温を感じさせない。

そう思って眺めていると、ふいにポツリと牽蓮(ヒレン)がこう呟いた。


「…美しいご夫妻の絵でしょう…?」

突然話を振られて驚いたが、鴻夏(コウカ)はそのまま素直に感想を述べる。

「そうね…。どなたかは存じ上げないけど、男性は威厳(いげん)に満ちた(かしこ)そうな方だし、女性はまるで妖精のように美しくて、国民から見たら見た目は理想的な皇帝夫妻かしらね…?」

そう(ひょう)する鴻夏(コウカ)の声を背中に受けながら、牽蓮(ヒレン)は絵を見つめたままこう答える。

「…そうですね。確かに理想的な皇帝夫妻でした。途中までは…」

「途中まで…?」

ふとその答えに引っかかりを感じ、鴻夏(コウカ)がそう聞き返すと、牽蓮(ヒレン)はそれまで微動(びどう)だにせず見つめていた絵から目を外し、そっと鴻夏(コウカ)に向き直るとはっきりとこう告げた。

「この絵は纜瀏(ランリュウ)帝とその正妃である紫翠(シスイ)妃を描いたものです」

纜瀏(ランリュウ)帝…ってまさか…」

「はい。先の風嘉(フウカ)帝であり、この風嘉(フウカ)未曾有(みぞう)の大乱を引き起こした張本人です」

あまりの驚きに声が出なかった。

風嘉(フウカ)愚帝(ぐてい)』『国民の敵』と(ののし)られ、最終的に部下の全てに見捨てられ、実に呆気(あっけ)なくその生涯(しょうがい)を終えた悲劇(ひげき)の皇帝。

そんな彼も当初は慈悲(じひ)(ぶか)く、誰にでも公平で誠実な統治を行っていたと聞く。

ところが何がきっかけかはわからないが、ある日を(さかい)後宮(こうきゅう)に閉じこもり、一切の政務(せいむ)放棄(ほうき)してしまった。

その結果があの未曾有(みぞう)の大乱であり、それは国を治める者として、決して許される行為ではないけれど…。


「…確かに国を乱したのは、一国を預かる君主としては許されない行為だわ…。でもこの絵で見る限りは、そんな大層(たいそう)な事をしでかすような方には見えないわね…」

鴻夏(コウカ)の口から(こぼ)れたのは、あくまでも肖像画から受けた印象への素直な思いだった。

その予測外の答えを聞いて、牽蓮(ヒレン)の瞳がほんの少し驚きで見開かれる。

そしてすぐにフッとその表情を(やわ)らげると、牽蓮(ヒレン)鴻夏(コウカ)に対し最上級の礼を取った。

「…ありがとうございます、姫」

「え?」

「確かに纜瀏(ランリュウ)帝のなさった行為は、決して許されるべき事ではありません。けれどこの方にはこの方なりの苦しみや葛藤(かっとう)があったのだと思います…」

そう呟いた牽蓮(ヒレン)の表情が、どことなく(かげ)()びる。

牽蓮(ヒレン)纜瀏(ランリュウ)帝に対し、何らかの特別な強い想いを(いだ)いているのは明らかだった。

その事を聞いていいのかどうかと迷っていると、その鴻夏(コウカ)の表情を読んだかのように、牽蓮(ヒレン)が自ら口を開く。

「…世間的には愚帝(ぐてい)として有名となってしまいましたが、元々はとても(かしこ)慈悲(じひ)(ぶか)い方でした。私も彼の慈悲(じひ)で救われた一人です」

「え…?」

「私は産まれてすぐに、森に捨てられていたそうです。そのまま放って置かれたら、私は一日足りともこの世に存在出来ませんでした。それを救って下さったのが、即位(そくい)前の纜瀏(ランリュウ)帝です」


淡々と他人事のように語りながら、牽蓮(ヒレン)が再び纜瀏(ランリュウ)帝の肖像画へと目線を上げる。

自信に満ち(あふ)れた壮年(そうねん)の皇帝の姿を、今 牽蓮(ヒレン)はどんな想いで見ているのか…。

その表情からは何も読み取れなかったが、牽蓮(ヒレン)の告白はそのまま続く。

「…彼は私を育てると共に、様々な教育も受けさせて下さいました。私も一日でも早く彼の役に立つ人間になりたくて、必死で色々な事を覚えました。でも…結果として、それが彼を(ゆが)めてしまった…」

見た事もない(つら)そうな表情で、牽蓮(ヒレン)が目線を肖像画から外す。

何と言っていいのかわからず黙り込む鴻夏(コウカ)に、牽蓮(ヒレン)はさらに言葉を続けた。

「いつからか…纜瀏(ランリュウ)帝は私の存在に(おび)えるようになりました。いつか私が反旗(はんき)(ひるがえ)し、自分に(おそ)い掛かるのではないか、自分を尊敬する振りをしながら、その実 心の中で馬鹿(ばか)にしているのではないかと、ありもしない妄想(もうそう)に取り()かれたのです…」

「…そんな!貴方はそんな人ではないわ!」

思わずそう叫んだ鴻夏(コウカ)に再び視線を戻すと、牽蓮(ヒレン)は真っ直ぐに鴻夏(コウカ)を見つめながら苦しそうにこう呟いた。

「…纜瀏(ランリュウ)帝が狂ったのは、おそらく私が原因です。私は彼に他意(たい)がない事を信じて欲しくて離れましたが、彼の方はそうは取らなかった…。彼はいつか私が自分を殺しに来るのだと、そう思ってしまったんです」


