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その三

 そして迎えたファン・リー・ツェイ姫、公式訪問の日。

 これまで敵対関係にあった火の領の姫君の訪領ということもあり、厳戒態勢が敷かれていた。重装備の武官が脇を固める中、女官長をはじめとする内事方も粗相のないようにと流れをおさらいし、今か今かと待ちかまえていた。


「貴女まで堅くなってどうします」

「だ、だってフェイ。水の領だけでなく、わたしの命運もかかっているのよ。ちっとも笑えないわ。今にも心臓が口から飛び出してしまいそう」


 青ざめた顔でそう言ったシュリンは、震える手で心臓をそっと押さえた。


 やり忘れたことはないだろうか。

 うまく事は運べるだろうか。


 考えれば考えるほどきゅっと胸が縮んで、嫌な汗をかいてしまう。

 本当は、この場から逃げ出したいくらい怖くて、怖くて仕方なかった。

 今更ながらに細い両肩にのしかかる重圧をひしひしと感じていた。今日まで、慌ただしく時が過ぎ去ってしまったせいで、深く思い悩むこともできなかった。けれど、いざ本番を前にすると怯んでしまうのだ。


「――貴女はただ、貴女らしくあればいい」


 ふっと笑ったフェイは、そう言った。

 いつもの貼り付けた笑みとは違う、優しげな微笑。

 シュリンの肩から力が抜けた。


(わたし、らしく……)


 それは、フェイらしい飾り気のない台詞だった。

 そして、今、もっとも欲しかった言葉だ。

 ふぅっとため息を吐いたシュリンは、きらきらと目を輝かせながらフェイを見上げた。


「やっぱりフェイはすごい。わたしの緊張を簡単に解いてしまうんだもの」


 フェイがいなかったら、気が動転して失態を犯していたかもしれない。

 あるときは影のように控え、またあるときは道を照らす月明かりのように導いてくれるフェイの存在は、シュリンの中でとても大きかった。

 一日の大半を一緒に過ごしていることもあり、気が置けない仲だ。

 シュリンよりもずっと人生経験が豊富で大人なフェイにしてみれば、シュリンの考えなんてお見通しなのかもしれない。それがなんだかくすぐったく感じるのは、きっと、ちゃんと自分のことを想ってくれているとわかって嬉しいからだろう。


 落ち着きを取り戻したシュリンの水色の双眸がきらめく。

 と、そのとき、扉の外が騒がしくなった。


 どきりと心臓が跳ねる。


 ファン・リー・ツェイが到着したのだ。

 父や兄たちは今頃、ファン・リー・ツェイと挨拶を交わしているところだろう。

 シュリンはもう一度、ファン・リー・ツェイが滞在する部屋を見回した。朝摘んだばかりの花が甘く香る。香を焚いたほうがよかっただろうかと一瞬不安がよぎる。

 金の香炉は用意してあるが、シュリンにはどんな香りを調合すればファン・リー・ツェイに気に入ってもらえるかわからなかった。


 塵一つ見逃さないよう目を凝らしたシュリンは、豪奢ながらも気品のある部屋をじっくりと眺めた。露台へと続く場所には半分を垂れ幕で覆い、もう半分を上にあげ、金の留め具で留めていた。そのおかげで、部屋の隅々にまで光が届き、炎の中で金の粒子が舞っているような錯覚を起こさせた。

 露台の先に見える池も素晴らしかった。水仙のように長く生きることのできる魚ということで、仙魚と名付けられた魚が、優雅に泳いでいた。その池の周りを樹木が囲み、緑と青との対比が見事であった。


(火と水と木……こんなに調和するなんて)


 強烈な印象を与える『緋』の色と静寂をもたらす『蒼』、そして鮮やかな『翠』が寸分の狂いもなく溶け込んでいた。

 『蒼』と『緋』はぶつかり合い、互いの良いところを殺してしまうと言っていたのはだれだっただろうか。そう発言した者に、この光景を見せてやりたい。自分たち以外に目にすることができないのを残念に思った。

 水の領では『緋』は、禍々しい色とされ、目にするのも厭うのだ。


「シュリン様」


 ぼんやりと考えにふけっていたシュリンに、フェイがたしなめるように名を呼んだ。

 ハッと我に返ったシュリンは、慌ててファン・リー・ツェイを迎えるためにその場に伏せった。ファン・リー・ツェイは、どんな反応を見せてくれるだろうか? 期待に胸がときめく。

 同じく、部屋に控えていた側仕えの女たちもシュリンにならって頭を下げた。


「火の領が火王主の一の姫君、ファン・リー・ツェイ様のおなりでございます」


 しゃらん、しゃらんと鈴の音が軽やかに響き渡る。

 同時に、透かしの入った両扉がゆっくりと開かれた。

 ごくりと唾を呑み込んだシュリンは、身を堅くしたまま額を床へとつけた。


「わ、わたしは水の領が水王主の一の姫シュリンと申します。ファン・リー・ツェイ姫がご滞在の間、わたしがお世話をさせていただきます」

「……あら嫌だ。召使いかと思った」


 小さな呟きを拾ったシュリンが、え? と思わず顔を上げると、そこには完璧な笑みを貼り付けた美しい少女がいた。薄紅色の布を両腕に巻きつけ、金の髪飾りをした彼女は、旅の疲れなど感じさせず、輝くばかりだった。


