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終章

「いろいろごめんなさい。それと、ありがとう」


 ファン・リー・ツェイはそう言って、晴れやかに笑った。


「あのあと、お父様と腹を割ってお話ししたの。わたくしのこと、弟のこと……すべて。わたくしの勘違いだったのね。愛されていないと思いこんで、勝手にいじけていただけ。あなたのおかげで、目が覚めたわ」

「そんな……」


 首を振ったシュリンに、ファン・リー・ツェイは意味深な笑みを浮かべた。


「ねぇ、あなた。いくら守精の姫といえども<印無し>の姫を娶る家はあるのかしら?」

「え?」


 娶る?

 いきなりの話に、シュリンはあわあわと慌てた。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 動揺するシュリンをおかしげに見つめたファン・リー・ツェイは、不敵に微笑んだ。


「これからは、火の領も水の領も互いに手を携えるべきと言ったわよね?」

「は、はい」

「だったら、あなた、弟と添い遂げればいいわ」


 名案でしょ? と朗らかに告げるファン・リー・ツェイとは対照的に、居並んだ水王主や王君たちは、ぴきりと固まった。


「うちは大歓迎よ。年齢だって近いし、将来は火の領を治めるのだから、これ以上ない良縁の相手よね。姉のわたくしが言うのもなんだけど、弟は眉目秀麗で、文武にも秀でているわ。両領の絆を深めるために、妻合わせる方法が一番いいと思うの。お父様も賛成なさっているわ」

「悪いけれど、それは無理な相談ですね。この子は、大切な子ですからね。どこにもやりませんよ」


 シュリンが口を開くよりも先に、水王主が断った。

 口元は笑っているが、目はちっとも笑っていない。


「あら、わたくし諦めなくてよ」


 ファン・リー・ツェイもどこか好戦的に応じた。


「両領の友好を深めるためには、それが一番よ」


 ファン・リー・ツェイが、五人のうちのだれかと結婚すればよいのではないかとホウレンが告げると、彼女は嫌そうに顔を歪めた。


「二番手なんて我慢ならないわ。水の守精の王君方は、シュリン姫を目に入れても痛くないほど可愛がっていらっしゃるでしょ。わたくしは、愛されるのならば一番じゃないと嫌ですわ」


 つんっとそっぽを向くファン・リー・ツェイに、五の君が微かに頬を引きつらせた。

 彼は、彼女の本性を知らなかったらしい。

 こうして公式訪問を終えたファン・リー・ツェイ一行は、帰っていった。きっと他領で罪を犯した彼女と従者には、厳しい処罰が待っているであろうが、そんな不安は微塵も感じさせなかった。ファン・リー・ツェイにとって、父との和解がなによりも嬉しく、また従者もファン・リー・ツェイの憂えが取り除けたことに安堵しているのだろう。


 そして、火の領との貿易が再開されるのは、そう遠くない未来のようだ。

 今回の件で、火王主も思うところがあったのか、水王主の申し出をすべて呑むと言ってきた。

 それには、主頭三補佐官も目を輝かせていた。こちらの有益に事を運びましょうと張り切っているらしい。


「ファン・リー・ツェイ姫もおかしな方だね。小姫はどこにもやらないというのに」

「まだシュリンは十五だ。嫁に出すには早すぎる!」

「兄君様……」


 口々にそう言う兄たちに、シュリンは苦笑した。

 よほどファン・リー・ツェイの発言が気に入らなかったらしく、シュリンを取られるくらいなら交易などいらないと言い出した。

 それにホウレンも乗っかるのだからどうしようもない。


「まったく、あの方々は……」


 フェイが、呆れたように嘆息した。

 周囲の者たちは、くすくすと笑っているだけで、口を挟もうともしなかった。

 新しい時代が開かれる期待に胸を弾ませる彼らの表情は明るかった。

 もうだれも火の領を罵る者はいないだろう。

 これから、お互いのよさを知っていけばいい。


「そういえば、内務官長が職を辞したようですよ」

「そう……」


 彼は、シュリンに無礼を働いたことを謝ってきた。

 <印無し>であるシュリンを快く思わず、陥れようとしていたのだという。けれど、宴の素晴らしさに胸を打たれ、自分が見誤っていたことを痛感したらしい。

 水の守精は、実力で選ばれるもの。

 シュリンもまた、素晴らしい才能の持ち主であることにようやく気づいたらしい。


「ねぇ、フェイ。知っている?」

「なにをです」

「五の兄君様が下さった本にね、こう書かれていたの。水の守精の語源は、水を守っていた精霊からとったのですって。昔は、水守(みずもり)と呼ばれていたそうよ」

「水守ですか」

「そう」


 シュリンはにっこりと笑った。


「王もなく、神の御許にみんなが平等だった時代、精霊から選ばれた者がそう呼ばれていたの。生きるものが生まれ、育む水を守ることは、なによりも栄誉なことだったのよ」

「水を操る我々が、水を守るなど、なかなか滑稽ですね」

「そうね……。でも、水を操ることができないわたしには、ぴったりだと思うの」

「シュリン様……?」

「美しい水をわたしが守るわ。水守の娘として、水の領を守りたいの」

「貴女は本当に意表を突きますね」


 シュリンの決意を悟ったのか、フェイは柔らかく微笑んだ。


「きっと貴女はだれよりも素晴らしい水守となるでしょうね」


 それは確信だった。

 これからの水の領を担うのは、シュリンのような存在なのかもしれない。

 だれも体験したことのない、新しい変革のときが、訪れようとしていた――。


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