そう牽蓮(ヒレン)が言い終わった時だった。

軽い衝撃(しょうげき)と共に、ふわりと目の前に長い黒髪が広がった。

最初何が起こったのかわからなかったが、しばらくしてそれが自分の身体に(すが)鴻夏(コウカ)だと気づくと、牽蓮(ヒレン)は彼らしくもなく動揺する。

そして何の言葉も出ずに固まる牽蓮(ヒレン)に、鴻夏(コウカ)が勢いのままにこう語った。

「…貴方が悪いわけじゃないわ、牽蓮(ヒレン)!確かに纜瀏(ランリュウ)帝は常に孤独(こどく)で不安だったかもしれない。でもだからといって、何もかもを(うたが)うのは本人が弱いからよ!自分が相手を信じる事が出来ないから、そんな妄想(もうそう)に取り()かれたの。全て纜瀏(ランリュウ)帝の自己責任よ!」

そしてそこまで言うと、鴻夏(コウカ)牽蓮(ヒレン)の両頬を(つか)み、強引に自分の方へと向かせた。

そして間近(まぢか)牽蓮(ヒレン)を見つめながら、少し怒ったような顔の鴻夏(コウカ)が、その強い意志で美しい金の瞳をキラキラと輝かせる。

そのあまりの輝きに牽蓮(ヒレン)が目を奪われていると、鴻夏(コウカ)はそのまま強い口調でこう言い放った。

「いいこと、牽蓮(ヒレン)?確かに纜瀏(ランリュウ)帝は貴方の命の恩人かもしれない。でも恩人だからって、貴方の人生の全てを(しば)る権利はないの!貴方はあくまでも貴方自身の為に生きなきゃダメよ。貴方の周りには、貴方を必要としている人が他にもたくさんいるわ!私だってそうよ?だから死人なんかに、貴方を渡す気はこ れっぽっちもないわ。悔しかったら墓から奪いに来てみなさいってとこよ!」


興奮しながら一気にそう(まく)し立てると、鴻夏(コウカ)は怒りで顔を紅潮(こうちょう)させながら黙り込んだ。

その姿を半ば呆然としながら、牽蓮(ヒレン)が無言で見つめ返す。

そしてしばらくの間、両者の間には沈黙の時間が流れたが、すぐに衝撃(しょうげき)から立ち直った牽蓮(ヒレン)(こら)え切れずに笑い出した。

「ちょ…っ、ちょっと?何がおかしいのよ、牽蓮(ヒレン)?」

訳がわからないとばかりに鴻夏(コウカ)は怒るが、牽蓮(ヒレン)からしてみたら、鴻夏(コウカ)の言っている事は勢いだけで、内容は支離滅裂(しりめつれつ)なのである。

しかも最期の『悔しかったら墓から奪いに来てみなさい』なんてのは、牽蓮(ヒレン)では思いつきもしない罵倒(ばとう)だった。

正直今までこの件で、色んな人に色んな事を言われてきたが、こんな無茶苦茶な励まし方で説教をされたのは初めての経験であった。

けれどそれが不思議と一番自分の心に響いた事に、牽蓮(ヒレン)は純粋に驚くと共に、心が軽くなるのを感じていた。

『…まったく想定外もいいところだ…。確かにこれは凛鵜(リンウ)皇子の言う事も(うなず)ける』

牽蓮(ヒレン)の頭の中に(よみが)るのは、花胤(カイン)の離宮で言われたあの台詞(セリフ)

あの時 自分の姉に()れるなと釘を刺した凛鵜(リンウ)は、勝ち誇ったようにこう言った。

『…貴方も実際に鴻夏(コウカ)と過ごしてみればわかりますよ。『花胤(カイン)陰陽(いんよう)』の太陽の名は伊達(だて)じゃない』

…確かにその通りだと牽蓮(ヒレン)は思った。

こんな強烈な輝きの前では、他の者は全て(くす)んで見えてしまう。

無自覚に周囲を照らし、闇に()ちそうになる者を救い、そして光の差す方向へと導く。

まさしくその輝きは太陽の(ごと)く、周囲の全ての者を()きつけ、明るい希望をもたらす。

今まさに復興中の風嘉(フウカ)にとって、この姫の放つ輝きは、いつか必要不可欠なものとなるかもしれないと牽蓮(ヒレン)はその時思った。




そして時間にして一時間ほど滞在した牽蓮(ヒレン)達は、そのまま早々に陵墓(りょうぼ)を後にした。

結局あの後は、普段通りに戻った牽蓮(ヒレン)と普通に纜瀏(ランリュウ)帝夫妻の墓参りを済ませ、總糜(ソウヒ)達も含めて早めの昼休憩を取ったくらいで、特にこれといった事件はなかった。

ただ鴻夏(コウカ)が気になったのは、どうして牽蓮(ヒレン)がわざわざ自分を連れて、纜瀏(ランリュウ)帝夫妻の墓参りに来たのかという点である。

鶬壽(ソウジュ)はずっと廊下に待機していたものの、最後まで纜瀏(ランリュウ)帝の霊廟(れいびょう)には入って来なかった。

つまり墓守(はかもり)である鶬壽(ソウジュ)ですら、立ち入りを遠慮する場所に、自分達は当然のように通されたという事になる。

そして自分が霊廟(れいびょう)に入る事については、『皇后になる者だから構わない』と鶬壽(ソウジュ)は言っていたが、そうなると自分と同じように霊廟(れいびょう)に通された牽蓮(ヒレン)とは一体何者なのだろう?

