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そのニ

「……、退屈。こんなつまらないお芝居なんて、もう観たくないわ。これならば凰宮殿お抱えの歌劇団のほうが数百倍すばらしいわよ」


 ファン・リー・ツェイは、白けた顔で簾の外で繰り広げられる芝居を一瞥すると、もう興味はないとばかりにそっぽを向いた。


「ねぇ、フェイ。あんなのより、あなたの剣術の腕前が見たいわ。うちの護衛と決闘しない? ……ええ、素晴らしい提案だわ! 決まり。勝ったら褒美をあげる」


 好き勝手なことを言い始めたファン・リー・ツェイに、隣で芝居に見入っていたシュリンが顔を上げた。


「――ファン・リー・ツェイ姫が好む芝居はどういうのです?」

「そうねぇ、過激なのがいいわ。水の種族は、起伏がなくて穏やかすぎるわ。これが火の種族だったら火柱の間を走り抜けるくらいのことはやったものよ。緊迫感と興奮があるものこそ、真の劇というものではなくて?」

「では、もう少しだけお付き合いください」


 シュリンは、にっこりと笑った。

 フェイは、何か言いたげにシュリンを見てきたが、彼が言葉を発することはなかった。ファン・リー・ツェイが接触どころか、口を利くことさえ禁じているからだ。

 そんなフェイに、シュリンはファン・リー・ツェイにばれないよう大丈夫とばかりに小さく頷いてみせた。

 不満そうなファン・リー・ツェイが、文句を言おうと口を開きかけたそのとき、訪問者を告げる声が聞こえてきた。


「シュリン……――おや、これはファン・リー・ツェイ姫もおいででしたか」


 現れたのは公務に忙しいはずのホウレンであった。

 ここにファン・リー・ツェイもいることは知ってるはずなのに、今気づいたとばかりに大げさに目を見開いたホウレンは、にこやかに挨拶をした。


「これは、水王主様」


 とっさに姿勢を正し、淑女らしい微笑みを浮かべたファン・リー・ツェイは、嬉しそうにはにかんだ。


「美しい花が並んでいるところは、とても目の保養になりますね」

「まあ、口がお上手ですわ」


 パッと頬を赤らめたファン・リー・ツェイは、照れた顔を隠すように扇で覆ってしまった。


「あの、父上、どうなさいました?」

「ああ、おまえがファン・リー・ツェイ姫のために考えたという劇をこの目で観たくなってね、キンケイに仕事を押しつけて来てしまったよ」


 くすくすと楽しげに話すホウレン。

 キンケイというのは、次期水王主と目されている長兄である。武に秀で、次期水王主でなければ、キリョムの後継者として征太師に名を連ねていたことだろう。

 朗らかな笑みを浮かべる、端正な兄の顔を思い浮かべたシュリンは、思わず笑ってしまった。今頃、その顔は、気難しそうなものになっているに違いない。じっと執務に励むより、体を動かすことがなによりも大好きな兄だから。


「ほかの兄弟には内緒だよ。私ひとりだけ観劇を楽しんだと知ったのなら、あの子たちは嫉妬するだろうからね」

「はい」


 シュリンの胸が温かくなった。

 みんな忙しいはずなのに、シュリンのためにこうしてだれかしら駆けつけてくれるのだ。

 シュリンの横に腰掛けたホウレンは、目の前で繰り広げられる芝居を興味深げに見つめた。


「これは、どんな話なのかな?」

「ええっと、水龍様が初代水王主を定める場面を再現しました。ファン・リー・ツェイ姫に水の領のはじまりを知っていただきたくて……」


 どこか不安そうにホウレンをうかがうと、彼はシュリンの髪を優しく撫でた。


「それは素晴らしい考えだね」

「……!」


 ぱぁっと顔を輝かせたシュリンは、嬉しそうにはにかんだ。

 その様子を面白くなさそうに横目で見ていたファン・リー・ツェイは、ぎりっと奥歯を噛んだ。

 その後も、主人公である男の才気が水龍に認められ、自分の主に定める感動的な場面となってもファン・リー・ツェイの視線は、仲の良い親子へと向けられていた。

 ほの暗い色をたたえる瑠璃の双眸に気づいた者はいなかった。


「ファン・リー・ツェイ姫、しっかり見ていてくださいね! これからが劇の見せ場ですから」


 シュリンは、興奮したように言った。

 頬を紅潮とさせ、きらきらと目を輝かせたシュリンは、目の前で起こる幻想的な光景を想像して胸を高鳴らせた。これは、シュリンが最も力を入れたところだ。ファン・リー・ツェイを飽きさせないために、また水の領の力を見せつけるために生み出された大技だ。