 夕焼けよりももっと濃く、鮮やかな色の髪に、瑪瑙の双眸。


 水の領にはない色だった。

 まるで、炎をまとっているようだとシュリンは思った。その身に苛烈さを秘めながらも、見る者を惹きつけられずにはいられない艶があった。

 ファン・リー・ツェイは、扇で口元を覆ったまま部屋を睥睨した。

 とたん、歓声を上げる。


「なんて素敵なお部屋! 遠く離れたこの地で、慣れ親しんだ色に包まれることができるなんて……。なんて見事な緋色なんでしょう。わたくしの領にだって、こんなにも美しい色を出せる者はいないわ」


 心遣いに感激したように双眸を潤ませたファン・リー・ツェイは、ぱちんと扇をたたむとシュリンに近づいてきた。


(すごい、きれい……)


 シュリンは、整った顔をぼぅっと見つめた。

 染み一つない滑らかな肌に、情熱的な赤がこの上なく似合っていた。

 火の領の姫として生まれるべくして生まれたのだろう。

 額に刻まれた火の領の印が、誇らしげに輝いているかのようだった。

 笑みを浮かべたファン・リー・ツェイは、夢見心地のシュリンを見下ろすと、顔をそっと近づけた。


「穢らわしい<印無し>がこんなとこにいるなんてね。よくも水王主もあんたみたいなの引き取ったものよね。信じられない。栄光の守精家に、泥を塗るつもりかしら」

「!」


 シュリンは耳を疑った。

 今聞いた言葉が信じられなかった。

 麗しく微笑むファン・リー・ツェイの口から、禍々しい毒が吐き出されるとは思ってもみなかった。

 うまく反応を返せず、呆然とするシュリンを鼻で笑ったファン・リー・ツェイは、扉の側に立つフェイに気づくと目を輝かせた。

 艶のある涼やかな眼差しに、鋭利に整った美貌は、彼女の関心を引いたらしい。


「あら、いい男。水の(おう)(きみ)も見目麗しい殿方ばかりだったけれど、彼はまた違った華があるわね。わたくしの側に置いておいてもよいくらいには……」

「ぁ、……だ、だめですっ」


 気づいたらファン・リー・ツェイの言葉を遮っていた。

 ファン・リー・ツェイの不興を買ってはいけないのはわかっていたが、フェイを取られてしまうかと思ったらいてもたってもいられなかった。


「あの者は、わたくしの世話役。ファン・リー・ツェイ姫が気にかけるまでもありません。ファン・リー・ツェイ姫には、腕の立つほかの者を……」


 シュリンが焦りながら早口にそうまくし立てると、ファン・リー・ツェイの双眸が妖しく光った。


「そう……。あんたのものなの」


 ファン・リー・ツェイがちらりとフェイに視線をやると、小声で会話を交わす二人を不審に思ったのか、眉を寄せていた。

 心配そうにシュリンを見つめる様子に、ファン・リー・ツェイはますます笑みを深めた。


「欲しいわ」

「え?」

「彼をわたくしの従者に。それ以外は認めない。ほら、なにをぼさっとしているの? 早く行動なさいな。わたくしの機嫌を損ねたらどうなるかわかっているでしょ?」

「……ッ」


 シュリンの顔色が変わった。

 それは明らかな脅しであった。


(フェイをファン・リー・ツェイ姫に……)


 本当は嫌だった。

 フェイがいないと心許ないのだ。

 けれどファン・リー・ツェイに従わなければ、シュリンが守精の一員として認められることはないだろう。


(十日……たった十日我慢すれば、すべてはうまく行くわ)


 ファン・リー・ツェイの滞在期間は十日だけ。

 フェイを失うのは、胸を引き裂かれるように痛かったが、十日経てばフェイは返してもらえるのだ。

 瞳をわずかに曇らせたシュリンは、ファン・リー・ツェイの提案を承諾した。


「フェイ」

「はい」


 シュリンが名を呼ぶと、彼は腕を重ね、頭を下げた。


「今よりあなたをファン・リー・ツェイ姫の護衛に命じます。身辺の警護及び、ファン・リー・ツェイ姫の命令に従うこと。いいですね?」


 簡潔にシュリンが命じると、わずかに眉を寄せたフェイだったが、すぐに柔らかな笑みを貼り付けて首肯した。


「まぁ、嬉しい! よろしくね、新しい護衛さん」


 パッと喜色をたたえたファン・リー・ツェイは、フェイに駆け寄るとこれ見よがしに抱きついた。

 それをシュリンは、悲しげに見つめるしかなかった。




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