第8話 織田信長、セッション後の鍋
「「かんばーい!」」
ほろっと酔える缶チューハイをプラコップに注ぎ、コウ太と信長は乾杯した。
量販店で、卓上コンロと鍋も買ってきた。セッション後の宴席を設けよとの信長の命だから仕方がない。
セッション後はちょうど夕食時で空腹だった。日本有数の知名度を誇るいくさ人が「腹が減っては戦ができぬ」というのだから、言葉の重みが違う。
コウ太は、織田信長と連れ立って近所まで買い出しに出たのである。
ローテーブルには、乾き物や買ってきたものがずらずらと並んでいる。
剃った月代をバンダナの要領で手ぬぐいで覆い、服はコウ太のジャージ、足元はサンダル履き。そのうえ口髭という不審なおっさん丸出しの格好である。
そんな格好でも、どこか決まっていた。
信長の身長は一七〇センチに届かないコウ太よりちょっと高い。
華奢だという記録があるが、晩年まで遠乗りと鷹狩を欠かさなかったという信長の体格は、絞り込まれた細マッチョ体型である。
背筋がすっとして姿勢がいいせいで、その格好でも威風堂々とした佇まいである
さすがは天下人、風格が違った。
買ってきたのは、乾き物とポテチ、寄せ鍋の汁に具材セット。そしてシュークリームとアイスだ。
信長は、味付けが濃いもの、しょっからいものか甘いものが好物だという。
記録に残っている好物は、焼き味噌と干し柿である。
ルイス・フロイスから献上された金平糖にたいそう喜び、酒は飲まないという記録と甘党なことから、信長は甘党で下戸という説がある。
そんな信長が缶チューハイを飲めるのだろうか? 嗜むが弱いとは答えている。
「お? おお、これは甘露……!」
比較的アルコール度の低い、桃味のものを選んだが口に合ったようだ。
コウ太は前の月に成人となっており、酒が飲める。
飲めるが弱いのは、信長と同じである。
ちなみに日本で初めてワインを飲んだのは、織田信長という説もある。
当時、珍陀酒との名で宣教師から信長に献上された。実際に飲んだかどうかは記録に残っていない。
「……これが、“しゅうくりぃむ”なる菓子じゃな。旨いのか?」
「ええ、甘くて美味しいです。こう、ぱくっといきます」
コウ太はシュークリームを食べてみせる。五個三五〇円の特売セットのものだ。
「岩のようにも見えるが、柔らかいのう。……しからば、食してみよう」
パクリと口に頬張る。肖像画でもおなじみの口髭に白いクリームがついた。
その表情はまずは困惑、続いて驚愕、そして歓喜へと変わる。
「な、なんたる美味、なんたる食味……! これは南蛮渡来の菓子か?」
「ええ、まあそうです。イスパニアの隣の国のお菓子です」
「……ううむ、天上の菓子かと思うたぞ。もうひとつ、所望してよいか」
「あ、どうぞ」
よほど気に入ったのか、ついたクリームまできれいに食べる。
「まことに天晴である! まさに天下一の菓子じゃ。コウ太よ、おぬしに“信”の一文字を授けよう!」
「そ、そこまで!?」
“信”を一文字拝領する偏諱授与とは大変名誉なことでがあるが、“信太”になるとなんだか雑魚キャラっぽい響きがある。
「いやその、僕は武士じゃないんで遠慮させてもらっていいですかね」
「で、あるか。慎み深い男よのう」
上機嫌の信長なので、コウ太の遠慮も許したようだ。
「で、信長さん。初セッションの感想はどうですか?」
「それよコウ太、わしは悔しいのじゃ。悔しゅうて悔しゅうてたまらぬ……!」
本当にしみじみと、信長は噛みしめるように言う。
信長といえば、「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰」だ。
もし、巷で語られるような性格なら機嫌を損ねると命がない。
「……じゃが、それが何故にか愉快なのじゃ!」
丸めた新聞紙で、ぽんっと膝を叩いた。
今度、扇子を買ってきてやろうとコウ太は思った。
KPを務めるものとして、この感想は素直にうれしい。
成り行きでの初オフセデビューが、これほどうまくいくとは思わなかった。
「あの悲鳴が響いたときは、肝が冷えたわ。わしも丁尺のことを笑えぬ。そのうえ、丁尺は“SANちぇっく”に成功し、平静であったというではないか」
「あれすごかったですよね、転がったダイス目が、ギリギリ成功って!」
信長が恐怖音に驚いて思わず飛び退いた拍子で、ダイスが転がった。
出た目は、ちょうとSANチェックに成功する39。
信長は成功したと言い張り、コウ太は振り直せという。