 舞台では場面が切り替わり、ただの農夫だった男がなんの因果か水王主となり、水龍に見守られながら即位の儀に臨む姿が演じられていた。臣下を従え、一段と高い玉座へと彼がついた瞬間、銅鑼が鳴った。

 どこからともなく煌びやかな衣装に身を包んだ舞い手たちが水の雲に乗って現れ、優雅な舞いを披露する。ゆるやかな孤を描いて地面へと舞い手を下ろした水の雲は、上へと一気に上昇すると、次の瞬間、霧散して小さな氷の結晶となって四方へ飛び散った。


 きらきらと光る結晶が幻想的に周囲を魅了する中、空では美しい水芸が繰り広げられていた。さまざまに形を変え、八つの領を描くと、その領の従獣も象っていく。最後にもう一度、水の領を形作り、水龍を作りだすと、それは空を駆け、綺麗な七色の虹を架けた。

 晴れ渡った空に、巨大な虹が誇らしげに映し出されていた。


「綺麗……」


 うっとりするシュリンとは対照的に、ファン・リー・ツェイの目は冷めていた。

 火の種族の迫力ある演劇に比べれば、こんなのは子供の遊びであった。ホウレンがいなければ鼻で笑っていただろう。

 けれど、銅鑼が鳴り、水龍がパンッと弾け、雫が降り注いできたとき、ファン・リー・ツェイの顔色が変わった。


「これは……」


 泡のような雫は、優しくファン・リー・ツェイに触れると溶け消えた。同時に、弦楽器の音が耳朶に優しく触れた。

 しかし、周囲を見回しても奏者などいるはずもない。では、どこからあの美しい音色が? と目を見開くファン・リー・ツェイに、シュリンは含んだ笑みを向けた。


「ひとつひとつの水の欠片に、音を閉じこめました」


 そう言うとシュリンは指先で雫に触れた。

 とたん、空気を震わす弦の切なげな音。

 それを繰り返すと、音と音が繋がり、ひとつの曲となった。


「これは面白い」


 ホウレンもこれには感心したようだった。


「おまえは本当に私たちの予想を超えたことをしでかしますね。このような奇抜な発想は、頭の堅い主頭三補佐官には、到底、無理でしょうね」

「火の種族のような大仕掛けはなくとも、水の種族には水の種族のよさがあります。……わたしはそれを表現してみたかったのです」


 シュリンの双眸が切なげに揺れた。

 空気を吸うのと同じように容易く水を操る彼ら。

 それは決して、<印無し>のシュリンには手に入れられないものだ。


(わたしにも、水を操ることができたなら……)


 みんなから認められたというのに。


「……って?」

「え?」


 シュリンが視線を移すと、どこか悔しそうな顔をしたファン・リー・ツェイと目があった。


「どうやって作りだしたの!? 音を閉じこめるなんて、簡単にできる芸当ではないわ」


 シュリンはにっこりと笑った。


「幼かった頃、周囲のいわれのない中傷を耳にして泣き明かすわたしに、兄君様方が水の膜に包んで、すべての声から隠してくださいました。それを思い出して、もしかしたら音色も閉じこめることができるのではないかと思ったのです」

「……っ、さらりと言うのね」


 シュリンは困ったように微笑んだ。

 ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。思いつきを実現させるのは、とても大変なことだった。

無理なのかと諦めそうになったけれど、どうしてもファン・リー・ツェイを驚かせたかった。

 その一心が、シュリンをここまで突き動かしていたのだ。


 特製の瓶に水を溜め、そこに何日もかけて弦楽器の音をよく浸透させる。それを使って、水龍から水の球へと変化させたのだ。

 もちろん、だれにでもできるというものではなく、熟練の技が必要だった。完成したのは、なんと三日前だったのだ。

 通し稽古にこそ間に合わなかったが、その分、完成したものを見て、出演者たちも素で感動をあらわにしていた。


 どこからともなく歓声が沸く。

 歓喜の渦となって広がる拍手と、弦の音色が混ざり合って、新しい熱を生んだ。


「水の民でも、熱狂するのね……」


 ぽつりと呟いたファン・リー・ツェイに、シュリンは不思議そうな顔をした。


「火の民と水の民に違いはありません。わたしたちは玉海を隔てていても、同じ神のもとに生を受けた種族ではありませんか。歓びも悲しみも……体感する場所は違っても、わたしたちは同じです」