今までただの高官の一人だと思っていたが、もしかしたら牽蓮(ヒレン)風嘉(フウカ)皇族(おうぞく)の一人なのかもしれない。

それなら忍である嘉魄(カハク)總糜(ソウヒ)が、牽蓮(ヒレン)の事を(あるじ)と呼び、彼を護っている事も納得出来る。

しかし月鷲(ゲッシュウ)ほどではないものの、確か風嘉(フウカ)も先の大乱の際に大半の皇族が惨殺(ざんさつ)されたはずであった。

鴻夏(コウカ)も知っている生き残りの皇族と言えば、先帝の遺児(いじ)である泰瀏(タイリュウ)皇子、先帝の異母妹(いぼまい)であり神殿の巫女(みこ)を務める太華(タイカ)皇妹(おうまい)、そして先帝の異母弟(いぼてい)であり、現皇帝である璉瀏(レンリュウ)帝ぐらいである。

自分が知らないだけで、実は他にも生き残りはたくさん居るのかもしれないが、皇位(こうい)()げるような血筋はほぼ絶えたと聞いていた。

そんな中、纜瀏(ランリュウ)帝の霊廟(れいびょう)にまで入り込める牽蓮(ヒレン)とは一体何者なのか?

纜瀏(ランリュウ)帝が牽蓮(ヒレン)の育ての親だという事はわかったが、おそらくそれだけの関係ではない事は鴻夏(コウカ)にも容易に想像が出来た。

そしてそれが今も牽蓮(ヒレン)(しば)り、彼を苦しめているのだという事も…。

知れば知るほど謎が深まる牽蓮(ヒレン)だが、()き上がる疑問に答えてくれる者は居なかった。

だがその答えも、風嘉(フウカ)皇城(おうじょう)に着けば少しはわかるはずだろう。


そんな中、牽蓮(ヒレン)皇都(おうと)の方角を見ながら、鴻夏(コウカ)に向かって説明をする。

「…あと半日足らずで風嘉(フウカ)の皇都です。思ったよりも時間がかかってしまいましたが、おそらく夜までには辿(たど)り着けるでしょう」

淡々とそう語りながら、牽蓮(ヒレン)はゆっくりと總糜(ソウヒ)の方を振り返る。

そしてウズウズと落ち着きなくなっている總糜(ソウヒ)に向かい、おそらく今 彼が一番待ち望んでいるであろう指示を下した。

「…總糜(ソウヒ)。申し訳ありませんが、先行して私達が今日中に皇都に着く事を知らせて頂けませんか?」

「待ってましたぁ!では失礼して、先に行ってお待ちしております。じゃあまた後でな、姫さん!」

ウキウキとした口調でそう言うと、總糜(ソウヒ)はすぐさま馬を飛ばし、あっという間にその場から居なくなってしまった。

あまりの素早さに唖然(あぜん)としていると、苦笑しながら牽蓮(ヒレン)が説明してくれる。

「姫、總糜(ソウヒ)は早く本来の主人に会いたいんですよ。彼は皇城(おうじょう)に来た時から、黎鵞(レイガ)殿に夢中ですからね」

「…宰相様って、男性よね?なんか總糜(ソウヒ)の様子を見てると、主人というより恋人に会いに行くような感じなんだけど…」

何気なく言った言葉だったが、意外と真実を突いていたらしい。

あっさりと(うなず)きながら、牽蓮(ヒレン)はこう言った。

「まぁそれに近い感じです。黎鵞(レイガ)殿は確かに男性ですが、黙っていればちょっと怖いぐらいの美形ですよ。總糜(ソウヒ)の面食いは、黎鵞(レイガ)殿を見て育ったのが一番の原因ですね」

ごく自然に語られる風嘉(フウカ)皇城(おうじょう)(うら)事情(じじょう)に、鴻夏(コウカ)は声も出ず黙り込む。

そしてこの世の中、一体どれだけ男色(だんしょく)蔓延(はびこ)っているんだと真剣に思ったのだった。




夕陽が完全に沈む少し前、皇都の閉門ギリギリに鴻夏(コウカ)達は何とか滑り込みで風嘉(フウカ)の皇都 『白瑤(ハクヨウ)』まで到着した。

とりあえず皇都まで辿(たど)り着いたとはいえ、ここから更に街の中心部にある皇城まで行かねばならず、本当の到着まではあと一息かかる見込みである。

しかし身体は慣れない旅でかなり疲れていたものの、それを忘れるほど鴻夏(コウカ)の目を奪うのは、活気(かっき)(あふ)れる風嘉(フウカ)の街並だった。

白い石畳(いしだたみ)白壁(しらかべ)の家。

街のあちこちには水路が張り巡らされ、その上を黒塗りの小船が行き交っている。

そして広場には美しい噴水が水の弧を描き、それを取り囲むように色鮮やかな露店(ろてん)の天幕が所狭(ところせま)しと立ち並ぶ。

すでに日暮れだというのに、市場にはまだ沢山の人々と物が(あふ)れ、夜はまだまだこれからといった雰囲気であった。

鴻夏(コウカ)の生まれ育った花胤(カイン)の皇都『黒穣(コクジョウ)』も、活気(かっき)(あふ)れる大きな街ではあるが、国の違いからか、こちらの方が数倍も明るさと自由に溢れているように見える。