TRPGではGMに従うのがゴールデンルールだと説明すると、「道理である」と信長は意見を引っ込め、ふり直して成功したのである。
あまりに面白くて二人して爆笑したのだ。
「武士を捨て、一介の僧となった丁尺が、迷うて出た怨霊を一刀のもとに斬り伏せたのも痛快であったわ!」
「まさかの〈日本刀〉クリティカルですからね。しかもダメージも高かった!」
「わしが胆力がないと嘲った丁尺が、武士の意地を見せたのが生みの親として嬉しゅうてな。坊主といえど、愛しゅうてならん」
「それがTRPGの醍醐味ですよ。僕も、初オフセがこんなに楽しいなんて思わなかったです。信長さんのおかげです」
「いやいや、師匠の薫陶あってこそよ」
互いに称え合って、二人とも声を上げて笑う。
コウ太が無事初オフセを終えられたのは、信長のゲーム勘のよさのおかげである。
元々、囲碁も将棋も好きだというから、ゲームとの相性が悪いわけがない。
ルールを説明すると意図を理解し、データも自分の言葉に翻訳して飲み込む。
せっかくの信長なんだし、美少女姿で転生してこいよという当初の理不尽極まる憤りは、今は胸に仕舞っておくことにした。
「いやさ、四〇〇年後にやってきたときはどうなるかと思うたが……今は、天下の行く末という重荷が肩から降りた気分よ」
「そういえば、切腹したんですよね」
「うむ、腹に短刀を突き立ててな。しかし、今は傷ひとつありゃせん」
「傷が治っているということですか?」
「左様、何やら生まれ変わったように気分も爽快である。これは天下統一を果たそうと戦に明け暮れたわしへの褒美かもしれんな。来世では存分に振る舞え、とな」
「ああ、前世でがんばったご褒美に、ゆるふわ転生ライフってことですね!」
わかりやすく言うと、そういうことであろうか?
ともかく、コウ太はそう理解した。
「さあて。わしは血を分けた弟、舅殿の息子と孫をはじめ、身内や肉親とも砂を噛む思いで争った。戦国の世の習いとはいえ地獄行きもやむなしと覚悟したものだが、これほど愉快な来世に転生できるとはのう……」
死のうは一定 しのび草には何をしよぞ 一定かたりをこすよの
信長はみずからの生涯を振り返り、好んだという小唄を口ずさむ。
いささか感傷的なものが溢れていると感じるのは、酔ったせいだろうか。
酒に弱いとの言葉どおり、信長は缶チューハイ一本程度で赤ら顔だ。
酔ってはいるが、鍋をつつく姿はしゃんとして美しい。
尾張守護代家の庶流、織田信秀の嫡男として生まれ、吉法師の幼名の頃は尾張の大うつけと呼ばれたのは周知の通り。
母の土田御前は、品行方正な弟の信勝を溺愛したという。
舅の斎藤道三が子の義龍によって長良川の戦いで敗死すると、信勝は兄が後ろ盾を失ったと見て敵対、織田家を二分し、骨肉相食む争いとなった。
信長は、仮病を使って誘い出した弟を謀殺している。
そして尾張を統一し、今川義元を討ち取る桶狭間、舅の仇の斉藤義龍、龍興親子と争った美濃攻め。天下布武を掲げて上洛し、将軍家再興の戦いに伊勢侵攻に信長包囲網。浅井朝倉連合軍とも戦った。長島一向一揆と長きに及んだ石山合戦。何度も裏切られ叛かれ、ついには本能寺の変で迎えた最期……。
絢爛豪華な戦国絵巻の主役ではあるが、決して平坦な道ではなかったろう。
戦、戦、戦に次ぐ戦の人生である。
織田信長は、数多の戦国大名の中でも、突出して合戦の数が多い。
「こうしてTRPGなる遊びに興じ、“しゅうくりぃむ”とうまい鍋を肴とし、美酒を片手にほろ酔えるのは勿怪の幸いである。さあさコウ太師匠、信長から一献献上つかまつる!」
「おっとっとっと……」
上機嫌の信長から、プラコップにお流れを賜る。
天下人から杯を頂戴するとか、キモオタの身に余る光栄だ。プラコップに缶チューハイだが。
ぐいっと飲み干すと、コウ太は何故か泣いた、ボロボロと涙が溢れた。
コウ太も酒に弱い、缶チューハイ一本でへべれけである。
戦に明け暮れた信長の戦国人生を思い感極まったのか、それとも初オフセ成功の余韻がよほど心に響いたのか。いや、気の合うゲーム仲間ができたことの嬉し泣きだ。
「の、信長さぁん。あなた、もうゆっくり遊んでいいですよ! いっぱいいっぱい、戦いましたからぁ……。いっぱいいっぱい、遊ばせてあげますよぉ。う、うう……」
「なんだ、おぬし泣き上戸か。愉快な酒席で泣く者がどこにあろう。たわけめ」
そう叱る信長の顔は、天魔と恐れられた人物にしては優しかった。
きっと鍋とシュークリームが美味しかったからだろう。
ああ、冷蔵庫にはアイスもあったっけ。