「同じ……? 違うわ。全然違うっ」

「ファン・リー・ツェイ姫……?」

「……疲れました。今日はこれで下がらせていただきますわ」


 ファン・リー・ツェイは顔を背けると、ホウレンへの挨拶もそこそこにフェイを連れて退出してしまった。

 なにか気に障ることを言ってしまっただろうかと落ち込むシュリンの頭をホウレンが優しく撫でた。


「父上……わたしはなにかを間違えたのでしょうか?」

「おまえはどう思う?」

「わかり、ません……。でも、わたしの言動の何かがファン・リー・ツェイ姫の琴線に触れてしまったのなら謝りたいです」

「ならば、おまえがしたいようにしなさい。そうすれば、答えは自ずと見えてくるでしょう」

「ファン・リー・ツェイ姫がなぜ気分を害してしまったのか理由はわからないのに……?」


 自信なさそうに瞳を揺らすシュリンに、ホウレンが微笑んだ。


「おまえの美点をあげるのならば、それこそ昼夜を通して語り尽くしても足りないでしょうけれど、おまえの素直で、人を思いやれる優しいところが私は大好きですよ」

「父上……?」

「今はまだ頑ななファン・リー・ツェイ姫も、おまえの魅力に抗えるものですか。おまえにはね、この水泡のように人を包み込む力がある。温かく、穏やかで、荒ぶっていた心さえも静めてしまうような力がね。それこそ、初代の水王主のように。水龍殿が彼を認めたのは、水王主の素質を見抜いたというより、初代のそばにいたかったからでしょうね」


 くすくすと笑ったホウレンは、なにかを知っているのだろうか。


「歌で引き寄せられた水龍殿は、彼の温かさに触れて、力を貸してくださった。それはきっと、どんなに水の力を操れる者でも為しえなかった事柄でしょうね。おまえもまた、同じ。いつの日か、水龍殿が目を覚まされたらおまえに会わせてあげよう。きっと気に入ってくださる」


 名案だとばかりに瞳をきらめかすホウレンに、陰鬱な気分も忘れて笑ってしまった。

 水龍と対話が許されているは、次期水王主だけだ。

 火の民との戦いを終えた水龍は、初代が長い眠りに就くと、自らもその役目は果たしたとばかりに、聖湖に沈んだまま上がってくる気配はない。

 だれもがその覚醒を心待ちにしているが、水龍がその姿を見せることは二度となかった。


「そうでしょうか。わたしの歌声はとても人様に聞かせられるものでは……きっと水龍様は怒ってしまわれます」


 フェイが耳を塞いで、苦々しい顔をしているのを思い出したシュリンは、へにょりと眉を下げた。

 どうやら自分は歌を歌うのが不得手らしい。

 音階が外れているとフェイが言っていたが、自分ではさっぱりわからなかった。


「歌はね、心で歌うものだよ」

「心、で?」

「上手い下手は関係なくね。初代もそれほど上手ではなかったと伝承にはあるけれどね」

「それは初耳です! 芝居ではとても美しくて……本当にこの世のものとは思えない歌声が水龍様のお心を捕らえたのだとばかり」

「たとえ聞くに堪えない歌声だとしても、そこに想いが乗れば、自然と惹きつけられるものですよ。逆にどんなに上手でも、心がないのならば私たちの心にも届かない」

「なんとなく、わかります。気持ちがこもっているほうが、胸に響くような気がしまう」

「それはきっと歌だけでなく、すべてにおいて言えることですよ、シュリン」

「すべてに……?」


 不思議そうに瞬くシュリンに、ホウレンはそれ以上なにも言ってくれなかった。




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