三年前の大乱で国内のほとんどが焦土(しょうど)と化し、すべてが壊滅的な打撃を受けたと聞いていたのに、今はそれが嘘のように美しく活気(かっき)(あふ)れる街並が広がっていた。

あまりの勢いに圧倒され、思わず呆然と立ち尽くしていると、それを見た牽蓮(ヒレン)がクスクスと笑いながら声をかけてくる。


「どうしました、姫?姫の故郷の『黒穣(コクジョウ)』の街もこのくらいの規模はあるでしょう?」

「え、ええ…。でも何ていうか…こちらの方が勢いがあるというか、自由に満ち(あふ)れているというか…。とにかくすごい迫力だわ」

素直にそう感想を述べると、牽蓮(ヒレン)は少し驚いたもののすぐに笑顔になった。

「それは…ありがとうございます。他国の方から見てそう思えるのなら、復興に力を入れてきた甲斐(かい)があったというものです」

「本当に大乱があったなんて嘘のよう…。なんて皆幸せそうなの…」

ポツリとそう呟くと、牽蓮(ヒレン)は穏やかに街行く人々を眺めながらこう呟いた。

「…そこに住む者を見れば、その国の君主の度量(どりょう)がわかると申します。良い君主に恵まれれば、国は栄え民は(うるお)います。しかし()しき君主が立てば、街は一瞬で(すた)れ、国は焦土(しょうど)()すのです…。風嘉(フウカ)は三年前、実際にそれを経験しました。もうあのような悲劇(ひげき)は二度と繰り返してはならないのです」

淡々とした口調ではあったが、あまりにも重い言葉でもあった。

夜風に亜麻色(あまいろ)の髪を(なび)かせ、遠い目で幸せそうに笑う人々を見つめる牽蓮(ヒレン)に、静かな固い決意が見て取れる。

おそらくあの大乱を乗り越えた者だからこそ言える言葉なのだろうと鴻夏(コウカ)は思った。


その時フッと牽蓮(ヒレン)が、鴻夏(コウカ)に視線を戻す。

普段と違い、あまりにも真剣で真摯(しんし)な瞳に思わずドキリとすると、牽蓮(ヒレン)は確かめるように鴻夏(コウカ)にこう尋ねた。

「姫…。風嘉(フウカ)の皇后になるという事は、ここに居るすべての民の幸せを護る責任を負うという事です。逆にそれが出来ない者に、人の上に立つ資格はございません。姫にその覚悟はお有りですか?」

一瞬で心臓を鷲掴(わしづか)みにされるような言葉だった。

おそらく牽蓮(ヒレン)が言いたいのは、上に立つ者とはその下に立つ者達を護るためだけに存在しているという事。

身分とはそのためだけにあり、その責務を果たす覚悟を持たない者は、そもそも人の上に立つ資格すらないのだという事を言いたいのだと思った。

そしてその言葉を受けて、鴻夏(コウカ)は改めてじっくりと考えてみる。

正直自分は父の(めい)(したが)うためだけに、風嘉(フウカ)までやってきた。

そしてどうやってこの結婚を回避(かいひ)しようかと、そればかりを考えてきた。

でもこの旅で牽蓮(ヒレン)達と親しく過ごすうちに、自分の中に一つの強い感情が芽生えていた。

『彼等ともっと一緒に居たい』

『彼等と共に苦楽(くらく)を分かち合いたい』

『彼等の暮らすこの国を護りたい』

『許される事ならば…私はこの国で彼等と共に歩んでいきたい!』



目を閉じて、自らの考えに(ふけ)っていた鴻夏(コウカ)が、スッとその目を開けた。

そして強い決意を秘めた金の瞳で、真っ直ぐに牽蓮(ヒレン)を見つめる。

まるで黄金の(ほのお)のように、その瞳を揺らめかせながら鴻夏(コウカ)はきっぱりとこう言い放った。

「…正直、私にどこまでの事が出来るのかはわかりません。また私には結婚前に風嘉(フウカ)帝にお伝えしなければならない事もございます。もしかしたらその事で、この縁談(えんだん)自体(じたい)が取り止めになるやもしれません。でももし…もしそれでも風嘉(フウカ)帝が私との結婚を望んでいただけるのなら、私はこの国の為に一生を捧げようと思います」

そう鴻夏(コウカ)が言い切った時、ふいにその場に強い突風が通り抜け、二人の外套(がいとう)を大きくはためかせた。

そして予想外の衝撃に思わず目を閉じて耐えた鴻夏(コウカ)は、気づかなかった。

風に()き消されてしまった牽蓮(ヒレン)の呟きを。

彼は誰にも聞こえないほどの声で、静かにこう呟いたのだ。『合格ですね…』と。

そして風が通り抜けた後、牽蓮(ヒレン)はいつも通り何事もなかったかのようにこう呟いた。

「…風が強くなってまいりましたね。それにそろそろ皇城の方へ向かわないと、私達の到着を待ち()びている頃だと思います」

ニッコリといつもの(つか)(どころ)のない笑顔を見せながら、牽蓮(ヒレン)が皇城の方へと視線を向ける。

この時 彼は誰にも何も言わなかったが、密かに一つの決意を固めていた。

そしてその決意と共に、穏やかに鴻夏(コウカ)に向かってこう(うなが)す。

「それでは参りましょうか。…皇城へ」

赤い夕陽に照らされながら、(そび)え立つ風嘉(フウカ)の皇城『白瑤(ハクヨウ)(じょう)』。

旅の終着点はもはやすぐそこまで来ていた。





太陽が完全にその姿を隠し、夜の(とばり)がゆっくりと広がり始めた頃、ようやく鴻夏(コウカ)達は風嘉(フウカ)の皇城前まで辿(たど)り着いていた。

牽蓮(ヒレン)(うなが)されるままに、なんとなくここまで来てしまったが、そういえば自分は花嫁一行から勝手に抜け出してきた逃走者だったと今更ながらに思い出す。

そしてどうやって、花嫁としてまた一行の中に戻ればいいのかと鴻夏(コウカ)は悩んだが、その考えを読んだかのように牽蓮(ヒレン)がこう言った。

「…大丈夫ですよ、姫。花嫁一行の方は、姫の影武者(かげむしゃ)を立ててそのまま予定通り、こちらに着いております。そのため姫の不在は誰にも知られておりません」

「え、そうなの?で…でもどうやってまた入れ替わるの?それにもう着いてるって事は、風嘉(フウカ)帝への挨拶がもう済んじゃってるって事じゃ…?つ、つまりもう私が逃走してた事が、風嘉(フウカ)帝にもバレてるって事で…」

サーッと青ざめながら鴻夏(コウカ)(あせ)り始めると、それを(さえぎ)るように牽蓮(ヒレン)がこう言った。

「…その点も大丈夫ですよ。ちょうど風嘉(フウカ)帝の方も不在でしたので、まだ正式に風嘉(フウカ)帝と姫との対面は終わっておりません」

「そ…そうなんだ?」

何でそんな事まで知っているのだろう?とは思ったが、とりあえずまだバレてないと聞いて鴻夏(コウカ)は一安心した。

しかしこれからどうやって、また鴻夏(コウカ)姫に戻ればいいのか、その方法すらわからない。

そう思っていたら、牽蓮(ヒレン)は皇城の正門へは向かわず、裏手(うらて)の方へと馬を進め始めた。


「ど、どこへ行くの?」

「正面から入ると、正体に気づかれて大騒ぎになるので、裏門からこっそり入れて(もら)うんですよ。その為に總糜(ソウヒ)に先行して皇城に行ってもらったんです」

「あ…そうなのね…」

すでにその点まで手配済みだったのかと感心していると、ザザッという物音と共にふいに上から總糜(ソウヒ)が飛び降りてきた。

そして驚きのあまり声も出ない鴻夏(コウカ)を無視して、突然現れた總糜(ソウヒ)は開口一番、いきなり牽蓮(ヒレン)に対して文句を()れる。

「遅いっすよ、主〜!もう黎鵞(レイガ)須嬰(シュエイ)様がイライラしながら待ってるっすよ!」

「…ああ、すみませんね。思ったより街中を抜けるのに手間(てま)()りました。このまますぐに入れますかね?」

慣れているのか、牽蓮(ヒレン)はまったく驚きもせずに總糜(ソウヒ)に対してそう尋ねる。

そして總糜(ソウヒ)の方も、まるで何事もなかったかのようにあっさりとこう答えた。

「んー、その点は問題ないんすけどぉ…。この後どうするんすか?姫さんも連れていきなりのご対面?」

「そうだね。まずは先に顔合わせぐらいはしとこうかな?」

少し悪戯(いたずら)っぽい口調でそう答える牽蓮(ヒレン)に、總糜(ソウヒ)もニヤリと楽しげな笑顔を見せる。


「了解っす!じゃあ俺はその事を先に黎鵞(レイガ)達に伝えてきますわ。じゃあ姫さん、また後でな!」

そう答えるや否や、またもや總糜(ソウヒ)はあっという間に城壁(じょうへき)の上に飛び乗り、そのまま中へと姿を消した。

それを見送ると、今度は嘉魄(カハク)もこう告げる。

「主…。それでは私もそろそろ失礼させていただきます」

「ああ…ご苦労でしたね、嘉魄(カハク)。貴方も先にゆっくり休んでいてください」

「はい。では姫、これにて失礼致します」

「あ…はい」

よくわからないままそう答えた鴻夏(コウカ)に少し微笑むと、嘉魄(カハク)もまたあっという間に城壁(じょうへき)の上へと飛び乗り、そのまま中へと姿を消した。

その姿を呆然と眺めていると、牽蓮(ヒレン)鴻夏(コウカ)に対しこう説明をする。

「…總糜(ソウヒ)嘉魄(カハク)も『(かげ)』なので、本来はあまり人前に姿を現さないのですよ。だから門番にお願いして、門から正式に入るのは姫と私だけです。彼等は自分達で勝手に皇城内に戻ってますよ」

なるほどと思いながら、鴻夏(コウカ)はとりあえず牽蓮(ヒレン)に付いてそのまま裏門へと馬を進める。

そして裏門に辿(たど)り着いた鴻夏(コウカ)達は、すでに連絡がいっていたのか、数人の門番達に出迎えられ、すんなりと中へと通された。

そして裏門からとはいえ、初めて入る他国の皇城にキョロキョロと物珍しげに視線を彷徨(さまよ)わせていると、その様子を見た牽蓮(ヒレン)がクスリと笑いながらこう告げる。

「…姫。城内を見学されたいのなら、明日以降、明るい昼間になさった方がいいですよ。そんなに(あせ)らなくても、これからいつでも見る時間はありますから」

「あ、はい。そうします…」

牽蓮(ヒレン)にやんわりと止められ、大人しくそう返事した鴻夏(コウカ)はまったく気付いていなかった。

もしこのまま破談(はだん)となった場合、風嘉(フウカ)の城内を見学する機会など永遠にないというのに、牽蓮(ヒレン)は『これからいつでも時間がある』と言ったのだ。

何故彼にそんな事がわかるのか?

その答えを鴻夏(コウカ)は思いもかけない形で、知る事になるのである。




重厚(じゅうこう)な扉を通り抜け、鴻夏(コウカ)達はすぐさま謁見(えっけん)()へと通された。

そこには玉座(ぎょくざ)に座った風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)、そしてその側近である宰相 () 黎鵞(レイガ)と将軍 (ハク) 須嬰(シュエイ)が両脇を固め、鴻夏(コウカ)達の到着を待ち(かま)えていた。

玉座の前には薄絹(うすぎぬ)が下されていたため、風嘉(フウカ)帝の顔はよくわからなかったが、稀代(きだい)の戦上手と名高(なだか)武帝(ぶてい)を前にして、鴻夏(コウカ)はかなり緊張していた。

『この方が璉瀏(レンリュウ)帝…』

(はる)か遠くに(そび)え立つ玉座に座る男をチラリと見据(みす)えながら、鴻夏(コウカ)は自身の心臓の音が全身に響き渡るのを感じていた。

そしてそんな状態でも、ひたすら平静さを装い、謁見(えっけん)()へと足を踏み入れる。

まさかこんな身なりのまま、着いてすぐに風嘉(フウカ)帝本人とご対面になるとは思わなかった。

正直あまりにも急展開すぎて、何の覚悟も準備も出来ていない。

そして移動途中での逃走の件もあり、どう説明したものかと(あせ)りながら(ひざまず)鴻夏(コウカ)を尻目に、牽蓮(ヒレン)(おく)する事なく()を進めると、優雅(ゆうが)仕草(しぐさ)(ひざまず)(ろう)々とした声で口上(こうじょう)を述べた。

「…与えられた(にん)を終え、(コウ) 牽蓮(ヒレン)、ただ今 帰還(きかん)致しました」

そう牽蓮(ヒレン)が宣言すると、壇上(だんじょう)風嘉(フウカ)帝が無言でスッと立ち上がる。

そして一体何を言われるのかとビクビクする鴻夏(コウカ)の前で、風嘉(フウカ)帝はふいにワナワナとその身体を震わせ始めると突然こう叫んだのだ。

「れ…(レン)〜っ!遅いですよぉぉぉ!」

「え?」

あまりにも予想外の風嘉(フウカ)帝の第一声に、思わず鴻夏(コウカ)自身も素の驚きの声が出る。

そしていきなり玉座(ぎょくざ)から半べそをかいた一人の男が駆け出して来ると、その勢いのままに鴻夏(コウカ)の隣に控える男に飛びついたのだ。


「も〜っ、勘弁(かんべん)してくださいよぉ!明日が結婚式だってのに、貴方全然帰って来ないから、このままじゃ貴方の代理で僕は暁鴉(ギョウア)と結婚式までやらなきゃならないとこだったんですからね〜っ⁉︎」

「…ああ、ごめん、ごめん。ちょっと色々と手違(てちが)いがあってね。思ったより着くのが遅くなってしまったんですよね」

あははと呑気(のんき)に笑いながら、牽蓮(ヒレン)が抱きついてきた風嘉(フウカ)帝に対し、のんびりとそう答える。

それを呆然として見据(みす)えながら、鴻夏(コウカ)は頭の中が真っ白になっていた。

『…ちょっと待って?え、この人が風嘉(フウカ)帝?え、でもなんか会話がおかしい…。代理で結婚式とかなんとかって…?』

そう思ったところで、いきなりスパーンと小気味(こきみ)よい音がして、風嘉(フウカ)帝と(おぼ)しき人物が勢いよく吹っ飛んだ。

そしてその後ろから、怖ろしいほど整った顔の氷細工(こおりざいく)のような美貌(びぼう)(ぬし)が現れる。

透き通るような白い肌、光輝くように流れる銀の髪、そして思わず目を奪われるほど澄んだ薄い紫の瞳。

実際に生きて動いているのが信じられないほどの美貌(びぼう)(ぬし)は、その見かけに似合わず苛烈(かれつ)な性格だったようで、自分の主人であるはずの風嘉(フウカ)帝を勢いよく扇子(せんす)で殴りつけた後、すぐにフンっとそっぽを向きながら、手にしていた扇子(せんす)優雅(ゆうが)に広げた。

それに対し殴られた風嘉(フウカ)帝の方はというと、痛む後頭部を自ら抑えつつ、ひどく情けない声でこう訴える。

「ちょっ…黎鵞(レイガ)様ぁ?なんで俺が殴られるんすかぁ⁉︎」

もはや風嘉(フウカ)帝というには、かなり怪しすぎる人物が、本気で泣きべそをかきながら、その美人に(うった)える。

すると美人は、ジロリとその男を見下ろしながら、容赦(ようしゃ)なくこう言い放った。


「…お黙りなさい、みっともない。仮にも陛下の影武者(かげむしゃ)なら、もう少しそのヘタレを何とかしなさい」

「無茶な事言わないで下さいよぉ!僕だって好きで影武者(かげむしゃ)なんかやってないっすよぉ!」

ベソベソと泣き言を(とな)える男を見て、さすがに鴻夏(コウカ)もこれは風嘉(フウカ)帝じゃないな…と思う。

会話の内容から考えても、どうやらこの男は風嘉(フウカ)帝の影武者(かげむしゃ)のようだった。

となると、本物の風嘉(フウカ)帝は…?

そう思ったところで、突然スッとその氷細工(こおりざいく)のような美人が(ひざまず)き、隣の牽蓮(ヒレン)に対して最上級の礼を取る。

そして実に(うやうや)しく、丁寧にこう述べたのだ。

「お帰りをお待ちしておりました、(レン)。ご無事で何よりです」

「…留守居(るすい)(やく) ご苦労様、黎鵞(レイガ)。私が留守の間、こっちは何事もなかったかな?」

「はい。泰瀏(タイリュウ)様も(すこ)やかにお待ちです」

静かにそういった会話が交わされ、遅れて(ハク)将軍も牽蓮(ヒレン)に対して(ひざまず)きこう語る。

「ご無事で何よりです、(レン)。こちらも表面上は何事もなく、風嘉(フウカ)まで辿(たど)り着けました」

「ああ…花嫁一行の護衛ご苦労様でしたね、須嬰(シュエイ)暁鴉(ギョウア)はちゃんと姫の影武者(かげむしゃ)役を(つと)めてくれましたか?」

そう牽蓮(ヒレン)が尋ねると、(ハク)が無言でスッと後方へと目をやる。


すると柱の影からユラリと薄絹(うすぎぬ)で顔を隠し、鴻夏(コウカ)の着物を身に(まと)った女が現れ、スッとその場で(ひざまず)いた。

それに対し、牽蓮(ヒレン)(ねぎら)いの声を掛ける。

「…今回はご苦労様でしたね、暁鴉(ギョウア)。姫の身代わり役は大変だったでしょう」

そう言われた女は、無言で(かぶ)っていた薄絹(うすぎぬ)を引き(むし)ると、ニヤリと不敵(ふてき)な笑いを浮かべながらこう告げた。

「まぁ、あたしは深窓(しんそう)の姫君なんてガラじゃないんですけどね…。でもバレちゃあいないと思いますよ」

そう言って暁鴉(ギョウア)と呼ばれた女は、鴻夏(コウカ)に向かってニッコリと微笑んだ。

そして何となくボンヤリとその様子を見ていた鴻夏(コウカ)は、この人が自分の身代わりを務めてくれていたのかと、改めて相手を見返す。

すると暁鴉(ギョウア)はすぐに牽蓮(ヒレン)の方に視線を戻すと、その横に控える偽 風嘉(フウカ)帝を指差しながら不満たっぷりにこう言ったのだ。

「それより主。ホントに勘弁(かんべん)してくださいよ?いくら姫の身代わり役でも、あたしはあんな奴と嘘でも結婚式を挙げるなんて嫌ですからね!同じ偽者でももう少しマシな奴にしてもらわないと、割に合わないですよ」

「ちょっ、ちょっと暁鴉(ギョウア)⁉︎いくらなんでもそれは(ひど)くないっ⁉︎」

途端に反応した偽 風嘉(フウカ)帝に、またまた周囲の容赦(ようしゃ)のない一言が飛ぶ。


まずは黙っていれば氷細工(こおりざいく)のように美しい黎鵞(レイガ)と呼ばれた人物が、その顔に似合わず痛烈(つうれつ)な言葉を吐く。

「ああ…それはわかります。もし私が暁鴉(ギョウア)の役だったら、同じ事を言いますね」

そしてそれを受けて、珍しく(ハク)までもがボソリとこう呟いていた。

「まぁ…確かに。いくら偽の結婚式とはいえ、嫌いな相手とするのはなぁ…。例え仕事とわかっていても苦痛だな…」

うんうんと全員が納得したかのように、その場で(うなず)き合う。

その姿を見ながら、可哀想なほど動揺した偽 風嘉(フウカ)帝の男が思わずこう叫んだ。

「ちょ…ちょっと皆さん?いくら冗談でも言って良い事と悪い事がありますよ⁉︎」

「いや?冗談じゃなく事実だし」

異口同音(いくどうおん)で三人にそう答えられて、さすがに男が絶句する。

それを見兼ねて、ついに牽蓮(ヒレン)が口を(はさ)んだ。

「皆、もうそのくらいにしてあげて下さい。さすがに牽蓮(ヒレン)可哀想(かわいそう)です」

「え…、牽蓮(ヒレン)?この人も牽蓮(ヒレン)っていうの?」

思わずキョトンとしながら鴻夏(コウカ)がそう呟くと、ピタリと周囲の動きが止まった。

そしてずっと彼こそが『(コウ) 牽蓮(ヒレン)』だと鴻夏(コウカ)が信じてきた男が、ゆっくりと鴻夏(コウカ)に向き直り苦笑交じりにこう告げる。

「すみません、姫。訳あってずっと名を偽っておりました…。実は本物の『(コウ) 牽蓮(ヒレン)』はここに居る彼です」

そう言って彼が指差したのは、偽の風嘉(フウカ)帝の方であった。


「え…?この人が本物の(コウ) 牽蓮(ヒレン)?それじゃ…貴方は…一体…?」

驚きのあまり平凡すぎる返しをしながら、鴻夏(コウカ)はただただ呆然とする。

確かにずっとただの高官ではないような気はしていた。

そして、もしかしたら風嘉(フウカ)皇族(おうぞく)の一人かもしれないとも思っていた。

でもそうかもしれないとは思っていても、実際に偽者ですと本人に告げられると、思った以上の衝撃で頭がまるで付いていかない。

ところがそんな鴻夏(コウカ)に対し、先ほどまで(コウ) 牽蓮(ヒレン)と名乗っていた男は、鴻夏(コウカ)の目の前に(ひざまず)くと、いつものようにニッコリと笑いながら呑気(のんき)にこう告げたのだ。

「…改めて名乗らせて下さい、姫。私の本当の名は(ソウ) 璉瀏(レンリュウ)と申します。一応この風嘉(フウカ)の皇帝で、貴女の結婚相手になります」

一瞬で頭がさらに真っ白になった。

今、彼は何と言った…?

確か本当の名前は(ソウ) 璉瀏(レンリュウ)で?

一応 風嘉(フウカ)の皇帝で?

私の結婚…、結婚相手…っ⁉︎

「え…ええぇぇ〜っ⁉︎あ、貴方が璉瀏(レンリュウ)帝っ⁉︎」

「はい、一応」

「『戦場の鬼神(きしん)』とか『風嘉(フウカ)の英雄』とか言われてる⁉︎」

「…ああ、何かそういうご大層(たいそう)な噂が流れてるみたいですけど、嫌なんですよねぇ…それ。単に噂が広まる間に誇張(こちょう)されただけで、私自身は特に大した事はしてないんですよ」

かなりどうでも良さそうにそう告げる彼に、部下達から否定の言葉が飛ぶ。


(レン)!貴方またいい加減な事を言って…。全て本当の事でしょうがっ!」

そう言って(ハク)が本気で怒ると、すぐさま黎鵞(レイガ)も淡々とこう答える。

「そうですよ。そもそも貴方でなければ、我々もお仕えしておりません。そうなると風嘉(フウカ)の解放、復興(ふっこう)は間違いなくもっと遅れておりました」

風嘉(フウカ)()()の頂点に立つ二人にあっさりとそう言われ、牽蓮(ヒレン)改め璉瀏(レンリュウ)帝は首を(ひね)る。

「…確かに君達を含め、私はたくさんの優秀な部下に恵まれたと思っていますが、それはあくまでも君達の功績(こうせき)であって、私自身の実績(じっせき)ではありませんよ。私は君達に(かつ)ぎ上げられただけで、特に何もしていません」

そう言うと璉瀏(レンリュウ)帝は再び鴻夏(コウカ)の方に向き直り、悪戯(いたずら)っぽく微笑みながらこう告げる。

「それはともかく、姫もまずは旅の(ほこり)を落として着替えたいですよね?夕食までまだ時間があります。まずはお着替えになってきてください。話はまたその後に、夕食でも頂きながら致しましょう」

そう告げると、すくっと立ち上がった璉瀏(レンリュウ)帝はてきぱきと周囲に指示を出し、鴻夏(コウカ)は呆然している間に気がついたら謁見(えっけん)()を退出させられていた。

そしてあれよあれよという間に、鴻夏(コウカ)の世話を任された暁鴉(ギョウア)風嘉(フウカ)後宮(こうきゅう)へと連れて来られ、湯殿(ゆどの)へと放り込まれたのである。


そして一体どういう指示だったのか…。

普通なら沢山の侍女(じじょ)が手伝いに現れ、(あせ)って世話を断らなければならないところだったが、何故か侍女(じじょ)は一人も現れず、鴻夏(コウカ)は誰も居ない湯殿(ゆどの)に一人取り残されていた。

しかもここへ案内してくれた暁鴉(ギョウア)さえも『湯から上がった頃に迎えに来ます』と言って、そのままどこかへと姿を消す。

「…一体、どういう事…?」

呆然としながら、さすがに出来過ぎだと鴻夏(コウカ)は思う。

まるで鴻夏(コウカ)の事情を全て分かっているかのような対応に、やはり璉瀏(レンリュウ)帝に全てを(さと)られているような気がしてならなかった。

そして渡された着替えを見つめながら、しばし考え込んでいた鴻夏(コウカ)は、ふいに気持ちを切り替え悩む事を放棄(ほうき)する。

多分今の自分の状態では、どれだけ考えようと、あまり脳が働いているとは思えない。

それなら無駄に考えるのは止めて、今の自分が出来る事からしよう。

それにすでにバレてしまっているのなら、今更ジタバタしてもしょうがない。

「…それに考え事は、お風呂に入りながらでも出来るしね…。まずはお言葉に甘えて、湯に()からせてもらおう」

そう誰に言うでもなく呟くと、鴻夏(コウカ)は旅の(ほこり)と汗を落とすため、自らの服を脱ぎ始めたのであった。


続く

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